4.ありがとう
追加設定。
・飛魂は自分の機体を思うように操ることができる。
整備士から言われる戦闘機の調子の善し悪し。
龍太郎はそれをぼんやりと聞いていた。
「エンジンの調子は良いが、…………」
「嘘を言うなよ。オイルが熱しやすくなってるってのに」
整備士の声を遮るように聞こえた、年端もいかない少女のものらしき声。
はっとして姿を探すが見つからない。
(……そうだよな、ここは空母だから当たり前だ)
幻聴かと頭を掻き、何気なく空を見上げる。
晴天。
風は凪ぎ、青い空が天高く広がっている。
「綺麗だ……」
次の日。
(本当はエンジンの調子が良くなかったんだよなぁ……)
あの少女の声を思い出す。
「今日は体調がいい。嬉しいなぁ」
「…………?」
昨日も聞いたような声。
心なしか弾んでいる声音。
声のする方へ、早足で向かう。
ふわりとなびく長い髪が見えた。
(この艦には長髪の人間はいなかった筈……)
訝しみながらも後を追う。
角を曲がったところで追いついて、肩を掴み―――、
「誰だ」
凛とした、しかしまだ幼さの残る少女が、そこにいた。
肩を掴んだはずの手は少女の身体をすり抜け、空を掴むしかできなかった。
(何だ、これ……)
「お前こそ誰なんだ」
「……誰でもいいだろう」
少女は龍太郎を見上げ、きっぱりと言い切る。
(目が泳いだ…………? いや、考え過ぎか)
少女の言葉に、感情はなかった。
ただ無表情に、無機質に、「あいうえお」を並べているような響きで。
龍太郎はそれに違和感を覚えた。
「……なあ、なんでお前はここに居られるんだ?」
「ここ以外に居られる場所などないからだ」
少女の猫のような目が龍太郎を捉える。
龍太郎は目眩を覚えた。
(この子には、人間らしさというものが、ない、のか)
「お前の名前を聞かせてくれ」
「お前がよく知っている名前だ」
「答えになってない」
少女は視線を下げる。
龍太郎は少しだけ申し訳ない気持ちになった。
(こんな子供を捕まえて脅しみたいなことする俺って……)
少女は龍太郎を見上げると、
「分からないか」
ふと口元を緩ませて答えた。
龍太郎は怪訝な顔をしながら言う。
「分からないな」
「そうか。……いや、私のことなど知らないままでいい」
少女は龍太郎を見上げ手をのばす。
龍太郎は身体をこわばらせた。
「そんなに警戒するな。私はお前にも、この艦にも危害は加えない」
少女はくるりと背中を向けて歩き出した。
「おい、待てよ」
龍太郎が腕を伸ばした時には、その少女の姿は消えていた。
自分の掌をじっと見つめる。
「白昼夢か……?」
(狐に化かされた気分だ)
*
*
*
*
*
それから暫く、少女は姿を見せなかった。
ある夜、龍太郎が飛行訓練を終えて帰ってきた。
(何だろう、苛々する)
気分が優れないらしい。
眉を顰めて歩く姿は、子供が怒っているかのようだ。
「今日の扱いは酷かったぞ。あれでは痛む」
上から聞こえた声。
数週間ぶりに聞く、あの少女の声だ。
龍太郎は驚いて上を向いた。
少女は、宙に浮かんでいた。
「……何なんだ、お前は」
「何だと言われても、私は私だが?」
(そういうことを聞いてるんじゃない)
苛立ちが募る。
「……お前は一体何なんだ。誰なんだ? この艦にはお前のような乗組員は存在しない。どうしてこの艦に居られる? どうやって空中に浮いている? どうして食事も摂らずに生きているんだ」
「お前はどうして私を知りたがる? 私はお前に干渉していないのに」
「俺だってそんなことは分からん」
(いや、……こいつをどうしようもなく知っていると思うのに、実際は何も知らないからだ)
龍太郎からすうっと熱が引いた気がした。
彼は頭を下げ、八つ当たりした、と呟いた。
「お願いだから、教えてくれ。お前の名前だけでもいい」
「………………」
少女は考え込むと、小さく言った。
「藤岡龍太郎、25歳。三等航空兵曹。……身長175センチ、体重65キロ。機嫌で操縦の丁寧、荒いが変わる。整備士の助言は聞く方。好きなものは犬。嫌いなものは蛾と蜘蛛。恋人なし。未婚。」
龍太郎は辟易した。
(俺のことをなんで知っているんだ)
少女は龍太郎を見上げると、これくらいだな、と言った。
「なんでお前の名前を聞いたのに俺のプロフィールを羅列するんだ」
「……私はお前を知っている。お前と行動を共にしているから」
(俺を知っている。俺と一緒に行動する?)
少女の言葉を反芻する。
(俺と一緒に行動する。それから……、触れられない。宙に浮ける)
「お前は幽霊か何かか?」
「……ほぼ、正解だ。お前、明日も朝から飛ぶんだろう?」
「ああ」
少女はふわふわと浮きながら言った。
「その時に分かるように、してやる」
龍太郎と同じ目線で微かに微笑み、ふっと姿を消した。
翌日。
上官と飛行の打ち合わせをして、整備士がいるであろうところに行くと。
「お早う」
「お前……整備士だったのか?」
黒髪をなびかせた少女がいた。
「違う。……今日は調子がいい。風向き、天候共に支障はない。行くぞ」
先に立って歩き出した。
訝しみながらもついていくと、自分の機体が見えた。
「乗れ」
思い切り右側に立って指差す。
「待て待て、そっちからは乗れないだろ」
「あ、そうか」
主翼に登り、ラッチを引こうとしたとき、
「引くな」
厳しい少女の声。
(いや、でも引かないと乗れないし)
困惑していると、何故か自動で風防が開いた。
「これでいいだろう」
「い、いいけど……」
恐る恐る乗り込むと、何故か既に電源がついていた。
計器類は作動している。
スイッチを切ろうとすると、またも電源は消えていた。
いきなり操縦桿がぐっと前に倒れる。
そして左右に振る。
(ポルターガイスト?)
とりあえず機器は正常に作動している。
操縦席から降りようとすると、
「降りるな」
少女の声と共に、操縦席に航空時計が落ちてきた。
龍太郎は慌ててそれを受け止める。
そこからは早かった。
少女は龍太郎がしようとしたことを先回りしてこなし、直ぐに離陸できるまでに至った。
「飛行眼鏡は」
「あ、ああ」
「ブレーキ踏め」
「分かってる」
少女はふわりと舞い上がり、口元を少しだけ上げた。
「離陸良し。スロットル全開、操縦桿倒せ」
少女の声で、龍太郎は操縦桿を前に押し倒した。
「よし。やめろ」
操縦桿を離す。
徐々に速度が上がる。
「引け」
ちょうど90ノット。
龍太郎は操縦桿を引く。
すると、自然に風防が閉まった。
安全ベルトが腰に巻きつく。
(なんだ、これ……)
「脚、仕舞え」
少女の凛とした声が続く。
「耳、大丈夫か」
「ああ」
「100ノットまで上げろ」
速度を上げる。
安定して100ノットになると、少女はまた言う。
「AMC入れろ。プロペラピッチ、低」
その通りにすると、次はトリムを調整する。
暫く待つとぐんと機体が持ち上がる。
「よし」
少女は零戦と共に舞い上がる。
龍太郎ははっとして少女を見る。
「お前……、零戦、そのもの、なのか……?」
少女はふわりと笑った。
「良く気づいてくれたな。その通り。私はお前の所有物だ」
水平飛行を続ける。
目の前に広がる青い空、下に見える海。
それから、横にいる黒髪の少女。
「お前が私を見つけてくれた」
同じ速度で飛び続ける少女。
「廃棄されるまで、……幾久しく」
これが、彼女との出会いだった。
「私を見つけてくれて」
「俺を選んでくれて」
「「そして一緒に闘ってくれて」」
(ありがとう)
今ではもう、言えないけれど。
お前に、礼を言いたかった。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
操縦に関して、矛盾、間違いなどがありましたらご指摘ください。
次が最終話です。




