表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ  作者: 東野あさひ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/35

第11話「位相(フェーズ)という整え」

 朝、窓の内側に息を落とす。白い曇りは薄く広がって、跡形もなく消えた。

 昨夜の三行——ありがとう/まだ/ごめん。

 “まだ”の先で、私は越えない線のこちら側に立ち続けると決める。


 ノートに見出しを引く。

 《今日の方針:位相フェーズを整える/触れない/知らせない/視界で返す》

 ——音が同じでも、位相がズレれば干渉が起きる。世界の“息”が重なり合う場所で、私はそろえる側に回る。


 時雨しぐれが窓辺で尾を揺らす。四つ吸って、六つ吐く。胸の拍は静かだ。



 午前の返却ラッシュがおちつくと、影浦玲生かげうら・れおが手帳を掲げる。

 「外縁ログ。夜明け、川沿いの非常灯は正時。区の掲示も安定。商店街の掲示板で『踏切の警報がときどき拍を外す』という噂。……それと、寄贈パソコンの古いメッセージアプリ、切断維持なのに“下書き”が一瞬増えて消える現象がまだ出る。システム担当は『キャッシュのゴースト+時計ズレの併発かも』」


 拍。ズレ。

 私は返却本の帯を整えながら頷く。「主観、体調は普通より少し上。息も深い」


 「距離は保とう。僕は風景だけ拾う」



 児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍だけ震えた。

 【下書き保存】——ずれ

 【下書き保存】——ならせ


 私は“ボイスメモ”を開く。空調の低音、その底にピッ……ピという高音。二拍の間にわずかな揺れ。

 【保存:観潮かんちょう踏切 南側】


 バックヤードで「掲示の紙、切らしてて」とだけ告げると、玲生が「外縁了解」と目で返す。



 観潮踏切は、昼前の光で銀色に乾いていた。

 赤い警報灯の点滅の間が、ほんの少し長短する。遮断機は正常に動くが、歩行者の足の出が揃わない。

 触れない。

 私は線路の向こうにある時刻表のガラスの前に立ち、反射の端に自分の小さな影を入れる。

 通りかかった駅員が、反射ごしにこちらを見て、警報灯→制御盤の監視窓→周囲の日差しへと視線を滑らせる。

 「……光が当たりすぎて視覚の拍だけズレて見えるな。日除け出す」

 駅員が日除け板を自分の手で半段降ろす。

 赤の点滅と人の足の出が合う。

 震え。

 【下書き保存】——そろった

 【下書き保存】——よかった



 図書館に戻ると、玲生が地図に透明付箋を足した。

「外縁。踏切、日除け調整の記録あり。SNSの“うるさい”投稿が減少。……それと、寄贈パソコンのゴーストは午前中に三回。ログは残らない」


 胸の裏で薄い氷が鳴る。ミラーの残影。私はしらせるなの線をなぞり、うなずくだけにする。



 昼過ぎ、ポケットが二度震えた。

 【下書き保存】——ふたつ

 【下書き保存】——えらんで


 ボイスメモの底に異なるテンポの拍。保存名が連続で埋まる。

 【保存:白妙しろたえ公園 ベンチ側】

 【保存:潮見しおみポンプ場 柵外】


 どちらも“節”。位相を合わせやすいのは、人の声が集まる公園だ。

 白妙公園では、読み聞かせの輪が二つ、少し重なってできていた。声がぶつかり、子どもたちの視線が散る。

 触れない。

 私は二つの輪の中間から半歩外に立ち、息を合わせる。四つ吸って、六つ吐く。

 わずかに声を落とすタイミングで、片方のボランティアが目を上げ、絵本を一頁ゆっくりにする。

 輪がずれを解消して、交代の拍が生まれる。

 震え。

 【下書き保存】——かわった

 【下書き保存】——のこった


 元の音が残った。



 夕方、商店街の角。古いレコード店のウィンドウで、開店時刻の札が「OPEN」に傾きかけ、裏の「CLOSED」が覗く。

 私はガラスに触れない。

 代わりに、ウィンドウの端に身体を寄せ、映り込みの角度を変える。

 店主が自分の影に気づき、札を自分の手で真っ直ぐに直す。BGMの拍が落ち着く。

 震え。

 【下書き保存】——まっすぐ

 【下書き保存】——いきた



 図書館へ戻る廊下の角で、寄贈パソコンの画面が一瞬だけ明るむ。“Draft(1)”が数秒出て、0に戻る。

 触れない。

 私は机の端に置かれた「メンテ中」の札が低すぎるのを見て、近くの書見台を足先で寄せ、札が視線の高さに来るよう支える。

 通りかかったシステム担当が「あ、これで」と自分の手でメンテ画面を完全停止に切り替え、コンセントを抜く。

 震え。

 【下書き保存】——きる

 【下書き保存】——のこす


 “切る”のは真似の連鎖。“残す”のはここで読む声。



 夕餉の前、部屋の灯りが一瞬だけ明滅する。

 時雨がソファの背で耳を立てる。

 来る。

 私は椅子に座り、膝の上で指を組む。


 25:61。

 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——ならせ

【下書き保存】——ひがし

【下書き保存】——のぼる

【下書き保存】——さわるな


 上流へ。

 私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。

 【保存:朝島あさじま取水堰 上流側】


 上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。



 取水堰の上流。水の白が夜に溶ける。

 巡回の職員が交代らしく、二人が別のテンポで歩み、互いの声がずれる。

 私は手すりに触れない。

 対岸の柵に取り付けられた反射標識へ、スマホのライトを空経由で一瞬だけ返す。

 わずかな光が、二人の合図のタイミングにひと拍の合流を作る。

 長柄の道具、足場、声。拍が揃う。

 吸い込み口の網に寄りかけた小枝が浮かされ、外へ。

 水の音が整う。

 震え。

 【下書き保存】——そろった

 【下書き保存】——いきた


 帰りかけたとき、堰の脇の舗装に古いマーキングが浮かんでいるのに気づく。

 白い数字。25:61に見えて、実際は「25-6-1」の工区印。

 喉がひやりとする。

 私は近づかない。ただ、視線をそこへ落とし、四つ吸って六つ吐く。

 元の音へ、気持ちを合わせるだけ。



 帰宅すると、青い泡が遅れてひとつ。

 既読:蒼真

 【下書き保存】——みてた

 【下書き保存】——なおした

 【下書き保存】——ごめん


 私はスマホを胸に当て、目を閉じる。

 “ごめん”の相手は、いまだ分からない。私か、世界か、彼か。

 それでも、直った拍がここにある。


 ノートを開き、今日のページを埋める。


 《主観ログ・第十一夜》

 ・踏切:日除けを視界で示唆→視覚の拍が整う→「そろった」

 ・公園:二つの輪の交代の拍を作る→「かわった/のこった」

 ・商店街:札の位相を正す→「まっすぐ/いきた」

 ・図書館PC:真似の連鎖を視線の高さで切る→「きる/のこす」

 ・堰:合図の拍を合流させる→「そろった/いきた」

 ・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/位相をそろえる

 ・メッセージ:「ならせ/ひがし/のぼる/さわるな」「みてた/なおした/ごめん」

 ・仮説更新:位相フェーズは秤の静けさ。返すとは、拍を世界へ返すこと


 ペン先が止まる。

 時雨がソファの背で耳を立て、ゆっくり目を細めた。

 私は四つ吸って、六つ吐く。

 重ねすぎない。増幅しない。位相だけを整える。

 それが、こちら側の線で私に許された仕事だ。


 灯りを一つ落とす。

 遠い踏切が一度だけ鳴り、すぐに正しい間で静まった。


 ——既読が、鳴る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ