9 あなたって本当に馬鹿ですのね
イボンヌが監獄で自分の顔を掻きむしっているころ、違法な山岳ルートで、アルトラに入り込んだひとりの男がいた。
ジョフロワ。
王太子だったころよりも、頬はこけ、日に焼け、飛び出た目はギラギラと光っている。
ルシエルで革命が起こったとき、ジョフロワは一目散に逃げだした。運命と民衆の怒りを受け入れ、自分の首を差し出した父を置いて。
王都から逃げ、ルシエル国内や諸外国に散らばった親戚やかつての部下をたどって援助を求めるも、ジョフロワを温かく迎えてくれるところはなかった。
「そもそもジョフロワがエレオノーラをつなぎとめていれば、ルシエルの財政は維持でき、革命など起こらなかった」というのが、貴族たちの見立てだからだ。
革命政府は領主制の解体を標榜しているから、いずれ自分たちは今までのように土地を支配できなくなる。自分たちの既得権益を危機にさらした張本人を、丁重にもてなすつもりになれないのは当然だろう。
冷遇されては場所を変えて逃げ続ける生活、ジョフロワの中でエレオノーラへの恨みが大きくなっていく。
(あの女のせいで…あの女のせいで俺は国も父も失った…!あいつが俺を馬鹿にし続けて、簡単に俺から離れるから…!!)
ルシエル王族の末裔だという地主の家の倉庫で火にあたりながら、炎のゆらめきを見つめる。炎の中に、燃え盛る王宮が…自分の家が見える。
「そうだ、エレオノーラにも同じ思いを味合わせてやればいい。あいつがいる場所も燃やしてやり、王妃でなくしてやればいいんだ。そうすれば、俺の苦しみが少しはわかるだろう」
新しい目標ができ、「ここを出る」とジョフロワが告げると、地主はほっとした顔をして、少しばかりの食料と金を持たせてくれた。
「アルトラまで行くというのに、餞別がこれっぽっちか」
「このご時世、うちにも余裕はございません」
「ちっ…」
道中、盗みを働いたり詐欺まがいのことをしたりしながら、ジョフロワはアルトラまでやってきた。
(ついに来た…!ここでも革命を起こしてやる…!!)
しかし革命というものは、支配層への不満が溜まり溜まって、爆発するように起こるものである。
扇動しようにも、そもそもの不満が溜まっていない限りは、何もない場所で扇を動かしているだけになる。穴を開けて破裂させるための風船もなければ、火をつけるための導火線もない。
アルトラの民衆は、ヴィルジールとエレオノーラによる善政によって、自らの才能を活かす機会に恵まれ、富み、満ち足りており、革命の機運など、ジョフロワがどこを探してもなかった。
革命家を装うジョフロワが王侯貴族への不満を聞き出そうとしても、ヴィルジールやエレオノーラへの称賛しか聞こえてこない。
たまに不満があっても、「王立図書館で人気の本を借りるまでに時間がかかる」「日曜日は閉まっている病院が多くて、休日診療所まで行く必要がある」など小さいものばかりだった。
ーーー
上記が、私がセヴランから聞いた、ジョフロワがアルトラに来るまでと、来てから今日までの経緯。
「とことん馬鹿ねぇ」
(満ち足りた国で王政打倒なんて起こりようがないのよ)
「イボンヌの件が片付いたと思ったら…まだ苦労をかけるわね、セヴラン。あなたをなかなかレーヌに返してあげられないわ」
「いえ、主君を守るのが私の役目ですので」
「革命扇動ができないとして、ジョフロワはこのまま諦めるかしら」
「主君を害することに取りつかれているように見えますので、難しいかと。直接的に襲ってくることも考えられます」
「ではお膳立てをしてあげましょうか」
私の計画を聞いたセヴランは、猛反対した。
「自分を囮にしてジョフロワに襲わせようとするなんて、危険すぎます。主君ひとりの身体ではないのですよ」
「私も反対だ!」と、セヴランから連絡を受けて飛んできたヴィルジールも声を張り上げる。
「どうか危険なことはしないでくれ、エリー。なぜわざわざ自分を囮にする必要がある。居場所もわかっているのだし、ジョフロワを捕えればいいだけじゃないか」
「今、ジョフロワを捕らえる理由がありません。彼は革命を扇動できず、何もしていないのですから。彼の罪を公的に罰したいのです。私怨にしたくはありません」
「…ならば、君を害そうと計画した時点で罪だ。実行させる必要はない」
「…そうですわね」
「でしたら私にお任せを」とセヴランは下がっていった。
私の護衛騎士だったセヴランから印章入りの手紙を受け取ったジョフロワは、意気揚々と、私たちが待ち受ける薄暗い廃屋にやってきた。
セヴランは自分の恋心を踏みにじってヴィルジールと結婚した私を恨んでいると言い、私は胸の痛みを感じて「別の理由にできなかったのかしら」と額に手をやった。
それはさておき、ジョフロワはセヴランの「エレオノーラ暗殺計画」に快く乗る。
「では、いいですね?私たちの目的を、あなたの口から、ここで、高らかに宣言願います」
「エレオノーラを殺すぞ!エレオノーラを殺すぞ!エレオノーラを殺すぞぉおおおお!!」
(はい、犯罪成立です)
「本当に、あなたって救いようがありませんのね」
私はヴィルジールが持つ蝋燭の炎に先導されて、ジョフロワの前に立った。
「エレオノーラ!なぜ…っ、ここに…っ!セヴラン、騙したのか!?」
ジョフロワは腰に手をやるも、剣はすでにセヴランは没収している。
「お前は、どこまでも俺を馬鹿にして…っ!いつも俺の上にいて…っ」
私は、うすうす気づいていた彼の本音を、初めて聞いた気がする。
私に対する圧倒的な劣等感。
「私があなたより上の立場にいたのは、私のせいでもあなたのせいでもありませんわ。私は大領主レーヌ公で、あなたは脆弱な王権しかもたない王家に生まれた王太子。それこそ『運命』でしょう、あなたのお好きな」
ジョフロワのかさついた唇はブルブルと震える。
「だがお前は、いつもいつもいつも、俺を馬鹿にした…っ!俺が気づいていないとでも思っていたのか!」
「馬鹿にしていたのは、あなたに能力がなかったからではなく、あなたが良いほうに変わろうとしなかったからです」
未来の国王夫妻として、一緒に帝王学やマナーの授業を受けていたとき。
一緒に公務に臨んだとき。
パーティーで私に言い返されて顔を真っ赤にしたとき。
そして、セヴランに私の暗殺を提案されたとき。
変わろうと思えば、いくらでも変わるチャンスはあった。
(私はジョフロワと結婚することに絶望はしたけれど、彼を見捨てはしなかった。いつも隣で、気づきを与えようとしたのに…)
「俺は、ありのままの俺を認めてほしかっただけだ…だからイボンヌを…」
「国を率いる自覚もない、婚約者への敬愛もない、だけど変わるつもりもない。そんな男をどうやって認めろと?」
ああ、私も初めて彼に本音をぶつけた気がする。
(ありのまま、何もしないで愛されるなんて都合が良すぎる。異世界転生したチートヒロインにしか認められないわ。現実世界でそんなのありえない)
「存在するだけで可愛がられるのは、子どもだけよ!人間は、いつまでも子どもではいられないわ」
ジョフロワは崩れ落ち、セヴランが彼の手首に縄をかけた。
彼は一生、アルトラの監獄から出られない。