1、令嬢はいじめられている
「ジュライちょっと来なさい」
伯爵令嬢ジュライ・シルヴァームーンが教師に呼び出された時、それが良くない話であることはすぐにわかった。
教室から出ていくジュライを見て、三人で固まっていた令嬢たちがくすくすと笑っていたから。
この三人は、ジュライを目の敵にしていていじめている貴族の令嬢だった。授業で必要な教科書や道具がなくなったり、着替えに変な汚れや匂いがついていたり、そういう陰湿ないじめを仕掛けては彼女の反応を見て、くすくすと笑うのが彼女たちなのだ。
教師の部屋に入ると、前置きもなく本題を切り出されたのだった。
「ジュライ、あなたココをいじめているそうね」
「はい?」
ジュライが教師の言葉を聞いたとき、すぐには言っていることが理解できなかった。
私がココをいじめている?
ココは、私をいじめている三人組のうちの一人だ。それが反対に、私がココをいじめているなんて……
最初は何かの冗談かと思った。しかし教師の表情は真剣だ。眉をひそめて、問題児でも見るような表情だ。本気で言っているようだった。
「心当たりがありません」
ジュライの言葉に、教師はため息をついた。
「あのねえ、他の生徒も、何人もあなたがしたことを目撃して証言しているのよ」
ジュライの方がため息をつきたかった。いかにも、あいつらがやりそうなことだ。
あの三人組は学年で最大の派閥を作っていて、彼女たちが頼めばいくらでも嘘の証言をする生徒を作り出せる。
他方、ジュライのために正しい証言をしてくれる生徒は一人もいない。彼女は三人組によって、孤立させられているのだ。
ジュライに勝ち目がないのは火を見るより明らかだった。
だが、一応ジュライは反撃を試みた。
いじめているのはココたちの方であること。普段ジュライが受けているいじめの内容。
ジュライはそれを説明したが、教師は疑うような表情を隠そうとせず、途中でいらいらとした態度になって、ジュライの説明をやめさせたのだった。
「もういいわ。聞きたくない」
ジュライの話は、すべて口から出任せの嘘で、聞く価値はないと決めつけているらしい。全部事実なのだが。
「ココに謝りなさい」
教師はジュライがココに謝罪するように命じた。
それだけでいい、と言うような、まるで寛大な措置に感謝しなさいというような顔だ。
しかしなぜ私をいじめる人に、何もしていない私が頭を下げなければいけないのだろう。謝るのは逆だ。
「それはできません。心当たりがありませんので」
当然、ジュライは謝罪を拒否した。
担任はうんざりとした表情をした。早くこの話を終わりたいのに、どうして聞き分けのないことをいうのだろうという感じだ。
「もし私の言うことが聞けないのなら、この学校に居続けるのは難しいでしょうね」
ジュライは唇を噛んだ。
教師の言葉はただの脅しではないだろう。問題児とされる生徒が学校を辞めさせられることは実際にあった。
学校を辞める事は、ジュライ自身は構わなかったが、家のこと、両親のことを考えるとそうはいかなかった。
彼女の両親はジュライがいじめられていることを知らないし、心配をかけたくない。それに家に汚名を着せることは彼女にとって堪え難いことだった。
母親は病弱で、父親はいつも母親の心配をしている。そんな両親を心配させたくない。
両親のいる領地から離れて王都で暮らすジュライは、よく両親に手紙を書いたが、そこにいじめの話は一度も書いたことはなかった。ジュライから両親への手紙は、こちらの生活は順調、充実した学生生活が送れているから心配無用、そんな内容ばかりだ。それなのに学校を辞めたという知らせを急に届けることになるなんて、想像もしたくない。
結局ジュライは、教師の指示通りココに謝罪をした。
しかも、わざわざ教室に全生徒が揃った中、見せしめのようにジュライはココに頭を下げさせられたのだった。ココはジュライに怯えるような白々しい演技をしていたが、教師は本気で騙されているようだった。
ジュライが謝ったことで、ほっとしたような顔をした教師が立ち去ると、三人組の令嬢は例のようにくすくす笑って勝ち誇ったような表情をしたのだった。
その日からジュライは、いじめっ子だけでなく、クラスメート全員から露骨に見下すような態度をとられるようになったのだった。正式にクラスで一番下に位置づけられたのだった。
ジュライがいじめられるようになったのは、入学してすぐの頃に起きた出来事からだった。
三人組のリーダー格であるサラから派閥に入るよう誘われ、断ったのだ。
サラの家は伯爵で、ジュライとは同格だったが、ジュライの家は没落していて他の貴族から見下されている。そしてその没落の原因を作ったのが、サラの家なのだ。
ジュライの父親は、曲がったことが嫌いな性格で、貴族たちの間で蔓延する汚職に加担することを求められたときに拒否したのだった。サラの父親は、汚職をしている貴族たちのまとめ役のような存在で、仲間入りを拒否したジュライの父親に激怒した。サラの父親の指示の下、貴族たちが様々な嫌がらせを行い、ジュライの家は没落してしまった。
父親を貶めた人物の娘であるサラに、派閥に入れてあげると言われて、ジュライが受け入れるはずはない。
あの時、自分を殺して頭を下げていたらこんな目に遭わなかったのだろうか。でも私はそんなことができる性格ではない。
ジュライには、父親と同じような性分が受け継がれているのだろう。理不尽なことを黙って受けいられるような性格ではないのだ。結局父親と同じような経緯でまずい立場に追いやられてしまった。
それからいじめられるようになり、ジュライにとっては辛い日々が続いた。
そんななか、よく思い出すのは父親の言葉だった。
「真面目に生きていればきっと良い事があるよ。苦しい時も、正しい行いを積み重ねればいつか奇跡が起こるから」
それが父親の信念で、小さい時に繰り返し聞かされた言葉だった。
でも、そんな良い事なんて一つもないよ。
私は真面目じゃないのかなあ。
ジュライは一生懸命勉強していて、成績はクラスで一番だった。でもそれが逆にサラたちの気に入らないみたいで、余計に目の敵にされている。
ジュライは父親を尊敬しているが、その言葉だけはどうしても信じることができなかった。
どんなに真面目に生きたとしても、他人をいじめてあざ笑っている人たちの方が良い思いをしている。
それを思うと、自分の生き方が馬鹿みたいに思えてしまう。
といっても私は今更、他の生き方ができるような器用な人間ではない。だからそんなことを考えても無駄だ。
それに、これがずっと続くわけでもないのだ。卒業したら領地に帰れる。それまでの辛抱だ。現実には父親の言う「奇跡」なんて起きないけど、今は自分のことをするだけだ。
そう思ってジュライは辛い日常に耐えていた。