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それぞれの夕べ

「閣下。化け物どもは、スライディールの城に移されたようにございます」


 男は、部屋の主に身を寄せると、喜色をにじませそういった。


 喜色の声はしかし、部屋の主――ホレイスの顔を醜くゆがめさせた。

 肥え太ったからだは、顔にもたっぷり肉がのっている。その眉間が、山のように隆起した。


「スライディールの城だと? 奴らを生かしておるのか?」



 自身で思い描いていたような感動的なものとはならなかったが、無事、御使い様をお迎えすることができた――



 その愉悦に身を浸していたホレイスにとって、この知らせは凶報でしかない。舌の上で転がしていた美酒までも、途端に苦くなった気がした。

 驚きつついかるホレイスに、側近であるワルトが慇懃に頭を下げる。


「そのようでございます」

「阿呆めが。あのような化け物、さっさと始末してしまえばいいものを。城が穢れるではないか」


 ホレイスは、手にしていた白磁の杯を叩きつけるように卓に置いた。身体から怒りが溢れるように、杯からも中身が飛び散った。


「さようですが、あの城は、あっても使い道がございませんし……よろしいのではありませんか?」


 いいながら、ワルトは懐から取り出した白布で、飛び散った果実酒を丁寧にふき取る。その唇は、ゆるやかな弧を描いていた。


「自由に出入りはできませんから、閉じ込めるには具合がよろしいでしょう。それに……かの城は、あの化け物どもに似合いの場所にございます」


 ワルトの声の響きが、ようやくホレイスに伝わった。身体の割りに薄い唇がゆがむ。


「ふ、ふふ……そうだな。化け物のとりついた城に、本物の化け物が入ったか……」

「さようで」


 と答えるワルトの唇も、同様にゆがむ。浮かべる表情は同じだが、その体つきは対照的だ。ワルトは、男性にしてはやや小さく細身で、その身体に合わせたように、顔の造りも全体的に小ぶりで線が細かった。


「似合いの場所だが、不愉快だな。あんな化け物が近くにいる――と思うだけでも、怖気がするわ」

「まったく、そのとおりでございます」

「明日にでも、陛下に始末していただくよう申し上げる。あのような化け物がおっては、生きた心地がせんわ。まったく、おぞましい。御使い様も、お心安らかに過ごせぬ。早々に片付けねばな」


 憎憎しげにいうホレイスに、ワルトは殊勝な声で応じた。


「そのことでございますが、閣下」

「なんだ?」

「それは、時期尚早ではないかと……」

「なぜだ? あのようなもの、生かしておいてなんになる」

「化け物ではございますが、御使い様という可能性がございます」

「馬鹿な。あのような化け物が御使い様など、あるわけないわ」

「わたくしも、そのように思っております。ですが、よくよく考えてみれば、これは、好機ではございませんか?」

「どういうことだ?」


 ホレイスの目が光った。


「はい。化け物どもを御使い様かもしれぬ――などと愚かなことを申したのは、副宰相の右腕にございます。もし、あの化け物どもが、レナーテにあだなす行為をすれば、どうなりましょう? いえ、そんな行為すら必要ないかもしれません。すでに、騒ぎははじまっておりますれば……」

「……そういうことか」

「はい。騒乱の責任は、どなたがとるのでしょうな。かばいだてした本人は当然のことながら、騒ぎが大きく広がれば、その主も責は免れないでしょうな」

「ふ、ふふ」


 肉厚な肩が揺れた。


「陛下に進言なさるのは、いま少し、いえ、十分に騒ぎが大きくなってからでもよろしいかと」

「……そうだな。そうすれば、今度こそ、あの青二才の澄ました顔をつぶせるか」

「そればかりでなく、うまくいけば、傍若無人な赤毛の顔も、一緒に叩けるのではありますまいか」


 その言葉は、美酒のもたらす酔いのように甘く、ホレイスの体に広がった。


「ワルト、陛下に奏上するのは、しばらく様子を見てからにしよう」

「ご賢察にあられます」

「うむ。しかし、化け物を生かしておくことに、わしが反対したということは、陛下にお伝えしておかねばならんな。あの悪賢い狐――奴の独断で、化け物を生かしたのだということは、明らかにしておいたほうがいいだろう」

「閣下、その際には、かの将軍のことも、併せて陛下にお伝えいただきますよう……」

「無論だ。あやつは化け物と言葉を交わしておったぞ。あのような化け物と意思の疎通ができるなど、人間ではないわ。あやつこそ化け物だ」

「まさに。あちらはひとの皮を被った化け物にございますれば」

「うまいことをいうな」

「事実にございます」


 ワルトの言葉に、さらに機嫌をよくしたホレイスだったが、ふと思い出したように顔をゆがめた。


「そうなると……あの汚らわしい化け物を生かしておかねばならんか」


 ぶり返した思いに、ホレイスは酒杯を口にしながら、しばらく顔をゆがめていたが、ふいにその口元を緩めた。


「ふ。ふふ……」


 小山のような体が揺れた。


「いかがなさいました?」

「いや、いいことを思いついた」


 灯された明かりでつや光る――酒に濡れたその唇が、さらに緩んで弧を描いた。

 



◇  ◇  ◇  ◇




 夕闇迫るスライディールの城。

 

 王城の自室でホレイスがその肥満体を揺らしているとき、スライディールの城内では、玲が体を揺らしていた。


 王女の住まいだったというここは、溺愛のほどがうかがえる素晴らしい城だった。

 華美ではない。病んだ王女の心を刺激しないためか、色調はかなり控えめだ。だが、その家具建具はもとより、その内装、建物内部の隅々にいたるまで、贅と細かな配慮が尽くされているようだった。


 壁と天井を飾るのは、花や蔓草――自然にある小さく優しいものの絵であったり、彫刻だ。それらがひっそりと、城内に色を付けている。どこもかしこも形状や造りは凝っているが、その色合いは、派手さと重厚を避け、淡く明るい色味で統一されていた。


 一瞬で目を奪うような派手さはないが、気品と優しさに満ちあふれた城だった。






 玲たちは二階の大広間――胸ほどの高さがある巨大な暖炉の前に、集まっていた。

 すわり心地のよさそうな椅子を見つけた玲は、その上で胡座をかき、友人たちのくつろぐ様を堪能していた。

 

 瑠衣と玲於奈が、言葉を交わしながら、火をいれた暖炉の前で長い髪を乾かしている。


 そこから少し離れた場所では、髪を乾かし終えた良子が紙面に目を落としていた。

 脇に小机を引き寄せ、他の誰が見ているわけでもないのに、姿勢正しく座っている。

 切れ長の目、眉、形の良い薄い唇に、通った鼻筋――そのどれもがシャープで、美しい線を描いていた。襟足長めの、黒のショートカットが実によく似合う。知的で、ぞくぞくするような冷たい印象の美人だが、その中身は熱く、面白いほど沸騰しやすい。


 そして、暖炉の前を陣取っているふたり――フランス人の祖母の血を色濃く受け継いだ玲於奈は、紛う方なき美女である。陶器のような滑らかな肌と、つややかで、自然なウェーブがかかった豊かな濃い茶色の髪。玲於奈はフランス人女優のような柔らかな美貌を有していた。十代にして、すでに色香まで放っている。

 

 しかし、玲於奈は残念な美人だった。黙っていれば、どこか頼りなく物憂げに見えるその美貌とは裏腹に、口は毒舌、気性は苛烈、おまけに大の人嫌いだった。それには理由がある。


 幼いころから美少女だった玲於奈は、物心付いたときから、異性からは追い回され、同性からはねたそねみをぶつけられてきた。一方的な好意と悪意から自分の身を守るために、一方的に相手を遮断、あるいは撃退することにしたようだ。無理もない。


 意図せず引き寄せてしまうそれらを、排除するための有効な手段として、玲於奈は自ら残念美人に成り下がった――


 といいたいところだが、



 持って生まれた気性も多分にあるだろう――



 というのが、玲たち三人の見解だ。

 良子は、ときにそれを残念に思うこともあるようだが、玲はそうでもない。美しく、それでいて辛らつで男気のある玲於奈は、たいへん面白い。

 相反する器と中身――それこそが彼女の魅力であり、玲の良き理解者たるゆえんだ、とさえ思っている。


 そして、玲於奈以上の理解者が、五歳のときに知り合った瑠衣だ。理解というより、玲と瑠衣は、互いに互いを盲信しているといっていい。

 その出会いを、玲は今でも鮮明に覚えている。それまであやふやでしかなかった玲の人生の記憶は、瑠衣との強烈な出会いにより、はじまったように思う。


 最初、瑠衣を見たとき、玲は天使だと思った。

 透き通るような白い肌、くるりと癖のある髪は、生粋の日本人であるにも関わらず、茶色がかっている。目はくりくりと明るくかがやき、ほほは淡い薔薇の色だ。


 見た瞬間、「天使だ!」と思った玲は、何よりもまず先に羽根の所在を確認した。五歳だから仕方ない。

 横から自分の背中をのぞき込む玲を、不思議そうに見る瑠衣の表情が、またたまらなく可愛かった。


 そんな瑠衣も、長じるにつれて、幼さが消え、美しさが先に立つようになったが、愛らしさは失っていない。ことに性格の愛らしさ、面白さは、道行く他人をひっ捕まえて語りたいくらいだ。迷惑になるからやらないが……。 


 玲を、大の可愛いもの好き、美人好きにしたのは、この瑠衣だ。そして、



『優れた外貌を持つものは、それにふさわしい器量を備えている』



 という持論をも、玲に持たせた。

 その持論の強固な裏づけとなったのが、良子と玲於奈だった。

 玲はふたりと出会った小学生のときに、己が持論の正しさを確信した。


 中学、高校と進むにつれ、「絶対ってわけじゃないか……」という人物にも遭遇したが、その持論はまだ曲げていない。






 そんな、玲に多大な影響を与えた友人たちが、つくろわぬ姿でくつろいでいる。

 ただでさえ美しいというのに、暖炉の暖かな火が作り出す陰影もあいまって、まるで絵のような美しさだ。


「ふ……ふふ」


 唇から声がもれた。

 入浴を済ませた玲の体はすでに軽い。そして心は、それ以上に浮き立っていた。

 友人たちの真の姿を目にしたときの、レナーテの人々の驚愕を想像するだけで、心はさらに弾み、体も盛大に揺れる。


 玲は、心のできた人間ではない。自慢にならないが、かなりの俗人だ。さすがに、積極的にひとを傷つけたり、嘲笑したりして喜びを感じることはないが、聖人のように清らかでもなければ、広い心も持っていない。鷹揚であるが、玲の鷹揚さは人を選ぶ。嫌な人間には発動しない。


 それだけでも十分低俗だが、嫌ぁな人間を軽く呪い、呪いを想像して、にやっと笑うくらいには、人も悪い。このときの玲がまさにそうだった。



 後悔先に立たず。己の目の悪さを呪うがいい――



 心の中で、ホレイスに呪詛の声を放っていた。魔王の気分で呪ってやった。

 自分たちに剣を向けた男たちには「ちょっぴりおののくがよい」と控えめにした。

 





 こみ上げてくる邪悪な思いをこらえきれなくなった玲は、思いをそのまま口にした。


「ばーかめー」

 

 地を這うような玲の声に、瑠衣が振り返った。

 ダークサイドに堕ちつつある親友を、瑠衣は驚いたような目で見た――と思うと、その瞳をきらきらかがやかせていった。


「磯野さんの次女は?」

「ワーカメー。……ナイスパス! 瑠衣!」

「玲ちゃんも、ナイスアタック!」

「馬鹿じゃないっ?!」


 見事なふたりのクイックは、良子に一蹴された。






「ったく、どういう神経してんの? あんたたち!」


 この状況で、信じらんないわ――と、良子はお冠だ。チラッとも笑ってくれない。


「いやいや、すごいでしょ? 打ち合わせなしだよ? 今のクイック」


 玲の声に、


「クイックっていうんだったら、ナイスパスじゃなくて、ナイストスじゃないかしら?」

  

 玲於奈が冷静に、ダメ出しをくれる。


「……瑠衣ちゃんよ、われわれが華麗なクイックを決めたというのに、どういうことかね?」

「オーディエンスに問題ありかと思われます、殿」

「あら、魔王じゃないのね」


 放課後のような会話を交わす三人に、良子が厳しい眼差しを向ける。


「……ちょっと、気ぃ抜き過ぎでしょ、三人とも。ここどこだと思ってんの? 学校じゃないのよ」

 

 般若の仮装は脱いだはずだが、あまり変わらないように見えるのは、気のせいか――などと玲が思っていると、良子の恐ろしい視線が玲に向いた。


「わかってんでしょうね? ってか、わかっててやってんでしょ、玲。ここは家でも学校でもない、ぜんぜん知らない世界なのよ。帰れるかどうかもわからないってのに、あんたときたら……なんでそう能天気でいられるわけ?」


 良子の怒りの矛先は、台座に固定してあるのか?――と思うくらい、いつも玲に向けられる。裏を返せば、固定されるだけのことを、玲がやってきた、ということである。


「それは、まあ……なんとかなるって思ってるから、かな?」


 そんな良子の怒りの声に、玲は能天気な声で答え、能天気でいられるゆえんを続けた。

 

「命がある。健康でもある。四人そろってここにいる――それだけで、なんとかなる、って思わない?」

「思う!」

「ふふ、ずいぶんシンプルね。でもよくわかるわ。実際そうなってるし」

「……」


 良子はひとり、仏頂面だ。

 そろいも揃って能天気な友人たちに、心底呆れているのだろう。

 

「だからって余裕持ちすぎでしょ。これからが大変なんじゃないの? あたしたち」

「そうね。でも、だからって、常にハリネズミみたいに神経を尖らせておくの?」


 玲於奈の声に、


「別に、そういうわけじゃないけど……」


 良子の威勢も急速にしぼむ。


「この余裕こそが、わたしたちの強さだし、状況のバロメーターにもなってるんじゃない? 玲と瑠衣が、こうしてふざけるってことは、危険がないからでしょ? ふたりが無駄口のひとつも叩かずに神経を尖らせてる方がよっぽど怖いし、危険なことだと、わたしは思うけど」

「……まあ、ね」

「でも、良子は、そうしてうるさくいってくれた方がいいわ」


 といきなり、玲於奈は良子を肯定しだした。

 切れ長の目を丸くする良子に、玲於奈は、異性ならば鼻血を噴出するだろうあでやかな笑みを向ける。


「なにせ、良子がいわないと、このふたり、いつまでもああでしょ? 話が進まないどころか、まずはじまらないし、つまらない駄洒落や掛け合いなんかを際限なく聞かされるのもつらいし……」


 というと、玲於奈は玲と瑠衣に顔を向けた。その面は、あでやかな笑みがなくなり、不快さを伝えるようにしかめてあった。


「もう少しがんばって。良子の突っ込みがあったからまだ聞けたけど、あれじゃ、ぜんぜん笑えないわ」

「なんと!」

「ええー?」


 良子も厳しいが、玲於奈も笑いという点ではとても厳しかった。






 厳しいダメだしを受けた玲は、まったくもって納得できなかったが、すぐに気分と頭を切り替えた。


「どうしたって眠れそうにないし、今日はこのまま、これからのことを決めていきたいんだけど、いい?」


 玲の声に、


「賛成ー!」


 瑠衣がイの一番に賛同を示す。その声は明るいを通り越して、はしゃぎ気味だ。


「ったく、修学旅行じゃないっつの」

「それくらいの気分でいたほうがラクじゃない?」


 といいつつ、否やがあるわけもない良子と玲於奈も、椅子を移動させた。

 ごとごと、ずりずりと、それぞれが重い椅子を引きずって、暖炉の火を囲うように並べる。

 友人たちが椅子に落ち着いてから、玲は話し出した。


「うん。命の危険もなくなったし、こうして衣食住の確保もできた。まあ、いまのところは上々かな? で、貪欲なわたしとしては、さらに求めたいんだけど……」

「何をどう求めるのかしら?」

「得られるものはなんでも……かな?」

「ほんと貪欲ね」


 と玲於奈が笑えば、瑠衣も頷く。


「うん、玲ちゃんは貪欲だもんね」

「そうだけど。女子高生が貪欲って、それってどうなの?」


 と、良子は呆れ顔だ。


「いいんじゃないかしら? そのとおりだし、玲本人がいってるんだから」

「うん。それに、玲ちゃんの欲は汚くないもん。玲ちゃんの欲は、みんなを楽しくしてくれるでしょ?」

「……まあね。おかげでこっちはひどい目に遭うけど」

「ふふ、その分、得られるものも多いって、良子、いってなかった?」

「そうでも思わなきゃ、やってらんないでしょうが。で、どうすんの? 玲。どうするか、もう考えてんでしょ?」

「うん」


 玲は頷くと、さらっといった。


「まずは伴侶、決めよっか」


 その声のあまりの軽さに、良子は一瞬頷きかけてしまった。


「う……はあっ?!」

「あら、本家本元はやっぱり違うわね」

「今日一番の『はあ』だね。良子ちゃん!」

「はあ? 何いってんの? あんたたち!」


 良子は驚きのまま、どうでもいいことを指摘してくる友人たちに突っ込みを入れる。こんなときでも突っ込んでしまうのは、良子のさがだ。そして、ただちに元凶――玲に向き直る。


「伴侶決めるって、何?!」


 噛み付かんばかりの勢いで訊くが、いかんせん、相手は玲だ。


「何って、言葉どおりだけど」


 暖簾のような手ごたえだ。


「だ、か、ら、なんでいきなりそうなんのよ! 理由を説明しなさい、理由を!!」 

「長くなっちゃうけど、いい?」

「短めがいいなぁ。久しぶりに枕投げしたいー」

「何いってんの!」

「ふふ」

 

 

 四人の夜は、これからだった。





◇  ◇  ◇  ◇




 

「おい、ここまで付きあわせたんだから、酒ぐらいだせ」

「ここをどこだと思ってる? 執務室だぞ」

「いいからだせ。なくてもだせ」

「子供か」


 といいながら、グレンは隣室に自ら足を運び、そこから酒壜と杯をふたつを持ち帰ってきた。


「ったく、やっぱりあるんじゃねえか。出し惜しみしやがって」


 キリザは寝転んでいた長椅子から身を起こした。


「仕事中に飲酒はしない主義でな」

「じゃあなんでふたつ持ってる」


 あごで、グレンの手にある杯をしゃくってみせるキリザに、


「今、終わったからな」


 当然のようにグレンは答えた。

 杯に酒を注ぎ、そのひとつをキリザに手渡す。


「いい酒だ。味わって飲め」

「はあ、酒の飲み方までいわれんのか」

「当たり前だ。がぶ飲みするな。舐めろ」

「うるせえよ!」


 といいながら、キリザはちびりと口に含んだ。


「……いい酒だな」


 一瞬で口に広がる芳醇な香りと、その深い味わいに、キリザは不機嫌だった顔をほころばせた。


「だろう?」

「どこで手に入れた」

「いえんな」

「ケチくさいこというな」

「知らんものはいえんだろう。もらいものだ」

「だったら最初っから知らねえっていえよ、ったく。よこせ」


 といいながら、グレンの手から壜を奪い、自分の杯になみなみと注ぐ。

 グレンはそれを見ながら、杯を口に運んだ。


「うん。うまい」

「仕事の後の酒はうまい。今日はまた格別だ。な?」

「ふん、すっかり機嫌がなおったようだな」

「ああ」

「単純で助かる」

「聞こえてんぞ。ったく、お前は……」

「ふふ、いいから好きなだけ飲め。今日は特別だ」

「いわれなくてもそうするぜ。ったく、陛下に報告するのに付き合わされたんだからな。わざわざお前を呼んだのは、陛下に報告させるためだってのに、それに付き合わせるどころか、報告書書くのまで俺に手伝わせやがって」


 恨み言をいうキリザに、グレンは平然と答える。


「仕方ないだろう。さすがに、これだけのことを報告するのに、俺ひとりだけで――というわけにはいかん。偏りや不足が出る可能性がある。しかし、サルファとゼクトはあのとおりだ。レイヒ将軍も警固で今夜は体が空かない。アリアロス軍師は、卿がサルファに貸してやった。となると、空いてるのは卿だけだ。選択の余地がない。卿にも俺にもな」


 といって、グレンは笑った。


「ちぇっ、アリスをやるんじゃなかったな」

「終わったことに文句をいうな。御使い様の方が、はるかに潔いな。文句も恨み言も、ひとつもない」

「そりゃ、恨み言をいったって何にもならないからな」

「わかってるじゃないか」


 グレンは笑う。


「わかっていて、なぜできない」

「ばかやろう。俺の場合は必要なんだよ」

「ほう」

 

 興味なさげなグレンの合いの手に、


「俺の気が済む」


 キリザは断言した。


「呆れてものがいえんが……」


 いってるじゃねえか――というキリザの声をグレンは捨て置いた。


「卿の気分がそれで収まるなら結構だ。これで、憂いなく明日の会議に臨めるな」

「何いってんだ? お前。明日の会議は、喜んで参加するぜ」

「……まさか、将軍の口からそんな言葉を聞けるとは思わなかったな」

「嘘付け。わかってるくせに。ったく、嫌味な野郎だぜ、お前は」

「機会は逃さない主義でな」


 グレンは口元に笑みを乗せてそういうと、すぐに真顔になった。


「明日の会議は長引く。サルファが御使い様の後見役になることに、異議はでないだろう。が、彼女たちの今後の扱いに関しては、紛糾する」

「てめえじゃ何もしないくせに、口だけは達者な奴がいるからな。そりゃ、覚悟してるぜ。ま、話を聞くだけ聞いて、最後に睨みつけてやればいいだろ」

「いや、それは無しでいく。卿やサルファはそれでいいが、俺は中立の態度をとる」

「どういうことだ」


 キリザが厳しい顔を、僚友に向ける。


「スライディールの御使い様たちは、化け物ではなく人だろう。卿の話を聞いて、俺もそうとしか思えなくなった。そう考えなければ納得できないことが多すぎる。言動しかり、考え方しかり。三日という期限を設けたこともそうだし、誰にも会わない、というのも不自然だ」

「そりゃよかった。だがそれがなんで、そうなるんだ?」

「卿やサルファが庇うのはいい。疑うものはいないだろう。卿の変わりもの好きは有名だし、サルファが、いわれなき悪意を受けるものに対して同情的なことは、皆が承知だ。しかし、俺が強く庇えばどうなる?」

「なるほどな」


 キリザは納得した。


「冷徹打算で鳴らす宰相のお前まで玲ちゃんたちを庇うとなると、疑いの目を向ける奴もでてきそうだな」

「そうだ。だから、俺はあえて口を出さない。明日は話が進むに任せる。過激な意見も出るだろうが、今日の明日で、結論はでないだろう」

「ま、しばらくは様子を見よう、ってことになるだろうな」

「ああ。生かすにせよ、殺すにせよ、決定的な理由が無いからな」

「作る奴がでてくるんじゃないか?」

「ああ。それは好きにさせればいい。ついでに派手に騒いで動いてくれればありがたい」

「おいおい、大丈夫か?」

「そうか? 三日四日で何ができる? 派手に騒いでくれれば、卿が出張る口実になる」

「ほお」

「新将軍では心もとないというわけじゃないが……。万全を期す――そのためには、卿が必要だ」

「そうまでいわれちゃ、出ないわけにはいかねえな」

「スライディールの御使い様たちに、手出しはさせない」


 断言するグレンに、キリザは愉快そうに眉を上下させた。


「なんだかんだいって、お前、俺より玲ちゃんたちに入れ込んでるじゃねえか」

「当たり前だ。レナーテを救う娘だぞ」

「そうだな。しかし……俺たちの望むものとは違うかもしれないぜ」

「それならそれで、諦めがつく」


 グレンは手の中の杯をかたく握りなおした。そして、


「だが、そうならないと思っている――違うか?」


 見つめていた酒杯から、目を上げた。


「ふん……違わねえな」


 グレンとキリザ――見合う二人の瞳は、同じ光を宿していた。





◇  ◇  ◇  ◇






「殿下、外は冷えます。そろそろ中にお戻りください」

「……」

「殿下」


 再度呼びかけられて、ソルジェは反応した。わずかに頭を巡らし、声主を見る。夜目にも明るい銀髪が目に入る。しかしその表情は、こうべを垂れているため確認することはできない。


「ジル」


 ソルジェは、礼の姿勢をとったままの側近の名を呼んだ。


「あのものたちは、どうなった?」

「スライディールの城に移されたと、聞いております」

「それは、確かか?」

「エシレ殿にうかがいましたので、確かでございます」

「レイヒの右腕がそういうのなら、確かだな」

「はい。レイヒ将軍が、スライディール城の警固をなさるそうです」

「そうか……」


 いいながら、ソルジェは露台から、スライディールの城がある方角をながめた。

 王城の深い森。その深奥にあるスライディールの城は、ここからは見えない。見えるのは、木々の作る暗い影の連なりだ。闇に溶けないその影は、闇よりもいっそう濃く深く、静かにそこにある。

 

 ソルジェは、暗い静謐の中に追いやられた異形たちのことを思った。が、その思いは、気遣わしげな声にさえぎられた。 


「殿下」


 肩越しに目をやれば、ジリアンは面を上げていた。くせの無い銀髪が、風に揺れている。少年時代は美少女としか形容できない風貌だったが、順調すぎる成長と過酷な鍛錬のおかげで、性別を間違われることのない、美青年へと変貌を遂げていた。線は細いが柔弱さは微塵もない。ソルジェは、長の時を自分とともに歩んできた側近に微笑を向けた。


「案ずるな、ジル。俺は大丈夫だ」


 ジリアンは、怜悧で端正な容姿からは想像できない激情を、内に秘めている。そのことを知っているソルジェには、その激情が不安を糧に、彼の細い体の中で膨れ上がっているのがわかった。そして、自分の言葉が気休めにもならない、ということもわかっていた。


「あのものたちは、なにものだろうな?」


 ソルジェは自問するようにいった。


 あらわれた異形たちが、なにものであるか、禍福のいずれをもたらすのか、今のソルジェには知る由もない。ただ、わかっているのは、レナーテが激動のときを迎えたということだ。

 

 望むと望まざるに関わらず、第一王子である自分が、その渦中に巻き込まれるのは必至だろう。しかし、ソルジェの心は自分でも驚くほど凪いでいた。それどころか、淡い期待に胸が騒いでさえいた。


 ソルジェは濃紺の瞳を閉じた。

 自分の思いを隠したかった。



 気取られてはならない。

 知られてはならない。この暗い望みを。

 


 閉じたまぶた裏に、光が浮かぶ。

 忘れようにも忘れられない――脳裏に焼きついて離れない意志あるその強い瞳に、ソルジェは問いかけた。



 お前が、解放してくれるのか?――



 答えはない。あるはずもない。

 あるのは鬱蒼とした森の影と、風が運んでくる木々のざわめきだけだった。


   

 




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