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続きです。後半の藤宮さんの会話が長いのでかったるいかも知れません。
よろしくお願いします。
藤宮さんが顔を上げた。なんですか?と無理に笑顔を見せて言った。それが痛々しく見えて私は励ますように微笑んだ。
「あなた先週誕生日だったんでしょ。私からのお祝いだからね。受け取って」
私は店の奥に合図を送る。すると店の照明が落ちて、店の奥から火のついた小さな花火が刺さっている小さなケーキを持ったアミーゴを先頭にして、後ろに続くギターを持ったアミーゴスが歌いながら私たちの席にやって来た。それからバースデーソングをメキシカン調に歌い出す。私も歌う。周りの店員さんも、状況を察してくれたもお客さんも歌ってくれる。週の中日だから店にお客さんは半分くらいしかいないけれど、それでも十分な歌声だと思う。藤宮は落ち込むのを忘れてポカンとしている。そのうちに楽しそうに歌う私たちを見て笑顔を見せる。名前の所は私だけが歌う。それはそうだ。この場で藤宮の名前を知ってるのは私だけだから。思ったよりキーが高くて心配になった。
「ディア、千夏さん〜」
「「「「ハッピーバースデートゥユー」」」」
「おめでとう藤宮さん」
拍手と共に私が言えば、他からもおめでとうと声がかかる。すると藤宮さんは立ち上がって周りの人達にありがとうございますとお礼をし始めた。私はそれを視界の端に収めながらアミーゴス達と握手をする。
「アイライクチチャリートベリマッチ。アイシンクヒーイズアベリベリィグッドフットボールプレイヤーアンドヒーイズソーキュート」
アミーゴスはわかってるねぇみたいな事を言っていたから伝わったと思う。何はともあれ、サプライズ的なモノは成功した。誕生日は凄いと思う。こうやってみんな無条件で祝ってくれるのだから。
「ふふ。なんか面白かったわね」
「ありがとうございます。羽田課長。今年の誕生日は1人だったから嬉しかったです」
藤宮さんは笑顔でそう言った。始まりからこうして店の雰囲気が落ち着くまでのたかだか10分あるかないかのイベントだけれど、彼女が笑顔になってくれて私は嬉しい。
「どういたしまして。さ、ケーキをどうぞ。甘いものは気持ちを落ち着かせてくれるから。ついでにコーヒーを貰うけれど、あなたも飲む?」
私は燃え尽きた花火を取りながらケーキを藤宮さんに勧めてそう言うと、彼女はケーキを前にしてしかめ面をして頷いた。私には彼女が泣くのを我慢しているように見えた。
「なぁに?私の優しさにウルっときちゃったの?泣きながら食べてもいいからね」
「な、泣きません」
頬を膨らませて否定する顔もまた可愛らしくて、私はついつい頬を緩めてそれを見つめてしまった。ゆるふわ愛されマシュマロガールの色々な表情が見ることができて私は満足だった。
「そうよね。笑顔で食べた方が美味しいよね」
藤宮さんは食べている間に泣くことはなかった。私はそんな彼女をコーヒーを飲みながらにこにこして眺めていた。そんな私の顔を見て藤宮さんは言った。
「私、羽田課長って怖い人だと思っていたんですけど、でもこうして話してみると全然違いました。優しくて、それに笑顔になると凄く素敵です」
「あら、ありがとう。でも私はそのことも分かっているのよ。私は自分をきちんと知っているの。藤宮さんも早く己を知りなさいね」
藤宮さんはまた複雑そうな顔をした。私はその顔を見て、早く自分の魅力に気付いたらいいのにと思った。
「一口食べますか?」
「それ、生クリームよね。私はバタークリームのケーキが好きなの。だから要らない。でもありがと」
「そうですか。羽田課長はバタークリームが好きなんですね」
「そうなの。フランクフルタークランツとかあるでしょ?私アレ凄く好き。でも、一番食べたいのは昔ながらのバタークリームのケーキなのよねぇ」
「私はちょっと苦手なんです。バタークリーム」
藤宮さんは嫌そうな顔をした。そんなに嫌な顔しないでほしいと思うけれど、なぜか皆んな同じような顔をする。
「美味しいのよ、本当に。なんとも言えない色のピンクとライトグリーンのバラの花がバタークリームでデコレートされててね、なんか側面には仁丹みたいのが付いているの。スポンジ生地が今どきのケーキみたいにフワフワしてなくて固くてもっさりしているの。そういうやつ。もう随分と売ってるのを見ないのよね」
「それはまた、何だか凄そうな食べ物ですね」
何だか藤宮さんにディスられたようだけれど気にしない。子供の頃に祖父母の家で食べた、私にとって大切な思い出の味だから。本当に美味しかったのだ。
どっかに売ってないかなぁ、食べたいなぁと考えているとご馳走様でしたと聞こえたので意識を戻しておめでとうと声をかけた。そしてもはや隠すことをやめてテーブルの上に置いてある藤宮さんのスマホに視線を向けた。
実は私たちがこうしている間にも、藤宮さんのスマホにはメッセージがちらほらと届いていたんだけれど、私たちは敢えてそれを意識のうちから外して会話をしていた。
「羽田課長は何も聞かないんですね」
藤宮さんはスマホを手に取って意を決したようにそう言ってきた。私は藤宮さんのスマホを指差した。
「んー?そのさっきから私たちの邪魔をしているソレのこと?」
「はい」
「私はさっき聞いたわよ。それをあなたが無視したの。ならもう聞くことも無いと思ってるだけよ」
「すいませんでした。そんなつもりはなかったんです」
藤宮さんは私に責められたと感じたのだろう。そのせいで彼女の雰囲気が益々暗くなってしまった。
「そんな顔しないで。別に責めているわけじ無いんだから」
藤宮さんが私を見て弱々しく微笑んだ。私も彼女を安心させるように笑みを浮かべて見せた。
「まあ、ちょいちょい来るそのメッセージはいい加減鬱陶しいとは思うけれど、誰にでも何かしら抱えているものはあるだろうし、それを誰かに言う必要もないからね。あなたが言いたくないのなら私も聞くことは無いわ」
「…そうですか」
「でもね、藤宮さんがそうやって隠す事をやめたのは、私に何か話したいと思っていることが理由かなって思ってるの」
藤宮さんはハッとなって私に顔を向けた。
「よく知らない間柄の方が話しやすいってこともあると思う」
そう言って私は水を向けた。藤宮さんが話したいのならと、そう思って。
結局のところ、私は心の奥では藤宮さんと関わることを望んでいた。私はこのゆるふわガールを好ましいと思っているのだ。何だかんだと自分にブレーキをかけてみたところで意味の無いことだったと私は自分の愚かさを噛み締めながらそう思った。
私の言葉が呼び水になったのかもしれないし、もう話す気になっていたのかもしれない。どちらかわからないけれど、藤宮さんはスマホをテーブルに戻して話し出した。
「私、不倫してるんです。もう1年くらい」
「へー」
「あれ?」
「何よ?どうかした?」
「いや、あの、羽田課長のリアクションが凄くあっさりした感じだったので。もっと、こうグッと来るのかなと思って」
藤宮さんは、もっと、こうの所で両手を前に出してから、グッの所で自分の方に引き寄せて手を握る動作をして今はそのままの姿でいる。何処ぞのアイドルがやりそうなポーズになっていて、私はその姿を見て三度胸が高鳴ってしまった。もうやめてほしいと本気で思った。
「藤宮さん」
「はい」
「私の反応なんてどうでもいいことでしょ。あなたは話したいことを話せばいいのよ。意見が欲しければそう言って。それまで黙って聞いているから」
私は藤宮さんを見つめてそう言った。彼女も私をジッと見ている。それから藤宮さんは頷いて話し出した。
「私、彼のことは好きですけど、会いたい時に会えないし、土日は論外だし、彼の都合でしか会えないのも仕方ないことなのかなとは思っていたんですけど、ここ半年くらいは会ってもご飯を食べてうちに来てセックスして帰るだけだし、私は彼にとって都合のいい女でしかないのかなって思うようになったんです」
「ふむ」
「彼が自分の都合のいい時には頻繁に会いたいとか好きだとかメッセージを送ってくるんです。今夜みたいに。私の方は気を使って夜とか土日は送れないのに。なんかムカつくから無視してるとこうやって送ってくる頻度が増えるんです」
藤宮さんはスマホを指差した。タイミングよくスマホが震える。それに気づいてより一層顔をしかめた。
「ふむ」
「付き合い始めの頃はよく時間を作ってくれて無理して泊まってもくれて嬉しかったし、たまにですけど土日もどっちかは会ってくれてたんです。私バカだから彼を受け入れてから暫くはこういう秘密の関係にときめいちゃったりしてたみたいで」
「ふむ」
「でも会えたら嬉しいけど、会えないとイライラするし落ち込むしで、今はもうそういうのは疲れちゃたんですよね。元々先の無い関係だし、私の浅はかさとか彼のズルさとかがわかってきちゃって、なんかバカらしいっていうか。ずるずると続けていくのももういいかなって」
「ふむ」
「だからもう終わりにしようかと思うんですけど、いざ会うとやっぱり好きだから言いえなくなっちゃって。彼の方も私の雰囲気とかを察して別れないように仕向けてくる感じでとても優しくしてくれるんです。そんな彼に絆されちゃうんですよ私。どうにかしたいんですけど、私バカな上に優柔不断で、極度の恋愛脳でもあるみたいで」
「ふむ」
「先週の誕生日も結局ドタキャンされちゃって、メッセージを無視していたらこういう事になっている訳です」
藤宮さんはスマホを指差してから残っていた気の抜けたアルコールを一気に煽り、ふう、と息をついた。それからてへへへと笑った。
「もう振り回されるのは嫌だから別れたい。けど別れたくない。別れたくないけどやっぱり別れたい。そういう思考の繰り返しで頭がぐちゃぐちゃしているんです」
「ふむ」
「私が抱えているものはこんな話です。聞いてくれてありがとうございます」
一気に言いたいことを話した藤宮さんは少しスッキリした顔をしていた。溜め込んだ気持ちは誰かに話すだけでも違うものだから聞けてよかったと私は思った。ただ少し、いや凄く気になるところが出て来てしまったけれど。
「いいのよ。私、ふむしか言っていないもの」
「ふふ。確かにそうでしたね。それで羽田課長、よければ何か言ってくれませんか」
同情でも忠告でも何でもいいから話せということだろう。私には藤宮さんの相手に思い当たる節がある。当たりかどうかはわからないけれど、かなり前から上層部の方で話に上がっている男だと思う。私は藤宮さんにその男をぶつけてみて外れていたら誤魔化すことにした。
「言ってくれというのなら言うけれどね、くだらないとは思うわね。片想いならわかるけど、お付き合いしているのに笑顔でいられない恋愛なんて」
「…ですよね」
私は藤宮さんの恋愛をくだらないと否定した。藤宮さんは落ち込んで俯いてしまった。きつかったとは思うけれどでもまだ泣かないでほしい。きっときつい話だしこれからもっと訳が分からなくなると思うから。
「さっさと自分からお別れを言って、立ち直るまで泣いて過ごしていればいいと私は思う」
「…はい」
「ねえ藤宮さん」
「…はい」
「伊藤課長はそんなに素敵?」
またしても切りが悪くなりました。次に続けます。