4-未来
皇帝専用の豪華な椅子に見知らぬオッサンを乗せたロードローラーが、黄色い砂漠に消えていく。何人もの花粉人達が、別れを惜しむように振り返りながら、少しずつ彼方に溶けていった。花粉を固めて造られた粗末なイグルー、その入り口付近に残されたのは、皇帝とその娘、そして助手一号の三人だけだ。
「……私が言うのも何だけど、もっとちゃんとお別れとかしなくて良かったの?」
「いいさ。戻ったら初期化するつもりだったしな」
「随分ドライじゃない。十年の付き合いじゃないの?」
呆れたように肩をすくめる娘の言葉に、皇帝=所長はケタケタと明るい笑い声で応じる。
「いやー、楽しい十年だった。所々飛ばしたから、そんなに長くは感じなかったがね」
「やはり『外』とは時間感覚が違うんですね?」
「あぁ、大体三千倍くらいに処理速度を上げているからね。実感的には三年くらいかな、ここに居るのは」
「また無茶なことを……脳に負担がかかりますよ?」
「このくらいじゃないと思い切り遊べんじゃないか」
助手の溜め息を蹴散らすように、所長はふんぞり返って言い放つ。
「子供じゃないんだから、一晩中遊んでいるとかやめてよね」
「いやいや、もちろんただ遊ぶために入ったワケじゃないぞ。最初はもちろん、実験の成果を少しだけ確かめようと、そう思っただけだ。まさかこんな、トンデモ面白世界になってるとは思わんかったからなぁ」
一面の花粉に覆われて滅亡した世界とか、斬新過ぎて鼻血を吹くレベルである。
「まぁ、興味深い世界ではありますけど……」
「だろ? さすがは助手一号、この実験の偉大さと意義を理解しているとは、どこぞのバカ娘とは一味違うな」
「あらお父様、腕だけでなく脚の方向も変えて欲しいのかしら?」
グラップラーステラ爆誕の瞬間である。
「最近娘が別れた妻とそっくりになっています。最悪です」
「研究バカのサイテー親父に言われるのは甚だ心外だわー」
「まぁまぁステラ、ここで腕を折ろうが首をもごうが、現実じゃない以上大して意味はないよ。そういうことは戻ってからすればいいんだから」
「それって死んじゃうんですけど」
自業自得である。
「とにかくさ、一通り話を聞いてみようよ」
「それこそ後でいいじゃない。まずは戻る方法よ。こっちに来て結構経ってるし、いい加減戻らないと外でも騒ぎになっているんじゃない?」
「いや、少なくともオレ達のタイムロスはほとんどないハズだよ。ですよね、所長?」
処理速度三千倍の世界である。数時間程度なら数秒に圧縮される。まさに一瞬の夢そのものであると言えるだろう。
「まぁ低体温への移行処理と復元処理に十五分ずつはかかるからな。三十分のロスというところだろう。ちなみに今から丸一日しゃべり倒したところで、一分も増えんな」
「……で、何を聞こうっていうの?」
渋々ながらステラは了解したようだ。というより、現実世界に戻ってからやり取りを始めるより効率的だと判断したというのが正確だろうか。
「正直に言えば、あの花粉人とかロードローラーがどうして動いているのかってことが一番気にはなるんだけど――」
「既に言ったが、詳しい理屈は私にもわからんぞ。特に花粉人はいつの間にか現れたとしか思えんからな。ちなみに花粉モーターを機構化したのは私だ。動いている原理は花粉人が動いている仕組みそのものだな」
「わかんないのに機構化ってどういうこと?」
娘の言い分は至極もっともではある。
「何だかわからんが、水と光さえあれば動くのはわかったからな。動力として利用するだけなら十分だろう。恐らくだが、花粉管を伸ばすための仕組みが何かしら作用してのものだとは思う」
「まぁ、それ以外に動く理由は見当たりませんからね」
科学を信奉する者であればあるほど、実に興味深い現象ではあるだろう。まして自立して動く理由となると、皆目見当もつかない。もはや怪奇現象と同列である。ちなみにこれが花粉でなく精○で起こっていたら、怪奇現象を通り越してホラーそのものだったことだろう。
「そんなことが可能なのかどうか、いずれは検証してみたい事案ではあるな」
「ということでいいの? ヨーヘー」
「あぁ、うん。というかオレが聞きたかったのはコレじゃなくて、そもそもどうしてこんな世界が構築されたのかってことなんだけど」
「そんなの、お父さんの気紛れでしょ」
「お父さんじゃない。博士と呼べ」
「そのネタはもういいから、さっさと話す」
「ちぇー、まぁ基本的には気紛れというのも不正解ではないな。ただ一つ言っておくが、これは決してBFが暴走したとか欠陥があるとか、そういったことではないぞ。私自身はむしろ、この結果にかなり満足している」
「……つまり、正当な未来であると?」
この黄色い世界の真ん中で、所長は大きく頷いた。
「はぁ? こんな花粉に埋もれた世界が正しい未来ってどういうことよ?」
「まぁお前のような凡人が不思議に思うのも無理はない」
「うん、凡人の私にも理解できる言葉でしゃべりやがってくださいね、お父様。じゃないと指を一本ずつ千切っていきますから」
「なにそれこわい」
すでに人間扱いされているのかすら疑問である。
「……これは、限定条件の先にある未来、ということですか?」
口元に手を当てて考え込んでいたヨーヘーの言葉に、所長はニヤリと笑った。
「そういうことだ。更に言えば判断と観測も制限している。元々は精密な未来予測を体感するためと考えて作ったものだが、所内の監視カメラの映像をBFの演算条件にぶち込んでいる時、花粉症でマスクしている連中があまりに多い様を見てふと思ったのだ。これだけ見たら凄い細菌でも扱ってるみたいじゃないかとな」
「で、花粉に関する情報だけを入れたんですか」
「正確には敷地内の花粉モニターの実測値と監視カメラ映像、そして花粉症の症状と研究成果の推移を集めたものだ。あ、データはここ一週間のものな」
「そりゃ世界が黄色くなるワケだわ」
三月下旬、この地域では花粉の飛散がピークに達する時期である。有り得ない話ながら、このまま花粉が降り積もれば確かに、この黄色い砂漠が生まれることにも一応の説明がつく。
「ちなみにここは五百年後の世界だ」
「SFですら前代未聞の人類滅亡でしょうね、これは」
理解するなり頭痛が始まるヨーヘーであった。
「こんな未来はさすがにお断りね」
「花粉症の人間にとっては最悪の地獄絵図だな」
改めて何もかもが黄色く染まった世界を見回して、若者二人が同時に溜め息を吐く。現代の先にこんな未来が隠れているかと思うと、それだけで気分が重くなりそうだ。
ヨーヘーはもちろんステラとて、この未来が極端な例であることは承知している。しかし与える情報を制限してしまえば、あり得る未来であるということも無視のできない事実だった。
ステラはふと、隣で難しい顔をしている幼馴染みの横顔を盗み見る。彼女の中にある未来と彼の中にある未来にどれほどの違いがあるのか、少しだけ気になった。
「ん、何だよ?」
「別に――」
慌てて視線を逸らして誤魔化してから、笑顔を繕う。
「じゃあ、そろそろ戻らない?」
「そうだね。所長、戻る手順は?」
「わははははっ、それを知りたくばこの花粉皇帝との問答から導き出してみよっ。苦もなく出られると思うなかれ!」
「ステラ、腕を明後日の方向に向けてあげなさい」
「アイサー!」
「酷いっ。拷問で無理矢理吐かせようだなんてっ。博士だけに!」
三千倍で進行していた時間軸が、瞬間的に停止する。
「博士だけに!」
大事なことは二回言うのがお約束である。
「……ステラ、君のお父さんはどうやら死にたいらしいな」
「そうね」
五秒後、娘の逆エビ固めによって父親は撃沈される。
合気道、どこ行った。
「すいません、もう一回お願いします」
聞き漏らしたのではなく我が耳を疑ったヨーヘーが、半笑いで聞き直す。
「このくらい一度で憶えんか。片足で立ち右腕を垂直方向、左腕を水平方向に伸ばして『ぴぴるまぽん、ぱらりるぽん』と三回大きな声で唱えるだけだ」
「所長は嘘を吐いていますね?」
「いや、吐いとらんが?」
「つまり、腕を一本折られないと本当のことは言わないと?」
「いやいやいや、ホントだってば!」
しばし続く睨み合い、だがヨーヘーの無言の圧力に所長の表情が変化することはなかった。
「……え、まさか本当なんですか?」
「だから最初からそう言っている」
「じゃあ所長が見本を見せてください」
「イヤだよ恥ずかしい」
「恥ずかしいと思うような戻り方にするなぁ!」
絶叫はどこにも木霊しない。黄色い大地はどこまで行ってもなだらかだ。やがてそれが黄色く染まった風に溶ける頃、二人をしゃがんで傍観していたステラが口を開く。
「……じゃんけんしかないんじゃない?」
「そうだな。それが賢明だろう」
負けた者が最初にやるという案に、所長も同意する。
「いや待て。ここは三人一斉にやるところだろ。そうするべきだそれがいい」
「何よヨーヘー、もしかして負けるのが怖いの?」
「うぐ……」
「この程度が恥ずかしいとは、子供だな助手一号は」
僅か一分前の自分の台詞を完全に忘れているようである。
「わわ、わかりましたよっ。ただし、恨みっこなしですからね。自分が負けてもゴネたりしないでくださいよ!」
しかし現実は非情である。
というより、最初から負けることを視野に入れてビクビクしている者がなびかせられるほど、勝利の女神は甘くない。少々強引に押して参るくらいが丁度良い相手だ。
結果は、あえて言うまでもないだろう。
「ほれ、はよせんか」
「ヨーヘーがんば」
二人は正面に立ち、見物者よろしく陣取っている。完全に晒し者である。彼が嫌がっていることなど、当然ながら二人は承知の上である。
「くそぅ、くそぅ」
泣きつつも、負けてもゴネるなと言った手前抗議の声を上げることもできないので、仕方なく片足を上げて右腕を上に、左腕を横へと伸ばしていく。
「そんなへっぴり腰で戻れると思っとるのかっ。シャンと伸ばせ、シャンと」
「うぅ、わ、わかりましたよっ」
覚悟を決めて、しかし現実であることから目を逸らしたいためにか目蓋を閉じたまま、両腕をピンと伸ばす。ただ、元々運動神経にあまり自信のない彼は、平衡感覚にも優れてはいない。目を閉じての片足立ちは、揺れているというより踊っているようですらあった。
それを二人があえて指摘しないのは、見ていて面白いからである。
「じゃあ、行きます……」
ふらふらしながらも、さっさと終わらせたい一心で大きく息を吸う。
「ぴぴるまぽん、ぱらりらぽん、ぴぴるまぽん――」
「『ぱらりらぽん』じゃなくて『ぱらりるぽん』な」
「むぎぎぎ……」
恥を忍んで女装したらパンツの色で駄目出しされたくらいの屈辱である。
「どっちだっていいじゃないですか!」
「別にいいけど、呪文間違うと戻れないよ?」
恥ずかしさがマックスな上にエンドレスとか、新手の拷問である。もっとも所長のニヤけ面を見る限り、この羞恥満載のやり取りも含めて楽しんでいるとしか思えないが。
「ちくしょー」
罵っても終わりはこない。ヨーヘーは諦めて姿勢を正した。
「ぴぴるまぽん、ぱらりるぽん、ぴぴるまぽん、ぱらりるぽん、ぴぴるまぽん、ぱらりるぽん!」
見事に唱え終わった瞬間、ヨーヘーはその場にうずくまって両手で顔を隠す。
「死にたい……」
イキロ。
それでも羞恥の甲斐あってか呪文自体に不備はなかったようで、彼の姿は見る見る内に薄くなっていき、やがて透明度が百パーセントに達して消えた。無事に帰還を果たしたようだ。
「もう一回くらい弄ってやろうと思ったが、どうやら成功したか」
親子揃って基本的にはドSのようである。
「それでさ、お父さん」
「お父さんではない。パパと呼べ!」
「じゃあ博士、ホントの戻り方は?」
「え、何のこと?」
「また逆エビを喰らいたいの?」
「心の中で三回唱えるだけで戻れますですハイ」
ヨーヘーは実に不憫である。
重い目蓋が持ち上がる。それは朝方のまどろみとは少し違い、長い眠りを強引に妨げられたかのような、僅かな不快感を伴った目覚めだった。深く眠ったのに身体が回復していない、そんな感覚と言えばわかりやすいだろうか。
「はっ!」
すでに蓋が開いている棺桶で上半身を起こし、周囲を見回す。そこは確かに見覚えのある――黄色い砂漠とは明らかに違う施設の中だった。特筆すべき変化はほとんどないが、強いて一つ挙げれば、部屋の隅にしゃがみこんでいる幼馴染みの哀愁漂う丸い背中が少々鬱陶しいくらいだろう。
ちなみに所長はまだ起きていないのか、棺桶の蓋も閉まったままだ。
「ねぇヨーヘー、お父さんはまだ起きてこないの?」
「……欝だ死のう」
「はいはい、わかったから質問に答える」
背後に歩み寄ってポンポンと頭を軽く叩く。
「……多分、しばらくは起きてこないと思う」
「え、何で?」
「三千倍の処理速度だよ。脳に何の負担もないと思う? 少し入っただけのオレ達ですら、それなりに疲労しているんだから、あんなに長く居た所長が簡単に起きてこられるワケないじゃないか」
道理という意味では、簡潔にして至極真っ当である。しかし同時に、彼女には納得がいかない。
「せっかく起こしたのに。じゃあ、どのくらい待ったら起きるの?」
「知らないよ。回復するまでどのくらいかかるかわかんないし」
「じゃあ私は誰からお金を借りればいいの?」
「それこそ知るかっ」
「……じゃあヨーヘーが貸し――」
彼女はふと思う。今のヨーヘーにとって、今の自分がどのように映っているのかということを。いつもなら、素の自分をわかっていてくれるだろうと勝手に思い込んで、そんな疑問は頭から追い出していたところだ。
「じゃなくて、一緒に来て」
「はぁ? 何だよ、それ」
「買い物に付き合ってって言ってるの」
「オレ、仕事あるんだけど……」
「そんなの所長が居ないんだからキャンセルでしょ。いいから来る」
襟を掴んで引きずるステラの表情は、奇妙なほど明るい。
「いや、金なら貸すから一人で行けって」
「うんにゃ、今日は一緒に行くの。もう決まったの」
二人は旧知の間柄である。共有している思い出も多いし、互いのことを他人よりは熟知し合っているという自覚もある。しかしそれでも、相手の全てを知っているワケではない。
未来は、今の積み重ねによって作られる。
あの黄色い砂漠を見て、彼女は知ろうと思ったのだ。知って欲しいと思ったのだ。
より正しい――否、より望ましい未来を、引き寄せるために。




