Extra トモエイコ
今日も今日とて、コンビニでのアルバイトを済ませた僕は食堂へと足を運ぶ。僕が向かう食堂には、ケイジ以降、初めて好きになった異性が居るからだ。
ケイジの事を忘れた訳では無い。今でもふとした瞬間、ケイジの事を思い出しては、虚無とも言える寂しい思いが僕の胸中に湧いてしまう。
ケイジの事を吹っ切れていないうちに、トモーに対して愛を伝えてしまった事には、深い罪悪感を抱いている。しかしそれでも、トモーに対する僕の思いに、間違いも紛れもない。
僕はトモーを、心底、愛している。心酔していると言っても過言では無いほどに、愛している。トモーとは長く接しているからか、あの時のケイジ以上の魅力を、感じている。良い所しか、見当たらない。
そしてトモーもきっと、僕の事を愛してくれている。そう信じてる。それが信頼だと、思っている。
そうは言っても、金銭面の問題がある。
トモーが働いている食堂は安いとはいえ、やはり外食。自分でご飯を作ったほうがよっぽど安く済むし、もっと言えば僕は少食で、百円もしないカップ麺ですら食べきる事は困難だ。つまり昼食としてはカップ麺ひとつでも、十分といえば十分。
しかしそんな事、トモーには言えない。言える筈がない。トモーには数え切れないほど沢山の借りがある。
僕に居場所を提供してくれた事や、僕の愚痴を聞いてくれている事、僕の心を救ってくれた事や、生涯最高と言えるほどの喜びも、与えてくれた。本当に、借りだらけである。
そんなトモーに「お金が勿体無いから来たくない」なんて、どの口が言えるだろう。そもそも「来たくない」訳が無い。来たいに決まっている。毎日だってトモーに会いたいに決まっている。
お金という現実と、トモーに会いたいという現実。二つの現実が毎日、僕の脳内で戦っている。
足取りが軽いような、重いような。そんな心境で僕は歩き続け、ついにオヤッサンの食堂の前へとたどり着く。
「ふぅー」
トモーに会える喜びと、数百円の現金が僕の財布から消えていく事に対する不満を、ため息として吐き出し、引き戸となっている扉に手をかけ、思い切り引く。
「どーもぉー! エイコちゃんが来たよー!」
この時間にはお客さんが少なく、また、たとえお客さんが居たとしても、僕の存在を知っている常連客ばかりだという事を知っている僕は、遠慮の無い元気のいい声を上げ、扉の間から店の中へと顔を覗かせた。
やはり思った通り、今の時間帯は、座敷もカウンター席にも、お客さんは居なかった。
しかし、入り口から向かって右側のほうにある座敷の上で、オヤッサンとトモーが、漫画の本を片手に、抱き合っている姿が、目に入る。
トモーは漫画の本を投げ捨てながら「エイコッ……」という、息の詰まったかのようなか細い声をあげ、オヤッサンはいつも通りのエネルギッシュな声で「宮田の嬢ちゃんいらっしゃーい!」と言った。
僕は脳が停止してしまい、顔を引っ込め、扉をゆっくりと閉めた。
「……エイコッ! エイコ違う!」
店の中からドタドタといった音と、オヤッサンの「がははははは!」という声が聞こえてくる。
僕は扉を開けられないように、グッと力を込めて扉を押さえ込む。すると直ぐ様、扉を開こうとする力が加わったのを感じた。
「ええっ! エイコ扉押さえてる? エイコ誤解だって!」
「何っ? 誤解って何っ? 僕何を誤解してるっていうのっ?」
「いやっ……と、とにかく、扉を開けてくれ!」
「別に僕、誤解なんかしてないよっ! ただトモーがバイだったってだけの話でしょっ!」
「いやいや! それが誤解なんだってっ! バイって口に出すな!」
「どう誤解なのっ! 抱き合ってたじゃんっ! 僕だってまだそんな……うぅもぉーっ!」
僕は感情に任せたまま、思い切り食堂の扉を開く。その事にとても焦ったのか、驚いた表情をしているトモーの顔をにらみ、体当たりをするように抱きつき、トモーの身体を押し倒した。
「うごっ!」
僕は倒れたトモーの身体の上に馬乗りになり、まるであの日のように、あふれる感情のまま、力の篭っていない猫パンチを、トモーへと打ち込む。
何度も何度も、打ち込む。
「バイじゃないって事くらいわかってるよっ! 問題は、僕だってまだそんなにトモーに抱きついた事無いのに、なんでオヤッサンと抱き合ってるんだって事なんだよ! しかも……レディコミ見ながら! 訳わかんない! 混乱してるよ僕はっ! 嫉妬してるの! それくらい解るでしょ!」
「あっ……いやっ……殴るのやめて」
「辞めないっ! なんで男同士で抱き合ってたの! 早く答えてっ!」
「いやその……えー……あの……」
トモーは僕に殴られながら、オヤッサンのほうへと視線を向ける。僕もつられてオヤッサンの方へと視線を向けると、オヤッサンはニッカリとした表情をしながら、地面に投げ捨てられていたレディコミを手に取り、ページをめくり、僕へと近づいてくる。
「あー。ここだのぉ。トモーはこの場面の予行練習をしとったんじゃ」
オヤッサンは開いたページを僕へと見せ「がははは」と笑っている。
僕はトモーを叩く手を止めて、そのページを眺めた。僕の視線を追っていたオヤッサンは頃合いを見て、次のページをめくる。
「その時になって頭が真っ白んなって何も出来なくなるくらいなら、予行練習しておこうって俺が提案してのぉ。トモは嫌がっておったが、こういう事って、失敗が許されんだろ。親心のつもりだったんだが……がはははは」
僕は霞んでいく視界を、倒れているトモーの顔へと移す。
「……はは。バレたから、他の方法考えとかなきゃ」
トモーは苦笑いのような表情を浮かべ、両腕を広げて身体の全てを地面に預け、天井を見上げた。
……そうか。予行練習。
亜由ちゃんを相手に予行練習する訳にも行かないだろうし、相談出来る相手と言ったら、オヤッサンだけだったのだろう。
そしてオヤッサンは、ちょっと変だから、予行練習しようと、言い出したのだろう。その最中を目撃してしまった僕は、空気も読まずに、全てをゲロらせてしまった。
……申し訳ない。
僕は倒れているトモーの身体に覆いかぶさり、トモーの目を見つめる。するとトモーは僕と同じように、僕の目を見つめてくる。
大きくまっすぐなトモーの瞳は、とてもとても、魅力的。その瞳に見つめられたら、僕はいつも、ドキドキしてしまう。
「……ごめん。ちょっと、大げさに騒ぎすぎました。それに、せっかくサプライズしようとしてくれてたのに、台無しにして、ごめん」
「いいよ。他の方法を考えてみる」
トモーは笑い、僕の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でる。
この人の、この髪を撫でる手が、僕の身体の中心を、熱くさせる。いつもの事だが、僕は思わず「んぅ」という、とても甘ったるい声を漏らしてしまった。
「……可愛いな、エイコは」
トモーの声に、僕は我慢出来る筈も無く。
僕は目をつぶり、トモーの唇へと、自分の唇を押し当てた。
レディコミには、こう描かれていた。
大学生の女性が自分が所属しているサークルの部室へと訪れるも、カーテンが閉め切られていて電灯も点いておらず、真っ暗の状態のままの部室を、カーテンを開くために部室の中へと足を踏み入れていく。
すると突然、部室の電灯が点けられ、多くの友人がクラッカーを鳴らし、彼女の事を「おめでとう」と、祝福した。その日は女性の、誕生日だったのだろう。部室の内装も、誕生日用に装飾されていた。
あっけに取られている彼女に代表の男性がプレゼントを渡そうとするも、女性は泣き出してしまい、男性に抱きついていた。その抱きつく場面を、僕はたまたま見てしまったのだろう。
誕生日が近づいている僕に対して、このサプライズをそのまんま、この店で行おうとしていたんだろうな……トモーもオヤッサンも人がいいから、絶対にそうだと、思う。
あぁ……台無しにしてしまい、申し訳ない。
「ごめんね、トモー」
「……ううん。それよりも、さ……オヤッサンが、見てる」
トモーは、トモーに抱きついたまま唇を押し当て続ける僕の髪の毛を撫でながら、チラリとオヤッサンの顔を見つめた。
キスを辞めさせたいなら、髪の毛を撫でる手を止めればいいのに。
馬鹿。
大好き。
「でも、抱き合う必要は無かったですよね」
「……気分が乗っちゃって」
「あのヒゲダルマ相手に気分が乗ったんですか? やっぱバイなんじゃないの?」
「誰がヒゲダルマじゃチンチクリンが!」