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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第二章 不夜城に集いしものたち
23/81

将軍たちの帰還

 この日、王城の大門が閉じられることはなかった。





 城内とその周辺は、夜も深い時刻だというのに、日中と変わらない明るさと喧騒に満ちていた。

 煌々とかがり火がたかれる中を、人馬がせわしなく行き交う。

 

「……有事のような有様だな」


 入城者の波に馬を滑り入れながら、ヤーヴェはつぶやくようにいった。

 

「まったくだ」


 つぶやきに、返事があった。

 喧騒の中から届いた声に、ヤーヴェは驚いた。そして、その相手を見てさらに驚いた。


「ルゼー将軍?――」 


 低く冷たい――夜気のような声を放ったのは、目の覚めるような金髪の美丈夫だった。濃い青の瞳が、灯火を受けて冴え冴えと光っている。

 

「――視察でドーミにいらっしゃったのでは?」


 ヤーヴェが驚きの声を上げている間に、ルゼーはするりと馬を隣に並べてきた。


 キリザの側近を務めているヤーヴェは、軍部内のことを熟知している。左将軍であるルゼーの行動も、もちろん把握していた。ドーミから帰郷の途にあるルゼーの帰着は、どう見積もっても明日、いや、すでに日付は変わっていた――今日の日中になるはずだ。この時刻に姿を見るなど、思いもしない。しかも単騎である。普段いるはずの供まわりの姿が、ひとりも見えないことにヤーヴェは首を傾げたが、同時に、なるほど、と頷いた。


「神馬で翔けてこられたのですか?」


 その驚異的な速さに、御伽噺にでてくる神獣――天翔あまかける馬を使ったのかと、ヤーヴェが冗談めかして問えば、


「早馬だが?」


 簡素な答えが返ってきた。何を馬鹿なことを――という表情付きで。


 ヤーヴェは、レナーテの婦女子の心を捉えて離さないこの金髪の美丈夫が、冗談の類をまったく受け付けない人物であることを思い出した。


 早馬で長時間駆けてきただろうにもかかわらず、ルゼーに疲労の色はない。軍服をきっちり着込み、波打つ黄金色の髪は一筋の乱れもなく、きれいに後ろに撫で付けてある。

 

 一分の隙もなければ、一筋の乱れもない。加えて遊び心もないルゼーに、ヤーヴェは声をひそめて訊ねた。


「閣下は、詳細をご存知ですか?」


 ヤーヴェの発言は、褒められたものではない。上位者に向かって失礼な上、直截すぎた。しかも、ここは往来だ。叱られても当然だが、ルゼーという将軍は、軍の規律にはたいへん厳しいが、それ以外のことは、見かけからは想像できないほど柔軟だった。おまけに、もってまわった言い方を嫌う。そういうところは、キリザと同じだった。


 ルゼーが鋭い目をヤーヴェに向ける。そこに、怒りの色はにじんでいなかった。



 


◇  ◇  ◇  ◇





 奇跡の塔でおこった事の仔細を、ルゼーが知っているのかいないのか―― 



 喧騒の中、泰然と馬を操る姿からは、どちらなのか、ヤーヴェにはわからなかった。

 ルゼーが冷静沈着であるのは常のことだが、その落ち着きが、不安を隠してのものなのか、何もかも飲み込んでのものなのか、まったくわからない。


 ヤーヴェ自身はどうかといえば、前者だった。不安を隠している。

 知っていることといえば、降臨した御使い様は異形で、しかも複数である、ということくらいだ。



 どうせ使いの者を寄こすなら、もう少し詳しく書けばいいものを―― 



 ヤーヴェは使者を寄こした同僚に、心の中で悪態を付いていた。

 おまけにその文末は、



『本日登城の必要なし。いま、城の中はごったがえしだ。門番と俺の仕事を増やすな。登城は明日、城下の噂を拾ってから来い。文句はそのとき聞いてやる。いうまでもないだろうが、騒ぐな』



 という、たいへん腹の立つものだった。



 余計なことは書くくせに、肝心なことは書いていない。それとも、書けないのか――。



 腹の立つ文面は、殴り書きだった。嫌味なほど整ったいつもの文字ではない。

 そのことだけも不安は募る。城下はもちろん、登城の道々に拾った話が、さらにヤーヴェの不安を煽った。無責任な噂話を丸呑みにはしないが、事実が含まれている場合もある。だが、判断しようにも、そのもととなる情報をもっていない。


 大門をくぐり抜け、王城のキリザの執務室へいけば、知ることができる。その距離も時間も、知らせを受け取った昼からのことを思えば、ささいともいえる時間だ。しかし、ヤーヴェはこれ以上待てなかった。

 

「ご存知でしたら――」


 教えていただきたい。 

 というヤーヴェの声は、突如湧き上がったどよめきにかき消されてしまった。

 

 何事か――


 にわかに騒がしくなった周囲に、ヤーヴェが振り返る。その前に声がした。 


「ああ、いたべ、いたべ。あにじゃー、ルゼー将軍こっちにいたべー!」


 それは、夜にたいへん不似合いな声だった。どこか春の陽気を思わせる、のどかさと明るさに満ちている。


「ああ、すんませんだす。すんませんだす。ちょっと通してもらうだすぅ」


 足だけで器用に馬を操りながら、人馬の波をかきわける。陽気のぬしは、大きな荷物を両手いっぱいに抱えていた。そのまま、目的の人物――ルゼーのもとに来るだろうと思われた青年は、しかし突然、後ろを振り返った。


「あーにじゃー!!」


 夜空にのどかな大声を響かせる。


「おおー。聞こえてるべー。すぐ行くべー」


 呼びかけに、のんびりとした声が返ってきた。

 大門前の緊張した空気が、どよめきながら一気に弛緩した。


「これは……」


 ヤーヴェは、その声の主を知っていた。知っているのは、ヤーヴェだけではない。軍に身を置くもの、いや、王都にいるもので知らないものはいないだろう。


「ルゼー将軍。北のご兄弟とご一緒だったのですか?」


 返事はなかった。

 ルゼーを見れば、その眉間が険しく寄っていた。





◇  ◇  ◇  ◇





「ちっ」


 と、隣から舌打ちが聞こえた。空耳ではない。

 なぜなら、声が続いた。


「まいたと思ったが……」


 ルゼーの声に、ヤーヴェは笑った。一瞬前までは、不安で胸が押しつぶされそうだったというのに、今は笑ってしまっている。そのもととなる人物が、ルゼーとヤーヴェの前にあらわれた。


「ルゼー将軍、待っててくれないなんて、ひどいだす」


 と文句をいうのは、灰味がかった銀髪の、ほっそりとした青年だ。くるりとくせのある髪が、ひと房ちょこんと額にかかっている。青年は、北出身者特有の、抜けるように白い肌をうっすら上気させていた。


「……」


 むっつりと不機嫌さを隠さないルゼーに、銀髪の青年――エルーシルは、なおもいいつのる。


「もう、あっちこっちさがしたんだすよ。迷子になったんでねえか、って、心配しただす」

「……」


 ヤーヴェは声をたてずに笑った。

 王都生まれの王都育ち――しかも将軍職にあるルゼーが、王都で迷子になるわけがない。

 エルーシルの声に、周囲もひそやかな笑いを発していた。向かう先があるだろうに、多くのものが、その足を止めていた。


 ルゼーの眉間の谷間がさらに深くなった。


「俺は王都出身――」

「あれえ、ヤーヴェさんでねか。いま帰りだすか?」


 ルゼーの低い声に、エルーシルの明るい声が重なった。

 ひとなつっこい笑顔を向けるエルーシルに、ヤーヴェは答えた。


「……いえ、いまからです」


 ヤーヴェは笑いをこらえるので精一杯だった。発言を捨て置かれたルゼーの顔を見てみたい衝動にもかられたが、それはできない。


「それはご苦労さまだす。晩飯は済ませただすか? ちょうどよかっただす。これ、食ってくれだす」

「これは?」


 両腕に抱えた包みを差し出されたヤーヴェは訊ねた。


「肉饅頭だす。うまいだす」

「にくまんじゅう?」

「そうだす。まだ、ほかほかだすよ。よかったら、みんなも食ってくれだす。ほれ、あんた。すまんだすが、これ、みんなに配ってくれだす」

 

 いいながら、エルーシルは、自分を見上げている男に大きな包みを預ける。そして、預けた包みを開いて肉饅頭をふたつ取り出した。


「あとはみんなでわけてくれだす。ああ、門番のひとには多めにやってくれだす。動き回れない立ち仕事は、えらいだすからな」


 いいながら、取り出したうちのひとつをヤーヴェにくれた。


「……エル」

「うん? なんだすか?」 


 背筋がぞわぞわするような、ルゼーの低い呼びかけに、エルーシルは明るく応える。応えはしたが、目と口は違う方向に向いていた。彼の意識は肉饅頭に向いており、早くもそれにかぶりついていた。


「うん。うまいだす。ヤーヴェさん、あったかいうちに食うだすよ。あっ、兄じゃー」


 背伸びをし、空いた片手を大きく振る。

 北の兄弟――彼らは自由だった。





◇  ◇  ◇  ◇






 ヤーヴェたちの前に、銀髪の美しい男性がその姿を見せた。


 右将軍ウルーバル。

 キリザ、ルゼーと並び称される剣豪であり、レナーテの誇る将軍である。容姿は『銀の月』と称されるほどに整っており、性格はたいへんおおらかだ。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し――。おおらかに過ぎる性格からの言動は、端正な見目を激しく裏切っていた。


 はじめて言葉を交わすものは、その独特のゆるいしゃべりに、必ず己が耳を疑う。北出身者の中でも、ウルーバルのしゃべりは特にゆるく、間延びしていた。そのしゃべる調子にも狂わされるが、内容も、どこかずれていた。



「すごいべぇ。祭りのような賑わいだべ」


 よく手入れされた黒毛の馬にまたがり、ゆるゆると馬を進めながらヤーヴェたちのもとにやってきたウルーバルの、開口一番がそれだった。

 月の化身のような――といわれる端正な容姿。右手には食いかけの饅頭――かなり大きなそれを、『賑わいだべ』と嬉しそうにいい終えたウルーバルは、ひと口で口の中にしまいこんだ。当然のことながら、両ほほが膨らんだ。パンパンだ。


 残念すぎる――


 ルゼーとは別の意味で、ウルーバルは多くの女性を嘆かせてきた。それは今も継続中だ。嘆く女性の数を、日々順調に増やし続けている。しかし本人はまったく気にしていない。というより、気付いていない。


 北の美丈夫――右将軍ウルーバルは、色々なことから大きくはみ出していた。そしてその弟、エルーシルも、兄に及ばずながら、色々とはみ出していた。



「兄じゃ……」


 エルーシルが顔を曇らせた。


 周囲では、多くの人間が立ち止まっていた。

 そのうちのほとんどが肉饅頭を手に、笑みを見せている。

 しかし、ほんの少し前までは、不安や焦燥といった胸苦しさを、それぞれの面に浮かべていた。それらは消え去ったわけではなく、まだ彼らの内にあるはずだ。


 それを、祭りのような賑わいなどと――空気を読めないにもほどがある! 


 と、非難するような弟ぎみではないことを、ヤーヴェはよく知っていた。なので、続く兄弟の会話にさして驚きはしなかった。が、ひとつ、困ったことがあった。



「兄じゃ!」

「んー、なんだべ」

「なんだべ、じゃねえべ。饅頭はどうしたべ? まさか……兄じゃ、食っちまっただか?」

「ああ……」

「ああ、じゃねえべ! あんな大量に食っちまったら、腹こわしちまうべ。食うにしても、ゆっくり食わねばだめだ! って、あだっ。何するべ、兄じゃ」


 額に垂らしたエルーシルの前髪を、ウルーバルが引っ張っていた。


「ひとの話は良く聞くべぇ、エル」

(はっ、お前がそれをいうか、お前が)

「おめはせっかちでいけねえ。いくらオラでも、ひとりであんなに食えるわけねえべ」

「んなことねえべ。兄じゃの腹は底なしだぁ。ばばがいつもいってたべ」

(そうだな。いってるお前もそうだがな)

「そりゃ若いころの話だぁ。いまはあげなほど食えねえべ」

(嘘をつけ)

「さびしいべ」

(あれだけ食えれば上等だ)

「ん? なんかいっただか? ルー?」

「いや」


 と首を振るルゼーの顔を、ヤーヴェは凝視した。


 最初、空耳か?――と、自分の耳を疑ったヤーヴェだが、それは、空耳にしては、はっきりしすぎていた。

 兄弟の会話の合間に聞こえてくる、切れの良い突っ込みは、あろうことか、ルゼーが発していた。 


 ヤーヴェは困った。まさかのルゼーだ。

 彼は唇を動かさず、口の中で毒を放っていた。口中、小声だというのに、声はこもらず一字一句がヤーヴェの耳に届いていた。しかも、ヤーヴェにしか届かない絶妙の声量で……。慣れているとしか思えない。


 そのルゼーは、平然と前を向いている。冷静沈着、かつ寡黙でもあるルゼーが、兄弟の会話に毒舌を挟んでいるなど、だれが思うだろう。

 

「ルゼー将軍――」


 

 自分ひとりだけが聞かされるのはたまらない。他者にも聞こえるようにいうか、ルゼーひとりの胸に収めるか、どちらかにして欲しい――



 そう思ったヤーヴェは、声をひそめていった。


「――お心がもれていらっしゃいますが」

「もらしてるのだから当然だ」

「普通におっしゃられてはいかがですか? 北のご兄弟はお気になさらないかと」

「……」


 恐ろしい形相で睨まれた。

 ヤーヴェの願いは叶わなかった。


 

 


◇  ◇  ◇  ◇





 願い届かず。ヤーヴェが嘆息している間にも、北の兄弟たちは、会話を続けていた。


「んじゃ、どうしたべ? 饅頭、どこさやった?」


 エルーシル――弟君は、饅頭の行方が気になって仕方ないようだ。



 他に、もっと気にしなければならないことがあるはずだが……


 

 と思いつつ、ヤーヴェは聞いていた。北の兄弟の思考と感性を、凡人が理解しようとしてはいけない。 


「ああ、あれだ。あん男にやったべ」

「あん男って、だれだぁ?」

「ほら、ソルジェ殿下んとこの、えらい男前の――」

「兄じゃ、それじゃわかんねえべ。ソルジェ殿下の側近は、みぃんなおっとこ前だぁ」

「んだんだ。ははは」

 

 と、ウルーバルとエルーシルは何がおかしいのか、ふたりして夜空に笑い声を上げる。

 同時に、周囲からも哄笑が上がった。


 往来にいる人々の足は、いまや完全に止まっていた。兄弟たちの周りには人だかりができ、その人だかりがさらなる人を呼び集めていた。動く気配もない。王城の大門前は、深夜だというのに、行き来がままならない状態になりつつあった。


 しかも、いつの間にあらわれたのか、ウルーバルの部下たちが、饅頭を配り歩いている。それがさらなる停滞を引き起こしていた。

 その中に、ルゼーの部下たちが混じっていることにヤーヴェは気付いたが、それは見なかったことにした。


「そうだすか。ソルジェ殿下の側近のひとにあげただすか」

「ああ、青い顔して、暗かったべ。そういや、髪の色も暗かったべ」

「そりゃ、ユリさんだすな。ジルさんもバルさんも顔色は暗いだすが、髪の色は明るいだす。しっかし、兄じゃ、殿下の側近のひとの名前くらいは、覚えねばだめだすよ。失礼だす」

「顔はわかるべ。なーんも問題ないべ。しっかし、暗い顔してたべ。髪が黒いから、余計そう見えたんだべか。いやぁ、でもありゃただごとじゃねえ顔だったべ。なんか心配事があるんだべな。とりあえず、腹いっぱい食って、寝ろ、っていってやっただ」

「それはいいことをしただす。さすがは兄じゃだす。わしも、あんひとたちの顔色が悪いのは気になってただす。なにか差し入れようと思ってたのだすが、よかっただす。しかし、なんだすかね? 何をそんなに心配してるんだすかね?」

「わっかんねえ」


 ふたりの会話を聞いて、ヤーヴェはルゼーの気持ちがよくわかった。もう、突っ込みどころが満載だ。

 指摘したいが、指摘してどうなるものでもない。余計な時間を食うだけだ。ヤーヴェは嵐が通り過ぎるのを待つように、兄弟たちの会話が落ち着くのを待った。隣からは、ぶつぶつと呪詛のような声が聞こえていた。





◇  ◇  ◇  ◇





「あの、失礼を承知で申し上げますが――」


 気抜けた会話をする兄弟に業を煮やしたのか、彼らの斜め具合を気の毒に思ったのか――囲んでいた群衆から、控えめだがはっきりした声があがった。


「――両閣下は、昨日の御使い様の件をご存知ないのですか?」


 それは、ヤーヴェがいまもっとも訊きたいことだった。


「おい、なんてことを」

「失礼だろ」

「将軍と副将、両閣下だぞ。ご存じないはずが――」


 と、制する声を、ヤーヴェが睨みつける――前に、男たちが黙った。ヤーヴェより先に、ルゼーが男たちを睨みつけていた。


「知ってるだすよ」


 ルゼーの作った静けさの中に、のほほんとした声が通る。


「わし、候補者だすよ。白の広間におっただす」


 エルーシルが答えた。なぜそんな質問をされるのか、わからない――という風だ。

 気軽に答えるエルーシルに、別の男が声を上げた。


「で、では、化け物をごらんになったんですね?」

「見ただすよ。すごかっただす。あげな恐ろしい姿、わしは見たことも聞いたこともねえだす。びっくりしただす」

「んだんだ」


 とウルーバルが頷く。


「ウルーバル将軍もいらしたんですか?」

「いんや、エルに聞いただ」

「そうですか……しかし、両閣下はなぜそのように、平然としていらっしゃるのですか? 城内は、それはひどい騒ぎになっておりますが」

「城内ばかりか、城下もひどい騒ぎです」


 口々にいう男たちに、ウルーバルが答えた。


「そりゃ、騒ぐべ。いつもひとりのはずが、七人だべ。みなが有頂天になるのもわかるべ。しっかしあんまり騒いじゃなんねえべ」

「え?」


 有頂天?――と思ったのは、ヤーヴェだけではない。

 呆気にとられる男たちをよそに、ウルーバルは首を横に振り振りいう。

 

「神様も何を考えていなさるんだべか。あんまりえこひいきされても困るべ。加護もほどほどでねえと。レナーテばっかり、と、まぁた他の国に恨まれるべ。……ひょっとしたら、ラドナ神様は、オラたちを試していなさるのかもしんねえな。驕っちゃなんねえべ」

「わしもそう思うだす。兄じゃのいうとおり、わしらは驕っちゃならんのだす。調子にのって喜んでると、きっと痛い目を見るだす。慎ましやかに、こっそり心の中で喜ぶだす。しかし、屋台はうれしいだす。花火も上げてほしいところだすが……それはやっぱり、我慢するだす」 


 と、エルーシルは真顔でいう。


「花火は豊穣の祭りで見れるべぇ、エル」

「だから我慢するだす。しかし兄じゃ、屋台はいいんだすかね?」

「いいべ、いいべ。ちっとは喜ばねば失礼だべ。こんだけしてやったのに、と神様も逆に腹がたつべ」

「そうだすな」


 なにやらずいぶんと解釈が違う。が、これこそが、北の兄弟が北の兄弟と騒がれるゆえんだった。


 ヤーヴェは安堵で笑ってしまった。その笑いには、平静を欠いていた自分への嘲りも混じっていた。

 エルーシルが候補者であることを、すっかり失念していた。冷静に考えればわかることだった。


 キリザの隣に立つ両雄が、事の仔細を知らないわけがない。そしてその事実をもたらしたのは、他のだれでもない、実際にその場を見てきたエルーシルである。


 城下で飛び交う話と、兄弟の会話――それらは真逆だが、どちらを信じるかは考えるまでもない。考えなければならないのは、騒ぎを嫌うルゼーが、なぜ、わざわざ大門を使ったのか。兄弟を待たず城内に入ればいいものを、なぜ、この場に身をとどめているのか、だ。そこになにかしらの意図がある。


 さすがだな――


 平静を取り戻したヤーヴェは、ルゼーの意図するところを読み、遅まきながら、それの手伝いをすることにした。


「エルーシル閣下――」

「なんだすか? ヤーヴェさん。わしのことはエルでいいだすよ。わしとヤーヴェさんの仲だす」

「そういうわけにはまいりません、閣下」


 元王族であり、副将軍である人物を呼び捨てにはできない。なにより、そんな仲ではない。


「閣下、皆は喜びに騒いでいるのではありません。かつてない事態に、不安を感じ、騒いでいるのです」

「え? そうなんだすか?」

「はい。かくいうわたしも、そのひとりです。御使い様が異形――しかも複数人である、ということしか知らされておりません。詳細を知らず、異例の事態に不安を抱えておりました。ですが、皆様の変わらぬご様子を見て、安心しました」


 ヤーヴェはエルーシルに微笑みかけた。


「皆が騒ぎ恐れているようなことは、おこっていないのですね?」

「恐れるってなんだすか? そりゃ、御使い様たちは恐ろしい姿だすが――」

「血が流れたと、城下のものたちは騒いでおりました」

「はあ?」


 と、驚くエルーシルの声を機に、周囲にいた男たちが口々にいいはじめた。


「幾人かが食われたと聞きました」

「恐ろしい咆哮をあげ、候補者に襲い掛かったとか」

「わたしは、アリアロス軍師が犠牲になられたと聞きました」

「キリザ大将軍が、やっとのことで取り押さえたと」


 勢い込んでいう声に、エルーシルは目を丸くした。


「何いってるだす。だれも食われてなどいないだす。人死にどころか、怪我人のひとりもいないだすよ。御使い様は、それは恐ろしい姿だすが、とても大人しかっただす。咆哮など上げとらんだすよ。うるさく騒いどったのは、わしらの方だす」


 エルーシルの声に、今度は男たちが目を丸くした。


「そう……なんですか?」

「アリアロス軍師は、ご無事なんですか?」

「無事だすよ。ぴんぴんしてるだす」


 といってから、エルーシルは口をつぐんだ。


「ちょっと違うだすな。軍師殿はお疲れのようだすが、大活躍だっただすから、それは仕方ないだす。ああ、ヤーヴェさんは知らんのだすな」


 ヤーヴェの顔を見て、エルーシルは笑った。


「軍師殿はすごいだす。こけてしまったのは、はなはだ残念だすが、それでもさすがだす」

「そうですか」


 気を利かせて話してくれたのだろうが、よくわからない。ただ、アリアロスが生きている、ということと、彼が、エルーシルを感心させるだけの働きをしたのだ、ということはわかったので、ヤーヴェは頷いた。


「わしなんか、突っ立ってるだけだっただす。副将軍だというのに、恥ずかしいだす……」


 まだまだ修行が足らんだす――と、エルーシルはしょげるようにいったが、次の瞬間には立ち直っていた。


「しかし、さすがといえば、キリザ将軍だす。わしらの大将はすごいだす」


 目だけでなく、顔全体をかがやかせていた。


「御使い様の怒りを、将軍は鎮めてくれただす」





◇  ◇  ◇  ◇





「もう、よろしいのですか? 将軍」

 

 ヤーヴェは訊ねた。

 キリザがいかにすごかったか――そのときの様子を、エルーシルが群集に向けて熱く語っている最中に、ルゼーが声もかけず、ひとり静かに馬を動かせたからだ。


「聞くのは一度で十分だ」


 ルゼーはそのまま、ゆっくり馬を歩かせる。

 大門に向かうルゼーに、エルーシルが気付いた。

 

「大丈夫ですよ、エルーシル閣下」


 ヤーヴェはいった。


「ルゼー将軍も、ここまでくれば迷子になられることはありません。どうぞご安心を」

「んだ。心配ねえべ。ほっといてもシカンダールが連れてってくれるべ。ありゃ賢い馬だぁ」

「そうだすな」


 ヤーヴェとウルーバルの声に安心したのか、エルーシルは聴衆に向き直った。


 ヤーヴェも馬を動かした。笑いをかみ殺しつつ、おそらく眉間にしわを寄せているだろうルゼーの後を追った。





◇  ◇  ◇  ◇





 予想どおり、ルゼーの眉間には谷間ができていた。怒ってはいないだろうが、機嫌は悪い。


「申し訳ありません。副将軍には、もう少し、話を続けていただいたほうがよろしいかと思いましたので」


 睨まれたヤーヴェは、いいわけをした。


「しかし、さすがです、ルゼー将軍。風評を押さえつけるのではなく、事実を撒いて、新たな風評をおこすとは」


 世辞ではない。本心をいった。


 聞きかじった話では、不安しか生まれない。すでに城下では、耳を疑うばかりの話が広まっていた。

 不安が不安を呼ぶ悪循環だ。人々は口々に不安をばら撒き、勝手な憶測で、恐怖と不安を自ら肥大化させていた。


 それを力で制することはできない。口を閉じろといえば、陰でその口を思いのままにひらめかせ、騒ぐなといえば余計に騒ぐのだ。


 無責任な噂話が一人歩きし、あたかも真実のように語られる――その前に、事実で逸らす。

 事実が事実のまま、語られることはないだろう。尾ひれや背びれがつくに違いない。しかしそれでいい。要は、先んじた噂に対抗できるものとなればいいのだ。


 その種を撒くために、ルゼーはこの場にとどまっていたのだ。ヤーヴェは感心した。

 事実を出す頃合いといい、場所といい、その人選といい、考えれば考えるほどに感心する。しかし。


「俺ではない」


 ルゼーの素っ気ない声に、ヤーヴェは驚いた。


「アリアロスだ」

「軍師殿、ですか」

「ああ。エルを寄こしたのはあいつだ。ウルーバルに教えにいくついでに、俺を迎えに行けといったそうだ。おかげでとんだ道草を食わされた」

「そうだったんですか。わたしはまたてっきり――」


 いいかけて、ヤーヴェはやめた。背後の音に注意を引かれた。ふたりが同時に振り返る。

 馬蹄の音を響かせながら近付いてきたのは、ルゼーの側近だった。名をセリカという。ヤーヴェもよく知っている顔だ。上司に忠実で、とても真面目な青年だ。


「お疲れ様です。ヤーヴェさん」


 挨拶をくれるセリカに、ヤーヴェも同様に挨拶を返す。


「そちらこそ、お疲れ様です。遠方から急ぎ戻られて、たいへんでしょう」

「いえ、自分だけではありませんから」


 年若い同僚の返答を、ヤーヴェは好ましく聞いていた。

 セリカは若くして将軍の側についているが、その驕りを微塵も見せない。実力ばかりでなく、人柄も優れている。あわてて上司を追いかけてきたのだろう、髪と息が若干乱れていた。と、そこに、心を乱す声がかけられた。


「……セリカ」

「はっ」

「饅頭は、配り終えたのか?」

「……」


 ルゼーの問いに、セリカは声を詰まらせた。


 上司の冷ややかな視線に、じっと耐える若い同僚を、ヤーヴェが気の毒な思いで見ていると、ルゼーが問うた。


「俺のは?」

「え?」


 セリカは驚いている。ヤーヴェも驚いた。そして、続く言葉を聞いて、さらに驚いた。

 

「俺はまだ、食してないのだが……」

「す、すみません! 饅頭はもうございません」

 

 セリカが風をおこす勢いで頭を下げた。



 食いたかったのか……。



 と、ヤーヴェが呆気にとられている間に、ルゼーが馬首をめぐらした。


「閣下、どちらへ?」


 セリカがあわててその後を追う。


「そちらは――」

「休む。少しでも寝ておきたい」

「えっ? キリザ将軍のもとに行かれるのでは?」

「将軍が起きていると思うか? それに……腹もすいた」

「すみません。すぐご用意いたします」

「いらん」



 

 遠ざかるふたりの後ろ姿を、ヤーヴェは見送った。



 仕えるものの苦労は、どこにもあるのだな――



 としみじみ思いながら、手綱を握る手に力を入れた。そして、


「……ふふ」


 馬上でひとり、笑い声をこぼした。

 いつのまにやら、肩の力が抜けていた。そればかりか、身の内から、ふつふつと陽気がわいてくる。ヤーヴェの心は、自分でも驚くほど軽くなっていた。


 ヤーヴェは顔を上げた。夜空にまたたく星々を見て、今日、一度も空を見ていないことに気付いた。星々のかがやきを目に写しながら、ヤーヴェはつぶやいた。



「俺も、寝とくか」


 夜明けには、まだ時間があった。


  




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