おまけ
おまけです。
長くなりましたが、書きたかったのでどうか読んでやってください。
あと、ボーナストラックとしておまけのおまけも付いています。
よろしくお願いします。
「マイコー。ねーマイコーってばー」
大きな声に振り返ると、昇降口で下駄箱から靴を取り出しながら明美が私を呼んでいた。
私は一緒に居た後輩達に先に帰るように言って立ち止まる。
確かに私は麻衣子だけれど、そのイントネーションだと私の名前がマイケルみたいな感じじゃない。私の容姿と雰囲気のせいで面と向かってそう呼ぶのは明美だけだけれど、陰でみんなが私をそう呼んでいるようなのは何となく知っている。まぁ別にいいけどさ。
私はそんなことを考えながら明美が小走りに近づいて来るのを待っている。
「生徒会も遅くまで大変ね」
「まあね。ねぇ、一緒に帰ろうよ」
尾高明美。中学の同級生で同じ高校に進学した、私とは20センチ以上の身長差のある小柄な可愛いらしい女の子。クラスは違うけれど中学時代から変わらずよく私を構ってくる仔犬のような女の子。生徒会に所属していて、愛想がよくてみんなに優しい、男子女子共に人気のある女の子。幸い私の好みの範疇からは外れていてくれたから、私もそれなりに付き合うことが出来る女の子。
それなりなんて言っていても、明美が相手だと私も気楽で居られるので実は凄く助かっている。明美とは家の最寄駅が同じだから、こうして一緒に帰ることも登校することもよくある。
「私、予備校あるから駅までよ」
「そっか。部活終わりに大変だねぇ。じゃあ駅まで一緒に帰ろう」
「うん」
校門を出て駅までの薄暗い道を、他にも駅に向かって行く生徒達に混じってふたり並んで歩いて行く。
部活終わりの帰り道、見慣れたいつもと同じ景色。ここに通ってもう三年目。明美とこうして並んで歩くのもあとどの位あるのかなと急に湧いた感傷に少しだけ浸ったあと、横に居るはずの明美の方に視線を向けて、あれ、明美。どこ行ったのと呟いてからきょろきょろと探す振りをする。
「居るわっ」
「あ、よかった。駄目よ急に居なくなったりしたら。心配するでしょ」
私が声のする所まで目線を下げると、確かにそこには頬を膨らませて私を睨む明美が居た。リスみたいね、可愛らしくてモテるわけだわなんていつもと同じ思いを抱く。
「うるさいっ。マイコーがデカ過ぎなだけじゃんか。このデカ女っ」
「ふふ。残念でした。私はなりたくてなったんだから。それは寧ろ褒め言葉なのよ」
私そう言ってニヤついて見せると、明美はポカポカと私を叩いた。本当は明美の頭を手で押さえて、彼女が両腕をぶんぶん振り回しても私には届かないなんて漫画のようなことをしてみたいけれど、さすがにそれは明美が泣いてしまうので可哀想かなと思ってしたことはない。
「泣くかっ」
「泣くわよ。悔し泣き」
「するかっ」
「そっか。なら今度してもいい?」
「させないよ?」
「ふふふ。残念」
それでも私は明美が泣かないというのなら卒業までには一度くらいしてみようかなと密かに決意をする。ふふふ。
そんないつものお決まりのやり取りをしながら私達は駅へと歩いて行く。
「村山君は?」
「もう帰ったよ。バイトの日だから」
「そっか。なら寄って行くの?」
「そうしようかな。マイコーは駅までだし」
明美は嬉しそうな顔をした。ファミレスでバイトをしているラブラブな彼氏の働く姿を勉強道具を広げながら眺めているのも良いもんだよーとか言って、たまにそうしている。
楽しげな明美の笑顔を横目で見ながら、私にはラブラブとかそんなこと、きっとありはしないだろうなとそっと小さくため息を吐いた。
「マイコー。ため息吐くと幸せが逃げるよ」
「大丈夫。すぐに吸って体に戻せばいいんだから」
私はそう言って、すううっと鼻で息を吸って吐いたため息を集める真似をする。明美は私の仕草に目を見開いている。
「これでもう大丈夫」
「なっ。天才かっ」
「ふふっ、まあね」
私が当然でしょみたいな顔をして明美を見ると、私も今度からそうしようとうんうんと頷いていた。
「ねぇマイコー。今度大会あるんだよね。調子はどう?」
「出ない。私、もう部活辞めるから」
「ええっ。な、なんで?」
明美はまた驚いた顔をして私を見ているけれど、そんなに深い理由がある訳じゃない。ただ、受験があるしもう十分だなと思っただけ。背丈が。
だからそんなに慌てなくてもいいのになと、明美を見て思わず笑ってしまう。だって本当に大した理由じゃないんだから。
「ふふふ。背も十分伸びたから。もういいの」
「えー。そんな理由なの?」
「うん。私はそのために頑張ったんだから。中学のバレー部だって同じ理由だったのよ」
「あはは。マイコーはやっぱ変わってるよ」
「ありがと。嬉しいわ」
「別に褒めてないよ?」
「褒めてよ。こんなに背が伸びたんだから」
「嫌味だね?嫌味なんだね?」
そう言ってまた明美がばしばしと私を叩く。拗ねる明美は背の低いことを気にしているみたいだけれど、それもまた彼女の魅力。私はそれを伝えてあげる。
「何で怒るの?明美はちっちゃいのが良いんじゃない。ちっちゃいからよけい可愛いいのよ。ちっちゃいから」
「ちっちゃいちっちゃい言うな。デカ女」
「はいはい」
「くそうデカ女め」
「ふふふ」
その後、誰々がどうとか進路がどうとか、そんな話をしているうちに私達は駅前に着いた。
「じゃあね明美、また明日」
「バイ、マイコー」
欧米かと明美に軽く突っ込んでから私は駅の向こう側にある予備校に、明美は彼氏の働くファミレスの入るビルへと、お互いに手を振ってそれぞれ歩き出した。
授業が終わり、チューターの男性と成績について少し話をしてから予備校を出てエレベーターを待っていると、背後から羽田さんと呼ぶ声がした。
私にはもうその声で誰なのか分かっている。同じ制服に身を包む彼女は、私があまり会いたくない人だった。
そう思ったけれど、本当はそうじゃないのかも。ううん、違う。かもじゃなくて本当は私は喜んでいた。だって私は彼女が好きだから。
この気持ちに気付いてから、私は彼女にどう接するべきなのか全然分かっていない。手を伸ばしたいけれど伸ばしてはいけない。そんなどうにも出来ないもどかしさにそれならどうか私を放って置いて欲しいと、私は少々素っ気ない態度で彼女に振り返った。
「ああ、宮澤さん。今日は終わり?」
「ええ。羽田さんもでしょ。途中まで一緒に帰りましょうよ」
「まぁ、別にいいよ」
「私のこと、そんなに嫌わなくてもいいと思うんだけど」
私が面倒臭そうな感じで言うと、宮澤さんはそう言って苦笑いを浮かべた。少し悲しい声で私の想いとは違うことを口にした。私はそれを慌てて否定して、つい余計な言葉を口にしてしまった。
「あ、あのね。別に嫌ってないのよ。そういう訳じゃ無いの。どっちかと言うと、ほら、その、す、好きだから」
「本当に好き?」
「ほんとほんと。じゃあ、一緒に帰ろう」
「うふふ。よかった。あ、エレベーター来たよ」
私の言葉がきちんと伝わっていなくて本当によかった。そう思ってほっとしたけれど、宮澤さんが凄く笑顔になっていて私はその顔にどきっとしてしまった。
やって来たエレベーターに一緒に乗り込むと、それなりに他の生徒が乗って来て狭い空間の中で私と宮澤さんの体が微妙に触れ合ってしまった。すぐ隣にいる彼女の体温とかいい匂いが私の鼻をくすぐって、どきどきしちゃうどうしようと、私は顔が赤くなってしまうことが気になって、それを誤魔化すように咳払いなんかをしながらチラッと宮澤さんを視界に入れて様子を伺うと、どういうわけかばっちり目が合ってしまった。
宮澤さんがにこりと微笑んで私の耳元に顔を寄せて、混んでるねとか言うものだからもの凄く慌ててしまって、そ、そ、そうねなんて間抜けな返事をしてしまった。
私はこの状況に戸惑いつつも嬉しくもあったけれど、ひとりになって今の気持ちが落ち着いてしまえば当然虚しくなることも分かっていた。
宮澤香帆里。背は私より10センチほど低い。長い真っ直ぐな黒髪。ぱっちりとした目とすっと通った鼻。大きな口は美人の条件だし、非の打ち所がない綺麗な女の子。あと10年もすればきっともの凄く綺麗な女性になっていると思う。
彼女は私の同級生。私は文系で彼女は理系。部活は体育会系と文化系。だからクラスも違うし選択科目も違うし、普段活動する場所も違う。
けれど、私も綺麗でカッコいいと周りから思われていて、彼女と私は静と動の二大美人だなんて言われている。
そのせいで何故か周りの生徒達に一括りにされる事が多く、去年の文化祭でふたり一緒に見世物のように扱われて以来、見かければお互いに話すようになった。そうしているうちに彼女の綺麗な容姿だけでなくその内面も知って、私はとうとう厄介な恋心を抱いてしまった。
彼女は年齢の割に大人びていて、そこらにいる元気の塊みたいな高校生とは違っていた。それがまた私の好みの範疇にばっちり当てはまってしまっていた。どうやら私は大人のお姉さんのような女性が特に好みのようだった。
「じゃあ羽田さんまた明日。学校でね」
「うん。また明日」
電車を降りていく宮澤さんに手を振ると、彼女はにっこり笑って手を振ってくれた。
宮澤さんは私と路線が一緒だから、同じホームで電車を待って、同じ黄色い電車に乗って、彼女は私より二つ前の駅で降りる。
彼女と予備校で会えたと言うか会ってしまったと言うか、とにかくそういう時はいつも一緒に帰ろうと声を掛けてくれるので、たまにこうして一緒に帰っている。
私はその帰りの時間を妙に短く感じてしまう。つまり私は彼女との時間を楽しんでいるということになる。けれど、こうしてひとりになってしまえばそれ以上の虚しさを感じてしまう。いくら心を躍らせたところで本当に意味の無い、まったく無駄なことなのだと嫌でも理解ってしまう。
「はぁ」
今の私には漏らしたため息を吸い戻す気も起こらない。まぁ、ひとりではそんなこと、出来はしないんだけれど。
落ち込んで伏せていた目線を上げると、窓に映る私が落ち込んでいる私を見つめた。
私と宮澤さんは、学校が終わってふたりとも予備校がある日には、いつも一緒に行くようになっていた。
お互いに一定の距離を置いての友達付き合いだった筈なのに、仲良くなった宮澤さんはスキンシップの激しい人だった。
夏頃から始まったそれは、不意に腕を取られて直接触れ合う肌にどきりとさせられ、近くにいるからこそ分かる彼女の匂いや、薄着のせいで透けるインナーとか、とにかくそういったことが私を煽ってきて、高鳴る気持ちを自制して恋心など無いように平然と振る舞うのはとても大変だった。
当然そんな私の気持ちなど御構い無しに、宮澤さんは隣で楽しそうに笑っていた。
こうして彼女と過ごすことはとても嬉しいことではあったけれど、仲良くなってしまった彼女と、また明日ねと言って別れた後は、今までよりももっと虚しくなっていた。
恋が本当に厄介なものだとよく分かった。何もしない、出来ないと理解かっていても、彼女の姿や仕草に目を奪われてどきどきしながら過ごすことで私の恋心はどんどん大きくなってしまう。
隠していたってどれだけ虚しくたって恋は恋。たとえそれでもいいとは思えなくても、私の恋が普通の恋とは違っていても、私に出来る恋はそれしか無い。それは今回も同じ。ずっと変わることはない。いつかは報われるかもなんて全然思えない。だって私の想いを彼女が知ることは決してないのだから。
「はぁぁ」
秋が深まってイチョウの葉が通学路を埋める頃になると、予備校に向かう私の隣から宮澤さんの姿は消えていた。
その二週間ほど前のこと、予備校に向かう前にふたりで寄った駅前のカフェで、向かいに座る宮澤さんは普段の大人びた感じとは違って妙にそわそわもじもじしていた。
好きな人が告白してくれたのよ。いきなりそう言って嬉しそうに話す彼女は本当に幸せそうだった。
ああ、好きな人がいるなんてことを聞いたことがあったなと、無理矢理聞かなかったことにして頭の隅に追いやっていたその言葉を、私はついに認めざるを得なくなってしまった。いずれは来ると理解っていても、来ないで欲しいと心のどこかで願っていた瞬間がやって来てしまった。
私は胸が苦しくなって息苦しくなった。心臓の辺りを圧迫されたように感じて呼吸も浅くなって辛かった。それでも私は、何故かは分からないけれど、彼女ににこりと笑って見せてよかったねおめでとうと伝えることが出来た。
私の恋はこれで終わり。彼女を想い続けても別にそれでもいいのだけれど、この恋を終わりに出来るのなら、それは私にとって有難くもある。いつまでも想いに囚われているよりも暫く泣いてそれでスッキリ終わりにした方がどれほど楽だと思うから。
何もしようがないのだから私は恋を諦める。それは当然のことだと思うし、仕方のないことだと思う。
けれどその時私は、私がどういう種類の人間なのかをはっきりと思い知らされたような気がしていた。
この年齢になれば、私がどういう人間なのかはもうちゃんと理解っている。私は普通とは違う。それがこの社会でどう思われていて、どう扱われているのかも。
同性愛者。レズビアン。その私の抱えているモノ、生まれながらに抱えてきたそれは、本当にそんなに駄目なことで、この社会から白い目で見られたり奇異なモノを見るような目を向けられてしまうような、そんなに特異なものなのか。
世の中では、みんな違ってていいんだよとかひとつだけの花なんだからそのままでいいんだよなんて言って、その言葉に大勢の人が感動したり共感したりしているけれど、それなら今現在の私の状況は、この先私が置かれる立場は一体どういうことなのか。私は明らかに普通と違っていて、私の違いはいいんだよとは言って貰えない。私はひとつだけの花だとは認めて貰えない。
その言葉達にも掬われずに溢れ落ちてしまう私は一体どうしたらいい?
私には私の抱えているモノよりも、寧ろそれこそがとても理不尽でとてもおかしなことに思えてきて、それならいっそ想いを伝えて綺麗さっぱり嫌われてしまってもいいのかも知れないなんて思ってしまった。普通の彼女が私のことを知ったならどんな風に思うのだろうかとそれを凄く知りたくなってしまった。
思い立ったら即実行。それが私の進む道。やけになってしまった私は、向かいに座る彼女に真剣な口調で話しかける。
「宮澤さんに聞いてほしいことがあるの」
「何?そんな怖い感じでどうしたの?」
「実はね、私ね、あ」
「あっ、ちょっと待って。おーい佐野君。こっちこっち」
私の言葉は遮られてしまった。彼女は私を見ていなかった。私の背後に目をやって、近づいて来るらしいその佐野君とやらにとても嬉しそうに、惚れ惚れするような笑顔を向けて手を振っていた。
私はそんな顔で見られたことは一度もない。私は深く息を吸い込んだ。その間だけ目を閉じて、ふぅと吐きだしてから目を開けて、呟くように声を出した。
「…普通、だもんね」
「え?何か言った?」
「ううん、何も。ごめん。私、チューターさんと話があったんだ。先に行くね」
「えっ。あ、うん」
「ほんとごめんね」
そう言って私は席を立つ。鞄をひっ掴んで佐野君とやらとすれ違いそのまますたすたと店を出た。
結局何も言葉に出来なかった私が、少し歩いて立ち止まって店の窓越しに彼女の席に目を向けると、同じ予備校に通う他校の男子生徒、佐野君とやらが彼女の隣に座って少し照れたように笑っていた。私はその光景に釘付けになってしまった。
「げ、あれは…」
衝撃的だった。ふたりがカップル座りをしていたから。いやまぁ、確かにね、ふたりはカップルなんだけどさ。
なによみっともない。私はそう呟いてその場を後にした。
言っておくけれど、別に私は妬んでなんていない。僻んでもいない。本当にただそう思っただけだから。別に悔しくなんてないんだから。
予備校へと向かう道で私は怒っていた。それは私を好きになってくれなかった宮澤さんにでも、私の好きな女性を掠め盗っていった佐野君とやらにでも無くて、私の、私が女性を好きになってしまうという厄介で普通の人達とは違うこの私自身の心の在り様に。それを受け入れてくれそうもないこの社会の在り方に。
恋が叶わないなんてことはどんな種類の人間であってもあり得ることで、それは同性愛者でも普通の人でも変わらない。だからそのことは別にいい。
けれど、恋を叶えようと手を伸ばことすら出来ないで、気持ちを伝えられずに終わらなければならないのは一体どういうことなのか。この先恋をする度に、私はその気持ちを無理矢理押し殺して、誰かに盗られるのを指を咥えて見続けなければ駄目なのか。
周りにバレたら怖いし、バレて引かれたくも嫌われたくも無い。白い目や好奇な目に晒されたくもない。私を取り巻く今はまだちっぽけな世界からでさえ、爪弾きにされて捨てられるのは耐えられない。
私がそう思うのは、思わされるのは、思わなければならないのは、一体何の所為なのか。
社会が悪いのか私が悪いのか両方なのかそれとも両方とも悪くないのか。
誰の所為でもないのなら、私はコイツを抱えてどう生きていけばいいのか。隠して生きるのか隠さずに生きるのか。隠し続けたらどうなるのか。晒してしまったらどうなるのか。
私にはもう、全然分からない。
私のする恋が駄目なことなら、私は恋をしなければいいのか。私は恋をしないでいることは出来るのか。しても我慢をし続けていればいいのか。私にそれが出来るのか。
恋愛が生きるすべてではないけれど、してみたいのは当たり前。だって私は女の子。いくら普通でなくたって、私だって恋愛に憧れるのはちっとも悪いことではない筈だ。
こうして思考をぐちゃぐちゃにして私は凄く怒っていたけれど、そんな怒りを抱えても、そんなものはその内萎んで消えてしまう。代わりにいつもの不安と苦悩がちゃんと私の元に戻って来る。私が寂しいからといって態々傍に戻って来なくてもいいのだけれど、コイツらはとても義理堅くて、嬉しいかどうかは別にしてもいつも私の傍にいてくれる。
「はぁぁぁ」
なんだかなと、ため息を吐いて私は考える。
私や取り巻く世界がどうであれ、私は死ぬまでは生きていくのだから、そのことばかりを悩んでいる訳にもいかない。
幸いそれ以外のことは、私の人生は今のところ順調に進んでいる。それなら取り敢えずそっちは脇に置いておいて、こっちを頑張っていこうかな、なんてことを思いつく。それなら駄目なことでも悪いことでもない。誰にも何も言われない。責められることもないし、嫌われることもない。なるほど。それなら今はそれでいこう。
私が大人になった時、私を取り巻く世界が今よりも広がっているのなら、その世界から捨てられずに済む私の居場所を見つけられるも知れない。誰かが私を見つけてくれるかも知れない。私らしく笑って過ごせる場所と愛する誰か。それを手にすることが出来るかも知れない。今はそれを期待して、それまではじっと我慢の子でいよう。
私はそう決めて、羽織っているカーディガンの袖で涙を拭った。これでお終い。私は考えるのをやめた。
「マイコー最近全然宮澤さんと一緒に居ないよねー」
「宮澤さんは彼氏が出来たから。ふたりで勉強しているみたいよ」
「ふーん。マイコー、仲良かったから寂しいんじゃないの?」
「別に。明美。私は決めたのよ。私はね、勉強していい大学に行っていい企業に就職してばりばり仕事をするの。私はスーパーキャリアウーマンを目指すのよ」
「何それ?マイコー大丈夫?」
「全然大丈夫。だって私は無敵だから。待ってろよ。スーパーキャリアウーマンっ。ふはははは」
「誰かっ。マイコーが、マイコーが壊れちゃったよっ」
「ふはははははは。ぽぅ」
「あ。あはは。マイコーだマイコー」
「ポゥ」
「あはははは」
受験まで後三ヶ月、私の心には既に平穏が戻っていた。変なテンションが一緒だったので、マイコーなんか変わったよねーと明美に言われてしまったけれど。
私が学食でひとり遅めの昼食を食べて分厚い学術書を読んでいると、明美からのメッセージが来た。
進学のために街を出た私を相変わらず構ってくれて、こうしてよくメッセージを送ってくれる。彼氏と一緒の写真付きで。それを読んだらふと高校の頃を思い出して、少し落ち込んでしまった。
そのせいで暫くぽーっとしていた私は、取り敢えず、元気よ、こっちの生活にも慣れてきたから大丈夫と返信してスマホを置いた。
落ち込んだけれど私の目標、スーパーキャリアウーマンを強く意識することも出来た。だから私は気持ちを切り替えて、再び遅めの昼食を摂りながら今目の前で開いている偉そうで難解な学術書を読み解いて、絶対に理解してやろうと頑張ることにした。
コイツは一体何を言っているのかしらと、その解りづらい文言と格闘してうんうんと唸っていると、私の隣に立って話しかけてくる女性がいた。
「邪魔をしてごめんなさい。私、このテーブルから見える景色が大好きなの。ここ座っても構わない?」
私はその女性に、窓側なら景色なんてどこも一緒でしょうと言おうと思って顔を上げる。
そこには黒髪ロングの、それはそれは綺麗で可愛い女性が、体育会系の男の子しか頼んでいるのを見たことがない大盛り特製スタミナランチAセットの乗ったトレーを持ちながら微笑んで私の横に立っていた。
一瞬だけこの女性がこれを食べるのかと、凄いボリュームのソレに目がいってしまったけれど、直ぐその女性に視線を戻した途端、私は少しの間その容姿に見惚れてしまった。私の好みの範疇のど真ん中だったから。
誤解されたら、と言っても誤解ではないけれど、不味いわねと私は慌てて取り繕って視線を逸らし、座りたければ勝手にどうぞとわざと冷たく手振りで席を勧めた。
そんな態度を取りながら気を許したりして好意を持ってしまっては絶対に駄目なのよと自分を戒めつつも、もの凄くときめいてしまっている私がいた。その女性は私の冷たい態度を気にもせず柔らかくありがとうと言って私の前に座り、自己紹介をしてくれた。
「経済学部三年の安藤響子よ。よろしくね、羽田さん」
その女性はそう言って、私に向かって優しく微笑んだのだ。
おしまい
— おまけのおまけ —
街にはサンタが溢れている。何故なら今日はイブだから。私たちが恋人、パートナーになって初めてのイブ。一緒に暮らし始めて初めてのイブなのだ。つまりは今夜、恋人達の甘い一夜が待っているということだ。うふふ。
リビングに飾ってある小さなツリーには電飾が付いていて、それがちかちかと光っている。そのツリーの下にはお互いに用意したプレゼント、二つの箱が置いてある。私たちはそれを、外国の慣例に則って明日の朝開けることにしていた。
響子さんはプレゼントを気にもせず、私に腕を絡めてくっいていて、ふんふんとクリスマスソングを口ずさんでいる。私は響子さんが私にくれるプレゼントの中身を知りたくてうずうずしている。
「ねぇねぇきょうちゃん。箱の中身は何だろね?」
「教えません。明日の朝開けるんだから我慢して」
「でもきょうちゃん、今開けるとね、今夜プレゼントと一緒に眠れるのよ?そういうの楽しくない?」
私が子供みたいなことを思い付いて、わくわくと期待して目をきらきらさせているのを見て、響子さんは微笑んではくれたけれど、発した言葉は子供を宥める母親のようだった。それは口が裂けても言えないけれど。
「駄目よ。我慢しなさい。一緒に眠るのは明日の夜でもいいでしょう?プレゼントは逃げたりはしないんだから」
「むー」
「だいたい毎晩私と一緒に寝てるのに、それじゃ駄目なの?」
「駄目じゃないよ。嬉しいに決まってるでしょ。でもさ、気になるんだもん」
「駄目よ」
「えー。きょうちゃんは気にならないの?」
「なるわよ。でもね、なんだろうって想像しているのも楽しいの。だから平気」
「ふーん。そっか。じゃあさ、今夜あの箱と一緒に眠るのはいいのかな?」
せめとそのくらいならどうですかと私が食い下がると、響子さんは得意げにふふんと笑い、訳知り顔をして私を見た。
「駄目。プレゼントは明日の朝まであそこに置いておくことが大事なのよ」
「そうなの?なんで?」
「さぁ?知らないけど?」
「えっ?知らないの?」
「なによ?私が知るわけないでしょう?」
何ですと?と固まる私と、そんな私を見て首を傾げる響子さん。一瞬だけ間が空いて、私たちは顔を見合わせてあははと笑う。私は今、とても幸せ。
— おしまい —
これでパートナーは何処にいるはお終いです。
最後の最後までお付き合いありがとうございます。
読んでくれて本当にありがとうございました。
しは かた




