#10-4
翌日、僕は浩介のもとを訪れた。
「浩介、僕だ。入るよ」
ノック後にそう言って、僕はドアノブを回す。
何時ぞやとは違い、浩介の部屋のドアに鍵は掛けられていない。
ドアはすんなりと開いた。
けれど、部屋の主は相変わらずベッドの中だった。
浩介は布団に包まって、姿を見せようとしない。
以前のようにドアに鍵を掛けて、誰もかれも締め出すなんてことはなくなったが、部屋に引き籠っているのは同じだ。
浩介は自宅に戻ってきて以来、一度も部屋から出ていない。
おまけに、あれ以来僕達には顔すら見せようともしないから、僕には今の浩介がどんな風体になっているかすら分からなかった。
「何しに……きた?」
布団の中からくぐもった低い声が聞えてくる。
何しに来たと問われれば、僕の答えは決まっている。
僕はそれだけの為に今日ここに来たし、その為だけにこれまで頑張って来たとも言える。
だから、それを浩介に告げる事に躊躇いなどなかった。
「今日はお前に言っておきたい事があるんだ」
「俺、に?」
「ああ。青蘭、決勝まで行ったのは聞いてるよね?」
「……ああ。昨日、由香からのメールで……」
「うん、なら話が早い。明日の決勝、観に来て欲しいんだ。由香と一緒に」
「は……?」
僕の要求に浩介は惚けたような声を漏らす。
そして、少ししてから、ベッドからもの凄い物音が聞えてきた。
きっと、浩介が手でベッドを叩いたか殴ったかしたのだろう。
「お前は……お前はこんな俺に試合を観に来いって言うのか! お前らが楽しげに野球してる姿を観に来いって言うのかよ! ふざけんな! 誰が観に行くか!」
浩介は激高して、怒鳴り散らす。
その声も久しく大声なんて出すことがなかったためか掠れ気味だ。
それでも、そこに僕に対しての確かな怒りの感情が見える。
そんな浩介に、僕は安心した。
まだ、浩介には怒るだけの感情が残っている。
それは、浩介の中に野球に対しての未練が残っている証拠だから。
僕は怒る浩介に怯むことなく、静かに問いかける。
「浩介。由香から僕の事は聞いてるよね?」
「ああ! 聞いてるさ! 知ってるさ! お前が野球部で、試合でどんな活躍をしてるかなんてな! 由香は……アイツはいつも嬉しそうに話してくれた。お前が打っただの、走っただの、そんな事ばかりを! それを聞いて、俺は……俺は……」
浩介は今にも泣きだしそうな声で喋っている。
顔が見えないから、もしかすると本当に泣いているのかもしれない。
もし泣いているとするなら、その涙は、きっと悔し涙だ。
僕が野球で活躍している、頑張っている話を聞かされて、自分がそこにいない事への悔しさからくるものだ。
それが僕には痛いほど分かる。
けれど、僕は浩介の言葉を聞いて、また安心していた。
どうやら、彼女は僕との約束を、この時の為の約束を守ってくれていたようだから。
「浩介さ、僕がどのポジションをやってるか知ってる?」
その質問をする事が怖くはあった。
現代はネット社会。
知ろうと思えば、なんだってネットから情報を得られてしまう。
だけど、これは賭けだった。
いまの浩介なら、それすらも怖くてきっとしないだろうと思ったから。
その賭けに勝つか負けるか、それは僕がした質問に浩介がこれからする返答で決まる。
「……知らねぇよ。由香の奴、それだけは教えてくれなかった。どこなんだ? ファーストか? サードか? それとも、外野か? まさか、キャッチャーって事はねぇだろ」
その返答を聞いて、僕はほっと胸を撫でおろした。
どうやら僕は賭けに勝てたらしい。
「そっか。そんなに知りたいなら教えてやるよ。僕のポジションは…………ピッチャーだ」
「え……」
僕がピッチャーだと告げたことは、浩介にとっては思いがけないことだったのだろう。
浩介は驚きのあまり起き上がっていた。
その拍子で、包まっていた布団はズルリと垂れ落ち、浩介の顔が露わになる。
久々に見る浩介の顔は、以前とは全く違うものだった。
やつれて、頬もこけている。
顔だけではない。体の方もやせ細っている。
その姿は、もう僕の知っている浩介ではなかった。
けれど、僕はそんな事は気にしなかった。
そんなものは、これから幾らでも取り戻せる。
それよりも、真実を知った浩介がどんな反応を示すかが重要だ。
浩介の顔は驚いた表情のまま固まっていた。
「ピ、ピッチャー……? お前が……?」
「ああ、そうだよ。僕が投げてる。エースとして」
「エ、エース? う、嘘だろ……だって、お前はもう……」
浩介は戸惑っていた。
当然の反応だ。
僕がピッチャーをやっている事は、本来ならあり得ないことのなのだから。
「うん。右肩は無理だよ。だけど……」
僕は右手で左肩を掴んでみせる。
「ひ、左肩、だと? ま、まさか、お前……左、で……?」
「うん。左投げでピッチャーをやってるよ。昨日もこれで延長十五回まで投げたんだ」
「う、嘘……だろ?」
「嘘じゃないよ。知ってるだろ? 僕は右じゃあボールは投げられない。だから、左で投げる練習もしていたじゃないか」
「だ、だけど……それは野手としてで……」
「うん。最初はそのつもりだった。だけどさ、やっぱり僕はピッチャーを捨てきれなかったよ、浩介。確かに、以前のような剛速球は投げられない。だけど、左でピッチャーができるなら、それに賭けてみたくなったんだ。だから、必死に練習した。右利きで右投げだった僕が、右肩が使えないハンディを克服するために、ね」
「そん、な……」
僕がどうやってピッチャーになったかを伝えると、浩介は愕然としていた。
未だ、僕の言ったことが信じられないような表情をしている。
だけど、後一押しのようにも感じる。
後は……。
「浩介。僕、言ったよね? 夢は諦めなければ追い続けていけるもので、諦めさえしなければ叶うものだって」
「……ああ」
「それを明日、証明してみせるよ。だから、明日の決勝戦には必ず来て欲しい」
僕は浩介の目を真っ直ぐと見据えて、ここに来て最初に告げた言葉をもう一度言う。
けれど、浩介は黙ったまま俯き、それには答えてくれなかった。
僕から口で伝えられる事は全て伝えた。
後はマスターから渡された物に頼る他ない。
「試合を観に来るかどうか、決めるのはお前自身だ。だけど、少しでも迷っているなら、これを読んでから決めてくれ」
僕はマスターから渡された雑誌を浩介に渡す。
浩介はそれを手に取ると、訝しげな顔をする。
「これは……野球雑誌……?」
「ああ。きっといまの浩介に必要なものだと思ったから……」
「俺、に……?」
僕の言った言葉に何か思うことがあったのか、浩介は雑誌の表紙に目を落とす。
まんまマスターの言葉を借りただけだが、浩介には効き目があったようだ。
「浩介。明日、球場で待ってるよ」
僕は最後にそれだけ告げて、部屋を出た。




