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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第二部 彼女と幼馴染と野球と
50/52

#11-4


 お互いがまともに会話できるようになったのは、それから五分くらいしてからのことだった。

 浩介はまだ目が赤いながらも「恥ずかしいところ見られちまったな」と恥ずかしそうに笑うから、僕は「お互い様だよ」と返した。

 そうして、僕らは笑い合って、やっとこれからの事を話せるようになった。


 僕には浩介にどうしてもちゃんと訊いておきたい事がある。


「野球部には、戻ってくるんだよね?」


「ああ、そのつもりだ。けど、まずは義足を付けて歩けるようにならないとな。野球部への復帰はそれからだ」


 浩介はハッキリとした口調で強い意志を見せてくれる。

 そんな浩介を目にして、僕は安堵した。

 以前のあの力強い目をした浩介が戻ってきてくれたから。


「良かったよ……」


「まあ、そんな風に思えるようなったのも、お前のお陰だけどな」


「そ、そんなこと……」


「謙遜すんなよ。事実だぜ。お前の投げてる姿を見て、そう思えたんだ。それに、お前が持って来た野球雑誌を読んで、俺も少しは希望が持てたしな」


「野球雑誌……そっか、あれ、ちゃんと役に立ったんだ……」


 マスターから僕に託され、僕から浩介の手に渡った三冊の野球雑誌。

 あれは浩介が言うように、浩介にとって『希望』となるものだ。


 あの雑誌はどこにでもありふれた野球雑誌だ。

 けれど、あの三冊の中には、ある特集記事が組まれている。


 一冊目には、過去、隻腕ながらもメジャーリーグで活躍した野手の特集記事。

 そのメジャーリーガーが片腕ながらもどうやって野球選手となりメジャーまで上り詰めたのか、その半生が語られている。


 二冊目には、僕達と同じ、とある高校球児の特集記事。

 その球児は、片足が義足ながらも、レギュラー入りを果たし、実際に甲子園の土まで踏んだ。

 そんな球児の野球への熱い想いが雑誌の中では語られている。


 二冊とも、浩介にとって正しく『希望』を与えてくれるものだ。


 そして、三冊目は――。


「しかし、あれだ……流石にあれはないだろ、達也? あんなので俺に発破をかけたつもりか?」


「え……」


 浩介はジト目を向けて、僕を責めるように見ている。


「ええっと……な、何の事かな……?」


「惚けんな! 何だったら、ここで読んでやろうか?」


 浩介はそう言うと、何処からか取り出したのか、一冊の雑誌を僕に見えるように広げた。


「げっ! そ、それは……!?」


「はっはっはっ! 今更気づいても遅いわ! なになに……『肩の負傷により選手生命を絶たれた悲劇の元全中天才右腕、サウスポーとなって、高校野球にまさかの復活!』だってよ。すげーなー。誰の事だろうなー?」


 浩介は意地悪そうな笑みを零しつつ、その台詞とは裏腹に感情の籠っていない声で尋ねてくる。


「あ、いや……それは、さ……」


 サーっと血の気が引いていくのが分かる。

 その記事の見出しになっている人物は間違いなく、僕だ。


「いやあ……流石にこれを見た時は殺意を覚えたぜ、俺は。なんだ? 自慢でもしたかったのか?」


「ち、違うよ! そんなつもりでその雑誌を渡したんじゃ――」


「ないってか? まあ、そうだろうな……」


「え……」


 浩介の顔を見ると、そこにはさっきまであった意地の悪そうな顔はなくなっていた。

 あったのは、少しだけ嬉しそうに微笑む顔だった。


「このピッチャーは、試合後のインタビューで、どうして左投手になろうと思ったのかって訊かれて、生意気にもこう答えてる。『僕は一度野球を諦めました。怪我のせいにして辞めてしまったんです。大好きだったはずの野球を大嫌いだって言って自分から遠ざけて、自分の殻に閉じこもったんです。だけど、二人の友人が気づかせてくれました。好きな事を好きだと言える勇気を。僕はやっぱり野球が好きなんだってことを気づかせてくれたんです。だけど、現在その友人の一人は僕なんかよりも酷い怪我をして、自分の夢を諦めようしています。だから、僕はその友人に見せてあげたいんです。こんな僕でも、左腕でしか投げられない僕でも、例え全力でプレーできなくても、夢は追い続けられるんだってところを』ってな。……すげーよな、コイツ。人前でこんな事言えるなんてよ」


「……」


 インタビューの内容を読み上げられて、恥ずかしかった。

 恥ずかしくて、顔から火が出そうで、何も言えなかった。


 マスターがこの雑誌をどういうつもりで僕に託したのかは、分からない。

 だから、浩介に渡すかどうかは直前まで悩んだ。

 でも、僕もこの記事を浩介に読んで欲しくて、僕の思いを伝えたくて、そのまま渡してしまった。

 だけど、まさか、僕のいる前で浩介に読み上げられるなんて思ってもみなかった。

 こんなの、羞恥心で死んでしまいそうだ。


「ありがとな、達也」


「……へ?」


 浩介から思わぬ言葉が飛び出してきて、僕は間抜けな声を出していた。


「由香がな、この記事を読んだ後、教えてくれたんだ。お前が俺の為にどれだけ頑張ったのか。入部するために松井とやりやったとか、俺の作った練習メニューを毎日欠かさず熟していたとか……そんな話を聞かされた」


「ゆ、由香が……?」


「ああ。それを聞いたらさ、もう止められなかったよ。お前がマウンドに立つ姿を見たくて、自分の気持ちを直接伝えたくて、時間は過ぎてたけど、自然と球場に向かってた。だから、ありがとな」


「浩介……」


 浩介の言葉に、僕はまた泣いてしまそうになって俯く。


「なんだ? もしかして、感動のあまり、また泣いてんのか?」


「ば、馬鹿野郎! そんなんじゃ……ないよ!」


 浩介の冷やかしに間髪入れず反論してみたものも、涙腺は弱まっている。


 こんなのずるい。

 羞恥心を煽られてからの、心を揺さぶる言葉だ。

 泣くなという方が無理だ。


「ははっ! わるいわるい。まさか、お礼言ったぐらいで、泣くとは思ってなかったからよ」


「だから、泣いてないってば!」


 僕が反発すると浩介はケラケラと笑う。

 けれど、それに悪い気はしなかった。浩介の笑顔が見られた事が嬉しかったから。


 でも、それは別にして、からかわれて良い気分になる人間なんていない。

 僕は、浩介には少しお灸を据えてやりたくなった。


「浩介さ、お礼を言うなら、僕にだけじゃなくて、由香とマスターにもちゃんと言いなよ?」


「ん? 由香は分かるが、どうして、マスターに?」


「あの雑誌、見つけてきたのはマスターなんだ。お前に直接渡すつもりだったらしいんだけど、お前がいつまで経っても部屋から出て来ないから、僕が渡す羽目になったんだよ」


「お、おう……そ、そうだったのか……。それはマスターにも悪いことしたな。今度、挨拶がてら、お礼と謝罪を……」


「謝るのはマスターにだけじゃないだろ? お前、前に由香に酷いこと言ったそうじゃないか? ちゃんと謝ったのかよ?」


「う、うぐっ……そ、そう言えば……まだだった……」


 浩介はきまりが悪そうにして、目に見えるほど落ち込んでいく。

 そんな浩介を見て、ちょっと可哀想な気がしたけど、僕の腹の虫はまだ治まらない。


「あの時の由香、すごく落ち込んで、泣いてたなー。ま、僕がしっかりフォローしておいたから、大丈夫だったけど」


「ちょ、ちょっと待て! な、泣いてただって!? そ、それになんだ、そのフォローってのは!?」


「さあ? でも、これだけは言えるよ。いまは僕の方が一歩リードしてるってことだよ」


「ぐっ……!」


 僕が勝ち誇るように笑って見せると、浩介は悔しそうに顔を歪めた。

 その顔を見て、少し虐めすぎただろうかと思っていると、浩介は顔から力を抜いて、ふぅっと息を吐いた後、項垂れた。


「ま、それは知ってたけどさ……」


「え……」


「そりゃそうだよな。半年以上も部屋に引き籠って、ウジウジしてりゃあ、そうなるわな……。ダメだなぁ、俺って……」


「こ、浩介……?」


 なんだか浩介の様子がおかしい。

 完全にしょげかえってしまっている。


 まずい。

 やりすぎてしまった。

 折角、立ち直ってくれたに、こんな事で落ち込まれては困る。


「お、おい、浩介、あのな……」


「くっ……くくっ!」


「え……あれ?」


「くくく……くははははっ!」


「お、おい……」


 突然、浩介は大笑いを始めて、僕には何が何だか分からない。


「ひー、苦し。相変わらず、馬鹿正直だな、達也は!」


「な!? だ、騙したな、お前!」


「簡単に騙される方が悪いっての!」


「お、お前ね……」


 睨む僕を尻目に浩介は腹を抱えて笑い続ける。


 ちょっとでも心配した僕が馬鹿だった。

 そもそも、浩介はあの程度の事で落ち込むような人間ではない。

 それを忘れていた。


「ち、ちくしょう……け、けど、僕の方が一歩リードしてるのは、本当の事だからな!」


「ああ、分かってる分かってる。けど、それもなー、どうなんだろうな? もしかしたら、俺がすぐに追い抜いちまうかもよ?」


「な、なんだよ、それ……」


 形勢逆転と言わんばかりに、今度は浩介が不敵な笑みを零す。

 それに僕は嫌な予感がした。


「お前さ、ここに俺だけで来てること、疑問に思わないわけ?」


「え……あ! そ、そうだ! ゆ、由香は!?」


 そうだった。

 浩介がここにいるのに、彼女がいないのはおかしい。

 あの彼女なら、浩介の傍を離れたりしないはずだ。


「お前さー、球場で由香があんなに言ったのに、それも聞かずに投げた挙句、ぶっ倒れたりするから、アイツ、大泣きするわ、落ち込むわで大変だったんだぜ?」


「そ、そんな……」


「心の整理がつかなかったんだろうな。誘ったけど、来なかった。ちゃんと謝んのは、お前の方だと俺は思うけどな」


「あ、う……」


 なんてことだ。

 そんな事になっているだなんて、思いもしなかった。

 よくよく考えれば、当然だ。

 彼女はあんなにも僕の事を心配していたのに、僕はそれを無視するような行動を取ったとも言えるのだから。


 僕は一体、どうすれば……。


「ま、俺の方からお前の状態の事とか伝えれば、落ち着いて由香の方から会いに来てくれると思うけど……どうする? たーつやくん?」


 浩介はなんとも意地悪そうな口調で僕に尋ねてくる。

 それに僕は……。


「う、ぐ……お、お願いします……」


 不様にも浩介に頼る他なかった。


「よし、これで貸一な?」


「……わ、わかったよ」


 すごく納得いかないが、仕方ない。

 僕はまだ精密検査のために入院しないといけないから、彼女に会うためには、彼女の方から来てもらうしかない。


「それじゃあ、俺はそろそろ帰るけど、他に由香に伝えて欲しいことはあるか?」


 浩介は機嫌の良さそうな声で僕に尋ねてくる。

 僕はしばし思案する。

 すると、大事な事を思い出して、浩介にある事をお願いすることにした。

 これならば、きっと今回の貸もチャラにできるはずだ。


「由香にはないよ。けど、浩介にはある」


「は? 俺に?」


「うん。ある物を僕の部屋から取ってきて、それを由香に渡して欲しいんだ」


「なんだよ、そのある物って……?」


「それは内緒だよ」


「はぁ!? それでどうやって取って来いと……」


「大丈夫。浩介なら部屋に入ればすぐに分かるよ。目につく場所に置いてあるし」


「なんだそりゃ? まあ、いいや。分かったよ」


 浩介は訝しげにしつつも、僕のお願い承諾してくれた。


 そして、もう話すこともなくなって、浩介は病室を出ていこうとする。


「浩介!」


 浩介の後姿を見て、僕は浩介を呼び止める。


「なんだよ?」


 僕の呼び止めに浩介は振り返った。


 その顔は、いつだって前だけを見て、夢を追い駆けている、僕の良く知った名倉浩介の顔だった。


 そんな浩介に僕は問い掛ける。


「浩介、野球は好き?」


 その問い掛けに、浩介は、


「ああ、もちろん! 大好きに決まってるだろ!」


 満面の笑顔で答えてくれた。



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