御心
これは特権たる特権である。
我々が生まれながらに持つ四肢のように、一度失っては元には戻らない、信仰と呼ばれるものである。
神がいるか否かなどという下らない問いはもはやこの現世から抹消されるべきである。
広漠的で叙事的な、或いは曖昧な概念は切り捨てるべきである。
しかしながら無神論者と自称するものも死すべきである。
彼らは思考を放棄するばかりで、己が何を根拠として絶対的存在を否定するのか考えようともしない。
今日も往来の人々は常に笑っている。
彼らは酒を飲んだり、テレビジョンを見たりして、その漠然とした空虚な時間を過ごしている。
河童はテレビを真剣に見るが、我々はテレビを見て笑うのである。
滑稽な、滑稽たる光景に我々は目を向けようともしない。
そのひと時の享楽の後に待つのは死である。
絶対的な存在の死である。
我々が苦しみの果てに待つのは更なる虚無である。
やがて死は平等だとは言えぬ世になり、資本が死生観をも支配する思想が蔓延するだろう。
僕はその広漠たる、荒廃した、愚かしい、残酷な世の中に懐疑的にならずにはいられないのである。