第1話「断罪エンドを思い出しました」
――最悪だ。
よりにもよって、思い出すなら今じゃなくていいでしょう。
朝の身支度を整えようとして、ふと鏡を見た瞬間。
すべてがフラッシュバックした。
(……思い出しちゃったじゃない……)
私は、鏡の前で自分の顔をじっと見つめていた。
そこに映っているのは――
銀がかった金髪。
淡く光を宿すローズ色の瞳。
きめ細かい白い肌。
そして、やたらと豪華なドレス。
フリルに刺繍に宝石に、もはや過剰装飾の域。
さらに視界の端に映るのは、天蓋付きベッド、大理石の床、金縁の姿見。
……うん。
どう考えても。
どうひっくり返しても。
一般OLの部屋じゃない。
「……つまりここは……乙女ゲー世界?」
ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほど可愛らしく響いた。
高すぎる。
可憐すぎる。
私の声じゃない。
(誰よこれ……)
内心ツッコミながら、記憶を整理する。
ヴィクトリア・フォン・ローゼンベルク。
侯爵家令嬢で王立学園の華。
王太子エドワードの正式な婚約者。
絵に描いたような勝ち組スペック。
……普通なら、ここで大喜びするところだろう。
でも私は違う。
なぜなら――
「断罪&監禁エンド担当の悪役令嬢……!」
思わず頭を抱えた。
ごん、と軽く鏡におでこをぶつけそうになる。
最悪すぎる。
よりにもよって。
前世で何周も、何十周もプレイした乙女ゲーム。
『聖なる薔薇と運命の恋』。
攻略対象は王太子、騎士団長、宰相の息子、ミステリアス教師など豪華ラインナップ。
ヒロインは健気で純真で天然で、王道モテ属性フル装備。
そして私は――
そのヒロインをいじめる、嫌われ役ポジション。
高飛車で嫉妬深い。
そして嫌味全開。
嫌われムーブ量産機。
最後は見事に破滅。
……うん、知ってる。
知りすぎるほど知ってる。
しかも問題は、そこじゃない。
もっと致命的な問題がある。
それは――
エドワード王太子ルートのバッドエンド。
裏切られて罪を暴かれ公開断罪。
そして地下離宮に幽閉。
光も差さない石造りの部屋。
逃げ場ゼロ。
外出不可。
一生監禁コース。
そして、あの名シーン。
優しく微笑みながら、囁かれるのだ。
『君は、僕のものだから』
……怖すぎる。
笑顔で言う台詞じゃない。
ホラーすぎる。
恋愛ゲームの皮を被ったサスペンスだ。
「いやいやいや、無理無理無理!」
私は全力で首を振った。
髪がさらさら揺れる。
こんなときに無駄に美しいのが腹立つ。
「あんな甘い顔で、あんなこと言うヤンデレ王太子に閉じ込められる人生とか……絶対イヤ!」
毎日監視。
毎日独占。
おまけに毎日「愛してるよ」付き。
……いや、地獄か。
甘い顔×重すぎ執着=最凶兵器。
そんなのに捕まったら終わりだ。
人生詰みだ。
「よし。決めた」
私は鏡に向かって、ぐっと拳を握った。
決意のポーズ。
「目標:断罪回避! 監禁回避! 平穏人生!」
誰もいない部屋で堂々宣言。
ちょっと虚しいけど、気にしない。
生き残るためだ。
そのために、まずやるべきことは一つ。
――エドワード様と距離を取る。
これしかない。
原作のリリアーナは、彼に執着しまくっていた。
常に側に張り付き。
他の女の子を牽制し。
ヒロインに嫌味を飛ばし。
見事に嫌われ役を完遂。
……そりゃ嫌われるわ。
なら、逆にすればいい。
不用意に近づかないし関わらない。
そして期待しないし追いかけない、絶対に執着しない。
完全スルー戦法。
完璧。
これ以上ない安全ルート。
私は満足げに頷いた。
(これで平和に生きられる……はず……!)
……このときはまだ。
私は、その作戦が――
エドワード様の執着スイッチを、最大出力で押す行為だということを。
まったく。
本当に、これっぽっちも理解していなかったのだった。
翌日の王立学園の中庭。
朝の光に照らされた噴水はきらきらと輝き、生徒たちの笑い声があちこちから聞こえてくる。
平和そのものの光景。
……なのに、私の心はまったく平和ではなかった。
私はいつもなら、当然のようにエドワード様の隣を歩いている。
肩が触れるほど近くで歩幅を合わせて。
周囲から見れば、「仲睦まじい婚約者そのもの」な距離感で。
……が、今日は違う。
私は意図的に、ぴったり三メートル。
定規で測ったかのような距離を保って歩いていた。
前を向いたまま、必死に間隔をキープする。
(よし……完璧……!)
これで大丈夫。
今日からは、適度な距離を保って、依存ルート回避作戦開始なのよ、私。
そう心の中でガッツポーズをしていた、その時だった。
「……ヴィクトリア?」
後ろから、低くて優しい声が聞こえた。
ひぃ。
思わず喉がひくりと鳴る。
反射的に背筋が伸びた。
(来た……!)
恐る恐る振り返る。
「な、なんでしょうか。王太子殿下」
完璧な他人行儀。
敬語も距離感も、全部よし。
自分で自分を褒めたい。
視線の先には、相変わらずの美形が立っていた。
金色に輝く髪に、澄んだ碧眼。
微笑めば周囲が勝手にときめく、王子スマイル完備。
これで中身が激重執着系なのだから、もはや詐欺である。
「今日は……少し距離があるね?」
穏やかな声。
でも、その一言だけで胸がひやりとする。
「そ、そうですか? 気のせいでは?」
にこっと営業スマイル。
社交用、無害アピール用、完全防御用。
(逃げろ私……! ここでデレたら終わる……!)
内心で必死にブレーキをかける。
すると、エドワード様は、少しだけ目を細めた。
まるで、私の内心を探るように。
「……昨日、何かあった?」
心臓がどくんと跳ねた。
(ぎくっ!!)
「い、いいえ! 何も!」
即答。
速すぎて逆に怪しい気もするけど、気にしない。
「本当に、何もございません!」
念押しまでしてしまった。
すると彼は、ふっと柔らかく微笑んだ。
「なら、いい」
その言葉と同時に――
すっと、距離が詰まる。
「え?」
状況を理解する前に、私の手が包み込まれていた。
「離れる必要はないよ」
指先が絡む。
ぎゅ、と逃がさないように。
……え。
……ちょっと待って。
作戦、開始五分で終了してない?
心臓が跳ね上がる。
鼓動がうるさすぎて、聞こえそう。
「で、殿下、あの、その……」
言葉が迷子になる。
視線も泳ぐ。
そんな私を見つめながら、彼は静かに言った。
「ヴィクトリアが遠いと、不安になる」
低くて、穏やかな声。
怒っていない。
責めてもいない。
……なのに、重い。
とんでもなく重い。
「だから、離れないで」
ぎゅっと、さらに力が込められた。
逃げ道、完全封鎖。
私は引きつった笑顔のまま、心の中で叫んだ。
(もう始まってるーーー!!)
(重いのがもうフルスロットルなのよーー!!)
(どーすればいいのよーーー!!)
爽やかな学園の風とは裏腹に。
私の断罪回避計画は、とてつもなくハードモードなことを思い知ったのであった。




