おじさま みーつ 化け物 ①
「レナーテによく来てくれた。俺はキリザ。軍の大将をやってるもんだ。待たせちまって悪いんだが、もうちっとだけ、待っててくれ」
押し出しのいい赤毛の偉丈夫――キリザは笑顔でそういうと、返事も待たず、床にへたり込んだ部下だろう男もそのままに、玲たちから背を向けた。
「お前ら、いつまでそんなもんぶら下げてんだ! 早くしまえ!」
大股で歩きながら、玲たちを囲んでいた男たちに怒号を浴びせる。そして、
「レイヒ!」
その勢いのまま、声を放った。
何かの行動を命じる単語かと思いきや、それは人名だった。
ひとりの青年が、キリザのもとに駆け寄る。あらわれたのは、瑠衣が担当するはずの青年だった。
「うん。レイヒさんね」
「変わった名前ね」
玲の後ろで、瑠衣と玲於奈がささやきを交わす。
四人の視線を集めた青年は、それと気付いてか、わずかに表情を動かした。が、気にするより先に、彼はなすべきことを優先させた。キリザに近付き、身をかがめる。身幅こそ赤毛の偉丈夫に及ばないものの、身長の方は、額の半分ほど上回っていた。
長身の青年は、キリザに説明をしているようだった。
実直そうな青年から話を聞くキリザの顔からは、すでに笑みが消えている。頷き、ときおり口をはさむその顔は、厳しかった。
玲は、自分たちが完全に機を失ったことを知った。
頭の悪いお飾り的な責任者ではなく、実力者から力ずくでいろいろなことを聞き出そうとする計画は、ここで倒れた。
赤毛の偉丈夫キリザは、名乗りに違わぬ力を見せた。鍛え上げた体。それだけでも、彼が並みならぬ人物であることがわかる。眼光強い壮年の男は、強烈な威圧感を放ちながら、心身ともに充実しているのだろう、その余裕を身の内からあふれさせていた。
彼が来たことで、男たちの雰囲気は一変した。空気がほどけた。程度の差こそあれ、この場にいる男たち全員が緊張を緩めた。
見せかけでない――ということは、十分にわかった。迷いのない行動。飛ばした声は、男たちを従わせていた。
キリザの声に男たちは、雷に打たれたように全身を硬直させ、あわてて剣を鞘に戻したのだった。
キリザは真の支配者だった。
玲は、少々残念に思いながらも、計画を放棄した。キリザがあらわれた今、それに固執する理由がなくなった。もとよりいい考えではない。力ずくで押しすすめるなど、下手な手だ。下の下とはいわないが、その域を出ない。なにかしらの被害が出るに違いないからだ。肉体的にか、精神的にか、それはわからない。双方に、そういった被害が出ない、という点では、まことにありがたい。ただ、恨みや文句が残る。
突然、わけのわけらない場所に連れてこられ、事情も何もわからないまま剣を向けられ、命の危険にさらされた挙句、おおいに待ちぼうけをくらった。
江戸のかたきを長崎で――というわけではないが、事情説明を求めるのに乗っかって、ついでに鬱憤を晴らそうか、という計画にも邪魔が入った。安心はできてもストレスは発散できずにいた。
「不感症じゃないの?」
ときに、皮肉と心配をない混ぜた声でいわれるほどの、鷹揚さを自認する玲でさえ、邪魔をしてくれた男に頭突きのひとつもしてやりたい――と思うくらいには鬱憤がたまっている。瑠衣は心配ない。彼女の鷹揚具合は、玲のさらに上を行く。が、良子と玲於奈は違う。理不尽なことに対する怒りやストレスは強く、入れる堪忍袋はもろく小さかった。
「良子、気持ちはわかるけど、襲わないでね」
玲は良子の耳元でささやいた。
良子は、たまりにたまった鬱憤をそのまま鬼の形相にのせており、キリザに置いてけぼりにされた男、アリアロスという青年を、恐ろしい目で見下ろしていた。
彼女は、予定や計画に邪魔が入ることを、ことに嫌う。文化祭の準備や、それにまつわる諸事に追われたこの半年の間で、その傾向はより一層強まっていた。
「はっ、そんなことするわけないでしょ」
「ほんと?」
「玲於奈じゃあるまいし」
「わたしが何?」
「あー、なんでも――」
ごまかそうとする良子の声に、瑠衣の声が重なった。
「玲於奈ちゃんは暴れん坊だって」
「はあ? あんた、何いってん――」
「どういうことかしら?」
良子と等しく鬱憤をためているに違いない玲於奈の目は、据わっている。
「そんなこといってない、いってない」
手と首を振る良子を、玲於奈はうろん気に見つめる。
「じっくり話し合う必要がありそうね」
「ちょっと、ひとの話聞いてる? あんたも何勝手なこといってるわけ?」
「えへへ」
友人たちには鬱憤を暴発させる前に、少しでもガス抜きをしておいて欲しい――
そう願いつつ、玲は座り込んだままの男、アリアロスという青年に目を向けた。
彼は、なんともちぐはぐな青年だった。
シンプルな黒の服に身を包んでいる。さぞかし上質な生地で作られているのだろう。嫌味のない光沢のある黒が、すっきりとした美しいデザインの服に、さらなる品を与えていた。手触りもよさそうだ。が、青年が着ている上衣の襟は、変な力が加えられたのか歪み開いており、そこだけが妙に浮いていた。
その上に、空き地の枯れ野原のような頭が乗っかっている。ぼうぼうだ。玲は、学校の外掃除用のほうきを思い出した。
さらに首をかしげるのは、彼の今の有様だ。身体能力が極めて低いことは、聞くまでもなくわかっている。自分の足に引っかけて転ぶという、コントのような光景を、特等席で見せてもらった。
筆頭軍師という役職に就いているのも、まあ、わかる。玲たちの行動を看破し、ひとり前に飛び出してきたのだから、目と頭はいいのだろう。問題はその後だ。表情だ。有様だ。
彼は全身から力が抜けたのか、まだ床にはいつくばっている。人のよさそうな、しかし覚えにくそうな顔には、安堵が広がっている。その気の抜きようは、居合わせた男たちの中でも一番だった。
筆頭軍師たる人間が、人前でその心情をありありと表に出していいのか? 隠さなくていいのか?――
と、逆にこちらが心配してしまうほどに、彼の安堵は露骨だった。
役職に違わぬ考察力と行動力。だが風貌と性質は、それから間遠のものだ。そんなちぐはぐな青年――アリアロスを、玲は見つめていた。
なかなかに面白く、興味を引く人物だ。が、茫洋感ただようこの青年に、玲たちは邪魔された。その事実に、玲は苦いような気分を味わっていた。
侮っていたわけではない。周囲に埋没してしまう青年を、見つけられなかっただけのことだ。だが逆に、いや、それゆえに、か。心に引っかかった。
知らない世界。
何をされるか、何が待っているかわからない。いつ、どこで、だれに足元をすくわれるかわからない。そのことを痛感した玲は、気を引き締めた。
そんな玲の目の前で、彼女に少なくない刺激を与えたアリアロスは、自分に向けられた視線に気付くことなく、いまだ安堵の波にその身を浸していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「おう、待たせてすまなかった」
ことのあらましを聞き終えたのだろう。さほど時間をおかず、キリザが玲たちのもとに戻ってきた。脇にはレイヒという青年を従えている。キリザは玲たちに声をかけると、そのままの笑顔を下に向けた。
「で、お前はいつまで転がってんだ?」
「はあ、すみません」
アリアロスが、すまなさそうに頭を下げる。自分がどれほど情けない状態にあるか、彼は重々承知しているようだ。
それを聞いたキリザは、顔の笑みに呆れを付け足した。
「ったく、しょうがねえな。ほら」
根が生えたように床から動かないアリアロスの腕をとり、引っ張りあげる。
「ほんっと、恥ずかしいぜ。すっころぶわ、立ち上がれないわ、どうなってんだ?」
「すみません」
「ま、いいや。ともかく邪魔だ。ちょっとのいてろ」
キリザはそういうと、つかんでいたアリアロスの腕をぺいっと、横へ投げた。太い腕は、なんなくアリアロスの体を目の前から払った。
棒っきれのように投げられたアリアロスの体は、幸いにしてレイヒに受け止められた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。申し訳ない」
レイヒとアリアロス――言葉を交わす彼らの声には、気遣いと感謝があるばかりで、驚きも何もない。キリザのそういった行為は日常茶飯事なのか、認知されているようだった。
なんとも自由なその行動に、玲たちは驚いた。あまりの粗雑な扱いに、良子などは信じられないのだろう、目をしばたたいている。
そんな四人に、キリザが近付く。そこには怖じ気もためらいもない。彼の顔には笑みだけがある。
「やっと、話ができるな」
その目は好奇にかがやいていた。そして玲の前にやってくると、キリザは無遠慮かつ不躾に玲を見つめ、いった。
「はー。しっかし、すげえな、あんた。頭が割れてるが、それ、痛くねえのか?」
キリザの芯から感心したような声にか、率直さにか、瑠衣が「ぷっ」と息をふき出した。
その音に注意を引かれたのか、キリザの目が瑠衣に移る。
「そっちもすげえな。それ、目か? 目だな。全部見えてんのか? 見えすぎて逆に困らねえか?」
それで、瑠衣の笑いの止栓は吹き飛んでしまったようだ。もとより、彼女の笑いに関する栓は甘い。かろうじて笑い声は抑えているが、全身の揺れは抑えきれないようだった。
笑いの波にさらわれないためだろう、瑠衣は良子の肩につかまった。
良子は、自分の肩につかまる笑い上戸の友人を、恐ろしい目で見つめた。実際は呆れの方が勝っているのだが、良子の切れ長の目は、つりあがっている上に眼光が鋭いため、知らないものにはひどく恐ろしく映る。それに、今の良子は鬼――般若だった。
視線を動かすまでもなく視界に並ぶ異形を、キリザは見つめ、そしてこれまた感心したようにいった。
「そっちのあんたはまた、怖え顔だな」
そのものずばりのキリザの感想に、とうとう瑠衣は声を上げて笑いはじめた。
「あー、もう。どうしよう、良子ちゃん」
「……自分でどうにかしなさいよね」
答える良子の険しくも恐ろしい顔を見て、またふき出してしまう瑠衣だった。
「ちょっと、ふくんだったら向こう向いてふきなさいよ。ったく」
きったないわねぇ――と、極めて至近、真正面でふき出された良子は、さらに顔をゆがめる。
「ごめんなさぁい」
わびながら、瑠衣は笑ったままだ。
そして玲於奈はひとり、巻き込まれたくないのだろう、そっぽを向いていた。
「キリザさん」
玲は声をかけた。
幼児のような素直さで驚き、感嘆の声を上げるキリザは、観客としては申し分ないが、今は求めていない。自分たちが今欲しいのは、身の安全とその保証、そして説明だ。しかしながら、玲も瑠衣に負けず劣らずの笑い上戸で、楽しいことが大好きだ。キリザのかもし出す明るい雰囲気と、引き起こされた光景に、自然、玲の声と顔はほころんでいた。
冷静だが柔らかい玲の声に、本来の役どころをキリザは思い出したようだ。
「すまん。また放ったらかしにしちまったな。しかし、あんたほんとに大丈夫か? 医者呼ぶか? 治せねえとは思うが」
「いえ。お気遣いはありがたいですが、結構です。痛みもありませんし、問題はありませんから」
微笑んでいう玲に、キリザが目を剥いた。
「キリザさん?」
「あんた……若いな。ばあさんとは思ってなかったが、大分若いだろ? 嬢ちゃんっていってもおかしくないだろ?」
口調であるか、ただ単に声音からか。間近で聞いた玲の声から、キリザは気付き、その若さに驚いたようだ。
「言葉使いも丁寧だ。うん。度胸もあるし、頭もいい」
「ありがとうございます」
「ははっ、否定しないところもまたいいな。嬢ちゃんとは気が合いそうだ」
キリザは嬉しそうに笑うと、訊ねた。
「そういや、まだ名前を聞いてなかったな。嬢ちゃんの名前を教えてくれ」
玲はその声に頷くと、ためらいなく口を開いた。
「お岩」
その声に、瑠衣、良子、玲於奈の三人が驚きを見せた。
しかし、玲は動じない。
「わたしはお岩といいます」
三人の驚きもよそに、玲は自分を『お岩』と名乗ると、勝手に三人の紹介もはじめた。
「あっちで大笑いをしていたのは、百目といいます。で、その横の恐ろしい顔のは般若、ですね」
「さっき、リョーコちゃん、とか、呼ばれてなかったか?」
キリザが小首をかしげる。
「キリザさん、耳がいいんですね」
「まあな。で、どっちがほんとの名前なんだ」
「ああ、どちらも本当です。で、あそこでそっぽを向いていたのが――」
突然、玲は口を閉じた。そして少しの間、首をひねっていたが、満足そうに頷くと続けた。
「彼女は、貞子・ハイブリッド・呪怨といいます」
「長いな。それ全部名前か? 覚えられねえな」
キリザの声に、瑠衣がまたふき出した。
「ええ。ちょっと長いですから、彼女は貞子と呼んでやってください」
「わかった」
どう見ても聞いても、明らかに不自然な名乗りだが、玲は素知らぬ顔で貫き、キリザはわかっていながら、突き詰めることもせずにそれを受け入れている。
玲の意図もわからなければ、キリザの真意もわからない。
駆け引きがあるのか? 考えがあるのか? それとも何もないのか?――
何かがありそうで、でもやっぱり何もなさそうな、余人に計り知れない二人のやりとりを、良子と玲於奈、アリアロスとレイヒの四人は怪訝そうに、瑠衣だけが楽しそうに見つめていた。




