表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

第二話

王都の下町。パンを焼く香ばしい匂いと、鍛冶屋が鉄を打つ音が混じり合う、活気に満ちた一角。その一番奥まった路地裏に、わたくしは小さな工房を構えた。


看板に掲げた名前は、『エマの気まぐれ工房』。

……我ながら、なかなかのセンスだと思う。


「ふふっ、ふふふふふ……!」


工房中に、わたくしの引きつった笑い声が響く。

無理もない。だって、最高に幸せなのだから。


公爵令嬢時代に着ていたシルクのドレスは、とうの昔に売り払った。今は、動きやすくて汚れてもいい作業着がわたくしの正装。完璧に結い上げていた髪は無造作にまとめ、顔には油の汚れ。爪の中は真っ黒だ。


(もし今のわたくしを母が見たら、卒倒するどころか、三日三晩寝込むに違いないわね!)


それがどうしたというのだろう。

目の前には、分解された魔道具の部品たち。愛おしい歯車、美しい術式が刻まれた魔石。これらに囲まれているだけで、わたくしの心は満たされた。


工房を開いて一月。最初の仕事は、近所のおばあちゃんから頼まれた「魔力灯の修理」だった。ちょちょいと改良して、元の三倍は長持ちするようにしてあげたら、お礼に大量のクッキーを貰ってしまった。

それが口コミで広がり、今では「自動で動く箒が欲しい」だの「絶対に焦げ付かない鍋が欲しい」だの、細々とした依頼が舞い込むようになっていた。


(生活は質素になったけれど、毎日が楽しい! これよ、これこそがわたくしの生きたかった人生!)


そんなある日の午後だった。

工房の扉が、重々しい音を立てて開かれた。


「……やっているか」


そこに立っていたのは、全身から「堅物」というオーラを뿜わせている、長身の男性だった。漆黒の騎士服に身を包み、鋭い眼光は氷のように冷たい。その威圧感に、思わず工房の空気がピリッと引き締まった。


(うわ、なんだか怖そうな人が来た……)


わたくしは愛用のスパナを握りしめ、警戒しながら応対する。

「い、いらっしゃいませ。何かご用でしょうか?」


男は無言で、カウンターにずしりと重い袋を置いた。中から出てきたのは、ひどく損傷した訓練用の魔道具だった。おそらく、剣の衝撃を吸収するためのものだろう。


「これを直せるか。ついでに、もっと頑丈に、反応速度も上げたい。予算はこれだけだ」


男はぶっきらぼうに言うと、数枚の金貨をカウンターに置いた。

かなりの大金だ。


わたくしは依頼品を手に取り、じっくりと観察する。

ふむふむ、なるほど。構造は悪くないけれど、術式の組み方が甘い。これじゃあ、強い衝撃を受けたらすぐに壊れてしまうだろう。魔力の伝達効率も悪い。


(というか、設計が古いわね。これじゃ騎士様たちの訓練効率も上がらないでしょうに)


わたくしは、つい夢中になって早口で語り始めていた。

「お客様、これ、修理するだけでは勿体ないですよ。衝撃吸収の術式を並列化して、さらに魔力循環のバイパスを追加すれば、耐久性は五倍、反応速度は十倍まで引き上げられます。あと、この魔石の純度だと……」


「……ほう」


男が、初めて興味深そうな声を漏らした。

その氷のような瞳が、少しだけ見開かれている。


「君は、何者だ」

「え? ただの魔道具師ですが……」


わたくしがきょとんと答えると、男は何かを考えるように押し黙った。

そして、重々しく口を開く。


「……好きにやれ。予算は気にしなくていい。最高の性能を求める」

「ほ、本当ですか!? やった!」


わたくしは思わずガッツポーズをした。最高の性能! なんて素晴らしい響きだろう!

採算度外視で、自分の持てる技術のすべてを注ぎ込めるなんて!


それから三日三晩、わたくしは寝食も忘れて魔道具の改良に没頭した。

そして約束の日。工房に再び現れた男に、完成品を差し出した。


「お待たせしました! 名付けて、『エマスペシャル改』です!」

「……その名前はどうなんだ」


男は呆れたように呟きながらも、改良された魔道具を手に取った。見た目は以前とさほど変わらない。だが、彼ほどの使い手なら、その内部に秘められた圧倒的な性能の違いに気づくはずだ。


彼は魔力を流し込み、軽く起動させる。

その瞬間、彼の氷の瞳が、驚きに見開かれた。


「……信じられん。なんだ、この滑らかな魔力循環は。それに、この応答性……」

「ふふん。伊達に徹夜はしておりませんから」


わたくしが胸を張ると、男は初めて、その口元にかすかな笑みを浮かべた。ほんの一瞬だったけれど、その表情の変化は、どんな賛辞よりもわたくしを喜ばせた。


「素晴らしい腕だ。私はカイ・ランシング。王都騎士団の団長をしている」

「き、騎士団長!?」


まさか、目の前の堅物な男性が、あの「氷の騎士」と噂されるカイ・ランシング騎士団長だったとは! 平民出身でありながら、実力だけでその地位までのし上がった、王都の英雄。


「今後も、騎士団の魔道具の整備を君に頼みたい。正式に依頼させてもらう」

「は、はい! 喜んで!」


この日を境に、カイ様は工房の常連になった。

最初は仕事の依頼だけだったけれど、いつしか彼は、依頼がなくても工房に顔を出すようになった。


何も言わず、ただ椅子に座って、わたくしが作業するのをじっと眺めている。

その視線は、不思議と居心地が悪くなかった。


彼は、わたくしの汚れた作業着も、ボサボサの髪も、気にする素振りを見せない。それどころか、新しい術式について夢中で語るわたくしの話を、真剣な眼差しで聞いてくれるのだ。


「エマ」

「はい、なんでしょうカイ様」

「……君は、楽しそうだな」


ある日、油まみれで歯車を磨いていたわたくしに、彼がぽつりと言った。


「はい、楽しいです。魔道具に触れている時が、一番幸せですから」


わたくしが心の底からそう言うと、カイ様はまた、あの時と同じように、ほんの少しだけ口元を緩ませた。


(この人は、わたくしが公爵令嬢だったことなんて、知らないんだろうな)


完璧な淑女でも、誰かの婚約者でもない。

ただの魔道具師エマとして、その技術と知識を評価してくれる。

それが、どれほどわたくしの心を軽くしたことか。


そんな穏やかな日々が続く一方で、王宮では小さな変化が起き始めていた。

わたくしが去った後、アルフォンス殿下の執務が滞ることが増えたらしい。今まで当たり前のように揃っていた資料がなかったり、外交文書の草案に不備があったり。


「一体どうなっているんだ! 前はもっとスムーズに進んでいたはずだろう!」


殿下の苛立つ声が、側近たちを困らせているという噂を、市場での買い物ついでに耳にした。


(あらあら。あなた様が楽をできていたのは、誰かさんが夜なべをして、完璧な下準備をしていたからなのですよ?)


わたくしは鼻で笑いながら、熱くなったハンダゴテを握り直す。

過去を振り返るつもりはない。わたくしの居場所は、もうここなのだから。


カイ様が持ち込む依頼は、日に日に難易度を増していった。そして、わたくしが作った魔道具は、騎士団の活動に欠かせないものとなり、いつしか団員たちの間で「路地裏の天才職人」として噂されるようになっていた。


その日も、カイ様は難しい顔で工房にやってきた。

「隣国との国境付近で、魔物の不審な動きがある。広範囲を探知できる魔道具は作れないだろうか」


それは、国家機密にも関わるであろう、重大な依頼だった。

けれど、わたくしの心は、困難な挑戦を前に、武者震いしていた。


(面白くなってきたじゃない)


わたくしはニヤリと笑い、設計図を広げる。

この小さな工房から、国の運命を左右するようなものが生まれようとしている。

そして、その価値を唯一見抜いてくれたのが、目の前にいる氷の騎士様だなんて。


運命とは、なんと面白いものだろう。

公爵令嬢エマ・ウォルフォードの物語は終わったけれど、魔道具師エマの物語は、今、始まったばかりなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ