#10-2
甲子園に行くためには、県大会で6回勝利を収めなければならない。
つまり、初戦を勝利した僕達は、後5回勝ち続ける必要があるわけだ。
だが、野球において6連勝することがどれ程難しいかは、野球経験者でなくても分かる事だ。
県から甲子園に出場できるのは、負けることなく、その6度の勝利を収めた一校のみ。
そんな狭き門を通るには、実力もさることながら、運も必要となる。
そう言った意味では、今年の青蘭高校は運が良かった。
三回戦までは、強豪校と当たることのない組み合わせになっているからだ。
それでも、強豪校とはとても言えない青蘭高校にとっては、二回戦、三回戦も気を抜いていい相手ではない。
二回戦は、初戦と違い、僕の立ち上がりは上々で、その試合もコールド勝ちを収めることができた。
三回戦の相手は、相手ピッチャーが中々の投手で、投げ合いとなった。
こうなると、味方の援護と如何にエラーをしないかというのが勝敗を分ける。
結果として、僕達が勝利を収めることができた。
ヒット数では相手チームを上回り、エラー数が相手よりも少ないのが勝因だ。
こうして僕達青蘭高校野球部はベスト8まで残る事が出来た。
だが、ここからが本番だ。
これまでは組み合わせ運が良かったから、強豪校とは当たらなかったが、ベスト8――準々決勝ともなるとそうはいかない。
勝ち上がってきている高校はどこも強豪ばかりだ。より一層気を引き締めていかなければいけない。
準々決勝、相手高校は予想通り難敵だった。
試合は1点を争う熾烈なものとなり、序盤で僕達が1点を入れた以外は、スコアボードには0が並んだ。
僕はその1点を守り抜くため、三振を積み上げていった。
気づけば九回の裏、最後のバッターをも三振に取り、序盤で入れた1点を守り抜く形で、僕達は辛くも勝利をもぎ取った。
ハードで危なげな試合ではあったが、奪三振を積み重ね、打てば走って塁に出る僕を監督やチームメイトは讃えてくれた。
ただ一人、彼女だけは不安そうな顔で僕を見ていた。
彼女が何故そんな顔をして僕を見てくるのかは、その試合の帰り道、二人で並んで歩いている時に分かることなった。
「ねえ、タッちゃん……」
彼女は変わらず不安そうな顔をしている。
「どうしたの? 何か心配事?」
「ううん、そうじゃないけど……」
「じゃあ、なに?」
「うん。……タッちゃん、無理、しないでね?」
「え……」
それは奇しくも初戦を終えた後、マスターが僕に言った言葉と同じだった。
それに僕はドキリとしてしまう。
「ど、どうしたのさ? そんな急に……」
「その……言い難いんだけど、今のタッちゃん見てると、無理してるような気がして……。覚えてるよね? 私との約束……自分を犠牲にしないでって」
「う、うん。もちろんだよ。だから、別に無理なんて……」
「それは、ホント?」
「――」
彼女の瞳は真っ直ぐ僕を見つめてくる。
その瞳に僕はまたドキリとしてしまった。
まるで僕の嘘が全て見破られているような気がして、怖かった。
「だ、大丈夫だよ。心配性だな、由香はー」
僕は彼女に問いかけに笑って誤魔化す。
それでも彼女の心配げな表情は消えていなかった。
「心配いらないよ、由香。約束は守るから。だから、その心配は浩介に向けてやってよ」
「タッちゃん……うん、分かった。ごめんね、変なこと言って」
僕の返答に彼女は納得してくれたのか、微笑んだ。
けれど、この時の彼女はきっと気づいていたんだと思う。
僕がここに至るまで、どれだけ無茶と無理を重ねてきていたのかを。
それが僕自身に分かる形となったのが、準決勝の最後の一球を投げた瞬間だった。
準決勝は、準々決勝以上に熾烈を極める試合となった。
相手チームのピッチャー、打者共に強力で、こちらは中々ヒットを打つことが出来ないのに対して、向こうは毎回ヒットを打って塁に出るという戦況で、僕達は常に劣勢に立たされる。
ただ、塁に出るものも、運よくそれが得点に繋がることはなく、九回まで1点も取られることはなかった。
そして、スコアボードは0のまま、延長戦に入る。
夏の炎天下の中、九回まで投げ続けた両チームの投手は、既に限界が近い。
それでもピッチャー交代がないという事は、それほど両チームとも自分達のエースに信頼を置いているという事を意味している。
つまり、ここまでくれば、勝敗を分けるのは、技術や戦術の問題ではなく、気持ちの問題ということだ。
延長に入っても得点が入ることはなかった。
そして、運命の十五回の表、僕達の攻撃が始まる。
高校野球の延長戦は十五回までだ。
そこまで行っても勝敗が決まらなければ、翌日再試合となる。
つまり、この表で得点を入れることが出来なければ、最高でも再試合にしかならないということだ。
正直、翌日再試合はここまで消耗した僕らにとっては、決勝を見据えるならきつい話だ。
ここで是が非でも点が欲しいと誰もが思っていた違いない。
だから、キャプテンで四番の高木先輩に打順が回った時、僕は願わずにはいられなかった。
勝敗を左右するような一発を。
その思いが通じたように、高木先輩が振るったバットは、奇跡と思えるほどボールを捉えた。
そして、ボールは宙を舞う。
「やったっ!」
思わずベンチから身を乗り出して僕は叫んでいた。
相手ピッチャーは後ろを振り返り、宙を舞うボールを呆然と見送っている。
そして、そのままボールはバックスクリーンに吸い込まれた。
それは奇跡の一発だった。
誰もがこの奇跡に大喜びしていた。
高木先輩はダイヤモンドを一周して、ホームベースを踏んだ後、ベンチに帰ってくる。
それを僕もチームメイトも称賛とハイタッチで迎えた。
やっと1点。
されど、そのたった1点が勝敗を決するのだと誰もが分かっていた。
その裏、僕は打者二人を打ち取り、最後の一人をツーストライクまで追い詰める。
そして、これが最後だと、思いの限りボールを投げようとした時だった。
それが起きたのは。
「ぐっ……!」
投げようとした瞬間、左肩に突然痛みが走った。
そのせいで、ボールは手からすっぽ抜け、球速のない高めのコースとなってしまう。
ボールが手から離れた瞬間に「しまった」と思った。
甘いコースな上に球速もないボールだ。
確実に打たれる。
その予想通り、相手バッターはそれを見逃さず、ボールを捉えた。
打たれたボールは高く舞い上がる。
その高く舞い上がったボールを見た時、僕は覚悟した。
ホームランを。
けれど――、
「え……」
意外にもボールの飛距離は大したことなかった。
ボールは外野への平凡なフライとなり、それを外野手は難なく捕球。ゲームセットとなった。
整列して相手高校と挨拶を終えた後、チームメイト達は喜びを爆発させていた。
当たり前だ。
進学校の弱小野球部が県大会の決勝進出を決めるなど、今迄になかったことだ。
しかも、甲子園まで後一勝だ。もう、甲子園がそう遠くない所にあるのだから、誰だって喜ぶだろう。
けれど、チームメイトがそんな喜びに沸く中で、僕はそんな気分にはなれなかった。
最後の一球を投げた時の左肩の痛み、そして、試合が終わって以降も左肩に残る違和感が僕にそれをさせてはくれなかった。
「おい、達也」
「え!?」
呼び掛けられて、慌てて振り返るとそこには嬉しそうな顔をした松井が立っていた。
「ん? どうした? なんか顔色悪いぞ?」
松井は僕の異変に気づき、それまでの嬉しさを表情から消して、真剣に尋ねてくる。
「そ、そうかな? う、うん、流石に今日は疲れたかもね」
「そうか……まあ、最大延長まで投げ切ったからな。当たり前か。そう言えば、最後の球はヒヤッとしたぜ」
「あ、ああ、うん、ごめん。やっぱり疲れかな。ボールがすっぽ抜けちゃって。フライになって運が良かったよ」
「まったくだ。決勝戦は明後日だ。明日はゆっくり休めよな」
「あ、ああ、そうするよ」
会話が終わると、松井はまた嬉しそうな顔になって、僕の前から去っていく。
どうやら、肩の事は気が付かれなくて済んだようだ。
今は気づかれるわけにはいかない。
決勝戦を終えるまでは誰にも。
気づかれてしまえば、登板させてもらえなくなるかもしれない。
それだけはダメだ。
浩介に証明して見せてやるまでは、僕はマウンドを降りるわけにはいかないのだから。
僕は、監督やチームメイトには悪いと思いつつ、左肩の違和感について口を噤んだ。




