1-BF
空想科学祭FINAL参加作品です。
一応中編という区分になっていますが、20000字強程度なのでサックリ読めるお手軽仕様となっております。
ポテチでもつまみながらお気軽にお楽しみ下さい。
彼の朝は欠伸からではなく、くしゃみから始まる。
「へぶしっ!」
この時期はいつもそうだ。この研究所にアルバイトという名目で雇われるようになって五年、自立しようなどという心意気もすでに消沈し、代わり映えのしない装置や機器を相手にする毎日が淡々と過ぎ行く彼にとって、季節というのは花粉症になるかならないかという程度のものでしかない。秋もそれなりにムズムズするが、やはり春は格別だ。もちろん悪い意味で。
「そろそろ薬だけじゃダメかなぁ……。明日にでもマスク貰ってくるか」
口から漏れた瞬間にドライアイスよろしく地を這い始めるような重い呟きを吐きつつ、鼻の下を擦りながらすすり上げる。一度始まってしまうと微細な刺激ですら過剰反応を起こすのが花粉症というものだ。重症化しない内に予防線を張るのは極めて有効である。
ちなみに大型のスパコンから細菌レベルの素子まで幅広く扱っている本研究所には、マスクは当然ながら存在している。その一つを花粉症対策として毎年使わせてもらっているのだ。つまるところ私的流用である。
虫も殺さないように見える童顔メガネのクセに、とんだ極悪人である。
「あ、フリーター発見」
廊下の角から現れたパンツルックの女性が、難題を抱えているように俯かせていた顔をヒョコリと上げて小走りに寄ってくる。鬼畜メガネのクセに女の子と仲良しだなんて、世間のぼっちからダイナマイトをぶつけられるリア充ぶりと言えよう。
しかしだ、妙齢の女性に駆け寄られるなど羨ま憎らしいシチュエーションに違いないのだが、対する彼の姿勢はどう見てもバルタン星人と戦うウルトラマンである。
「フリーター言うなっ」
売り言葉に買い言葉とばかりに、とりあえず応戦する。
「何よ、事実でしょ。イヤなら所員になればいいのに」
「ぐっ……」
彼がアルバイトという地位に固執しているのは、この牢獄から脱するチャンスがあるという希望を信じたい一心によるものだ。見た目こそ大学を出たばかりの新卒所員と変わらないが、所長直属の助手ということも手伝ってか、所内では名前も顔も良く知られている。小間使いとしてはこれほど役に立つ逸材も珍しいというのが、所内における一般的な評価だ。
もちろん、そんな評価にヘラヘラするほど腐りきっていない、つもりではあるらしい。彼の中では。
「オレがフリーターならステラはニートじゃないか」
「誰がニートだ。ちゃんとお金貰って働いてるしー」
「お前のは給料じゃなくて小遣いだろーが」
「何おー、時給七百円のアンタよりたくさん貰ってるからって、変ないちゃもんつけないでよねっ」
「はいはい、お茶汲み以外の仕事ができるようになってから言って下さいねー」
「ヨーヘーのクセに生意気っ!」
かなり痛いところを突かれたようである。物言いが完全に子供染みてきた。とはいえ彼女――輝星の現状から考えれば、無理からぬことではあるのかもしれない。
彼女はある意味、自ら望んでここに居るのではない。所長の娘として、ここに住んでいるだけなのだ。研究施設とは別に家があれば、彼女はそこに住んでいただろう。そうでなければ、大して興味もない研究所に自ら足を運ぶなど、彼女の性格を考えれば基本的には有り得ない話だ。
「そう思うなら少しは仕事憶えろよ」
少し反撃できて満足したのか、彼――洋平のトーンが落ちる。この二人は何度となくこんなやり取りを繰り返してきた幼馴染みだ。相手の傷を抉るくらいは挨拶の内である。
ちなみにこのやり取りの間に二人の所員が横を通り過ぎて行ったが、特に注目を浴びることもなかった。すでに日常の一コマとして認識されているからである。というより、犬も顔をしかめて吐き出すような臭い喧嘩に近付くような輩など、この研究所には所長しか居ない。君子危うきに近寄らず、臭いものには蓋、クサヤは鼻をつまんで食うべし、まぁそんなところである。
「うっさいなぁ。私はコツコツ憶えるタイプなの。少し仕事ができるからって偉そうに言わないで」
「はいはい、それで何だ? 挨拶しただけか?」
「あーそうだ。どこかでお父さん見なかった?」
「所長? いや、今朝はまだ見てないけど。所長室に居ない?」
「居ないから捜してるの。朝御飯も食べてないのに、どこで何やってるんだか」
「そりゃ珍しいな」
所長は気紛れで奔放なので、所長室以外の定位置はないに等しい。しかし妙なこだわりが様々な場面で習慣化しており、食事の時間と場所が決まっていることは良く知られていた。特に朝食を娘と一緒に食べることは意識しているらしく、ステラの方から逃げることはあっても所長が避けることはまずない。
つまり、そうせざるを得ない何かが起きているという予測が、容易に導かれるということだ。ちなみにこの所長、自他共に認める変人である。夜中にムクリと起きたかと思えば、ししゃもが突然食べたくなったと魚市場に車を走らせ、何故かイカソーメンを買って帰ってくるほどの変人なのだ。突発的な欲求が発動したら、どこで何をしているかなど見当もつかない。それでも、娘との朝食に間に合わないことは稀である。
「でしょ。まぁ心配してるからじゃなくて、聞きたいことがあるから捜してるだけなんだけど」
「へぇ……」
「何よ?」
「別に」
ツンデレにギロリと睨まれてヨーヘーは視線を逸らす。その先に『←BF実験室』という小さな看板を見付けて、ふと思い出した。
「そう言えば、昨日の晩BFの様子を見てくるって言ってたなぁ」
「びーえふ?」
「もしかしたら、ずっと実験室に詰めているのかもしれない」
昨日の夕飯は一緒に食べたのだから、何かあったとするならそれ以降の話となる。とりあえず、確かめるだけの価値はある発言だった。
「ならヨーヘー、そこに案内してよ」
「え、教えるから一人で行けよ。オレまだ飯食べてないし」
「いいから来なさいっ」
左耳を掴まれて引きずられるヨーヘーに、拒否権などあろうハズもなかった。
「し、死んでる!?」
「いやいや、自分の父親を簡単に殺すな」
棺桶のようなカプセルに入っているチョビ髭オヤジを見るなり驚きの声を上げた愛娘に、幼馴染みは冷静かつ当然のツッコミを入れた。
「え、死んでないの、これ?」
「どうして若干残念そうなんだよっ」
「いやだって、昨日から行方がわからないというシチュエーションで捜し回った挙句に見付かった場合、八割は死体でしょ?」
「どこのホラー世界だよっ」
あるいはミステリー世界での話である。
「で、これがビーエフ?」
並んでいる端末群と五つの棺桶を見回しながら、ステラは話の軌道を元に戻した。
「そう、バーチャルフューチャー、略してBF。ちなみにこのネーミングは百パーセント所長の趣味だからな」
「どーりでセンスの欠片もないと思った」
さすがに娘だけあって容赦というものがない。ちなみに本来ならVFが略語に当たるのだが、バージョンBだからBFでいいんじゃね、という話からそれじゃあ何の略ってことにしましょうかという流れになり、BFだからバーチャルでいいだろという所長の一言で決している。その場で誰も異を唱えなかったのは、ぶっちゃけ面倒臭かったのと、現場にヨーヘーが居なかったからである。
とりあえず、所長が英語を苦手としているのは言うまでもない。
「でもバーチャルフューチャーってことは、未来が見えるとか、そういう発明?」
「そんな万能発明だったらノーベル賞だって狙えるんだろうけどな。これは従来のバーチャル体感システムに高度で柔軟な予測演算を可能とする端末を組み合わせた、言うなれば未来予測を体験するシステムだな」
「もう少しわかりやすく言って」
男勝りと評判のステラだが、メカオンチと科学オンチは一般的な女性と変わらないレベルである。ちなみにスカートは滅多に履かない上に、スッキリしたショートヘアに猫目と色気にはいささか不足のある女性ではあるものの、男性率の高い所内において目立つ存在であることは間違いない。
ちなみに目立つ風貌の女性であるにもかかわらず手を出してくる所員がいないのは、一割が所長の娘であるから、一割がヨーヘーという決まった存在が居るからであり、残った八割が攻撃的で自堕落な性格のせいである。
普段の姿というものは、意外によく見られているものだ。
「昨日の夕飯から明日の夕飯を予想する装置、以上」
「うん、全然わかんない。もう一声」
「明日のことが何でもわかるってことで」
もう説明すること自体が面倒になったようである。
「……占いの結果が見えるみたいな感じ?」
「まぁそれでいいや」
占いと未来予測の違いを説明するのは当然ながら面倒なので、とりあえず頷いておくことにする。
「で、お父さんはその未来とやらを見ている最中なワケだ」
「そういうことになるだろうね」
専用のヘッドホンをしてカプセルに横たわる所長の姿は、一見すると眠っているというよりは仮死状態に見える。一目見て死んでいると彼女が口にしたのも、あながち的外れな物言いとも言い切れないだろう。
「……んー、所長の身体データに異常がないってのはわかるけど、それ以上はわからないなぁ。こっちからアクセスもできないっぽいし」
幾つかあるモニターのほとんどは気温やら湿度やら、何かしらのデータを表示している。その内の一つがカプセル内に居る人間の状態を示していることはわかったものの、他はあまり意味があるようにも見えない。ちなみに所長のデータも、健康状態が正常であることがわかる以外には、三十度の低体温であることが見て取れる程度だ。
「おーい、起きろー。おとーさーん!」
娘は声を張り上げながら、カプセルを外からバシバシ叩く。
「反応ないなー。聞こえてないのかなー。ねぇヨーヘー、このガラスみたいな透明なトコ叩き割っていい?」
「良くないよっ!」
参考までに述べておくが、彼女がこの研究所で壊したドアは三つである。本人曰く『まだたったの三つ』だそうなので、その粗暴かつガサツな振る舞いは推して知るべしということだろう。
「じゃあどうやって起こすの?」
「今調べてるからちょっと待ってろ」
放っておくと壊しかねない勢いの幼馴染みに釘を差し、タッチパネルを駆使して情報を探り出してみる。しかし未だシステム全体が大雑把なテストモデルに過ぎない為にか、インターフェイスが複雑過ぎて思うような情報に行き着けなかった。ただ、本人にその気があれば自らの意思で戻ってこられることは間違いないとわかった程度だ。
「どうなの。ねぇどうなのよ!」
「うーん……こっちから呼び出すのはちょっとわからないな。所長にその気があれば自力で起きてこられるハズなんだけど」
「つまり、どういうことなワケ?」
説明するまでもないが、ステラは短気である。どのくらい短気かというと、お湯が沸くまで待てないからとカップ麺に水を入れるくらい短気である。というかこれではバカである。
いや、間違ってもいないのだが。
「要するに、所長は朝食を食べなくても良いと思えるほどに現在お楽しみだってことだ」
「その上こっちの声は届かない、と?」
「そういうこと。もういいだろ。ここで待ってても時間の無駄だし、自分で起きてくるまで聞きたいことってのは後回しにするしかないさ」
「……これってさ、この機械を使えばお父さんと同じ所に行けるものなの?」
機械オンチの割には鋭い指摘である。そしてそれは、彼が思いながらもあえて触れなかった可能性でもある。
理由は言うまでもない。面倒臭いからだ。
「行けるかもしれないし、行けないかもしれない。正直わからん」
嘘は吐いていない。だが状況から考えると、共通した世界に五人まで送られるシステムであることは一目瞭然だ。もしそれぞれの世界に飛ぶのなら、端末が独立している方が自然だろう。しかし彼は、そんなことを口にはしない。言えば入る羽目になるのは目に見えているからだ。
「よし、入ってみよ」
ルート分岐はありませんでした。
「そっか。じゃあオレはここでモニターしてるから、ちゃっちゃと入って呼び戻してきなよ」
ここで入ること自体に反対しないのは、長年の経験故にのことである。それがどのような正論であろうとも、反対して物事が順調に進んだ記憶が微塵もないのだから仕方がない。
「私だけ……」
そう呟いてステラは、死んだように眠る父親へと視線を落とす。そのまま何かを思い、考え、想像して赤面した。
「無理っ。絶対無理!」
「無理って何がだよ!」
「アンタ絶対アレでしょ。私が入ったら寝顔を観察とかするつもりでしょ。あまつさえ写真に取ったり撫で回したり嘗め回したりするつもりなんでしょ!」
「ねーよ!」
悪戯書きくらいは考えたが、それを口にすると火に油なので当然ながら言うハズもない。
「一緒に入ってくれないなら半日くらいお寝んねしてもらうことになるけど構わないわよね?」
「よしわかった。一緒に入るから手刀を構えるな」
こう見えて、ステラは合気道を使いこなす猛者である。ちなみに彼女の母親は師範だったりするから手に負えない。そんな武闘派の母親がどうして所長のような変わり者の発明バカに惚れたのかは、未だに大いなる謎と言われている。本人達もわからないらしい。
とはいえ、大喧嘩をして別れた二人ながら、ステラの記憶にある二人の姿は互いを気遣う温かいものだったと記憶している。水と油のような二人だったが、どのような愛情を培ったらああなってこうなったのか、彼女は未だにわからない。
ただ、目の前に居る草食動物との未来を悲観せずにいられるのは、両親を見てきたからかもしれない。
ともかく、二人はカプセルの蓋を開き、備え付けてあったヘッドホンを装着して横になった。何が起こるのかとドキドキしながら見上げる天井は自らの息で曇り、特殊な音波によって強制的な眠気が訪れる。
目蓋の裏に見える薄闇の中、未来への旅立ちはこうして始まったのである。