5 寝取り女による嫌がらせは杜撰ですわ
「エレオノーラ、頼むからジョフロワとの婚約は継続してくれ。何でもするから」
王宮内の私室でひたすら頭を下げる国王を、私は憐れに思っていた。
国王はわかっているのだろう。私がジョフロワから去った後、この国がどうなるのかを。
私もわかっている。わかっていながら母国を去ろうとしているのだから、残酷だ。
「ジョフロワにも散々言い聞かせた。これからも言い聞かせ続けるから」
私はチラリとジョフロワに目をやる。
彼は借りてきた猫のようにおとなしいが、私と目を合わせようとはしない。
「目も合わせていただけないようですけれど。まるで誠意を感じられません。陛下のご存命中はいいでしょうが、そのあとはどうなるか…」
ジョフロワがパッと顔を上げた。
「父上が…国王陛下が亡くなった後の話をするなんて!」
「誰のせいだと思っているのですか。自分の次があなただから、陛下はこんなにも思い悩まれているのですよ」
「その通りだ」と国王はため息をついた。
「今の言いようからもおわかりでしょう、国王陛下。王太子殿下は口でどう言おうとも、私との婚約破棄を望んでおられます」
「いや頼む、エレオノーラ。君がいなくなったら…レーヌ公爵領がなくなったら、この国は終わりだ」
予想していたことだけれど、話し合いは平行線で、婚約破棄の手続きは一向に進まない。
私には奥の手があるから悠然と構えて居られるが、イボンヌは身動きが取れずイライラしているはずだ。
(異世界転生モノであれば、イボンヌはここで何か動いてくるはず。そうすれば、彼女にもおしおきをしてから、気持ちよくこことさよならできる)
ーーー
「いい知らせを待っている」という言葉を残して、ヴィルジールはアルトラに帰っていった。
ここを去ってからも、彼は毎日手紙を書いてくれた。
(こんなにマメにしなくてもいいのに)
そう思いつつも、忙しいはずのヴィルジールに気遣われるのは嬉しい。
彼が私を妃にと望む理由は、私がもつレーヌ公としての軍事力・財力・権力を、アルトラのために使いたいからだろう。
純粋な恋愛感情でないとわかってはいても、尊重してもらえることは嬉しかった。
その日もヴィルジールからの手紙を私に手渡したセヴランが、「よくない噂がある」と私に耳打ちした。
「主君とアルトラの国王陛下が肉体関係を結んだ、と噂になっています。発信源はイボンヌです」
(ああ…そういう系?あの頭じゃ、そういうことしか思いつかないのね)
私はふふっと笑う。
「笑っている場合ですか?」
「ええ。まだ誰とも結婚していないから姦通罪は成立しないし、大丈夫よ」
私は立ち上がった。
「じゃ、しっぺ返しとまいりましょう。わかるわね?」
「ええ」
「ヴィルとの噂の件で国王陛下に呼ばれているから、その日に合わせてくれたら嬉しいわ」
「承知しました」
セヴランが手早く餌をまくと、タイミングよく偽りの果実が実った。
私はその果実を携えて、国王に事情を説明しにいく。
「エレオノーラ、アルトラ国王との噂は本当なのか?ジョフロワと婚約破棄したいばかりに、軽はずみな行動に出たのではあるまいな。そんなことであれば、死んだお前の父に合わせる顔がない」
「大丈夫です。ジョフロワ殿下と婚約破棄したいのも、アルトラの国王陛下と恋人であることも事実ですが、ヴィルと私は清い関係ですわ。いくら殿下と婚約破棄したくても、名誉を貶められることは望みません」
国王の横にいるジョフロワが、「証明できる術はあるのか?」と意地悪そうに聞く。
「だって国王陛下は生きていらっしゃるじゃありませんか。私が悪い噂が流れるようなことをしたとして、相手を生かしておくとお思い?」
「なっ…」
「私はそんな間抜けではありませんわ。あなたとは違いますのよ」
ジョフロワは気圧され、国王は「そうだな」と頷いた。
「エレオノーラなら、そうするだろう」
噂を一蹴した私は、ジョフロワに向き直る。
「そういえば、今日の大衆紙に面白い記事が載っていましたので、お持ちしましたの」
「俺は大衆紙のような下品なものは読まないっ」
「あら、そうですの?けれど読んだほうがよろしくてよ」
「ほら」と【衝撃の事実!王太子の恋人、実は複数男性との関係歴あり】という見出しを突きつけると、ジョフロワの顔が紙のように真っ白になる。
「な、なんだ、これは!?」
彼は大衆紙を私からひったくり、ギラギラと光る目で読み始めた。
「イボンヌが…俺以外の男と…?二人で行った王立劇場の支配人…俺が彼女につけてやったピアノ教師…」
ジョフロワは記事を読みながらぶつぶつ言い、記事を2~3周読んでから叫んだ。
「証拠は…証拠はないっ!」
「そうですわね」
「お前が…っ、お前がイボンヌを貶めるために嘘の情報を流したんだろう!」
「さあ、どうでしょうか…それも証拠がありませんわね。ただ、私は自分を貶めるような噂を流した者を許すほど寛容ではない、とは申し上げておきますわ」
「こんなことをして、イボンヌがどんな目に合うと思っているんだ…」
「私と同じような目に合うのではないでしょうか。でも大丈夫でしょう?嘘であれば私のように、嘘であると証明すれば済む話です」
「絶対にお前とは結婚しない!」と吐き捨てて、ジョフロワは去った。
「エレオノーラ…」
私は国王に向き直って、「一件落着しましたので、これにて失礼いたします」と、静かに礼をする。
「この国を…見捨てるのか」
「ええ。私が守るべきはこの国ではなくレーヌですから」
「アルトラへ行くのか?小さな国だぞ。ここよりもずっと」
「わかっています。けれど伸びしろがありますわ。ヴィルが国王で、私が王妃になるのですから」
イボンヌへのしっぺ返しも終わった。新聞社に流した情報はデマだが、あの女のことだ。掘ればひとつくらい、人々が好きそうなゴシップもあるだろう。喧嘩を売った相手が悪かったと後悔すればいい。
その足で私は教会に向かい、従兄妹同士の近親婚であることを理由にジョフロワとの婚約破棄を申し立て、受理された。
「あえて簡単な方法を選択しなかった分、時間がかかったわ」
「しかしやりたいことはできたのでしょう?」というセヴランに、私は微笑む。
「ええ、助けてくれてありがとう。これで思い残すことなくアルトラに行けるわ。ジョフロワとイボンヌのことは…頼んだわよ」
「わかりました」