第10話 前進
鉄さんが生け贄……
これは、間違っている。
この目の前にいる男、堀ノ内猿彦。
猿は、ずっとサラリーマンをしてきた私にとって、敵とも言うべき男。
私はずっと会社に虐げられてきたのだ。
この様な男の為に、精神をすり減らして働いてきたのだ。
それなのに……
(……言葉を上げる事ができない)
長いサラリーマン生活は、私の感情を殺してしまった。
間違っている、そう思うのに何も出来ない。
みな、どう思っているのか。
その時、
「ざけんなっ、生け贄だか何だか知らねーけど、みんなでやればいいじゃんか!」
声を上げた男がいた。
宮本君だ。
宮本君はまだ社会人経験が乏しい。
……が、それ故、間違っていると感じれば、声を上げる事が出来るのだ。
だが、即座に鉄さんが言う。
「ご立派! でも、その威勢は是非、この場以外のどこかでお役に立てて頂きたい。 とにかく、ここで揉めても仕方ないですし、リーダー殿、そろそろ方針を決めて下さるとありがたい」
鉄さんは相変わらず、場を取りまとめるのが上手い。
流石だ。
鉄さんがそう言うのなら、と宮本君は引き下がる。
(それに……)
宮本君は宮本君で、声を上げる勇気がある。
私は、悪い意味で社会という環境に慣れ過ぎてしまった。
少しの理不尽ならやり過ごせてしまうのだ。
だが、それでは何も変わらないだろう。
「……ということで、こちらに行きましょう」
「……」
私が自分の考えに浸っている内に、いつの間にかみんなが移動を始めている。
しまった……
一体、どこへ向かうのか?
私は小声で隣の本間さんに声を掛けた。
「す、すみません…… 話を聞きそびれてしまって、これからどこへ?」
「あ、今から山道を登って高台を目指します。 そこから、村が見渡せないかって」
「それで坂を…… でも、時間、大丈夫ですかね?」
私の腕時計は丁度12時、昼を指し示している。
今から夕方まで後5時間、といった所か。
「闇雲に進むより良いかも知れないですね。 リーダーの猿さんがそう言ってるんで、逆らえないですけど」
本間さんは苦笑しつつ、先頭を歩く猿に聞こえないよう、話す。
それから道なりに1時間ほど進む。
道は時折険しくなるが、小学生でも登れる程度。
ハイキングコース、といった具合だ。
途中、岩肌から流れる湧き水を手ですくい、水分補給をする。
「ぷっは、生き返る!」
本間さん以外の4人は、冷たくて美味しい水を口に運ぶ。
「本間さんはいいのですか?」
鉄さんが聞くと、本間さんは手を前に出して、お腹壊してたらアレなんで…… と断る。
それから、再び登山を開始するが、どこまで登ればいいかも分からず、場合によっては村から遠のいてる可能性もある。
猿は立ち止まり、後ろを振り返った。
「……このまま山頂を目指しても、いつ到着するのか読めませんね」
そう言って、横の幹の太い木を見やる。
まさか、木を登ってそこから見渡すつもりか。
私は反射的に猿から視線を逸らした。
山登りはできても、木登りは得意では無い。
というか、高い所がすこぶる苦手だ。
こういう時の、生け贄ではないのか……
猿が口を開く。
「では……」
「俺が行くよ」
名乗りを上げたのは、宮本君だ。
(私は……)
私は卑怯者だ。
猿の作った生け贄のシステム。
アレに、まんまとすがってしまった。
鉄さんが登ればいい、そう思ってしまったのだ。
一瞬、宮本君がこちらを見た気がした。
「アンタ、楽で良いよな。 罪悪感に浸って、それでお終いだもんな」
そんな心の声が聞こえた気がした。