おじさま ばーさす 化け物 ③ 他人事だったら笑えますが
ここにいたって、ようやくサルファは説明らしい説明をしてくれた。
レナーテ王国は、七百年という長の歴史と大陸一の領土を有する。
始まりは、広大な大陸のいち小国であった。
大陸の端で生まれた小国は、すぐに他国にすり潰されるだろうと思われた。が、初代国王の功績により、神の加護を与えられたレナーテは、他国の思惑をよそに、緩やかに版図を広げ、栄えていった。
木々が年月をかけてゆっくり生長するように、レナーテという国も、長い年月をかけながら成長していった。
大小様々な国々が、大陸に現れては消えてゆく。
数多の国々が栄枯盛衰を繰り返す中で、レナーテは国土を広げ、繁栄を続け、いまでは大陸一の大国となっていた。それはひとえに、レナーテが神の加護、ラドナ神の恩寵を受けているからだ――という。
「事実、ラドナ神は、われらレナーテに、こうして御使い様を遣わしてくださいます」
サルファはいった。
「はあ」
と、玲は気の抜けた声でいいたかったが、さすがにまだそれはできない。こぼれ落ちそうになった声を内にとどめ、優等生然とした口調で訊ねた。
「御使い様というのは、その、ラドナ神という神から、レナーテの皆さんへの、褒賞――褒美のようなものなのですか?」
版図を広げながら繁栄も手に入れている、というのだから、神からの愛は深いようだ。御使い様は、国を豊かにするための、何か特別な力を神から付与されていて、その力でもって、レナーテという国を富ませ、潤すのだろうか――と、玲は安直に考えた。
牛の乳の出が、びっくりするほどよくなる――とか?
神の使いともなれば、あるかなしかのわからないような、半端な力ではないだろう。
自分が触れた途端、牛の乳がほとばしる様を想像して、
うーん。その能力、欲しいかも――
と、にやけかけた玲だったが、サルファの答えを聞いて、すぐに口元を引き締めた。
「いえ、レナーテの安寧のため、と、わたしたちは考えております」
「安寧、ですか? お話からは、たいへん富み栄えたお国であるように思いましたが、内実は乱れているのですか?」
「国の内外、ともに、安定しております」
「ますますわかりませんね」
「わたしたちも困惑しているのです」
サルファはその心情を吐露した。
「過去、御使い様が出現されたのは、わが国が存亡の危機にあるときでした。その窮状は、外からのものもあれば、内からのもの、天からもたらされるもの――時により様々ではありましたが、いずれも、下手をすれば国を失うか――という困難でした。そこにラドナ神が、御使い様をお寄こしくださるのです」
「はあ」
とうとう玲は間抜けな相槌を入れてしまった。規模といい、深刻さといい、すべてが現実味に欠けていて、対岸の火事を眺めている気分だった。
サルファは、そんな玲の間抜けな声を聞き流してくれた。
「そして、ラドナ神がお遣わしになるのは、ただ、おひとりです」
どんな間抜けにもわかるようにか、聞き流させないためか。サルファは最後の単語を、実にゆっくり、そしてはっきり強調してくれた。
「わたしたちの困惑も、おわかりいただけるかと……」
たまにうつけることもあるが、だいたいにおいて鋭敏である――玲の目に鋭さが戻った。
「過去に例がないのは、わたしたちの姿だけではないのですね」
「はい。皆様のようなお姿は初めてですし、複数人でいらっしゃるのも初めてです。加えてわがレナーテは、今現在、窮状にありません」
「……皆さんが驚かれたのは、よくわかりました」
玲は聞いたことを頭の中で整理した。
「皆さんが呼び寄せたのでもなければ、神に希ったわけでもない。一方的に、神様に押し付け――ああ、言葉は選ばなければいけませんね。神の意思により授けられたというわけですね」
確認する玲に、
「さようです」
サルファは頷いた。
「サルファさん。そちらもお気の毒だとは思いますが、連れてこられたわたしたちこそ、いい迷惑です。神といえど、間違いをおかすこともあるでしょう。間違いは速やかに正すのが一番です。こちらから神に訴える手段はないのですか?」
「残念ながらございません。皆様の心中はお察しいたします。ですが、前触れがあり、神は皆様をお連れになりました。神の御意思を疑うことはできませんし、それに逆らうなどもってのほかです。皆様は、御使い様であり、われらレナーテに安寧をもたらしてくださる救いの使者――レナーテの至宝なのです。お怒りとご不安はいかばかりかと思われますが、皆様の身は、わたくしサルファが、非才の身をもってお守りいたしますれば――」
玲は思わず笑ってしまった。
いやいや、今現在安寧にあるよね? ってか、安寧もたらすどころか、わたしたち、混乱もたらしてるよね?――
と、心の中で突っ込みつつ、真面目なひとだなあ、このひと――と感心した。
そして、ちょっぴり悪戯心が湧いた。
「それはおかしいですね。至宝なのですから、わざわざ守っていただく必要はないのでは? これから先は、下にも置かぬ扱いを受けるのだとばかり思っていましたが、違いましたか?」
玲の声に、サルファは目に見えて動揺した。
玲は体を揺らした。
「ああ、サルファさん。ちょっと意地悪をしてしまいました。すみません。わかっています。異例尽くしな上、安寧をもたらすはずの御使い様が化け物なのですから、そちらの混乱は必至でしょうね」
微笑む玲に、サルファは安堵を見せた。
「サルファさんのお言葉はありがたく頂戴しておきます。ですが、御使い様といわれても、わたしたちは、神様から何も言付かってはいませんし、飛びぬけた力も持っていません。人を驚かせるのがせいぜいといったところなのですが――」
そこでキリザの笑う声がした。しかし、言葉はなかった。
「――それでも、御使い様になるのですか?」
「はい。今日ここにおいでになられました。その一事でもって、皆様は御使い様であられます」
「はあ、そうですか……そうおっしゃるのなら、そうなのでしょう。で、わたしたちは、どうすればよろしいですか? あるべき危難もないようですし。じっとしているのは性に合いませんし、好きにさせていただいてもよろしいですか? ああ、なるべくご迷惑はかけないようにしますから、安心してください」
いいながら、どうやって帰り道を探そうか――そもそも、あるのかないのかわからない。その、帰り道を見つける道に、どう道筋をつけていこうか――と考えていたところに、爆弾が落とされた。
「皆様には、伴侶をお決めいただきます」
「はあ?!」
玲の声が、広い室内に響き渡った。
それは、良子のお株を奪うような、頓狂な声だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「……玲のそんな声、はじめて聞いたわね」
玲於奈が顔を上げた。
「一瞬、良子ちゃんかと思ったぁ。やっぱり一緒にいると、似ちゃうんだねえ」
「いくらあたしでもあんな素っ頓狂な声、あげるわけないでしょ」
「いつもあんなかんじだけど」
「いつもあんなかんじだよ」
双子のように声をそろえた玲於奈と瑠衣は、「え? 嘘」という良子を間に笑い合う。
玲もつられて笑った。
「いやあ、いきなりだったんでびっくりしたわ。不意打ちってこわいな。びっくりしてないみんなにも、びっくりだけど。サルファさん、伴侶、っていったよね? わたしの聞き違い?」
「伴侶っていってたわ。いいからさっさと聞きなさいよ、ほら」
「厳しいのお」
良子に尻を叩かれた玲は、前を向いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「サルファさん、伴侶とおっしゃいましたが、その言葉に間違いありませんか?」
「はい、間違いありません」
「それは、生涯を共にする異性と捉えてよろしいですか」
「はい」
「……結ぶことによって力が発現する、何かしらの力を得る、そういうことでしょうか? 」
ひとより多少力はある。が、それは同性と比べてだ。自分たちが人外の力を手に入れたようにも思えない。力がみなぎる感覚はないし、身体はいつもと同じだ。
御使い様は、触媒のような働きをするのだろうか――と考えた玲は、そう訊ねた。
「伴侶となれば、それは巨大な力を手に入れます。ですがそれは、山を砕き突き動かす、そういった類のものではありません」
「身体能力が飛躍的に増大するわけではない、ということですね。しかし、巨大な力は得る。……名声、権威、そういった類の力というわけですか」
「そのとおりです」
「伴侶を得ることで、御使い様側には、どういった作用が?」
「御使い様には特別な変化はございません」
「こちらは特典なしですか……」
玲の中に相互扶助の精神はあるが、奉仕の精神はあまりない。
玲の思いを読んだのか、サルファが先に口を開いた。
「伴侶は、己のすべてを御使い様に捧げます。心のよりどころとなり、ときに盾となり、剣となって、御使い様をお守りし、生涯をともに歩みます」
うん、重い。重いし、必要ない――
はっきりいって、自分たちには迷惑以外のなにものでもなかったが、玲はそれには触れず訊ねた。
「聞きそびれていましたが、過去あらわれた御使い様というのは、何か特別な力をお持ちでしたか?」
「いえ、どなたも特別な力はお持ちではありませんでした。普通のひとの娘となんら変わるところはない、いたって普通の娘である、と記録にはございます」
玲は返事をしなかった。
サルファの顔を見つめながら、せわしなく頭を動かしていた。
それは、友人たちに不審がられるほど長く続いた。
良子と玲於奈が手を止め、玲を見つめる。
玲は微動だにせず、ただ、サルファを見つめている。
動きを止めてしまった友人を挟んで、ふたりが視線を交わす――その間に、玲は視線を落とした。そして、いくばくかの時間をさらに費やしてから、ようやく玲は顔を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇
「サルファさん。伴侶を決めるということですが、それはどうやって決めるのですか? わたしたちの好きに選んで、よろしいのですか?」
長い沈思の時間が、まるでなかったかのように、玲は普通に話しだした。断りの文句もなければ、態度も特に変わらない。
あの沈黙はなんだったのか――だれもが思っている中、サルファが応えた。
「皆様にお選びいただきます」
「そうですか」
「しかし、だれでもいいというわけにはまいりません。妻帯しているものや、すでに婚約しているもの、将来の約束を交わしているものもそうですが、人品、能力のことさら劣っているものは排除してございます」
「……すでにそちらでめぼしい人物をピックアップされている、というわけですか」
「ピックアップ?」
「選出、といいなおしましょうか」
「さようです。そのものたちは、候補者と呼ばれ、いずれも、御使い様の伴侶となるにふさわしい資質を備えております」
「はあ、それはありがたいですね。準備のいいことです。わたしたちは、その候補者の中から選べばいいのですね」
「はい」
「で、その候補者という方々は何名で、どういう手順で進めてゆくのでしょう? まずは、釣書の交換からでしょうか?」
会話が進むにつれ、興味を失ってゆく玲だったが、サルファの次の言葉で、勢いそれを取り戻した。
「候補者は、およそ三百名ほどとなっております。うち百名は、本日お会いいただいております。といっても、混乱で、それどころではありませんでしたが」
「あの広間にいたひとたちが、そうなのですか?」
「はい。厳密にいえば全員ではありませんが、そういっても差し支えないでしょう。御使い様をお迎えする責任者――彼の名はホレイスと申します。それと、彼の側近ワルト。両氏を除いた、全員が候補者です」
「そうですか……」
玲の瞳がかがやきだした。
「では、そちらのアリアロスさんも、候補者でいらっしゃるのですね?」
「さようです」
己の名が出たアリアロスが、びくりと身体を跳ねさせた。
「ゼクトさん、レイヒさんも?」
「はい、彼らも候補者です」
こちらのふたりは微動だにしなかった。
「そうですか」
玲の目のかがやきが、さらに強く、声は楽しいことを見つけたように明るくなった。
「そうですか……わかりました」
弾んだ声でそういうと、玲は突然真顔になってサルファに訊ねた。
「ところでサルファさん、わたしたちの住むところはもう、お考えいただいてますか?」
◇ ◇ ◇ ◇
またしても、玲は唐突だった。先ほどは態度と口調を一変させただけだったが、今回はそれに加え、急ハンドルを切るかのごとく、話題を変えてしまった。
唐突な玲の質問に、サルファがかたまった。
「ああ、いえ……」
と、いいよどむサルファに、玲は続けて質問した。
「これまでの御使い様は、どちらにお住まいでしたか?」
「王城に……専用の住まいをこしらえてありますので、過去の御使い様は、そちらにお住まいでした」
「そうですか。ですが、今回はそういうわけにいきませんよね。人数もそうですが、わたしたちの姿は問題です。こんな姿で王城をうろうろされては、そちらも大変でしょう。わたしたちも余計な騒ぎは起こしたくありません。ですので、別の住まいを用意していただけませんか?」
「それは――」
「それとも、御使い様は王城から出さず、囲わなければならない――という決まりでもあるのですか?」
皮肉めいた玲の声に、レナーテの男たちは、多かれ少なかれ驚きを見せた。
しかし、玲は平然と続ける。
「わたしたちは、皆さんの庇護がなければ、この先、生きてはいけません。互いのためにも、無用な摩擦は避けたほうがよろしいかと思ったのですが……」
可愛げなど持ち合わせていないが、なるべくそう聞こえるようにいった。
「……お住まいに、ご希望はございますか?」
「ありがとうございます」
サルファのあきらめたような声に、玲は声をかがやかせた。
「王城にほど近く、人の行き来が少なく、ひと目につかない場所にあって、建物はそうですね、頑健な造りがいいですね。そして、内からも外からも出入りしにくく、外から中が見えない仕様となっているのが希望です。理想は、広く明るく風通しの良い、清潔な牢獄という感じでしょうか? もちろん、檻は必要ありません。サルファさん、そういった物件はありますか?」
「……」
すらすらと立て板に水でしゃべるのはもちろんのこと、その内容に、だれもが唖然としている中、キリザが大声で笑い出した。
「お岩ちゃん、それじゃ、軟禁してくれといってるのと同じだが、そいつは構わねえのか?」
「ああ……いわれてみれば、そうですね」
キリザに指摘され、玲も笑った。笑ってから、答えた。
「何事も気の持ちようです。厳しく管理されたり、自由を制限されるのは困りますが、住まいや行動範囲を限定されることに抵抗はありません。キリザさん、貴人専用の獄舎のようなものは、こちらにはないのですか?」
「獄舎ときたか……」
キリザは肩を揺すりながら答えた。
「ああ、あるにはある。だが、今は満杯だ」
「はあ、そうですか」
残念です――と玲が続ける前に、キリザに先を越された。
「嘘だ、嘘。いまのは冗談だ。満杯じゃねえ、空いてる」
キリザがあわてていったのは、横に座るグレンに睨みつけられたためのようだった。
「王族や大貴族の罪人を入れる専用の城はある。あるにはあるし、空いてもいる。が、遠い。こっからじゃ、馬を飛ばしても十日はかかる」
「それは、遠すぎますね」
「だろ? でもな、お岩ちゃんの理想ぴったりとはいかないが、それに近いやつはある。な?」
と、キリザがグレンを見る。
「……スライディールの城、か」
「駄目か?」
「いや、いいだろう」
グレンとキリザは短く言葉を交わした。その声は、当人たちとサルファにしか聞こえなかった。
キリザは、首をかしげて待つ玲に笑顔を向けると語りだした。
「ずいぶん昔の話なんだが、うちにはスライディールって名の、それはもう別嬪の王女がいたんだ。でも、好きな男に振られてな、自分を失っちまった。変わり果てた姿を、父王はだれにも見せたくなかったんだろうな。なにしろ、舐めるように可愛がってた娘だ。王城の森の端に、豪勢な小城を建てて、そこに隠すように住まわせた。それが空いてる。二百年は昔の話だから、当然本人はもういねえし、いまはだれも住んでねえ。外から中は拝めないし、人もまったくといっていいほど寄り付かない」
「……とても素敵な物件ですが、話がうますぎるように思いますね」
「あ、やっぱわかるか?」
「何かあるんですか?」
「ああ。姫さんがな、でるらしい」
「は? その、スライディールという王女様ですか?」
「すげえな、一回聞いただけで名前を覚えたか」
「はは」
玲は笑うしかない。
「そうなんだ。死んでからも泣いてる、ってんだ。見た奴がいるっていうんだが、本当かどうかはわからねえ。見たって奴から直に聞いたわけじゃねえし、又聞きもいいとこだ。俺は見たことない。ま、実際は、行ったことすらねえんだが」
と、キリザは笑う。
正直なのは結構だが、少しは隠したほうがいいのでは――
と、いらぬお節介を、玲たちは心の中で焼いていた。
「そんな噂のある城なんで、だれも近付かないし、住もうって奴もあらわれない。潰そうかって話もでたことはあったが、なんせ金がかかった城なんでな、潰すのももったいない。定期的に人が入って管理してる。ただ、人が住んでないってだけだ。ちっさな城だが広さも十分だ。どうだ? 嬢ちゃんたちにうってつけじゃねえか? 平気だろ? なあに、姫さんがでてきたら、追い返しゃいいさ。なんなら、説教のひとつもぶちかましてやってくれ。お岩ちゃんだったら、できそうだな」
キリザらしい、個性と押しの強いセールストークだった。
そして、そんなセールスをされた玲たちも、
「いやあ、あんまり期待されても困っちゃうなあ。除霊とかしたことないし」
「あら、やる気?」
「何いってんの。だいたいこのひと、あたしたちを何だと思ってんの?」
「強心臓の化け物だと思ってるんじゃないのかなぁ?」
心臓の強さでは負けていなかった。