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既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ  作者: 東野あさひ


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第27話「位相余裕(フェーズマージン)という猶予」

 朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、跡形もなく消えた。

 昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。

 “まだ”の手前に、今日は揺れが起きても倒れない猶予を置くと決める。同じ拍でぶつかるから振れる。半拍の余白で受ける。


 ノートに見出しを書く。

 《今日の方針:**位相余裕フェーズマージン**を確保する/触れない/知らせない/視界で返す》

 ——波の山に山を重ねない。半歩、半拍の遅れで受ける。


 時雨しぐれが尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。



 午前の返却ラッシュが収まると、影浦玲生かげうら・れおが手帳を掲げた。

 「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。会館は朗読最終日、ラックは間引き継続。……寄贈パソコンは電源オフでも“Draft(1)”が一瞬点いて消えた。システム担当、『戻し経路は入れたが発振気味。位相の余裕不足かもって』」


 発振。私はうなずく。「主観は良。息、深い」


 「距離は保とう。僕は風景だけ拾う」



 児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍震えた。

 【下書き保存】——ずれる

 【下書き保存】——たすけろ


 “ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下に靴音の同調が生まれ、反響が増える気配。

 【保存:南桜みなみざくら地下歩道・西口】


 「掲示の紙、切らしてて——」だけ残し外へ。玲生が目で外縁了解。


 西口は、下校列の踏み下ろしと台車のキャスターがぴたり合って、踊り場で音の山が立ちかけていた。

 触れない。

 私は手すり影の端に立ち、肩を半指だけ落として吐きの終わりを遅らせる。

 先頭の生徒がそれを拾い、踏み下ろしを半拍遅らせる。

 台車側は、押手が腕を「先に抜く」ほうへ半拍進める。

 山と山が重ならず、反響は鎮まる。

 震え。

 【下書き保存】——ずらせた

 【下書き保存】——よかった



 図書館に戻ると、玲生が透明付箋を重ねる。

 「外縁。西口、“足並みの山が消えた”。……寄贈PC、“Draft(1)”、午前に一回。ログは空白、電源配列の位相を午後に見直し」

 私はしらせるなの線を胸でなぞり、うなずく。



 昼過ぎ、ポケットが二度震える。

 【下書き保存】——ふたつ

 【下書き保存】——えらんで


 底に違う拍。保存名が続けて埋まる。

 【保存:白妙しろたえ公園・鉄棒そば】

 【保存:観潮かんちょう踏切・南側】


 位相余裕が効くのは人の輪。公園へ。


 鉄棒そばでは、紙芝居の掛け声と、鉄棒の「いーち、に」が同時になって盛りが立ちすぎている。

 触れない。

 私は輪の対角の外、低い姿勢で片手を胸前に上げ、小さく円を描いて半拍遅らせる仕草を置く。

 読み手がそれを視界の端で拾い、オチの直前に半拍だけ空気を入れる。

 鉄棒の数えは半歩早めに移り、山と山がずれる。

 笑いは膨らみすぎず、最後まで輪郭が残った。

 震え。

 【下書き保存】——まるく

 【下書き保存】——のこった


 踏切へ回る。赤の終わりに押手が最後の一押し、歩行の入りと拍が合ってしまう。

 私は時刻表ガラスの前、赤が二点灯の段で顎を半指だけ先に落とし、目線を白線内へ早めに誘導する。

 押手が前置きとして受け取り、入りを半拍送る。

 山は重ならず、すれ違いは滑る。

 震え。

 【下書き保存】——まにあう

 【下書き保存】——いきた



 館内を抜ける途中、寄贈パソコンの黒い画面の隅で“Draft(1)”がふっと灯り、0に戻る。

触れない。

 机の「メンテ中」札が通路に正対しすぎ、視線が正面衝突する。

 脇の書見台を足先で半歩だけはすに寄せ、札を通路に対して半拍ぶんずらして見せる。

 通りかかったシステム担当が「あ、位相ですね」と自分の手で電源配列の投入タイミングを片側遅延、LANの別経路を確実に切る。

 震え。

 【下書き保存】——きる

 【下書き保存】——のこす



 夕方、玲生が手帳を示す。

 「外縁補足。公園、『山が重ならないから聞きやすい』。踏切は『ぶつからずに抜けた』。会館は定刻」

 私はうなずき、胸の石がすこし丸くなる。



 ケトルが鳴る。灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。

 来る。

 私は椅子に座り、膝の上で指を組む。


 25:61。

 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——ずらせ

 【下書き保存】——あわせるな

 【下書き保存】——さわるな

 【下書き保存】——ひがし/のぼる


 上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。

 【保存:朝島あさじま取水堰・観測桟橋(中央より下手)】


 上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。



 桟橋の下手は、風と水の周期がわずかにずれて、二人の長柄が共振しかけていた。

 触れない。

 私は欄干の十字の傷から半歩外、ボルト列と流れの中点に立ち、息の吐き終わりをわずかに遅らせる。

 片方の職員が引きを半拍遅らせ、もう片方が入りを半拍早める。

 位相余裕が生まれ、面で受ける力が合わない。

 網の手前の草の束は泡立たず、遅れてほどけて流れに戻る。

 水の音が低い帯域で合流した。

 震え。

 【下書き保存】——おちついた

 【下書き保存】——いきた


 踵を返す途中、舗装の白い「25-6-1」の**“6”の尾が泥水で少し延び、「6」でも「b」でもない形に見えた。

 私は近寄らず、四つ吸って、六つ吐く。

 同じ拍を避けるだけで、世界は壊れない**。



 帰宅。テーブルにスマホを置く。青い泡が遅れてひとつ。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——みてた

 【下書き保存】——ありがと

 【下書き保存】——まだ

 【下書き保存】——ごめん


 私はスマホを胸に当て、深く吸って、ゆっくり吐く。

 ノートをひらき、今日をまとめる。


 《主観ログ・第二十七夜》

 ・地下西口:踏み下ろし半拍遅れ/押手半拍先→「ずらせた/よかった」

 ・白妙公園:オチ前半拍の空気で山を外す→「まるく/のこった」

 ・踏切南側:二点灯段の前置きで入り半拍送り→「まにあう/いきた」

 ・図書館PC:掲示の正対を外し、配列を片側遅延→「きる/のこす」

 ・堰下手:引き遅れ/入り早めの位相余裕→「おちついた/いきた」

 ・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/“山に山を重ねない”

 ・メッセージ:「ずらせ/あわせるな/ひがし/のぼる/さわるな」「みてた/ありがと/まだ/ごめん」

 ・仮説更新:位相余裕は“倒れないための半拍”。返すとは、一致の誘惑から半歩外に立ち、世界の揺れに猶予を与えること


 灯りを一つ落とし、窓に映る自分の肩を半拍だけ落とす。

 同じ拍に乗らない。

 それだけで、今夜の呼吸は楽になる。


 ——既読が、鳴る。

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