没落貴族は婚約を破棄したい!
――俺の家が没落した。
今になって考えてみれば当然だろう。
俺の両親はいわゆる悪徳貴族というものだった。領民を苦しめる重税の数々、贅沢三昧借金三昧での散財、領地の整備などする訳もない。
端的に言うなら無能だった。
領地に暮らしていた住人たちは不満が募り、不信感は最高潮。国に払うべき金も払わず散財。
領民たちに反旗を翻されるのは時間の問題で、国から貴族としての最低限の仕事も出来ないのなら『爵位』を剥奪するというお達しと共に、領民の堪忍袋が爆発。
夜な夜な逃げる準備を整えていた俺の両親は蒸発し、結果的に家は取り潰しとなってしまった。
そうして、俺の家は没落すべくして没落したのだ。
「ふぅ……これで俺も、貴族じゃ無くなるのか……」
かくいう俺は貴族という役柄に執着があったかと聞かれれば、即断即決でノーと言える。
あんな無能で低脳の塊のような両親を見て育って来たのだ。貴族という地位に胡座をかいて、ぶくぶくと欲望と贅肉で肥え太った豚のようにはなりたくない。
俺からすれば貴族という地位でいなくて良くなった事はとても喜ばしい事なのだ。
ただ一点を除けば……だが。
「あの豚ども……どれだけ借金してやがった……」
俺の手元にあるのは一枚の借用書。
そこに書かれてる金額は0がなんと十桁もある。
いやいやいや! は? なんだこの金額……。いくらなんでも金遣いが荒すぎるだろ! しかも、これはとある貴族から借りてきた金だ。これを払えなければ、俺の未来は無いも同然。
「ふざけやがって……! なんでこんなになるまで借金しやがったんだ! 折角、重苦しい貴族の生活とおさらば出来たと思えば、次はアイツらの尻拭いかよ!」
イライラして仕方がない。
次、アイツらの顔を見たとき。多分、俺は出会い頭に首を刎ねているだろうな。ていうか、あの腐った首二つ揃えても到底返せる金額じゃない。
「ハァァ……どうしたもんかなぁ……」
この借金は絶対に返さなくてはならない。
俺が貴族と無縁の生活を今後も送り続けたいのなら絶対に、だ!
とはいえ、俺にできる事と言ってもなぁ……。
「なら、私が肩代わりしてあげましょうか? シエル様?」
聞き覚えのある声に後ろを振り向けば、そこには炎のようなウェーブの掛かった真紅の長髪と、意志の強さを表すかのような紅蓮の瞳を持った美少女が立っていた。
誰もが見惚れるような美しさだ。だが、生憎俺は彼女の美しさに見惚れる事はなく、逆に彼女の顔を見て心底どんよりとした気持ちになってしまった。
「…………アンジェか」
「あら、愛しの婚約者に対してそんな怪訝な表情をされるなんて。少し酷いのではありませんか?」
「別に、良いだろ……」
どうやら俺の感情が顔に出ていたらしい。
アンジェは目を細め、高慢な悪女のような微笑を浮かべている。
彼女の名前はアンジェリカ・エル・グラステリア。
グラステリア伯爵家の御令嬢だ。年齢は俺と同じで現在十四歳。しかし、その年齢に見合わない美貌と頭脳のおかげか、各方面の貴族から猛烈アタックを受けている超エリートだ。
そして、彼女は俺の『婚約者』でもあり、豚どもが借金をしていた『とある貴族』の娘である。
俺の家はグラステリア伯爵家とはまるで格の違う男爵家だった。
田舎貴族という程ではないにしろ、辺境の地の一画を統治する貴族ではあった。だが、伯爵家が統治する範囲は段違いであり、地方都市を統治する事を許された家系であり、その影響力は絶大だ。
ではなぜ、ただの男爵家が伯爵家の令嬢と婚約できたのか。これがまるで分からない。
聞いたところによると、その昔グラステリア家の嫡男が乗っていた馬車が野盗に襲われた際に、俺のご先祖様が助けに入ったらしい。それに感謝した当時のグラステリア伯爵がご先祖様と懇意にしていたらしい。
それ以来、グラステリア伯爵家と俺の家――エルネイス男爵家の交流は続いている。この交流のなかで、俺と同い年であるアンジェとの婚約が知らぬ間に済まされていたという話だ。
「それで? それだけの金額をあなた一人で払うのはとても難しいのではなくて? 良い加減、私との結婚を決心する時だと思うのですけど?」
「断る。俺はお前とだけは結婚しない。それに、俺の家は没落したんだ。婚約だって破棄になるだろう?」
「あら、それは心配ありませんよ。私がお父様に頼み込めば、たとえ相手が異国の旅人だろうとお認めになるしかありませんもの」
「それでも断る。俺は貴族なんて真っ平ごめんだ。お前との婚約は破棄させてもらう」
俺はきっぱりとアンジェの提案を断った。
そう。俺はアンジェとは結婚しないと心に決めていた。折角、貴族という地位を返上できたんだ。ここでアンジェと結婚して、貴族に――それも更に高い『伯爵家』入りなんて余計に嫌だ。
婚約だってあの豚どもが勝手に持ち出してきた話であって、俺はそれを拒んでいたのだ。それでも結局、地位に執着していたあの二人は俺の我儘など許すはずもなく。結局、婚約は破棄できずじまい。
だが、今俺の悲願がようやっと果たされようとしている。こんなに嬉しいことはない。
「それこそお断りします。私は存外、シエル様の事を気に入っているのですよ?」
「……っ!?」
蠱惑的に笑うアンジェに少しドキリとしてしまう。
美少女――そんな言葉が霞んでしまうほどの美貌を持つ彼女に微笑みかけられれば、誰だって心臓の一つや二つ高鳴らせるだろう。
「ですから、婚約は破棄しません。大体、借金を返すアテだってないのでしょう? でしたら、やはり伯爵家という力も財産も持っている私と結婚するのが得策だと思うんです」
アンジェの言う通りだ。
俺もこの借金をどう返すべきか思い悩んでいた。普通にそこら辺の飲食店や工事現場で一生涯掛けて働いても返せる金額ではない。
そうなれば俺に待つのは『貴族に婿入りする』という最も想像したくない末路だ。
こうなれば、取れるのは一つだけだな。
「…………冒険者になるか」
「正気、ですか……?」
冒険者。この世界に存在する無数の迷宮を駆け巡り、迷宮内にある遺物を持ち帰ることで生計を立てている者たちの通称だ。
聞くところによれば、上位の冒険者になると生活に困らないくらいの金額を一度に稼ぐ事もあるらしい。ただ、冒険者という職業は常に危険と隣合わせの職業だ。
迷宮内にはトラップもあるし、危険なモンスターも暮らしている。遊び感覚で冒険者になって、骨になって戻ってきた貴族も大勢いると伝え聞いている。
だがそれを差し引いても、人生一発逆転を狙って冒険者になる人間は跡を絶たない。
それだけ夢のある職業ということだ。
――なら、俺も人生一発逆転に賭けて、冒険者になってしまえば良いのでは?
そう考えた次第である。それに、元々冒険者にはなってみたいと思っていた。
アンジェは俺の言い出したことがあまりにも突飛すぎたのか、どこか引き攣った表情をしているが、俺はもう心を決めたぞ。
「俺は冒険者になる。そして、あの二人が残していった借金も完済して、お前との婚約も破棄するからな!」
「え……?」
俺はアンジェに向けてそう宣言してみせた。
そうと決まれば早速ここを出よう。持っていく荷物は全て火の中だ。旅に出るくらいの路銀は持っている。俺は茫然自失となっているアンジェを尻目に、すぐに馬車を探しに走った。
目的地は『冒険者の都』――《ルクセーヌ》。
王都の真東に数キロ行った先にある大都市だ。そこにある『冒険者ギルド』で冒険者登録をして、人生一発逆転を狙ってやる!
これからきっと過酷な旅が待つだろう。あの豚どもの尻拭いだけは癪だが仕方ない。俺はこの莫大な借金を返す。
そして、アンジェとの婚約を破棄してやる!
◆
それから数日後。
一人の少年が冒険者となった。
その志望理由を見て、冒険者ギルドの職員の間では爆笑が巻き起こっていた。
『借金を返す。そして――
――俺は婚約を破棄したい!』
お読みいただきありがとうございます!
もし面白いと思っていただけましたら、『ブックマーク』や↓の『☆☆☆☆☆』から評価を付けてもらえると作者のモチベーションが飛躍的に向上します!
★★★★★が最大なのでぜひとも!