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既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ  作者: 東野あさひ


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第24話「保護帯(ガードバンド)という余白」

 朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、跡形もなく消えた。

 昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。

 “まだ”の手前で、今日ははみ出しても壊れない帯を置くと決める。正確さより、保護。


 ノートに見出しを書く。

 《今日の方針:**保護帯ガードバンド**を敷く/触れない/知らせない/視界で返す》

 ——線と線の間に、傷まない余白を。


 時雨しぐれが尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。



 午前の返却ラッシュが収まると、影浦玲生かげうら・れおが手帳を掲げた。

 「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。会館は朗読本番二日目、自転車ラックは間引き継続。……寄贈パソコン、電源オフのまま“Draft(1)”が一瞬点いて消えた。システム担当は『短窓残響+許容値ゼロの名残に、安全域不足が重なってるかも』」


 安全域。私はうなずく。「主観は良。息、深い」


 「距離は保つ。僕は風景だけ拾う」



 児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍だけ震えた。

 【下書き保存】——はみだす

 【下書き保存】——まもれ


 “ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下で靴の擦れが線を越えて小さく痛む音。

 【保存:南桜みなみざくら地下歩道・東口】


 「掲示の紙、切らしてて——」とだけ告げて外へ。玲生が目で外縁了解。


 東口の踊り場では、下校の列が壁際の線へ吸い寄せられ、台車の回り込みと擦れる。

 触れない。

 私は階段の三段下、視界が最も広い場所に立ち、片手で曖昧な帯を描く——線ではなく、淡い幅。

 先頭の生徒がその幅を拾い、列が壁から半足だけ離れる。

 台車が回頭しやすくなり、痛みは消えた。

 震え。

 【下書き保存】——まもられた

 【下書き保存】——よかった



 図書館へ戻ると、玲生が透明付箋を重ねる。

 「外縁。東口、“すり抜け早い”の投稿。……寄贈PC、“Draft(1)”、午前に一回。ログは空白」


 私はしらせるなの線を胸でなぞり、うなずくだけにする。



 昼過ぎ、ポケットが二度震える。

 【下書き保存】——ふたつ

 【下書き保存】——えらんで


 底に違う拍。保存名が連続で埋まる。

 【保存:白妙しろたえ公園・遊具囲い】

 【保存:観潮かんちょう踏切・南側】


 保護帯の効きが早いのは公園だ。囲いを選ぶ。


 遊具の周りで、紙芝居の輪と、ボール遊びの境界が硬すぎて、子どもの肩がこわばっている。

 触れない。

 私は囲いの角に立ち、手のひらで空中の線をぼかす。

 読み手が視界の端でそれを拾い、「この辺まで輪ね」と手の振りを帯に変える。

 ボール側の保護者がうなずき、ゴム紐を一段外に下げる。

 境界はゆるい帯になり、笑いが戻る。

 震え。

 【下書き保存】——まるく

 【下書き保存】——のこった


 踏切へ回る。赤の終わり、押手の肩が線ぴったりまで詰める。

私は時刻表ガラスの前で顎を半指下げ、視線を白線の内側へ落とす。

 押手が半足だけ引き、安全帯が生まれる。

 人の入りと赤の終わりがぶつからない。

 震え。

 【下書き保存】——まにあう

 【下書き保存】——いきた



 館内に戻ると、寄贈パソコンの黒い画面の隅で“Draft(1)”がふっと灯り、0に戻る。

 触れない。

 机の「メンテ中」札が通路の真上に立ち、視線の逃げがない。

 脇の書見台を足先で半歩だけ引いて、札と通路の間に目の保護帯をつくる。

 通りかかったシステム担当が「あ、安全域ですね」と自分の手で札位置を二指分下げ、電源配列の立ち上がりも広い間を設定、LANの別経路を確実に切る。

 震え。

 【下書き保存】——きる

 【下書き保存】——のこす



 夕方、玲生が手帳を示す。

 「外縁補足。公園、『境界やわらいだ』の投稿。踏切は『足の置き場が分かった』」

 私は頷き、胸の石が少し丸くなる。



 ケトルが鳴る。灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。

 来る。

 私は椅子に座り、膝の上で指を組む。


 25:61。

 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——まもれ

 【下書き保存】——こわすな

 【下書き保存】——さわるな

 【下書き保存】——ひがし/のぼる


 上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。

 【保存:朝島あさじま取水堰・観測桟橋(中央)】


 上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。



 桟橋の中央は、風が斜めに当たり、長柄と網の面が時折はみ出す。

 触れない。

 私は欄干の十字の傷の外側、ボルト列と流れの間に幅を感じる位置に立ち、息で見えない帯を置く。

 片方の職員がその帯に入りすぎないよう受けを浅くし、もう片方が抜けを帯の内で止める。

 作業は鈍くならず、でも壊さない。

 網の手前の草の束がばらばらにほどけ、細い葉は帯に触れず流れへ戻る。

 水の音が低いところで安全に合流した。

 震え。

 【下書き保存】——まもった

 【下書き保存】——いきた


 踵を返す途中、舗装の白い「25-6-1」の**“5”の腹が雨で滲み**、2と6の間に薄い帯ができて見えた。

 私は近寄らず、四つ吸って、六つ吐く。

 読むための線と、壊さないための帯は違う。



 帰宅。テーブルにスマホを置く。青い泡が遅れてひとつ。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——みてた

 【下書き保存】——ありがと

 【下書き保存】——まだ

 【下書き保存】——ごめん


 私はスマホを胸に当て、呼吸を整える。時雨がソファの背で耳を立て、目を細めた。

 ノートを開き、今日をまとめる。


 《主観ログ・第二十四夜》

 ・地下東口:壁から半足の保護帯→「まもられた/よかった」

 ・白妙公園:境界を帯で示す→「まるく/のこった」

 ・踏切南側:白線内側半足の安全域→「まにあう/いきた」

 ・図書館PC:掲示の目の保護帯を確保→「きる/のこす」

 ・堰中央:作業の見えない帯ではみ出し回避→「まもった/いきた」

 ・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/“壊さない余白”を敷く

 ・メッセージ:「まもれ/こわすな/ひがし/のぼる/さわるな」「みてた/ありがと/まだ/ごめん」

 ・仮説更新:**保護帯ガードバンド**は“正しさの外側”。返すとは、正しさを守るために、余白を世界へ返すこと


 灯りを一つ落とし、窓に映る自分の輪郭の外に薄い帯を想像する。

 踏み越えないために。

 それでも、呼吸は自由であるために。


 ——既読が、鳴る。

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