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続きです。

甘々も続きます。

よろしくお願いします。

 

「麻衣子は口元が甘いのよ」


「違いますー。寝ていたら涎が出るのは仕方ないんですー」


 私たちは事のきっかけとなった私の涎についてお互いの見解を述べていて、議論は平行線を辿っている。


 時刻は午後3時を過ぎていた。私たちは一緒にシャワーを浴びて諸々を流してさっぱりとしたあと、三度(みたび)腕を絡めてくっついてソファに座り意見を戦わせていた。


 私の作戦が失敗に終わったことは甘んじて受け入れたけれど、寝ていて涎を出さない人間などこの世には居ないのに、響子さんは何故かそれを分かってくれないのだ。


「何言ってるのよ麻衣子。そんなのは気合いで止めるのよ」


「またぁ、そんな訳の分かんないこと言って。きょうちゃんだってよく涎垂らして私の服とか身体につけてるじゃない」


「私は涎なんて垂らしません。麻衣子とは気合が違うんだから」


「いや、垂らしてるね。気合なんて関係ないのよ」


「垂らしません。すべては気合なのよ」


「駄目だよきょうちゃん。枕カバー。あれさ、ひっくり返して涎の跡を誤魔化してるつもりなの?バレバレなのよいや、何でもない、何でもないよ。私はこれからは気をつけるよ」


「そう?わかってくれて嬉しいわ」



 響子さんはそう言って私の頬を撫でてくれた。こうして涎については私が全面的に降伏することになった。けれどそれは私が負けを認めると響子さんが嬉しそうにするので私は負けを認めたのであって、断じて視線に耐えられなかったとか認めると撫でてくれるからとかではない。でも撫でられれば嬉しいし視線が凄く怖かったことが理由でなかったと言い切れない所もあったかも知れない。


 涎戦争が終わって平和が訪れたところで私は響子さんの肩に頭を預けて絡めた腕を私の方に引き寄せた。今のようなちょっとした喧嘩、というほどのものでもないけれど、こうした何気ない日常を響子さんの傍で過ごしていることがただ嬉しくて私は凄く幸せな気持ちになっていた。


「どうかしたの?」


「ううん。幸せだなって思っているだけ」


「私が涎で怒ったのに?」


「そうよ。だって楽しいでしょ?そういうのも」


「そうね、私もそう思うわ」


「ね。私、今楽しいもん」


「ねぇ麻衣子」


「なに?」


「私も麻衣子とこうしていることが幸せなのよ。それに楽しいの。ちゃんと覚えておいてね」


「わかった。きょうちゃんがそう思ってくれているなんて凄く嬉しい」


 先週私が言った言葉と似たようなことを響子さんが言ってくれた。私は嬉しくなって響子さんの方へ身体を向けて左手を伸ばして響子さんを抱いた。そしてその腕に力を込めた。そうすることで響子さんをより感じようとしたのだ。顔を埋めた首すじを深く息を吸って響子さんの香りを確かめてから唇をその首すじに触れてその感触を味わった。そんな私を響子さんはしっかりと受け止めてくれていた。私たちは暫く抱きしめ合った後に自然と体を離し元に戻った。


 私たちの間には穏やかな時間が流れている。三度絡めた腕はまだ解かれていない。




「あのね、麻衣子にお土産げがあるんだけど、食べる?」


「食べるよ、ってなに?食べ物なの?」


「ケーキ。昨日買ったのよ。今冷蔵庫で冷えてるのよ」


「食べるよっ」


 私は目を輝かせ、響子さんはそんな私を見て嬉しそうに笑った。


 ケーキの用意するためにキッチンに向かう時も私たちは互いの腕は解かなかった。私はそんなことにも嬉しくなってしまうけれど、いつかはそれが当たり前だと思えるようになることを私は望んでいる。もっとこうして響子さんと日々を過ごしたいなと、昨日から冷蔵庫に寝かされているケーキに想いを馳つつも私はそんな事を思った。


 響子さんが冷蔵庫から取り出した少し大きめの箱は見たことのないお店のものだった。響子さんがその箱からケーキを取り出すのを見ながら一体何個買ったのだろうと思ったけれど、そこに現れたケーキに私は釘付けになってしまった。


「ねぇ、きょうちゃん。これって…」


「そうよ。バタークリームのケーキ。麻衣子が食べたがっていたから、知り合いに特別に作ってもらったの。サイズは小さめのやつだけどね」


「昨日のいいものって、このケーキのことだったのね」


「そうよ」


 突如現れたケーキは全体をバタークリームで覆われていて、更に何とも言えない色のピンクと薄いグリーンの、これまたバタークリームで作られた大小さまざまな薔薇がデコレートされていた。そして周りだけでなくこれまた仁丹のような小さくて丸い銀色の粒が散りばめられているそれは、紛れもなく私が長年恋焦がれていたバタークリームのケーキ。それがホールでそこに鎮座していた。


「凄いっ。凄いよきょうちゃん、ありがとっ。大好き、超愛してる」


「うわっ。ちょっとっ」


 私は感謝感激のあまりに響子さんに抱きついた。回した腕を下の方へずらし背中を反って私に乗せるようにして響子さんをさんを持ち上げた。響子さんはうっと声を出したけれど私は御構い無しにきつく抱きしめた。本当はこのままくるくると回りたかったけれどキッチンでは狭くて危ないので止めておいた。それから響子さんを降ろし、その両手を取ってぶんぶん縦に振った。響子さんは私の喜び様に苦笑しつつも嬉しそうに相手をしてくれた。


 私の興奮が収まったところで、なぜか私がコーヒーを淹れる係になっていた。そのことにぶうぶうと文句を言っていると、私のプレゼントだから私にやらせて欲しいと言ってくれたので、私はコーヒーを淹れている間もちらちらと切り分けられるケーキに視線をやりながらも、快く響子さんのにすべてを任せていた。

 当のケーキは見た限りでは冷やされたバタークリームが最高の固まり具合に見える。本当はフォークで突いて確認したいところだけれど響子さんに任せた以上、そこは何とか我慢をした。ただ、あの冷えて固まったバタークリームが口の中で溶けていくのを想像してしまって、私は逸る気持ちを抑えるのがとても大変だった。


 私は鼻歌交じりでローテーブルにケーキとコーヒーを並べ、その前に陣取ってじっくりとケーキを観察している。切り分けられたそれのスポンジは三層構造になっていて、見るとキメが細かくて今時のふわふわではなくしっかりとしつつもパサついて、もっさりした感じを期待させる。そのスポンジの間には薄くバタークリームが塗られていて一緒に食べればふわふわしていないその食べ応えとクリームの口溶けによってさぞかし絶妙な美味しさであろうことを予感させている。一番上と周りに塗られているバタークリームは当然他の場所よりも厚く、冷やされていたお陰で薔薇の形をしたクリームとともに見事に固まっている。そこまで観察したところでふと顔を上げると響子さんの嬉しそうな顔があった。私を見て微笑んでいたらしい。私は自分の様子に少し恥ずかしくなって視線をそらすと薄く切られて倒れているケーキが乗ったお皿が目に入った。


「きょうちゃんの小ちゃくない?て言うか立ててないよソレ、寝ちゃってるし」


「いいのよこれで。麻衣子にたくさん食べて欲しいんだから」


「たくさんて、きょうちゃん。ホールだよ?いくら私でもそれだけの量を食べるのは、まぁいけちゃうけどさ」


「なにも一気に食べなくても、また後で食べればいいでしょ」


「あ、そうか。凍らせておけばいいのよね。美味しいもんね。さすがきょうちゃん天才的」


「さ、もう食べよう」


「うんっ。頂きます」


「どうぞ召し上がれ」


 私は響子さんの号令とともにそっとフォークをケーキ入れてクリームだけをすくい取りすぐさま口に入れた。少しだけ油分が多く感じる冷えたクリームは濃厚で仄かなバターの香りとともに私の口の中でゆっくりと溶けていった。


「んー、美味しいっ。きょうちゃんこれ凄く美味しい」


「ふふふ。喜んでくれて本当よかった。たくさん食べてね」


 響子さんは私が食べる様子をじっと見ていた。凄く喜んでいる私を見て安堵しつつ嬉しそうに微笑んでいた。私の様子を見届けるまで食べていなかったようで、ケーキをフォークに取って口に入れた響子さんは途端に微笑みを消して顔を顰めていた。響子さんはバタークリームを好きではない。顰め面は悲しいけれど、好きでもないのにこうしてお皿を並べて付き合ってくれるし、このケーキを私のために用意してくれたと思うと余計に嬉しくなった。


「きょうちゃん本当にありがとね」


「どういたしまして」


 私が微笑むと響子さんも微笑んで髪をそっと撫でてくれた。そして私は再びケーキに向かっていく。薔薇だ。子供の頃に食べた時はこの薔薇も大きく見えたけれど久しぶりに目にするとそれは苺ほどの大きさも無かった。私はそれをフォークで掬ってひと口で口に入れて先ほどと同じ様に口溶けを楽しんでいる。さっきより量が多いので溶けるまで時間がかかり、口に残る余韻も長く楽しめて凄く幸せな気分になれた。薔薇のピンクもグリーンも味に差など無い。私はきっと赤色何号とか青色何号とかで着色されているに過ぎないのだと思っている。それでもやはり美味しい物は美味しいのだから何にも問題はない。私は続けてもう一つ口に入れた。同じ様にゆっくりと溶けて幸せな気分を残して消えていった。


 バタークリームの塊を堪能した私は、続いて私はスポンジへと乗り出した。フォークを入れていくとスポンジの重たさを感じて、私の期待通りにしっかりとしてパサついていると思われた。三層あるスポンジを下まで切って、それをまたひと口で食べることにした。口に入れるとしっかりとして少しパサついたスポンジに薄く塗ってあるバタークリームが絡んでもなお、水分がないと飲み込めないこのなんとも言えない感が堪らなく癖になってくるなと、もぐもぐ噛みながらそう思っていた。


 上手く伝わらなかったかも知れないけれど、要はとても美味しいと言うことなのだ。私の中ではバタークリームのケーキは昔も今も間違いなくクィーンオブケイクスということだ。響子さんは私の力説にもへぇとかふぅんとか言ってまったく興味を示さないけれど、今私は響子さんにとても感謝しているし、この味わいにとても満足しているのでまったく気にならなかった。


 そうして夢中になって食べているうちに、響子さんがお代わりを持って来てくれたこともあって、結局私はひとりでホールの半分ほどを食べてしまったので、さすがにお腹が膨れてしまった。


「けふ。あ、ごめんなさい」


「ふふふ」


 私はフォークで切り分けた最後の欠片を口に入れてその味を堪能した。それから残ってたコーヒーを飲んで至福の時間を終わらせた。その時に軽く粗相をしてしまったけれど、私が謝ると響子さんは笑ってそれを許してくれた。


「あー、美味しかった。ご馳走様でした。きょうちゃん本当にありがとね」


「麻衣子が喜んでくれて嬉しい。買って来た甲斐があったわ」


「これはお礼。ん」


 私はお礼にと思って響子さんにキスをしようとしたけれど、響子さんは近寄っていく私の肩を押さえてキスをさせてくれなかった。私は響子さんの嫌がる顔を見てとても悲しくなってしまった。キスを嫌がられたのは遠い昔の学生の頃、初めて響子さんの家で朝を迎えた時に寝起きでキスをしようとした以来のことだった。悲しい顔をした私を見た響子さんは少し慌てていた。


「きょうちゃんに嫌がられちゃった」


「違うのよ麻衣子。違うの」


「何が?」


「あのね、何かね、麻衣子の口が凄く甘そうでね、それに唇がね、バタークリーム塗れでてらてらしてる気がしたのよ」


「コーヒーも飲んだし、口も拭いたのよ?」


「あの食べっぷりを見ていたらそんなの全然関係ないのよ。口の中も凄く甘そうだし。イメージよイメージ」


「む。そんなの知らないよ」


「だからその、バタークリームの感じがちょっとね。麻衣子が嫌なんじゃないのよ」


「ふーん、そうなの。わかった。ちょっと待ってて」


 私は優雅にコーヒーカップに口をつけた響子さんを置いて立ち上がり、食べ終わったお皿をついでに持ってキッチンに向かった。背後からくすくすと笑ってる響子さんの声が聞こえたけれど、私は気にしない。お皿を流しに置いてから、コップに水を入れて入念に口を濯でから唇を綺麗に拭いた。私は口を濯ぎながら、口の中が甘いとか唇がてらてらとかありえないわよと思ったけれど、さっきの粗相の匂いが少し甘かったかも知れないなと思って、より入念に口を濯いでやった。




「絶対甘くないから。それにてらてらとも言わせない。見てよほら、唇も綺麗でしょ」


「ふふっ………あははは」


「何で?」


 私がキッチンから戻って勢いよく響子さんの隣に腰を下ろして響子さんに顔を向けた。そんな私を見て微笑んでいた響子さんが突然笑いだした。私がお腹を押さえて笑っている響子さんを不思議に思って見ていると、少しして響子さんの笑いは収まった。


「何がそんなに可笑しいのよ?」


「ふふふ、昔の麻衣子を思い出したのよ」


「昔の私?」


「そうよ。それよりもう綺麗なんでしょ?キスしてくれないの?」


「あ、そうね」


 私は響子さんを腕の中に包み込んでそっと唇を合わせて、少しだけ絡んで唇を離した。


「どう?」


「嬉しい。もっとしてくれる?」


「いっぱいしちゃう」


 今のは確認のつもりでしたキスだったけれど、響子さんはキスをねだってきた。可愛いなぁと思いつつ私は再び唇を寄せて響子さんの愛らしい唇に重ねた。すると響子さんの方からやって来てくれたので私はそれを喜んで迎えた。じゃれ合うように戯れていると何とも幸せな気持ちになってくる。私たちは離れては重ねて、重ねてはじゃれ合ってを暫く繰り返していた。


 お互いに満足すると響子さんは私の腕の中で、甘くなかった、キスは凄く甘かったけどと甘えたように言ってくれた。

 私はキスがケーキのお礼だったことを思い出し、きょうちゃんケーキありがと大好きだよと伝えると響子さんは私にしがみついてきて、私もと呟いて顔を私の胸に埋めてきた。

 突然甘えモードになった響子さんの余りの可愛さについもう少しと思って、私はきょうちゃんと呼びかけた。私は顔を上げた響子さんの顎に指を添えてもう少し上を向かせてから再び唇を寄せていった。



 キスが終わった後も甘えモードになったままの響子さんはずっと私に抱きついたままだ。

 私たちはソファに並んで座り直したけれど、響子さんは私の右腕を掻い潜るようにして横から私に抱きついて私の胸に顔を押し付けるようにしていた。私は右腕を回して響子さんをしっかりと抱いた。こんなに甘えてくる響子さんは珍しいなと思いつつ、滅多にないことだからとこの貴重な時間をありがたく堪能していた。

 暫くそうしていると響子さんが膝枕をして欲しいとせがんできた。私は当然それを受け入れて、もぞもぞ動き出した響子さんの頭を私の膝に乗せた。私の方に顔を向けて転がった響子さんがキャミを捲って私のお腹に唇で触れてくれていた。私はそんな響子さんがとても愛おしくて響子さんの柔らかな髪を優しく撫でていた。


「ケーキを作ってくれた人なんだけどね」


「ん?ああ。それが?」


「私の初めての恋人だった人なの」


「へ?へぇ。そ、そうなの」


  唐突にそんなことを言われて間抜けな返事をしてしまった。私と出会う前の響子さんの恋人のことは知らない。響子さんは話さなかったし聞く必要もなかったから。

 なぜいきなりそんな話をするのかと思う私を置いて、響子さんは話を進めていった。




今日はこの1話のみです。

読んでくれてありがとうございます。

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