①
久しぶりのルドヴィカは縮んでしまったようです。
「ルドヴィカ・スフィーア」
名前を呼ばれたので食べていたケーキから視線を上げる。口の中にものを入れたまま話すというはしたないマネをしてはいけませんと言われているので返事は出来なかった。
視線の先には第2王子であるアンリと彼に寄り添うピンクの髪のルイズ。アンリの横に宰相の孫ジェフ。ルイズの横に義兄デビッド。少し後ろに騎士リチャード。隠れるようにクリスがいる。
なあに? と小首を傾げるとこれからすることへの罪悪感からかアンリは少し目をそらしたが、拳をぐっと握るとルドヴィカに対して言い放つ。
「ルドヴィカ・スフィーア。ルイズ・ローに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを王族に迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにナナイ王国第2王子アンリ・ナインとスフィーア公爵家長子ルドヴィカ・スフィーアの婚約を破棄する。そして、ロー子爵家令嬢ルイズ・ローとの婚約を宣言する」
高らかに宣言する。それを聞いた周囲の人間はアンリに対して驚愕の表情を浮かべる。その中で一人、当事者のルドヴィカだけは不思議そうな顔をしたままだった。
「こんにゃく?」
口の周りにケーキのクリームをつけたままルドヴィカは無邪気に問うた。
当然だろう。ルドヴィカは御歳7つ。
7歳のルドヴィカが学園に入学している理由のひとつは婚約者たるアンリとの仲を深めるため。まわりは年上ばかりの中、健気にアンリを慕うルドヴィカはいわばマスコット的存在として学園で人気を博している。
二つ目はルドヴィカの魔法の才能が突出しすぎており、幼年学校でも家庭教師にも手に負えなかったという事情が大きい。国一番の魔法学を修める学園ならば魔力の制御方法も学べるだろうというスフィーア公爵の計らいでもある。7歳ながら学園一、いや王国一の魔法の使い手でもある。
ただ、魔法に偏りすぎて精神年齢や一般知識は年齢よりもかなり幼い。
「こんにゃくではない。婚約、こ・ん・や・く、だ」
「こんやく」
丁寧に訂正するアンリにルドヴィカも素直に言い返す。よく出来ましたと誉められてルドヴィカは頬を赤くして笑った。
「こんやくはまえにきいたよ。けっこんのやくそくをすることだよね。けっこんはずっといっしょにいること。アーリさまはルゥとずっといっしょにいてくれるんだもんね」
初めて会ったのはルドヴィカが4歳の頃。“アンリ”と言うことができず“アーリ”としか言えなかった。それ以来、ルドヴィカはそう呼んでいる。
2人はそのときに婚約をしている。何だかよくわかっていないルドヴィカにアンリは分かりやすく説明をし、それをルドヴィカはずっと覚えていた。
「ルドヴィカ、その約束を反故にさせてもらう」
「ほご?」
「あ、えーと、無かったことにする」
ルドヴィカは一瞬きょとんと目を大きく開け、アンリの言葉を理解すると大きくなった瞳に涙をためた。
「なんでぇ? アーリさまはルゥといっしょにいてくれるっていったのに。やくそく、したのに」
ぼろぼろと鼻を赤くして泣き始めるルドヴィカ。それを見た周りの女生徒が動く。ハンカチを取り出し涙を拭う者。ぎゅっと抱きしめる者。アンリに苦情を言う者。
「ルゥ様になんてこと言うんですか!」
「そうですよ、かわいいルゥ様を泣かせるなんて」
「男の風上にも置けません」
「最低ですね」
学園のマスコット・ルドヴィカの味方をし、王子だとかそんなもの関係ないと次々に糾弾する。
女生徒の集団の圧力に耐えかねてアンリは1歩後ろに下がった。
「アーリさまをいじめちゃだめー」
それを見たルドヴィカは健気にもアンリをかばう。その姿に女生徒たちは心臓をキュンっとさせ、ますますルドヴィカに入れ込んでいく。
「いじめてなんかいませんよ」
「そうですよ、かわいいルゥ様と婚約しているだけでも噴飯ものなのに」
「ルゥ様の幸せを願っているだけです」
「マカロン食べますか」
最後の女生徒の差し出したピンクのマカロンを笑顔で受け取り赤くした目からぽろぽろと落ちていた涙は引っ込んだ。両手でマカロンを持ってもきゅもきゅと食べる子リスのような愛らしい姿に女生徒たちは頬を染めて魅入っている。
今までのやり取りを全て忘れてなかったことにしてルドヴィカが笑ってくれることを願っていた女生徒たちの期待は裏切られる。
「でな、ルドヴィカ。婚約を破棄するぞ?」
女生徒から、いや他の男子生徒からも冷たい視線がアンリにささる。ずさずさと容赦なく全身に突き刺さる。
マカロンに笑顔を取り戻したルドヴィカも再び表情を曇らせる。
「アーリさまはルゥのこときらいになっちゃったの?」
うるうるとした大きな瞳で見上げられる。その手には食べかけのマカロン。はみ出したガナッシュが指についている。
「い、いや嫌いになったわけじゃない」
そのあまりにも庇護欲をそそられる姿にアンリはたじろぐ。だがここで折れてしまえば彼の愛するルイズとの未来はないのだと己を叱咤する。
「ルドヴィカはルイズに嫌がらせをしただろう? そんな子とは結婚できないんだ」
7歳のルドヴィカにわかりやすいように努めて簡易に、そして限りなく柔らかい声をつくることに成功した。
「ルゥはそんなことしてないもん」
しかしルドヴィカには通じなかった。悲しみの表情から怒りの表情へと変化した。顔を真っ赤にして口を尖らせて上目遣いでアンリをにらみつける。手には力を込めたことでぐしゃっとつぶれてガナッシュまみれになる食べかけのマカロン。とてもかわいい。
「してないしてないしてないしてない! してないったらしてないもん」
駄々をこねる姿も愛らしい。
「だがな、ルドヴィカ。例えばだが、ルイズの羽ペンを壊しただろ?」
それを聞いたルドヴィカは駄々をこねるのをやめた。頬は膨らませたまま言い訳する。
「だって、だって。綺麗で、ふわふわして、さわるとすべすべして、だって、だって・・・」
羽の部分がいたく気に入りすべすべと触っているうちに壊してしまったことは事実なのだ。
「でも、でも、ちゃんとごめんなさいしたら、ルイズちゃんも『いいよ』っていってくれたもん」
ルドヴィカはごめんなさいが出来る子だ。公爵令嬢で、膨大な魔力持ちで、大人な人間の中でたった一人ちやほやされていようと、きちんとごめんなさいが出来る子だ。だからこそ他の生徒たちに愛されている。傲慢でわがままで好き放題していたらもっと冷遇されていたはずだ。
「そうよ、ルゥ様はちゃんと謝ったわ」
「ローさんもルゥ様の謝罪を受け入れていたじゃない」
「わたくしはルゥ様にペンダントを壊されてしまいましたが、怒ってはいませんよ」
「意図せずとも起こるときは起こってしまうのです」
女生徒たちの援護が入る。壊そうとして壊したわけではない。それにたいして謝罪をした。7歳の女の子が真摯にした謝罪を受け入れずしてどうする。そしてそれを蒸し返すとは何事だ。生徒たちからの糾弾が飛んできた。
「差し出がましいようですが発言をお許しいただけますか?」
とスフィーア公爵家の侍女がすすっと出てきた。貴族の子息令嬢には身の回りの世話をするための付き人がいる。特にルドヴィカは7歳の少女であるため特別に学園内でも侍女がついている。
アンリが首をかしげて発言を許すとミーシェと名乗った侍女はルドヴィカの知らない後日談を語る。
「確かにルドヴィカ様はルイズ様の羽ペンをお壊しになられました。その件に関してはお父上であるスフィーア公爵様に報告し、公爵様より謝罪のお手紙と代わりの羽ペンをお渡しすることでこの件はおさめることで話がついております」
ざわり、と周囲がざわめく。
公爵家の人間が、それも当主が、子爵家の人間に、それも庶子に、謝罪をした。
本来ならありえないことだ。たとえ物を壊そうと奪おうと、公爵家の人間ならばよほどのことがない限り謝罪などしない。私的な場所でならあるかも知れないが、公的にこのような場で話すことが許される話ではない。侍女であるミーシェも知っているはずだ。それをあえて話すことを公爵本人より許可されているということ。
ルドヴィカの『ごめんなさい』は私的な場所にあたる。今後成長するに従って、公と私を使い分けていくことになるだろう。
公爵様にそこまでしてもらいながら、その上さらにルドヴィカを責めるのか。
「ル、ルイズ? ミーシェの話は本当なのか?」
さすがにアンリも驚きルイズに確認を取る。
ルイズ本人はことの重大さに全く気づく様子もなく頷いた。
「ええ。娘が迷惑をかけたとお手紙をいただきましたわ。でも壊されたことは事実ですもの。許すことは出来てもなかったことにはできませんわ」
許したならば蒸し返すなよ。とその場にいる全員が思った。
アンリたちがルドヴィカを糾弾するはずが、他の全生徒から糾弾されることになったアンリたち。だが恋愛フィルターがかかっているアンリには身分に囚われず公正な判断が出来るいい子だとねじくれた好意的な解釈をしてのけた。