extra 1
始めてみました。
よろしくお願いします。
「ということになりました。それで、響子さんが美樹さんによろしく伝えて欲しいと言ってました」
私は今、件のBARのカウンターに座っている。いつものチンザノドライのロックを啜り、お腹に溜まりそうなソーセージの盛り合わせと付け合わせのザワークラウトとパンを摘みながら美樹さんと話をしている。お盆休みの前日、仕事終わりにここに来て私の目の前で優しく微笑んでいる美樹さんに私と響子さんのことを話したのだ。
響子さんは長めの連休前になるといつも仕事や人員の調整なんかがあって忙しい。一応誘ってはみたもののやはり無理だった。本当は一緒に来たかったけれど、それでも私がひとりでここに来たのは、私のことを気にかけてくれていた美樹さんと亜里沙ちゃんに私たちのことを早めに伝えておこうと思ったからだ。亜里沙ちゃんはテーブル席にいて他の客の相手をしているのでまだ話せていない。そのうちに私の所に来てくれるのは分かっているので、それから話すことにしている。
「そっかぁ。よかったね。麻衣子ちゃん」
「はい。私、もう凄く嬉しくて。美樹さん、気にかけてくれてありがとうございました」
私が喜びを隠せずににこにこしながら響子さんとのことを話している間、美樹さんは心底ほっとした様な顔をして微笑んでくれていた。そのことが凄く嬉しかった。
「お礼なんて言わなくていいんだからね。麻衣子ちゃんが幸せならそれが一番なんだから」
美樹さんはそう言ってカウンターの向こうから両腕を伸ばして私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。結構な力のせいで私の頭が前後左右にがくがくと揺れたけれど、その美樹さんの手に愛情のこもった優しさを感じて、私の顔が自然とどんどん綻んでいった。
わしゃわしゃする手を引っ込めた美樹さんが微笑んでいる私の顔をじっと見て、それこそ今一番言わなくていいことを口にした。
「麻衣子ちゃんの笑顔は素敵だよね。あーあ。後10歳若かったら私が恋人になりたかったよ」
「あー、美樹さん。無事を祈ります。頑張って」
私は美樹さんが褒めてくれた笑顔を悪いモノに変えて、献杯のつもりでグラスを目線の高さまで掲げてそれを一気に呷った。これから美樹さんの身に起こることを考えたら、そのぐらいはしてあげないと可哀想だと思ったのだ。
「麻衣子ちゃんどうしたの?」
「後ろ」
「美樹」
私が美樹さんの背後を指差したのと由美さんが呼びかけた低い声が重なって、美樹さんは振り向きながらびくっとするという、ちょっと難しそうなことをやっていた。
美樹さんは気付いていなかったみたいだけれど、カウンター奥のスペースから美樹さんのパートナーの由美さんが顔を覗かせて私達の話を聞いていたのだ。
「ゆ、由美。え、えっと、いつからそこに?」
「ずっと。今の話、奥でゆっくり聞かせて貰うから」
「い、い、今のはちょっとした冗談だってばっ」
由美さんはあわあわと慌て出した美樹さんをもの凄い怖い顔で睨んでから私の方へ顔を向けた。私も怒られるのかと思ったけれど、由美さんは優しく微笑んでくれた。
「麻衣子ちゃん、よかったね。私も嬉しいよ」
「えへへ」
そう言った由美さんも美樹さんと同じように私の頭をわしゃわしゃとしてくれて、私の顔がまた綻んでいった。由美さんはほんとに素敵だねと囁いてくれたあと、私を撫でてくれた手で美樹さんの腕をしっかりと掴んだ。
「麻衣子ちゃんまた後でね」
「はい由美さん。ごゆっくり。あ、美樹さんも。ふふふ」
「ちょっと麻衣子ちゃんっ。笑ってないで助けてよ」
「いいから来る」
私は由美さんと一緒に奥のスペースへと消えて行く美樹さんに笑顔で手を振った。あの様子ではなかなか戻って来られないだろうなと思って、私は本気で美樹さんの無事を祈っておくことにした。
でもそうなるとお酒は誰が作ってくれるのかしら。私は空のグラスを見てふとそんなことを思いながらタバコに火をつけた。
「麻衣子さん。何か作りますか?」
私の心配は直ぐに解決した。亜里沙ちゃんが私の側にやって来てくれたのだ。
「亜里沙ちゃん、来てくれたのね。じゃあ同じヤツでお願い。亜里沙ちゃんも何か飲んでね」
「分かりました。チンザノドライ、ロックですね」
亜里沙ちゃんがでは私も頂きます、ありがとうございますと言ってカウンターへと入って飲み物を作り出した。
「私、亜里沙ちゃんにも伝えたいことがあるのよ」
「何ですか?」
私は飲み物をを作ってくれている亜里沙ちゃんに私と響子さんのことをざっくりと話した。亜里沙ちゃんはよかったですねと言いながらグラスを私の前に置た。
「そう言えば麻衣子さん、何かいつもと違いますね」
「そう?別に変わらないと思うけれど。あ、私今すごく幸せだからさ、それが溢れ出ちゃってるんじゃない?」
私の満面の笑みを華麗にスルーして、亜里沙ちゃんは私をじっと見ている。何だろうなと思いつつ、私が置かれたグラスを持って口に運んだ時に、亜里沙ちゃんはもの凄く残念そうに口を開いた。
「ちぇっ。麻衣子さんの新しい扉は私が開らかせたかったのに。ああもうっ。 本当に残念です」
「んっっ。ちょっ、亜里沙ちゃんっ。何言ってんの?」
亜里沙ちゃんの鋭い観察眼に完璧に見抜かれてしまった私は、一口飲もう口を付けていたお酒を少し溢してしまった。それを見た亜里沙ちゃんが渡してくれた紙ナプキンで口を拭きながら、亜里沙ちゃんの続けた言葉に思わず感心してしまった。
「分かるんですよ、私。麻衣子さん、かなり奥まで行きましたね」
「うわぁ。プロって凄いのねぇ」
「プロではないけど分かるんですよ」
「プロでしょ。その道の」
「違いますよ。私はそうやって恋人達を愛しているだけですから。そこに義務や金銭は発生していませんし」
「あー、そっか。なるほどねぇ」
そうかと納得した私に亜里沙ちゃんが微笑んだ。それはとても冷たい感じのする微笑みで、ある嗜好の持ち主であれば泣いて喜びそうなモノだった。けれど私はそれを普通に受け止めていて、私に微笑む亜里沙ちゃんはそれを直ぐに引っ込めて怪訝な顔になった。
「どうかしたの?」
「麻衣子さん、今のでドキッとかキュンとかしませんでしたか?」
「うん。特にしなかったわね」
亜里沙ちゃんの微笑みはとても冷たい感じはしたけれど、私はそれ以外に何も感じなかったのだ。亜里沙ちゃんはそんな私を見て、心底羨ましそうな声を出した。
「いいなぁ響子さん。本当に羨ましいです」
「今度は何?」
何を言われるのかと私は警戒した。あっちの話を細かく突っ込まれるのはさすがに照れ臭いし、新しい扉を開いたことを簡単に見抜いた亜里沙ちゃんであれば、私のあられもない姿を容易く想像できてしまうだろう。それはもの凄く恥ずかしいのでほんとに勘弁してほしい。
「麻衣子さんは響子さんだけのモノということですよ」
「へ、へぇ」
確かに私が扉を開けるのは響子さん限定だ。亜里沙ちゃんはそんなことも分かってしまうのかと私は動揺してしまった。それを誤魔化すように目の前に置いてあるソーセージやらパンやらを頬張りながら、亜里沙ちゃんが話し続けているその道の奥深い話を動揺を隠しつつふむふむと聞いていると、暫くしてカウンターの奥のスペースから美樹さんがふらふらと出て来て亜里沙ちゃんの隣に立った。カウンターに手をついて俯いているその様子はかなりお疲れのように見えるけれど、どこか満ち足りていて少々顔が上気しているように見える。
「亜里沙。お水ちょうだい」
「氷入れますか?」
「何でもいいよ。冷たければ」
それを待っている間、美樹さんはほうっと色っぽい溜息を吐いていた。私はその様子を見て裏で何があったのかと聞きたくなったけれど、口には出さずに大人しくタバコを吸ってお酒を舐めていることにした。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
まったく、ほどほどにしてくださいとぼそっと言った亜里沙ちゃんからグラスを受け取った美樹さんが由美に言ってよと返しながらやけに気怠げな感じでそれを一気に呷っている。その姿は顔に掛かっている髪のほつれのせいもあってとても艷っぽく見える。亜里沙ちゃんは呆れてはいるものの、その様子を妖しく微笑みながら見つめている。私はそんなふたりを不思議に思って眺めている。
「オーナー。開いてます」
「あらいやだ」
亜里沙ちゃんの指摘に慌ててスカートのジッパーを上げだした美樹さんを見て、スカートだけでなく着ている服が由美さんに連れていかれる前よりもどことなく乱れていることに気が付いた。私はようやく奥で何があったのかを察した。きっと奥であんなことやこんなことが行われていたのだ。気付かなかったとは言え私の居る目と鼻の先で。
「ごほごほっ、ごほごほっ」
それに気付いてしまった私はタバコの煙でむせてしまった。更には当の本人を目の前にして驚きやら照れやらで顔が赤くなっていく。その赤い顔を見られては気恥ずかしいので、ここが薄暗くって本当に助かったと心の中でほっと安堵した。
「麻衣子ちゃん。変な咳して大丈夫?何か顔も赤いけど」
「ふふっ」
薄暗いのに気付かれてしまった。けれどそれは美樹さんのせいなのだ。それなのに今やけに色っぽいこの人は何事もなかったかのようににこにこと微笑んで私を見ている。
亜里沙ちゃんに至ってはもの凄く楽しそうな顔で私を見て妖しく微笑み冷たく鼻で笑っている。さすがドS。そうやって私の羞恥心を煽ろうとしているに違いない。
けれど私はもう響子さん専属なのだから、そんなことでどうこうなる筈がないのだ。いや違ったわね。専属ではなくて限定だった。だからと言うか、とにかく今の私は以前の私とはわけが違うのだ。何も知らない初心で甘えていただけの私はもう居ない。だから新しい扉を開いた私がこんなことくらいでいつまでも動じたままでいるなんてことはあり得ないのだ。
第一そんなモノ、そうでなくては響子さんに申し訳が立たないでしょう?
「大丈夫です。ちょっとむせただけですよ」
響子さんから貰った自分でもなんだかよく分からない自信を裏付けにして私は柔らかく微笑んだ。そして私は照れやら驚きやら気恥ずかしさをすぐに消して何事も無かったように冷静沈着に振舞うことに成功した。
「それにしてもおふたりは、もの凄〜く仲良しなんですね」
「仲良し?」
「奥のスペースの話ですよ。ね、麻衣子さん?」
「そうよ」
私は美樹さんを見て悪い顔をして微笑んだ。言外にお盛んですねという意味を含めた微笑みだ。だって攻撃は最大の防御だから。Sぽい雰囲気を醸し出した今の亜里沙ちゃんの前で後手を踏むわけにはいかない。そうしなければドSの亜里沙ちゃんに付け入る隙を与えてしまうのだ。
けれど残念だったわね亜里沙ちゃん。これくらいのこと、初心を失くした今の私には全然余裕なのよ。うふふ。
「あらいやだ。麻衣子ちゃんにも分かっちゃったんだ。なんだそっか。もう、恥ずかしいなぁ。あ、じゃあさ、それならちょっと聞いてよ麻衣子ちゃん。だってね、由美ったら今はやめてって言ったのに全然聞いてくれなかったんだよ。ちょっと麻衣子ちゃんの笑顔を褒めただけなのに意地悪だと思わない?ほんとやんなっちゃう。それにね、由美は大人しそうな顔してるけど実はあっちの方がかなり積極的なのよ。ほら、むっつりって言うの?あの子、見た目はそういうことに全然興味ありませんみたいな顔しているでしょう?けど由美はね、興味ないどころかかなり好きなんだよ。どこで覚えてくるのか知らないんだけど、毎晩のようにあれやこれやとしてくるの。お陰でこっちは疲れを取る暇もなくてほんとに大変なのよ。だからね、私のこと麻衣子ちゃんには元気に見えてるかも知れないけど、疲れてるところに今のアレでしょう?今だってもうもの凄く疲れちゃってくたくたなのよ。まったく。由美も少しは遠慮してくれたらいいんだけどねぇ」
美樹さんは一気に話した後、また色っぽくほうっと溜息を吐いた。何がそうさせたのかはよく分からないけれど、美樹さんは急にマシンガントークを始めてどこか楽しそうに由美さんの内情を暴露してしまった。
その様子がなんだか面白くて、私は思わず笑いそうになってしまった。美樹さんは今も、もう本当に困っちゃうのよねなどと文句を呟いていながらも、嬉しそうにして頬に両手を当ててくねくねと身体を揺らしている。
そんな美樹さんがとても可愛らしくて見えて、私は可笑しさを堪えつつ幸せそうで私も嬉しいですと声を掛けたくなったけれど、既に再び危機に陥っている美樹さんのために私も再び献杯のつもりでグラスを掲げてそれを呷った。そして私は今回特別に頑張ってのセリフとともに、胸の前で手をぎゅっと握って可愛く言ってあげることにした。やはりそのくらいはしてあげないと可哀想だと思ったからだ。
「美樹さん、ほんとお疲れ様です。頑張って」
「ん?あらそのポーズ可愛いねって、やだまさか…う、うそだよね?」
「後ろ」
「美樹」
奥のスペースから由美さんが顔を覗かていて、さっきと同じように美樹さんを睨んでいる。美樹さんはさっきと同じようにあわあわと焦った顔をした後に凄く疲れた顔になっている。亜里沙ちゃんは美樹さんの横で小刻みに震えていて笑いを堪えていように見える。私は亜里沙ちゃんを視界に入れないように先のふたりを交互に眺めながら、亜里沙ちゃんの様子が目に入ると私も笑ってしまうから本当にやめて欲しいと思っている。
もはや美樹さんは振り向かなかった。あの視線が怖いのだろうし、これから何が起こるのかもちゃんと理解しているのだ。美樹さんの凄く疲れた表情を見ていると、可哀想にと思うけれど、亜里沙ちゃんと同じで私も笑えてきてしまう。だって美樹さんはたった今戻ってきたばかりなのに、また奥のスペースに行ってしまうのだから。この短い時間で二度目なのだから。
「来て」
「…はい」
美樹さんは諦めた顔をしてとぼとぼと自ら裏へと消えていった。そしてふたりが奥へと消えた後、私と亜里沙ちゃんは思わず顔を見合わせて声を押し殺してお腹を抱えて笑い出した。声を押し殺したのは由美さんにバレたら怖いからだ。
「ふふっ、ふふふっ。もう駄目。あはははは。あー、おっかしい」
「ふふふっ、ふふっ。もう無理。うふふふふ。私、お腹痛い、です」
結構な時間ふたりでけらけら笑った後、ようやく笑いが収まった私達が他愛のないお喋りをしていると、暫くして戻ってきた美樹さんはお水頂戴と言って更に疲れた顔と気怠げな姿を見せながらもとても艶々していた。その様子を見た亜里沙ちゃんが震えながら美樹さんに水を渡していた。私もまた顔を伏せてお酒を舐めながら暫く小刻みに震えていた。
「ちょっと麻衣子ちゃん、いつまでも笑っていないでよ。酷いよ。ほら亜里沙もいい加減やめなさいよ」
「そんなこと言ったって、ねぇ亜里沙ちゃん」
「ええ、そうですよね」
「もうっ。やめてよ」
「ちょっ、美樹さん?」
「痛っ」
「やだなぁもう。恥ずかしい」
美樹さんが私達の震えに気づいて文句を言っていたけれど、こればかりはそんなに艶々している美樹さんが悪いのだから仕方ない。更に美樹さんは、やめてよと言いながら震えている私達に摘みのナッツを投げつけた。私としてはやめてよは色んな意味でこちらのセリフだと思うのだけれど。
「何?何?何の話?」
「何でもないですよ、由美さん」
それから少しして、こちらはかなりご機嫌な顔をしてとても艶々している由美さんが奥のスペースからやって来たので、私は頑張って笑いを収めることにした。亜里沙ちゃんもそうしているようだった。時々眉を顰めているのは笑ってしまうのを堪えているのだろう。それがまた私を笑わせるのだけれど、私は三人からは見えないカウンターに隠れている自分の腿をつねって耐えていた。
その後は四人でお酒を飲みながら、他の常連客がやって来たり、時折腿をつねったりして普通にお喋りをして過ごしていた。
「麻衣子さん麻衣子さん」
「なに?亜里沙ちゃん」
亜里沙ちゃんがちょんちょんと私の肩を突きながらこっそり私に呼びかけて、こんな感じでしたよねと頬に両手を添えてくねくねと身体を揺らして美樹さんの真似をした。
「ふふふっ。ちょっとやめてよ亜里沙ちゃん」
「亜里沙?」
「何?何?何の話?」
こうしてBARでの夜は平和に過ぎていった。勿論、美樹さんだけはその範疇には入れなかったけれど。
翌る日のお昼過ぎ、私は響子さんの部屋の前にいる。これから五日間もの間、私たちは一緒に過ごすのだ。そう思ってにやにやしながら玄関の扉を開けてくれるのを待っている。
直ぐにいつものキャミとショーツだけの格好をした響子さんが開けてくれた。その姿を見てドキッとしながら私が一歩中に入ると、その途端に響子さんが私の胸に飛び込んで来てくれた。
「お帰り麻衣子っ」
「ただいまきょうちゃんっ」
私は響子さんを片腕でしっかりと抱き止めて、そのまま後ろ手に扉を閉めた。それからしっかりと両腕を回して少しの間響子さんの体温と香りと感触を堪能した私は、その可愛らしい唇もちゃんと味わうことにした。
「きょうちゃん」
「麻衣子」
お互いに唇を寄せてそっと重ね合った。私たちは暫く戯れ合うように絡んでいた。私は絡めて絡まる甘くて柔らかな響子さんを味わいながら、その身体をしっかりと抱き締めて、今ここにある確かな幸せも一緒に味わっていた。
こんな感じで話が続いていきます。
10話前後を予定しています。
不定期ですが、10月中には終わる予定です。
また暫くお付き合いくださいませ。
目次のいじり方がよくわからないので、取り敢えずこれでいきます。
読んでくれてありがとうございます。




