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第三話

その報せは、王都を震撼させた。

隣国との国境地帯で、観測史上最大規模の魔物のスタンピード(大暴走)が発生したのだ。


王都騎士団が出動したものの、魔物の数はあまりに多く、前線は膠着。このままでは防衛線が突破され、国境の街が壊滅するのも時間の問題だった。


王宮が絶望的な空気に包まれる中、戦況を覆したのは、名もなき魔道具師が作った、数々の常識外れな魔道具だった。


一体の狂暴なオーガが、騎士団の防壁を突破しようと巨大な棍棒を振り下ろす。

しかし、その一撃は、騎士が構えた盾に展開された薄い魔力障壁によって、いとも容易く防がれた。


「な、なんだこの盾は!? オーガの一撃を片手で受け止められるだと!?」

「腕輪を見てみろ! 体の底から魔力が湧き上がってくる!」


騎士たちが腕に付けていたのは、わたくしが作った『魔力増幅の腕輪』。盾に仕込まれていたのは、衝撃を自動で吸収・分散させる『簡易防御術式プレート』だ。


そして、騎士団の指揮所。

カイ様は、机に広げられた巨大な地図を睨みつけていた。地図上には、無数の赤い光点が明滅している。


「本隊は東へ! 遊撃部隊は北の森に潜む別動隊を叩け! 敵の動きは全て見えている!」


カイ様の的確な指示が、騎士団を勝利へと導いていく。

それを可能にしたのが、わたくしが国家機密級の技術を投入して作り上げた『広域魔力探知機』だった。


結果、騎士団は圧倒的劣勢を覆し、歴史的な大勝利を収めた。


王宮で行われた凱旋報告会。

国王陛下から最大の功労者として称賛されたカイ様は、静かに首を横に振った。


「陛下。この勝利は、私の力によるものではございません」


ざわめく謁見の間で、カイ様は朗々と声を響かせる。


「我が騎士団を勝利に導いたのは、一人の天才的な魔道具師です。彼女が作った数々の魔道具なくして、この勝利はあり得ませんでした」


国王が身を乗り出す。

「ほう、その者の名を申せ。褒美を取らせよう」


カイ様は、一拍置いて、はっきりと告げた。

「その方の名は、『エマ』。王都の下町で、小さな工房を営んでおられます」


エマ。

その名を聞いて、何人かの貴族が息を呑んだ。

そして、その中にいたアルフォンス殿下は、顔面蒼白になっていた。


まさか。あの女のはずがない。感情のない、退屈な人形だったはずの、あのエマのはずが――。


噂は、燎原の火のごとく王都を駆け巡った。

国を救った英雄は、かつて第二王子に婚約破棄された公爵令嬢、エマ・ウォルフォードその人であった、と。



「エマ! エマ、そこにいるんだろう! 開けてくれ!」


工房の扉を、誰かが乱暴に叩いていた。

わたくしはうんざりしながら、ハンダゴテを置く。ここ数日、こんな調子の訪問者ばかりで、仕事に集中できない。


扉を開けると、案の定、そこには憔悴しきったアルフォンス殿下が、リリアナ様を伴って立っていた。


「エマ、君だったのか! 国を救った魔道具師というのは!」

「……何かご用でしょうか、殿下」


わたくしの冷たい態度に怯むことなく、殿下は必死の形相でわたくしの腕を掴もうとした。


「頼む、エマ! 私のところへ戻ってきてくれ! 君がいなければ、私は……!」


(ええ、そうでしょうね。あなたは一人では何もできない方ですもの)


あなたの執務が滞っていることも、諸外国からの評価が落ちていることも、全てわたくしの耳に入っている。


「君を捨てたのは間違いだった! 私が愚かだったんだ! 謝る。だから、もう一度……」

「お断りいたします」


わたくしは、掴まれそうになった腕をさっと引っこめ、きっぱりと言い放った。

「わたくしは、今の生活に満足しておりますので」


「なっ……!」


信じられない、という顔で殿下が絶句する。

隣のリリアナ様が、ヒステリックに叫んだ。

「なんですのその態度は! アルフォンス様が、こ、こんなに頭を下げてくださっているのに!」


(あら、あなたもご一緒でしたの。すっかり背景に溶け込んでいて、気づきませんでしたわ)


アルフォンス殿下は、なおも食い下がる。

「君が戻ってきてくれるなら、リリアナは側妃でも構わないと言っている! 正妃の座は、ちゃんと君のために空けておくから!」


その言葉を聞いた瞬間、わたくしの中で、何かがぷつりと切れた。

憐れみ? 同情? いいえ、違う。


心底からの、侮蔑だった。


(この方は、最後の最後まで、わたくしを自分の所有物か何かだと思っている)

(わたくしの気持ちなど、お構いなし。自分が困ったから、便利な道具を取り返しに来た。ただ、それだけ)


わたくしが、何かを言おうと口を開いた、その時だった。


「――その汚い手を、彼女に触れるな」


地を這うような低い声が、殿下の背後から響いた。

いつの間にかそこに立っていたのは、氷の貌をしたカイ様だった。


カイ様は、アルフォンス殿下の腕を、まるで鋼鉄の万力のような力で掴み上げていた。


「ぐっ……! き、貴様、騎士団長のカイか! 無礼であろう!」

「無礼なのは、どちらかな? 元婚約者とはいえ、今は平民の女性の工房に押し入り、無理強いをしようとしている愚かな王子殿下」


カイ様の瞳には、静かだが、燃え盛るような怒りの炎が宿っていた。


「彼女の価値を、お前は己の都合で見誤った。彼女がその類まれなる才能を隠し、どれだけお前のために尽くしてきたかにも気づかず、感情のない人形だと罵り、捨てた」


「そ、それは……」

「だが、彼女はお前の所有物ではない。一人の、素晴らしい魔道具師だ。お前のような愚か者に、二度と彼女を傷つけさせはしない」


カイ様の言葉の一つ一つが、アルフォンス殿下のプライドを粉々に砕いていく。

殿下は顔を真っ赤にして、何も言い返せずにいた。


カイ様は、わたくしに向き直り、そっと目配せをした。

(あとは、君が)


その瞳が、そう語っていた。

彼は、ただわたくしを守るだけじゃない。わたくし自身が、過去に決着をつける機会を与えてくれたのだ。


わたくしは、すぅっと息を吸い込み、背筋を伸ばした。

そして、アルフォンス殿下と、その隣で震えるリリアナ様を、まっすぐに見据えた。


「アルフォンス殿下。よくお聞きください」


もう、そこには完璧な淑女の仮面はなかった。

油で汚れた作業着を着た、一人の魔道具師としての、エマがいた。


「わたくしは、あなた様の人形ではございません。そして、あなた様が捨てたのは、便利な道具でもございません。あなた様を心から想い、支えようとしていた、一人の人間の心です」


わたくしの言葉に、殿下がはっと息をのむ。


「今のわたくしは、魔道具師エマです。この工房で、自分の手で物を作り、誰かの役に立つことに、何よりの誇りと幸せを感じています。あなた様と歩む未来など、もはや塵ほども望んではおりません」


「……お引き取りください。わたくしは、忙しいのです」


わたくしがそう告げると、アルフォ-ンス殿下は、まるで全身の力が抜けたかのように、その場にへたり込んだ。

リリアナ様が、小さな悲鳴を上げる。


過去との、完全な決別。

それは、誰かに与えられた勝利ではない。わたくし自身が、自分の足で立ち、自分の言葉で勝ち取った、本当の自由だった。


カイ様が、そっとわたくしの隣に立つ。

その大きな背中が、なによりも頼もしく見えた。


路地裏の小さな工房に差し込む西日が、まるで、わたくしの新しい門出を祝福しているかのように、きらきらと輝いていた。

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