8 あなたの可愛いは賞味期限切れでしてよ
「あの女が、まだ笑っていられるなんて…人々からこんなに崇められているなんて許せない…!」
イボンヌは薄汚れたローブをまとい、ぶつぶつ言いながらアルトラの王都を歩いていた。
イボンヌはエレオノーラが流したデマをきっかけに、ジョフロワとピアニストと騎士とで三股をかけていたことが発覚。
ジョフロワは激怒してイボンヌを「厳しい生活でお馴染み」の修道院に放り込み、イボンヌはそこの生活に変えきれず…そもそも耐えるつもりもなかったし…脱走した。
修道院を脱走して、ようやくたどり着いたアルトラ。
そこでイボンヌを待っていたのは、「圧倒的な勝者であるエレオノーラ」だった。
街の広場には、国王ヴィルジールと王妃エレオノーラが手を取り合う銅像。
本屋の店頭には、《エレオノーラ様特集号》と銘打たれた雑誌が山積み。
「アルトラ中興の祖 エレオノーラ様の横顔」
「聖地巡礼 エレオノーラ様の故郷・レーヌ公爵領を歩く」
「エレオノーラ様が着用して完売御礼 アルトラ発ブランド10選」
「来る!上がる! エレオノーラ様関連銘柄大特集」
目につくものすべてが、彼女を讃え、彼女に憧れていた。
「絶対に許せない!私が…私のほうが…!!」
そんなときに聞こえてきた声。
「国王陛下の視察、今度は1週間後にアルトラ王立病院だってよ。患者の声を聞いて、運営に反映するらしいや」
「じゃあ病院に行けば陛下に会えるってことだね?エレオノーラ様もいらっしゃるのかしら」
「いや、それがエレオノーラ様は今回不参加らしい。2週間ほど前から公務不参加が続いているらしいが…」
イボンヌはニヤリと笑った。
(公務不参加が続いてる…つまり不仲の証ね!そこへ私があらわれたら…きっと国王は私の可愛らしさの虜になるはずよ)
イボンヌは髪を撫でつけ、唯一の武器「可愛さ」で勝負しようと決意する。
ピンクの髪、赤い目。王太子たるジョフロワを虜にしただけではなく、多くの男たちの視線を集めてきた自分。
(可愛いが正義なのよ)
視察当日、病院を見て回るヴィルジールの前に、イボンヌが表れた。騎士が止めようとするのを、ヴィルジールが制す。
「ヴィルジール様。お久しゅうございます。私のこと、覚えていらっしゃいますよね?」
ヴィルジールの紫の瞳が、すっと細められた。
「イボンヌ嬢かい?もちろん覚えているよ」
(この目、この反応…ジョフロワが私を見ていた目と同じ…勝ったわ…勝った!やっぱり私はエレオノーラより可愛いもの!)
イボンヌがニヤニヤと笑う様子を見て、騎士は危険を感じてヴィルジールを下がらせようとする。ヴィルジールは小声で「大丈夫だ」と告げた。
「ヴィルジール様、エレオノーラとの仲が冷え切っていることとお察しいたしますわ。あの女の性悪ぶりに気付かれたのでしょう?けれど大丈夫。私なら、ヴィルジール様をお慰めできます」
ヴィルジールは呼吸を整え、静かに返す。
「君は神が私につかわした天使なのか?ぜひ君に城を与えたいのだが…」
「ええ、ええ!」
「私は仕事があるから後で行こう。先にひとりで行って待っていてくれ」と馬車に乗せられると、向かいにはひとりの男が座っていた。
イボンヌは茶髪の彼に見覚えがあるような気がするが、誰かは思い出せない。
「君のための護衛騎士だよ、イボンヌ」
そうヴィルジールに言われて、難なく納得した。
「着きました」
護衛に促されて馬車を降りると、そこは廃城のような場所だった。暗く、人気もない。
「これが私の城!?納得できないわ!」
そう叫ぶと、ぐいと肩を掴まれて前に押し出される。
「歩け」
「こんなことしていいと思ってるの!?私は国王の愛人よ!」
「言ってろ」
イボンヌは重い扉の先にある監獄に放り込まれる。
「なに…なによこれ!私を誰だと思ってるの!こんなことして、あんたヴィルジール殿下に殺されるわよ!」
ーーー
そこまでが、私が報告を受けた、イボンヌが監獄に入るまでのいきさつ。
「監視ご苦労様。でもレーヌを留守にしてよかったの?」
「私の代わりはいくらでもおりますし、身重の主君に万一のことがあっては困りますから」
「あなたの代わりはいないわよ、セヴラン。あなたはレーヌにとって最高の騎士だもの」
「光栄です」
私は修道院に入ったイボンヌをずっと監視させていた。彼女が大人しくしているとは思えなかったからだ。
彼女が脱走してアルトラ方面へ向かったと聞いたセヴランは、即座に私とヴィルジールに報告するとともに、レーヌを離れてイボンヌを追ったのだった。
「それで…会いに行くのですか?」
「もちろんよ。わざわざ会いに来てくれた古い知り合いには、挨拶しないとね」
王都郊外にあり、何年か前に最後の囚人が亡くなってからは、監獄としてももう使われていない廃城。
「イボンヌ・ステラード、お久しぶりね」
「エレオノーラ…!」
私と私の少し後ろに立つセヴランをセットで見て、イボンヌは自分をここに連れてきた男が、私の騎士だったセヴランだと思い出したようだ。
「そういうこと…?エレオノーラ、あんた…ヴィルジール様を私に奪われたと知って、自分の騎士を送り込んで、私をここに拉致したのね?ほんとに性悪…そもそもあんたのせいで私がどれだけ苦労したか…!」
「身から出た錆でしょう」
「荒唐無稽で、正気とは思えないな」とため息をつきながら、ヴィルジールも監獄の階段を下りてくる。そして私の隣に立って、「遅くなってすまない、エリ―」と額にキスをくれた。
「どうしてっ…!?ヴィルジール様、さっきは私のこと天使だって…!!」
「エリーとセヴランに言われてついた嘘だが、吐き気がしたよ」
「騙したの…?どうして?私のほうが可愛いのに…私が…」
私はそっと彼女に鏡を差し出す。
修道院での過酷な労働と粗食により、イボンヌの髪はパサパサに乾き、肌にはシワが刻まれている。ジョフロワが夢中になった可愛らしさは跡形もない。
(修道院に送られた悪役令嬢が美しさを保ったままなんて、フィクションでしかありえないのよね)
「違う、私はこんなんじゃない!私はもっと可愛い!!私は天使なの…私は…みんな私は可愛いって…違う!違う違う違う!!」
イボンヌはハッと私の顔を見た。
ララとアルトラの侍女たちに過剰なほど手入れされ、聡明で優秀な国王に愛され、国民に称えられて輝く私の顔を。
次の瞬間、イボンヌは鏡を叩き割って、自分の顔を切った。血が飛び散り、傷が増えていく。
「行こう、エリー。お腹の子にこんな光景を見せたくない」
「ええ」
イボンヌは「妊娠?赤ちゃん?」と繰り返している。彼女は私が「母としての幸せ」をも手に入れたことを知った。
その事実を彼女に知らせるのは、少し残酷過ぎたかもしれない。
「違う…私が…私のはずなの…他の子とは違うの…とびきり可愛いの…ジョフロワだって、エレオノーラは可愛くなくて私は可愛いって…」
街を歩けば誰もが自分を振り返り、王太子に愛された過去。幸せだった過去に逃げながら、イボンヌは正気を完全に手放した。
彼女がこちら側に戻ってくることは、もうないだろう。