最終話
あれから、季節は一度巡った。
『エマの気まぐれ工房』は、今や王都で最も予約の取れない工房として、その名を知らぬ者はいない。
「伝説の魔道具師」「国を救った聖女」なんて、少々大げさな二つ名で呼ばれることもあるけれど、わたくしは相変わらず、この路地裏の工房で油と金属の匂いにまみれていた。
「エマ、少し休憩したらどうだ。もう三日も籠りきりだろう」
工房の扉を開けて入ってきたのは、呆れたような、それでいて優しい声の主、カイ様だった。
彼は今や、騎士団長の激務の合間を縫っては、こうしてわたくしの様子を見に来てくれる。
「カイ様! いいえ、まだです! この新しい術式の循環効率をあと3%……いえ、5%は向上させられるはずなんです!」
「その情熱は認めるが、君が倒れては元も子もない」
そう言って、カイ様はわたくしの手からスパナをそっと取り上げ、代わりに温かいスープの入ったカップを握らせてくれた。
「……ありがとうございます」
スープの温かさが、凝り固まった体にじんわりと染み渡る。
彼が淹れてくれるスープは、いつも騎士団の食堂で作られた、素朴だけれど滋味深い味がした。
ふと、わたくしは気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、アルフォンス殿下とリリアナ様は、どうなされたのですか?」
あの日以来、彼らの噂をぱったりと耳にしなくなっていた。
カイ様は、わたくしの顔色を窺うように、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「アルフォンス殿下は、王位継承権を剥奪された。君という国の至宝を、私情で手放した愚か者として、王家からも見放された形だ。今は北の離宮で、リリアナ嬢と共に静かに暮らしている……と聞いている」
その声には、何の感情もこもっていなかった。
ただ、事実を淡々と述べただけ。
「そうですか……」
わたくしの心は、不思議なほど穏やかだった。
もはや、彼らに対する怒りも、憐れみもなかった。ただ、遠い世界の出来事のように感じられるだけ。
「全て、彼らが自ら招いたことだ」
カイ様がそう言って、この話を打ち切った。
沈黙が、工房に落ちる。
カン、カン、と遠くで響く鍛冶の音が、やけに大きく聞こえた。
やがて、カイ様が意を決したように、わたくしの前に跪いた。
その真摯な瞳が、まっすぐにわたくしを射抜く。
「なっ……カイ様!? どうなさったのですか、床は汚れておりますのに!」
「エマ」
わたくしの慌てぶりを、彼は穏やかな笑みで制した。
「君に、伝えたいことがある」
彼の声は、いつものように低く、落ち着いていた。けれど、その奥に隠された熱い想いが、ひしひしと伝わってくる。
「私は、完璧な淑女であった君を知らない。そして、知りたいとも思わない」
カイ様は、わたくしの、油で汚れた手を取った。
「私が愛しているのは、公爵令嬢エマ・ウォルフォードではない。この工房で、目を輝かせながら魔道具と向き合い、時には徹夜で髪をボサボサにし、顔に煤をつけながら、世界で最も素晴らしいものを創り出す、魔道具師エマだ」
その言葉は、どんな宝石よりも、どんな美しい詩よりも、わたくしの心の奥深くに響いた。
「ありのままの君がいい。いや、ありのままの君だからこそ、私はどうしようもなく惹かれたんだ。だから……エマ。私と、結婚してほしい」
取られた手から、彼の緊張が伝わってくる。
氷の騎士と恐れられるこの人が、わたくしのために、こんなにも心を尽くしてくれている。
視界が、じわりと滲んだ。
それは、悲しみの涙ではなかった。
生まれて初めて感じる、どうしようもなく温かくて、幸せな涙だった。
(この人は、わたくしがずっと隠してきた、本当のわたくしを見つけてくれた)
(仮面の下にあった、不器用で、頑固で、魔道具オタクなだけのわたくしを、愛してくれた)
わたくしは、涙で濡れた顔のまま、最高の笑顔で頷いた。
「……はいっ! 喜んで!」
その返事を聞いたカイ様は、心の底から安堵したように息をつき、わたくしをそのたくましい腕で、力強く抱きしめてくれた。
もう、ここには「無能と罵られた令嬢」はいない。
ただ、真実の愛を見つけた、世界一幸せな魔道具師がいるだけだった。
**――エピローグ――**
一年後。
王都騎士団の訓練場は、以前にも増して活気に満ちていた。
「いいか、お前たち! 今度の模擬戦で使う新型の訓練装備は、俺の奥方が直々に設計されたものだ! 傷一つでもつけてみろ、どうなるか分かっているな!」
鬼の形相で檄を飛ばすカイ団長の言葉に、騎士たちが「「「ハイッ!!」」」と天を衝くような返事で応える。
その傍らでは、作業着姿のわたくしが、魔道具の最終調整をしていた。
結婚しても、わたくしたちの関係はあまり変わらない。
カイ様は騎士団長として国を守り、わたくしは魔道具師として、彼の、そして騎士団の支えとなっている。
変わったことと言えば、工房が少し広くなって、カイ様がいつでも休めるソファが置かれたことと、彼のことを「カイさん」と呼ぶようになったことくらいだろうか。
「カイさん、少し力を入れすぎですよ。騎士の方々が萎縮してしまっています」
「む……すまない。君が関わると、どうも冷静でいられなくなる」
わたくしにだけ見せる、彼の困ったような優しい笑顔が、たまらなく好きだ。
(完璧な淑女の仮面を脱ぎ捨てて、本当によかった)
あの絶望の夜会が、まさかこんなにも輝かしい未来に繋がっていたなんて。
『無能と罵られ婚約破棄された令嬢は、実は伝説の魔道具師でした』
そんなお伽話のような人生を、わたくしは今、確かに歩んでいる。
『~お飾り令嬢の仮面を脱いだら、なぜか堅物騎士様にロックオンされています~』
……なんて、昔の自分に教えてあげたら、きっと腰を抜かすに違いないわね。
わたくしは、隣で笑う最愛の人を見上げる。
これからも、きっと色々なことがあるだろう。
でも、この人と一緒なら、どんな困難も乗り越えていける。
だって、わたくしたちは、互いの「ありのまま」を、誰よりも愛しているのだから。
青空の下、わたくしの新しい人生は、希望の光に満ち溢れていた。
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