十字架村のおはなし
これは逆さ虹の森で昔々から代々伝わる逆さ虹の森のお話。
この森では昔々から動物たちが文明を営み、生活を作っていました。
「根っこ広場」という広場がこの森には昔々からあり、その人場に生い茂る「ヒトノキ」という木が生やす根っこは、ときに動物を捕まえてしまうこともありました。
今日もここで捕まっている動物がいました。
とおりかかった狐は驚きました。その動物さんが根っこに捕まっているからでありません。その動物さんが今までに見たことのない動物さんだったからです。
「助けて! そこの狐さん!」
最初は見て見ぬふりをしようと思っていた狐さんでしたが、この森の狐たちは根が優しく、お人好しである性格が持ち分な為に気に捕まった動物を助ける事にしました。
「ヒトノキよ、その動物さんを助けてあげてください」
「オマエハダレダ?」
「私はこの森の狐の精霊です。狐村村長の息子ヴィンズ・ヨハクです。私の言うことに嘘はありません。彼女が嘘をついたのですか?」
「フム、嘘ヲイッテイルワケデハナイナ。コヤツガ嘘ヲツイタワケデハナイガ、タダ、ミタコトモナイ生キ物デアルユエニツカマエタ」
「であるなら、助けてあげてください。我々にない知恵が彼女にあるのかもしれないのだから。話ができるようでもあります。このとおりです」
ヒトノキは捕まえた動物を離しました。
ヴィンズは彼の家で彼女を保護しました。
「旅人よ、あなたはどこから来られたのです?」
「旅人? いや、その、私は日本人ですよ……」
「ニホン? あなたは何の動物です?」
「私は人間です。ごめんなさい。色々思いだせなくて」
「ニンゲン? 聞いたことがないですね。ま、いいでしょう。この森には獰猛な動物もいます。暫くはここで過ごしなさい」
「はい……すいません、ありがとうございます」
「謝ったうえに感謝をされるのか?」
「ええ……私たちの世界では常識ですから……」
「貴女たちの世界か……今は療養に努めなさい。この森を護る手立てになるかもしれない。宜しければ貴女たちの世界の話を聞かせて欲しいところですな」
「はい……うまく伝わればいいですが……」
「貴女、名前は何と言いますか?」
「マリナ……名字は忘れましたね」
「解かりました。マリナさん、これからどうか宜しく」
ヴィンズとマリナは握手を交わしました。この出会いより、逆さ虹の森は歴史の転換期を迎えるのですが、このときの2人は微塵にもそんなことを思いませんでした。
ヴィンズは危篤状態にあった村長であるアッシュマの看病に努めていました。すると、マリナが看病を手伝うようになりました。驚いたヴィンズでありましたが、彼女はアッシュマの手をとると、何やら呪文を唱え始めました。
「マリナさん、何をされているのです?」
「祈っているのです。少しでもアッシュマさまが良くなるようにと」
「イノル?」
「ええ、私はたしか神父を務める父のもとで生まれた娘でして……」
「キョウカイ? シンプ?」
「ふふっ、何も知らないのですね。わかりました。この後にでも教えましょう」
再び祈祷をはじめるマリナ、ヴィンズはどこか温かな気持ちになりました。
それからマリナはさまざまな知恵をヴィンズに与えました。ヴィンズはマリナより得た知恵を村の営みに役立て、次第にそれは他の種族をも巻き込みました。それはやがてこの森を統べる法となって、ヴィンズはこの森の長となりました。彼が気にかけていた、だらしない弟も森の有力者へと成長しました。
マリナとヴィンズが出会ったあの日、実はこの森で不思議な現象が起きていたのです。それはこの森の上空にずっとかかっている虹が逆さになったという現象でありました。その虹は元に戻ることもなく、やがて「逆さ虹の森」と他の森の動物たちからも言われるようになりました。
ヴィンズは思っていました。この森の文明が発展を成しえたこと、空にかかる虹が逆さになったこと、全てマリナという存在が起因しているのでないかと。
少なくとも森の文明が発展を成しえたのはマリナの知恵によるものからです。それなのに彼女はヴィンズの家に籠りきりで不憫だと思って仕方ないのです。
「マリナ様、ひとつ提案したいことがあります」
「何ですか? ヴィンズ神父様」
「はい、我が森はマリナ様の知恵によって、これまでにない文明開化を成しえました。しかし、マリナ様は私の家より出られることが少なく、それでは可笑しいのではないかと。弟のソギンと話し合ったのであります」
「何が可笑しいのですか? 私は私がすべきことをしているだけですよ?」
「いえ、実はこの十字架村の動物たちも気づいているのです。貴女という『見たことも無い動物』が私の家から出てきていることを」
「あら、散歩中にかしらね」
「あの、恐縮ですが、私はこう思ってやみません。この森にかかる逆さの虹は、貴女という御方の出現により逆さになったと。そして私が説いている聖書に説かれている“神”とは貴女のことなのでないかと」
「私が神ですって!?」
「ええ、少なくともこの世ではそうです。私が教会で行う説法に最も説得力ある本説です。よく考えてみてくださいよ、この森を発展させたと言われている私にそもそも知恵を与えて下さったのは誰ですか? もう皆が気づきはじめているのです」
「…………」
「すいません。突然でありました。今すぐに決断をとは言いません。ですが……」
「わかりました。やりましょう」
「!?」
「ただ、少し私にも心の準備をさせてください……私にも覚悟いります」
「急ぎませんよ。皆がきっと望むことです。私に出来る事なら何でもしましょう」
「御苦労おかけします……」
この会話の翌月、マリナは十字架村に設置された教会より逆さ虹の森における「女神宣言」を果たしました。極度の緊張からか、言葉に詰まる場面が多く見られた彼女でありました。
彼女が女神として森に仕えはじめた頃、十字架村では村で悪戯ばかりをして、村で迷惑となっているリスの少年が話題となりました。彼の名はジョシュア・ハート。逆さ虹の森にある大きな渓谷の川に飲まれて彼の両親は命を堕としました。
どんぐりを働く大人の動物に投げつけたり、木の上から盗んだお酒を動物達に降りかけたりと警察が動きだす事態にまで発展しました。
ジョシュアは学校に行っていませんでした。彼を保護する親代わりもいませんでした。やがて彼は森の警察に捕まりました。
この知らせを聞いたマリナは拘置所でなく、彼を教会に呼ぶように警察の署長へと言い渡しました。
ほどなくして、ジョシュアは教会に連れてこられました。目の前にいるのは、森中で崇め讃えられている女神マリナです。ですが、あろうことか、彼は彼女の顔にむかって唾をかけたのです。
ただちにそばにいたアライグマの警官が彼を殴りました。泣きわめくジョシュア、さらに追い打ちをかけようとしたアライグマの手をマリナが止めました。
「やめてあげてください。彼を懲らしめるだけで、彼の悪はとり払えません」
「何を!? コヤツはマリナ様を愚弄したのですよ!?」
「私などいくら愚弄してもらっても構いませんよ。でも、彼が本当の悪となってしまう前にしなくてはいけないことがあります」
マリナはジョシュアに近寄りました。そして――
「ジョシュアさん、貴方がよければ、この私のすぐ傍で仕えてみませんか? 美味しいご飯もあげます。学校で教わることも私が先生となって教えましょう」
「けっ、そんなことしているものかい!」
「そうですか。では、せめてお食事だけでもしていきませんか?」
「うっ……」
ジョシュアはお腹を鳴らしました。空腹は騙せなかったようです。
こうしてジョシュアは教会の見習い神父としての一歩を踏み出します。ときに優しくもときに厳しくマリナとヴィンズは彼を導いてゆきました。
こうした折、逆さ虹の森では動物たちの殺害事件がおこるようになりました。殺されてゆくのはどの動物も村で働く教会関係者で、ヴィンズの弟であるソギンの命をも奪われてしまいました。
犯人は逮捕されました。逮捕されたのはクマの神父でした。
でも彼は自分が無実だと言い張っています。
しかし彼が捕まってから逆さ虹の森を震わせた一連の事件はおさまったのです。
裁判で彼には有罪判決が下され、死刑を命じられました。
裁判官は誰でもないマリナでした。クマの青年はマリナへ告げました。
「私の言う事を信じてくれないのか! これは陰謀だ! この森の権力者となる為の! それも見破れないというのなら、貴女は女神たる仕えを降りるべきだ! 貴女、マリナは一体何の為にこの地へきたというのか……私は忘れんぞ!!」
すぐさまにマリナに襲い掛かろうとしたクマの青年は取り押さえられました。
しかし、クマの青年がみせたあの眼光、マリナにこれまでにない罪悪感が押し寄せました。彼女の顔はみるみる蒼ざめました。
クマの元神父である青年の死刑は執行されました。しかしそこにマリナの姿はありませんでした。ヴィンズと役人は話し合いました。
「おい、マリナ様が来席されてないが、これはどういうことだ?」
「いや、私にもそれはわからない。お身体の状態がすぐれないと話したきりで」
「いつの話だ? 昨晩の祭りでは笑顔をふりまいておられたではないか……?」
「今朝の話だ。今はご療養に励まれておられる。ジョシュアが傍についている」
「突然にそんな話がきても、観衆に示しがつかないぞ?」
「ダンテよ、マリナ様とて、種族は違えども我らと同じ動物だ。この森でのこの事態にどれほどのご傷心があるのか……。お前にもわからないワケではあるまい」
クマの元神父、クマドの死刑は執行されました。これよりクマの種族は他種族から差別を受けやすくなり、臆病な性格をもったクマが多くなったとも言われています。皮肉にもクマドの冤罪が判明し確定するのはこの十年後にあたるお話になります。
マリナはベッドで休みながらもジョシュアと会話を交わしていました。
「今日はいい天気ですね」
「ええ、ですがマリナ様はどうか御休みください。無理は禁物です」
「ええ、でもそれは貴方もそうでなくて? ジョシュア」
「え?」
「貴方はもう立派な神父となりました。私たちもこれまでに多くを貴方へ教えてきました。ですが、貴方はもっと多くのことを知ったほうがいいと思うのですよ」
「何を急に仰っておられるのです?」
「うふふ、今すぐとは言いませんよ。世界を旅してごらんなさい。そしてそこで得たものを多くの人に伝えるのです。狭い世界で生きねばならない理由なんて、どこにもないのですよ」
「急に言われても、突然だなぁ~」
「ふふふ。ちょっと寝ようかしら」
「もうっ、ちゃんと休んで下さい」
その晩、ヴィンズには妙な胸騒ぎがありました。
その日の仕事を終え、彼は教会へ急いで戻ったのです。
しかしそこで目にしたのは最悪の惨劇でした。
教会にて横たわっていたのは、キャンドルスタンドの針を腹に射していたマリナでした。彼女の胸からは夥しい彼女の血が流れています。
「マリナ様!?」
「ヴィンズ……」
「息がおありなのか!? クソッ! 誰がこのような真似を!?」
「私です……ヴィンズ……」
「えっ!?」
「私はこの森にくる前に友を殺しました。そして前世で知りえた禁術をおこない、転世を果たしたのです……」
「そんな!? でも、そうだとしても、だからと何だと! あなたはこの森の神として生きながらえなければならない! すぐに応急処置を!!」
「やめなさい!! 私です!! 一連の聖職者を殺害したのも! かはっ……」
「何ですと……!?」
ヴィンズは何が何だかわからなくなってきました。
マリナは口から血を吐きだしながらも事実をヴィンズに告げました。
「私は自分に都合の悪い人間を殺す者なのです……前世では恋人を奪われて、その怒りと嫉妬から殺しました。飛び降り自殺に……はぁ……はぁ……みせかけて。ふふ……そして……私と貴方の失脚を狙っていたソギンたちも……」
「私とマリナ様の失脚をソギンが!?」
「ふふふ……じきにわかる。でも……罪を擦りつけたあのクマの男の眼は私を、私を、私を……狂わせた。いや、理性を呼び覚まさせたの……そう」
マリナはヴィンズの顔にそっと手をかざしました。
「これが罪というものです……ヴィンズ……」
その瞳から大粒の涙を零したマリナはやがて息をひきとりました。
ヴィンズのあたまは真っ白になりました。そしてそれはおさまりが効きませんでした。
森の象徴とされた女神の死、それは森の動物たちの間で瞬く間に広まってゆきました。
悲劇の連鎖はおさまることを知りません。
マリナの死の翌日、今度はヴィンズが自殺をしてこの世を去ったのです。
これから暫くの間、逆さ虹の森は混迷期に入ります。鷲の襲来もあり、それは大変な世の闘争であったと言われています。
しかしやがてその長い闇夜の時代も終わります。
逆さ虹の森は逆さ虹の森市として、種族の違う動物たちが更なる文明開化を営む時代を迎えたのです。
長らく旅にでていたリスの壮年がいました。
彼が旅からこの森に還ってきたのは、ちょうど逆さ虹の森が「逆さ虹の森市」となった時のことでした。その日、森では不思議な異変が起きていたのです。
彼が目にしたのは昔よりも大きくそして鮮やかになった逆さ虹でありました。
「マリナ様……ヴィンズ様……」
ジョシュアの瞳からは涙がとまることがありませんでした。
その日は何の偶然かマリナの命日でありました――
∀・)最後まで読了頂きありがとうございました!ボクのなかで作った「逆さ虹の森」の世界観を綴った作品になります。時代の先駆者が必ずしも善人とは限らない、そんなメッセージを込めました。ポカ猫様の言われる「現代恐慌派」というものを自分なりに解釈して作った。作品にもなります。3部作の3作目ですが、1作目「クマのぷー太郎さん」2作目「あの日、出会ったコマドリです。覚えていますか?」をまだ読まれていない御方は是非とも併せて読んで欲しく思います。3作品のなかでどれが気に入られたか是非聞いてみたいですね~。ご感想もお気軽にどうぞ♪♪