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おじさま みーつ 化け物 ②

「おうし、嬢ちゃんたちの名前はわかった。あ、そうだ。そういや、まだこいつを紹介してなかったな」


 キリザはそういうと、くいっ、とひとさし指を動かした。

 アリアロスとレイヒが、キリザに近付く。ところが。


「おいおい、お前は一番に紹介してやったろ」


 キリザが眉間にしわを寄せる。


「もういっぺんさせようってのか? いいからお前は戻れ」


 近付いてきたアリアロスの額を、キリザは指ではじいた。わずか指一本のことだったが、情け容赦ない力が入っていたのか、当りがよかったのか、その両方か。それは痛そうな音がした。

 痛みでもって迎えられたアリアロスは、文句のひとつもいわず、額をさすりながらおとなしくもとの位置に戻っていった。


 なんともひどい扱いを受ける青年に、四人の同情の目が向く。

 しかしキリザは一向気にする様子はない。背の高い青年を隣に立たせると、彼を紹介した。


「こいつはレイヒだ。将軍をやってる。将軍っつっても下っ端だけどな。な?」


 と、同意を求めるキリザに、レイヒが生真面目に頷く。


「このとおり、見かけは地味だし、中味もてーんで面白くない野郎だが、人間は悪くない。よろしくしてやってくれ」

 

 キリザの声に、レイヒが丁寧に頭を下げる。茶色の髪に同色の瞳の青年は、誠実なのだろう。ひとつひとつの所作に、それがあらわれていた。


「レイヒです」


 そして、名乗る声は穏やかでいて芯があり、耳に心地よい男らしい声だった。しかし、続く言葉は突如としてさえぎられた。


「どうぞよろ――」

「よし、もういいぞ。戻れ」


 礼儀正しく挨拶をするレイヒに割り込み、そのまま声を奪ったキリザは、手の甲で部下の胸を叩いた。

 アリアロス同様、レイヒも黙ってその指示に従った。


「……どんだけ自由なわけ? このひと」

「ほんと、ひどいわね。でも、平等にひどいみたいだから、いいんじゃないかしら」

「そういう問題?」


 良子と玲於奈がささやき合う。


「おし、これでいいな」


 そのささやきが聞こえないキリザは、仮に聞こえていたとしても同じだろう――満足気な顔を四人に向けた。が、そこで視線の合わない人物がいることに、彼は気付いた。

 三人は非難と笑いの目をキリザに向けているのに、ひとりだけが視線を遠くにやっている。


「どうした? お岩ちゃん」


 キリザが声をかける。が、反応はない。


「ちょっと、玲」


 良子に耳元でささやかれてようやく、玲は、キリザが自分を見つめていることに気付いた。


「ああ。すみません」

「どうした? 何か、気になることでもあったか?」

「キリザさん。あの方の名前を教えてもらえませんか?」

「うん? どいつだ?」

「あの、あざのある方です」

「ああ。あれは、ソルジェ殿下だ。うちの第一王子だ」

「第一王子……」


 玲は口の中でつぶやくと、訊ねた。


「年は?」


 その問いに、キリザは面食らったようだ。


「年ぃ?」少しばかり声を裏返し、「おい、いくつだった? 二十二、三だったよな? たしか」


 と部下たちを振り返った。すかさずレイヒが答える。


「今年二十六におなりです」


 声には、いささかの非難も呆れもにじんでいない。彼は、実によくできた青年だった。


「なんだ? もうそんなになるのか? 二十六だと」

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」


 玲は笑い声で礼をいった。


「いや、構わねえよ。なんなら、ここに呼んで、挨拶させようか?」

「いえ、それには及びません」

「そっか」


 キリザはそれだけをいうと、自国の第一王子に目を向けた。

 同様に、玲も名を知ったばかりの人物に目を向ける。

 玲とキリザ――一人の人物に意識を向ける二人の内心は、だれにもわからなかった。そして、そんな玲の姿を、キリザが視界の端に置いていることに、だれひとり、気付かなかった。


 その場に少しばかり不思議な空気が流れた。話を主導していた二人が黙り込んでしまったのだから、当然だ。しかしそれも、ほんのわずかなあいだだった。


「よし!」


 すぐにキリザが威勢のいい声を上げた。


「他に聞きたいことはないか?」

「そうですね」


 玲は視線を引き戻すと、素直に訊ねた。


「わたしたちは招かれざる客のようですから、すぐにでも帰りたいのですが、キリザさんは帰り道をご存知ですか?」

「ほお、こりゃまたしっかりしたしゃべり方するなあ」


 感心するキリザに、しかし玲は同調しなかった。


「聞き方が悪かったようですね。キリザさん、もとの世界に戻るすべを教えてください」


 今度はキリザも真面目に答えた。


「悪いが、戻る術はない」

「そうですか」


 玲は頷いた。


「え? いいのか? 納得したのか? 普通はもっとこう、いろいろ聞かねえか?」


 キリザは玲の返答に、戸惑いを見せた。簡単に受け入れられたことに、驚いたようだ。


「納得はしていませんし、よくもありません。が、ないものはどうしようもありませんよね。帰り道がないとなれば、聞きたいことは山ほどあります。まずは、わたしたちの身の安全です。キリザさん、わたしたちはどういう扱いになるのでしょう? 命の危険はあるのでしょうか? これから常に怯えて過ごさなかればならないのでしょうか?」

「嬢ちゃんたちの身の安全は保障する」

「それは、国が、ですか? それともキリザさん個人が、ですか?」

「もちろん両方だ」

「ありがとうございます。それを聞いて安心しました。できれば誓約書のような形で、それを書面にしていただけるとありがたいのですが……。それは可能でしょうか?」

「あ、ああ。できるぜ。おやすい御用だ」

「それでは書面をお願いします。今後のことに関しても、いろいろお願いしたいのですが、その前に……」


 というと、玲はを作り、そこで声と顔から感情をそぎ落とした。


「御使い様とはなんでしょう? ずいぶん大勢の方たちが集まってらっしゃいましたが、それに関係していますよね。たいそうなお出迎えで、とても大事なことのようですが、その御使い様というのは、いったいだれを指すのでしょう? ここに来たのは、わたしたちを含め七人です。わたしたち全員がそうなのですか? それとも、その呼び名はだれか特定した一人を指すのですか? それとわかる何かがあるのでしょうか? 役割はどういうものでしょう? 神のようにあがめられる存在なのですか? 当てはまらないものはどういう扱いになるのですか? それぞれの義務や権利、地位は? 自由は? 管理は――」


 声が平坦なまま、急加速してゆく。


「ちょっ、ちょっ、待ってくれ、嬢ちゃん」


 キリザが玲の言葉の奔流ほんりゅうを止めた。


「待ってくれ」

「はい」


 応える玲の顔には笑みが戻っていた。

 玲はキリザの答えを待っていない。ただ相手を翻弄するために――それを狙って言葉を連ねたのだ、ということが明白な笑顔だった。


「ちぇっ、たいしたたまだ」


 口ではそういいながら、キリザは笑顔だった。


「そういうキリザさんは、お心が広い」

「お世辞までいえるのか。ったく、とんでもない嬢ちゃんだぜ」


 キリザの横では部下たちが目を丸くしている。アリアロスなどは、あごも半分落としていた。

 それとは対照的に、三人の友人たちは本領を発揮する玲の姿に、笑みを浮かべていた。

 良子のそれはふてぶてしく、玲於奈のそれは男たちをさげすむようであり、瑠衣のそれは自慢げであった。


「こいつは俺の手には負えねえな」


 キリザは白旗をあげた。


「剣を振るうのは得意なんだが、ひとにはそれぞれ役割ってもんがあるもんな」


 うんうん、と自分の言葉に頷く。


「そんでもって、ここにはうってつけの奴がいる。ってなわけで、嬢ちゃん、詳しいことはそいつに聞いてくれ」


 いうなりキリザは身を捻り、大声を張り上げた。


「おい、サルファ! いつまで待たせるつもりだ!」


  


 ◇  ◇  ◇  ◇




 大理石の壁をも震わせてしまいそうな大声に、その場にいた全員が顔を向けた。

 キリザの視線の先には、壁のような男ナリマセンさんと、俗気のかたまりのような男。そしてもうひとり、玲たちがはじめて見る男の姿があった。


 すらりとした長身に、ひとつに束ねた長い髪を背中にたらしている。白金とでもいうのだろうか、長い髪は降りそそぐ陽射しを受け、髪自体が発光しているかのごとくかがやいていた。

 後ろ姿も美しいその人物が、キリザの声に、顔だけを向ける。端正な横顔には、憂うような微笑があった。


 その顔を見ただけで、キリザはどういう状況なのか理解したのだろう。彼は舌打ちをすると、「ったく、面倒な野郎だぜ」口中で吐き捨てた。そして突然、体の向きを変え歩き出した。

 すると、キリザが歩を向けた先で、変化がおこった。


 変化を見せたのは、責任者を自称していた男だった。キリザの動きを見るやいなや、男は血相を変え、何事かを二人の男に言い放つと、あわただしく逃げるように去っていった。それはまさに、あっという間だった。先の剣幕もどこへやら――尊大だった男の声量は、玲たちの耳に届かないほどまで絞られていた。


「すごいですね、キリザさん」


 玲は感じたままを口にした。

 その声に、キリザが大人たいじんの気風を漂わせながら振り返った。


「だろ?」




 ◇  ◇  ◇  ◇




「遅いぞ! サルファ。あんな奴に手こずってどうすんだ」


 キリザが近付いてくる男に向かって声をかける。


「申し訳ありません」

「貸しだからな」

「はい」


 サルファと呼ばれた男は微笑んで答えた。

 いだ湖面に、さざなみがたったような、きれいな微笑だった。


「すごい美人さんだね」

 

 瑠衣がささやく。


「そうね」

「馬鹿じゃなきゃいいけど」

「さっきのよりはましじゃないかしら」


 聞こえてくる三人のささやきに、玲はうつむき、口元を緩めた。


「おい、ちゃっちゃと来ねえか」


 キリザが、もうそこまで来ている男たちを手招きでせかす。男たちはその声で、足どりを幾分早めた。

 急ぎ足まで品がある。麗人といっても差し支えない人物は、その後ろに、壁のような男ナリマセンさんを伴っていた。


 玲たちは、二人が来るのを待った。そして、目の前にやってきた二人を見て、四人は目を見張った。サルファと呼ばれた男性の美しさにも驚いたが、目を見張ったのは、ナリマセンさんの大きさだった。雲をつく――とは、まさにこういう人をあらわすためにあるのだろう。彼の背は高かった。キリザの丈を越すレイヒよりもさらに一段高い。肩幅も広い。その割りに、体は薄い。


 玲の脳裏に、物干し台で浴衣が風にはためく光景が浮かんだ。

 そんなとき、玲於奈がぽつりといった。


「ぬりかべ?」


 聞いた瞬間、瑠衣がふき出した。


「ちょっと、失礼でしょうが」


 良子が肘鉄とともに、とがめる。

 玲もふき出しこそしなかったものの、肩を揺らした。笑ってはいけなかったが、脳裏ではためいていた浴衣が、一瞬にして暗灰色の妖怪にすり替わってしまって、どうしようもなかった。


「どうした?」


 キリザが怪訝な顔を向ける。


「いえ、なんでもありません」


 玲は笑いのにじむ声で答えた。


「ふうん。ま、いいか」


 キリザはそういうと、麗人の腕をつかんで自分の隣に並べた。


「紹介するぜ。こいつはサルファ。うちの副宰相だ」

「副宰相……」

「ああ、うちで一番の優男だ。だがな、存外頭はいいし、腕もたてば弁もたつ。おまけに腹黒い。だいぶ年もくってるからな。気をつけろ」


 と、キリザはいった。その言葉だけを聞くと、溝のある関係のように思ってしまいそうだが、キリザとサルファ、両者の間にあるのは、それとは逆のもののようだ。その証拠に、濃淡の違いはあるものの、二人はどちらも笑っていた。


「サルファです。ようこそおこしくださいました」


 彼は微笑みのままそういった。

 端正という言葉がぴったりな人物だった。外見だけではない。心が整っている。そんな印象を、玲は受けた。まとう空気は清々としており、声にもいやな響きはない。


「そんで、後ろにいるあの嵩高かさだかい野郎な。あいつはゼクトっていう。こいつの右腕だ」


 紹介の声にあわせるように、ゼクトが目礼する。

 暗灰色の髪より、わずかに明るい灰色の瞳が、玲たちを見つめる。が、そこには驚きもなければ好悪の色も無い。陰鬱そうな瞳はただ光にきらめくだけで、彼の薄い唇も開かれることはなかった。


「……陰気な野郎だが、仕事はできる」


 眉間にしわを寄せながらいうキリザの声にも、ゼクトは眉ひとつ動かさなかった。


「な? 辛気臭い野郎だろ?」

 

 キリザがそのしかめっつらを玲に向ける。が、すぐに眉宇から険しさを消すと、彼はいきなり、微笑のままやりとりを見守っていたサルファの肩にどんと手を置いた。

 サルファの肩が、わずかに沈む。

 華奢に見える美貌の男性は、思いのほか丈夫であるのか、鍛えているのか、それとも耐性ができているのか――アリアロスならば、ひざを落としただろう、キリザの容赦ない加重に耐えた。


「おう、紹介するぜ」


 キリザは分厚い手をサルファの肩に置いたまま、いった。


「御使い様たちだ」


 





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