第一話
短編ホラー
山根「何か飲む? 奢るよ」
山根がそう言ったのは、とある豪華客船の廊下だった。
俺たちは旅の退屈を紛らわすように船内をぶらついていて、自販機の前で立ち止まった彼が、何気なく話しかけてきた。
小島「マジ? じゃあコーヒーくれ」
山根「あいよ」
チャリン――ピッ――ガコン。
山根が取り出し口のカバーを開け、缶コーヒーを取ろうと手を突っ込む。
だが、すぐに眉をしかめて言った。
山根「あれ?」
小島「どした?」
山根「……手が、抜けない」
小島「は?」
意味がわからなかった。
ふざけてるのかと思った。
小島「ふざけてんのか?」
山根「違う。……誰かに、掴まれてるみたいだ」
顔は真剣だった。
山根は腕を引き抜こうとするが…。
山根「うわあぁぁぁぁぁ!!??」
叫びと同時に、自販機の取り出し口がぐにゃりと歪んだかと思うと、山根の腕がずるずると吸い込まれていった。
小島「なんだ!??」
山根「小島君! 助けてくれ!!」
俺が思考する間もなく、彼は腰、胸、肩……そして頭までもが取り込まれ、最後には足だけをばたつかせた末、完全に消えた。
俺は突然の出来事に、何もする事が出来なかった。
――ボトンッ
何かが取り出し口に落ちてきた音がした。あっけに取られていた俺はその音を聞いてハッとした。
反射的に取り出し口を覗き込む。
……山根の、手だった。
取り出し口の中に、手首から先が切断された状態で転がり、血が滴っている。
俺は悟った――山根は、死んだ。
バコンッ!!
突然、自販機の取り出し口が内側から爆ぜるように破裂し、カバーが吹き飛ぶ。
俺は尻もちをついた。金属音が脳髄にこだまする。
ゆっくりと、取り出し口から這い出してくる"それ"。
紫の髪。紫のワンピース。笑っているのに寒気がする、細めの目。
全身が血にまみれた、異様な女――その手には槍のようなものを持っている。
山根を殺したのは、こいつだ。
その瞬間、思考よりも先に身体が動いた。
俺は逃げた。
生きたい――ただ、それだけだった。
背後の足音は軽やかで、フリルをひらめかせて追ってくる。
豪華客船の内装はどこもかしこも血まみれだった。
すでに、他にも犠牲者がいるのだろう。
俺は走った。死にたくなかった。
エレベーターが見えた。
動作ランプは点いている――そしてタイミングよくこの階に止まっている。
ボタンを押す。扉が開く。
――中に、死体。
その男は、胸ポケットの携帯に手を伸ばした姿のまま、口を開けて倒れていた。
助けを求めようとしたのだろう。届かなかった希望が凍りついたようだった。
立ちすくむ俺の視界に、あの女の姿が映る。
うっすらとした笑顔で歩いてくる。
再び逃げ出す。
宿泊室の扉を見つけた。入る。鍵をかける余裕などなかった。
――隠れねば。
クローゼット? いや、すぐにばれそうだ。
バスルーム? 逃げ道がない。
……ベッドの下。
俺はうつ伏せになり、身を潜めた。
身を隠し終えた直後、ドアが軋む音。
紫の女が、部屋に入ってきた。
バスルームを覗いて誰も居ないのを確認した後、クローゼットに目を付けたようだ。
静かに槍のような武器を構え、狂ったように突き立て始めた。
ザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザク――
笑っている。確かに笑っているのに、空気が冷たい。
小島(やり過ぎだろ……)
ズバァンッ!!
最後の一振りでクローゼットは真っ二つに裂けた。
中に何もないと確認した女は、あたりを見渡す。
ベッドには、気づいていない
――そう、思ったその時。
ズドンッ
腹に、妙な圧迫感。
痛みはない。ただ、温かい液体の感触だけが伝わる。
見下ろすと、俺の腹に紫の槍が突き刺さっていた。
ベッドごと、上から貫かれたのだ。
……やられた。
視界が暗くなる中、顔を上げる。
目の前に、あの女の顔があった。
冷たい笑顔、細い目。わずかに、唇が吊り上がっている。
意識を失った。
気がつくと、俺は自室の布団の上にいた。
夢オチかよw