親子
基地司令には悪いことをしたと思っている。
最重要目標が基地内に潜伏しているから捕縛する許可をくれ、と肉薄したメイナードにびびって、首を縦に振ることしか出来なくなった心優しい彼。
あれが、この辺り一帯の、自称独立国家との戦闘の指揮官かと思うと、多国籍軍が少し可哀想になってくる。上層部も何故、彼を前線に送ったのだろう。明らかな人選ミスだ。
出来れば施設に損害を与えるようなことは、と言っていたが出来なかった。コンクリートの隔壁を吹っ飛ばしてしまった。
彼は今どんな顔をしているだろうか。頭を抱えてるかもしれない。膝を抱えて、泣きじゃくってるかもしれない。
そんなデスクの前で泣きじゃくる基地司令を想像しながら、ぼくはあてがわれた部屋でビールを飲んでいた。
ソファに横になって、よく分からない銘柄のビール――生憎、バドワイザーは無かった――とチップスを貪る。
何の生産性も無い時間。少なくともぼくは、人間にはこういう時間が必要だと感じている。無価値で利己的で怠惰な時間が。
それは、多分父親の影響なのだろう。
父は軍人で、叔父も軍人で、祖父も軍人だった。ぼくも軍人になった。
父はグリーンベレーだった。いつも何処かの戦場にいて、家に帰ってくることは稀だった。
母はぼくが2歳の頃にダンプに轢かれてぺしゃんこになった。運転してたのはジャンキーで、信号無視して突っ込んできた。ジャンキーも母も即死で――母とジャンキーを並べて言いたくは無いが――、母はどうしようもない理不尽に殺された。
父は母の葬式に来なかった。リビアにいたのだ。任務中で葬式に来れないなんて、よくある話だ。ぼくも知り合いの葬式の日に、ソマリアで民兵の手作りECNをぐちゃぐちゃにしていた。
でも、ぼくは覚えていないのだが、母の葬式に来なかった父をひたすら叩いたらしい。祖母に聞いた話だ。家に帰ってきた父の足をひたすら無言で叩いていたという。
それからぼくは祖父母たちと暮らすようになった。父は滅多に帰って来なかったし、叔父は海外に駐留していた。
祖父はぼくを厳しく育てた。ぼくの家は軍人の家系で、祖父もぼくを軍人にしたかったのだろう。
およそ子供がやるような量では無いトレーニングや格闘術。長い休みには、山にナイフ一本で放り込まれた。
地獄だった。祖父は75レンジャー連隊の出身で、家の裏には父や叔父を鍛えた祖父特製の殺人屋敷。
父はたまに帰ってきた。帰ってきて家族で食事をすると、父はバドワイザーを片手に一人、部屋に籠った。
一度、父の部屋を覗いたことがある。
父はぼんやりとしていた。ぼくが覗いてることにも気付かずに、ビールを胃に流し、一枚の写真を見ていた。普段、表情というものを何処かに置いてきたような父が、その時だけはとても弱い存在に見えた。
ぼくがデルタから820特殊機甲歩兵連隊に異動して数年後、父が倒れたと連絡が入った。癌だった。
大佐から休暇を貰って、父が入院している病院に行くと、ぼくは言葉を失った。
父は笑っていたのだ。表情や感情というものと無縁だった、あの男が、ぼくが憧れた男が看護婦に笑顔を見せていた。
「父さん」
「ビルか……聞いたぞ、ECN専門のオペレーター(特殊部隊員)になったんだってな……おめでとう」
「……ありがとう」
ぼくは父と話した。長い時間、朝から晩まで話した。これまで話せなかったこと、亡き祖父母のこと、父のこと、ぼくのこと、母のこと、これから話したかったこと。
父はフランクな人柄だった。今まで、ろくに話したことも無かったから、寡黙な人だとばかり思っていたけど、そうじゃなかった。ぼくは、本当の父を知らなかった。
「お前は俺に似ているよ……」
「どんなところが?」
「顔が良いところだ……」
父はぼくのことを愛してくれていた。ぼくも父を愛していた。互いに距離が掴めなかっただけだった。
母が死んで、ぼくも父も悲しんだ。傷は深くて、親子の距離、接し方、愛し方を忘れさせてしまった。
父の体に唯一ある傷痕。それがリビアで付いた物だと知ったのは父の葬式の後だった。
葬式の後、遺品を整理するために実家に帰った。
誰もいない。みんな死んでしまって、ぼくだけが生きている家。
ぼくの部屋はハイスクールの時のまま、大して好きでも無かったコミックとゴムナイフ。昔、ガールフレンドと初めてキスしたのは、ここだっけ。
隣の父の部屋に入るには勇気が必要だった。半生を悲しみと苦しみと任務に生きた男、やっと解放された男の歴史が染み付いた部屋。
ドアを開けたぼくは拍子抜けした。父の部屋には何も無かった。ベッドやデスク等の家具はある。でも、そうじゃない。
悲しみも苦しみも、その部屋には無かった。
キッチンからバドワイザーを持ってきて、父のベッドに腰掛けた。
アイボリーの壁紙に父の写真。戦友と肩を組み白い歯を覗かせる父、訓練した現地民と酒を酌み交わす父。ぼくの知らない、ショーン・ブラッド大尉。
いつか見た弱々しかった父は何を見ていたのだろう。
それは引き出しにあった。ぼくと父と母の3人で撮った写真。
父はそれを見ていた。在りし日の、続いたかもしれない思い出を。
何の生産性も無く、無価値で利己的で怠惰に、思い出に浸かっていた。
ぼくの耳に父の最期の言葉が蘇った。全身に癌が転移してベッドに縛り付けられた、ナノマシンでの治療を拒み死を望んだショーン・ブラッド。
「ビル……すまなかったな」
「おい……ビル?」
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。メイナードが起こしてくれた。頬に返り血。
「ノックしてから入ってきてくれ……」
「ノックならしたぜ?返事がなかったから入ったんだよ、寝坊助やろうが」
貰うぜ、と言ってメイナードはビールを一本開けた。
「バドワイザー無いなんて、地獄だ」
「だとしたら、お前の地獄は相当安いな。で、お話は終わったのか?」
ぼくが訊くと、メイナードは思い出したように口を開いた。
「あぁ、その事でここに来たんだよ……これ見てみろよ」
ぼくのARにファイルが送られてくる。軍の人員情報ファイルだった。
「あいつらな……ヤンキーだよ」