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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第二部 彼女と幼馴染と野球と
42/52

#10-1


 僕が野球部に入部した波乱だらけのあの日以来、僕は野球部の練習以外にも浩介のトレーニングメニューも日々熟し続けた。

 最初の頃は、メニューの半分も熟せず、そこでも浩介の凄さというものを改めて実感した。

 それでも、少しでも早く浩介に近づこうと、僕は必死にトレーニングして、三ヶ月が経つ頃には、そのメニューも熟せるようになっていた。

 ちなみに、あれ以来、野球部の連中とも良好で、特に松井とはいい関係を築けている。

 松井とは、最初は練習量や配給を巡って反発しあってばかりいたものだけれど、今では誰よりも信頼できるキャッチャーだ。

 入部したばかり頃の僕と松井の関係をしている者からすれば、きっと嘘ような光景だろう。

 そうして、練習を重ねる日々は続き――気づけば、七月。

 夏の甲子園に向けての県大会がついに始まる。

 もちろん、僕は先発ピッチャーとしてスタメン入りした。

 そして、与えられた背番号は『1』。そう監督から伝えられた時、彼女は喜んでいたが、僕はそんな気分にはなれかった。

 その背番号は浩介のものだ。だから、断ろうした。

 けれど、松井が、


「どうせ来年には浩介が付けてんだ。今回くらいしか付ける機会がないんだから、有難く受け取っとけ、バカ」


 なんて事を言うものだから、僕は監督や松井、そして部員の皆に感謝しつつ、背番号『1』を付けることした。

 こうして、僕は青蘭高校野球部のエースとして、県大会に赴くことになった。


 初戦の相手は、運良く青蘭高校と同じく進学校で、難なくコールド勝ちを収めることができた。

 その初戦を終えた後、僕と彼女は試合帰りに、マスターへの報告がてら『喫茶カープ』に寄った。


「ほう。まずは初戦突破か。ま、当然だな」


 僕らの報告にマスターは喜ぶ素振りなんて微塵も見せず、平然とした顔でそう言って、僕の前にブレンド珈琲が入ったカップを置く。


「冷たいなー、マスターは。復帰後初の公式戦を華々しく勝利出来たって言うのに」


「馬鹿言え。テメェ自身が復帰戦程度で喜ぶタマか。大体、嬉しくもちっともないって顔しておいて、他人には喜べってか? 大方、自分でも納得いく登板が出来なかったってところだろ?」


「うぐっ……」


 流石はマスター。

 痛いところを突いてくる。


「そんなことないよ! タッちゃん、ヒットは一本しか打たれてないんだから!」


「ヒット、は?」


 彼女の自信満々の反論に、マスターは訝しげな表情で返す。


「うん。初回に最初の二人にファーボール出して、その後、ヒット打たれた以外は――」


「ゆ、由香!」


 彼女が懇切丁寧にたった一本のヒットまでの経緯を説明し出したので、慌てて止めに入ったが、時既に遅し。

 マスターは僕をジロリと睨んできた。


「ほう。立ち上がり早々に二者連続フォーボールの後にヒットか。それはまた素晴らしい復帰戦だな? で? その回、点はいくつ入ったんだ?」


「……一点、デス」


 薄ら笑いを浮かべながらも、笑っていない目でマスターに尋ねられた僕は、片言で答える。


「弱小高校に一点、か。そらまた、大したエースだ。こりゃあ、今年も青蘭は早々に消えるかもなー」


「う、うぐぐ……」


 言われたい放題だが、反論しようもない。

 あの一点、言い訳しようもなく僕の責任によるものが大きい。


「で、でもでも、結局その一点だけで、後は全部打たせて取るか三振だったわけだし。そ、それに、その回の裏はタッちゃん自分で打って点を入れたんだよ?」


 マスターに責められる僕を見兼ねて、彼女がフォローを入れてくれている。

 けれど、マスターはそれでも手を緩めてくれない。


「由香ちゃん。コイツを甘やかしちゃあいけねぇ。エースなんだから、自分の不始末は自分で始末するのが当然だ。そうだよな、達也?」


「……そう、だね」


「タッちゃん……」


 僕がマスターの言う事に同意すると、彼女も少しだけ落ち込んだような様子を見せた。


「ま、どうせ、久々の公式戦で緊張したってところだろ?」


「う、うん。相変わらず鋭いね? よく分かるな……」


「バーカ、お前が分かりやすいんだ。もちょっとポーカーフェイスってのを身につけろ。じゃないと、打者からも読み取られるぞ」


「そ、そんなに分かりやすいの、僕!?」


 色々な人に分かりやすいと言われてきたけれど、そこまでとは思わなかった。

 考えている事が顔に出ているとすれば、ピッチャーとして致命的だ。

 これは本格的に対策を講じた方がいいだろうか。


「そういう機微が分かる奴には分かるもんだ。ま、そんな打者が早々いるとも思えんが……しっかりしろよ、達也。野球において、キャプテンはまとめ役や支え役ではあるが、支柱となるのはやっぱりエースだ。エースがしっかりしないと、チームも崩れる。それは嫌ってほど中学の頃に経験してるだろ?」


「……うん」


 そうだ。

 エースはチームの柱。

 エースが不甲斐ない姿を見せれば、チームは浮足立つ。

 エースがマウンドで堂々としているからこそ、投手の後ろを守る野手は守備に徹することができるのだ。

 それを僕は中学野球の時に嫌ってほど見てきたし、経験もしてきた。

 それを考えると、今日の僕はエース失格だ。

 あんな投球は、あんな姿は二度とチームメイトに見せてはいけない。


「大丈夫。もう二度と今回みたいなことにはならないよ。次からは、いつも通りだ」


 僕は決意を新たにしてマスターに宣言した。

 すると、マスターは納得したように口元を緩ませる。


「ならいいが。次、不甲斐ないピッチングしてみろ。テメェは出禁だ」


「ええ!? き、厳しいなー、マスターは……」


 僕の反応にマスターは意地悪そうにケラケラと笑い、彼女もクスクスと笑う。

 そして、マスターは笑いながらも尋ねてきた。


「それで、どうなんだ? 今年は行けそうか?」


 行けそうか。

 マスターがそう聞いているのは、もちろん甲子園に行けるかという意味だ。

 僕はそれにハッキリと答える。


「まだ分からないよ。でも……きっと行ってみせる。浩介のためにも!」


「浩介のためにも……か」


 僕の返答にマスターから少しだけ笑みが消えた。


「アイツは……どうしてる?」


「コウちゃんなら、相変わらず部屋に籠ってるよ……」


 マスターの問いに彼女が表情を曇らせながら答えた。

 それを聞いたマスターは溜息を吐く。


「でも、最近は私とも話をしてくれるようになったんだよ? この間なんて、久々に部屋にも入れてくれたんだ。コウちゃん、布団に潜って顔も見せてくれないけど、前みたいに出ていけって言わなくなったし……」


 彼女が言う事は事実だ。

 浩介は少しずつではあるが、元気を取り戻しつつある。

 僕もこの三ヶ月間で何度か浩介の部屋を訪れたが、僕に対しても声を聞かせくれる程度には回復している。

 けれど、それも以前の浩介と比べれば、天と地の程の差があるのだが。


「そうか……。由香ちゃん、アイツとはいつもどんな話をしてるんだ?」


「話? えっと……結構普通なことばかりだよ? その日学校で何があった事とか、野球部の近況とか……でも、うん、やっぱりコウちゃんは野球部の事が気になってるみたい。私がコウちゃんの部屋に行くと、大抵野球部の事か、タッちゃんの事を聞きたがるから」


「僕の?」


 思いもせず、彼女の口から僕の名前が出てきて訊き返してしまった。


「うん。コウちゃん、達也は野球部でどうしてるんだーっていつも聞いてくるよ。……あれ? タッちゃんは聞かれないの?」


「う、うん……」


 そもそも、その話は初耳だ。

 僕が浩介の部屋を訪れても、アイツはそんな事を一度も僕に尋ねてきたことなどない。


「ま、浩介なりのプライドって奴かもな。アイツはお前に色々と思うことがあるんだろーよ。お前の前では素直になれんのさ。ツンデレって奴だな」


 そう言ってマスターはガハハッと豪快に笑う。

 マスターがツンデレなんて言葉を使うと、気色悪いけれど、浩介の性格を考えれば、僕に素直に訊いてくるというは確かに考えにくい。


「そっか……どんなになっても、コウちゃんにとってタッちゃんはライバルなんだね……」


 彼女は彼女で、そんな事を言って嬉しそうに微笑んでいる。


「それじゃあ、コウちゃんへの今日の結果報告は私の方からした方がいいかなー」


 そう言って彼女はアイスティーを飲み干して立ち上がる。


「由香、これから浩介んちに行くの?」


「うん、そうだよ」


「ごめん。僕はこれから……」


「分かってるよ。トレーニング、だよね?」


「うん。それと……浩介には『あの事』は……」


「うん、大丈夫だよ。タッちゃんに言われた通り、ちゃんと伏せてあるから」


「ごめん、気を遣わせて……」


 僕が謝ると彼女は「大丈夫だよ」と笑顔で答えて、マスターに挨拶した後、喫茶店を出ていった。


「達也。あの事って、何の事だ?」


 彼女がいなくなった後、僕らがしていた会話が気になったのか、マスターが尋ねてきた。


「まあ、ちょっとね。僕にも色々と考えがあるんだよ」


「……そうかい」


「さて、それじゃあ、僕もそろそろ行こうかな」


 僕も珈琲を飲み干して立ち上がる。


「トレーニングか?」


「うん、毎日欠かさずやってるからね」


「……」


 僕の返答にマスターは信憑な顔をして黙ってしまう。


「どうしたのさ?」


「……いや、なんでもねぇ。あんまり、無理、すんじゃねぇぞ」


「え……」


 一瞬、聞き間違いではないかと思った。

 マスターにはこれまで色々と助言はしてもらったけれど、僕自身を心配した言葉なんて聞いたこともなかったから。

 それがどういう気まぐれかだったのか、僕には分からなかった。


「う、うん……ありがと……」


 僕は戸惑いつつも、マスターにお礼を言って、喫茶店を出た。



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