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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第一部 僕と彼女と野球と
4/52

#2-1

 唐突だが、僕が通う高校は山の上にある。

 なので、登校する際は長くて急な坂を徒歩で上らないといけない。

 この坂、その長さとその急勾配から生徒からは『青蘭の心臓破り』とも呼ばれていて、運動部のロードワークにも使われている。

 入学当初は、毎朝この坂を上らないといけないのが、ウンザリしたものだけれど、それも半年も経てば慣れてしまった。

 今では、この坂を上るのも帰宅部な僕にとって良い運動になると思っているほどだ。


 さて、今日もその坂を駆け上るかと思って登校し、坂に差し掛かろうとした時、その坂の前に一人の女生徒が佇んでいるのを目にした。

 その女生徒は、誰かを待っているのか、キョロキョロと辺りを見渡している。

 女生徒の顔には、見覚えがあった。昨日、僕が浩介の投球フォームの癖を伝えた女子マネージャーだ。


 僕は彼女に気づかぬふりをして、通り過ぎることにした。

 けれど、彼女はそんな僕とは正反対の行動に出ていた。


「あ、やっと来た! おはよう!」


 彼女は笑顔で挨拶して、こちらに手を振っている。

 気のせいかと思い、辺りを見渡してみる。彼女が僕に挨拶しているなどと思えなかったからだ。

 だが、手を振っている彼女に反応している人物など周りにはいなかった。


「……え? 僕?」


 思わず、自分で自分を指さして尋ねてしまった。


「そうだよ、君だよ!」


「……」


 満面の笑みで肯定されて、僕は困惑してしまった。

 昨日、一方的にこちらの用件を伝えただけの相手に、まるで友達にするような朝の挨拶をされる覚えなど僕にはない。

 果たして、この状況をどう解釈すればいいのだろうか?


「えっと……人違いじゃないかな?」


「そんな事ないよ。君でしょ? 私にうちのエースの癖を教えてくれたのは」


「そう……だけど……」


「なら、問題なしね。人違いなんかじゃない」


「……」


 僕はますます困惑してしまった。

 どうやら、彼女は僕の事を認識した上で話しかけてきているようだ。

 だからこそ、何故という疑問が湧いてくる。

 いや、疑問というより、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

 僕が彼女に話し掛けられる事は、それぐらいあり得ないことだ。


 ここは、厄介な事になるのを避ける為にも無視した方がいいかもしれない。


「……」


 僕は彼女の脇をすり抜け、坂を上り始めた。

 挨拶されているのに、なんとも失礼な態度であることは重々承知しているが、これも自分の日常を守るためだ。

 けれど、僕の考えは甘かった。


「わわ、無視して行かないでよ!」


 彼女は慌てた様子で追いかけきて、あろうことか僕のすぐ横に並んでしまった。


「ひっどいなー! 無視するなんて!」


 そう言う彼女の横顔をちらりと横目で覗いてみると、頬を膨らませて、むくれていた。

 どうも、無視したのは逆効果だったようだ。

 何が目的かは分からないが、僕に何か用があるのなら、その用件をさっさと済ませてしまった方がいいだろう。


「えっと……僕に何か用でもあるの?」


「用? ううん、用ってほどじゃなくて、君とお話したいだけだよ?」


「……は?」


 彼女の発言に耳を疑う。


 彼女が僕と?

 話してみたかった?

 なんで?


「あのさ……確認だけど、僕ら、昨日初めて会ったよね?」


「ええ、そうだけど?」


 彼女はこちらの意図が理解できないのか、小首を傾げている。

 けれど、すぐに何かに気づいたようにハッとした表情に変わった。


「あ、ごめんなさい! 私、まだ名前も教えてなかったね!」


「いや、そうじゃないから!」


「あれ?」


 彼女は僕の反応が予想していたものと違ったのか、また首を傾げている。

 どうも、彼女は自己紹介をしてなかったことに思い至ったようだが、僕が言いたいのはそんな事ではない。

 名前も知らない相手なのに、登校時間に待ち伏せまでして、話をしたいなんて、普通は思わないことだ。

 その辺、僕と彼女との間には認識の違いがあるようだ。

 それに、そもそも彼女には自己紹介なんてものは不要だ。


「はあ……自己紹介なんて必要ないよ、高橋由香たかはしゆかさん」


「え! どうして!?」


 僕に名前を呼ばれ、彼女は仰天した。

 けれど、僕からしてみれば、この程度で驚く方が意外だ。

 なにせ、彼女は青蘭高校ではちょっとした有名人なのだから。


「どうしても何も、君の事を知らない人間なんて青蘭にはいないよ」


「ええ!? そ、そうなの!?」


 彼女は両手で口を塞ぐようにして驚いている。わざとのように見えない辺り、どうも、本人の認識と周りの人間の認識では、大きく異なっているらしい。


 高橋由香という人物の名が、校内で広まったのは、入学初日からのことだった。

 彼女は入学式で新入生代表の挨拶を務めたのだが、彼女のその場での堂々とした立ち振る舞いや容姿に誰もが魅了されてしまった。

 端正な顔立ちと線の細い身体、そのまるでモデルのような姿はとても中学を卒業したばかりの女子にしては出来すぎていた。


 また、言うまでもなく、新入生代表を務めるほどだから、彼女は成績も良かった。

 夏休み前の期末試験だって、学年トップだと聞いている。

 さらに、彼女は気立てもよく、誰に対しても分け隔てなく、気さくに接するらしいのだ。


 才色兼備で、性格も良い。

 そんな漫画の世界から飛び出してきたような女子生徒が、人気者になるのに時間など掛かるはずもなく、夏休み前には、非公式なファンクラブなんてものも存在していた。

 まさしく、彼女は青蘭高校のアイドルだ。


「はあ……やっぱり私って悪目立ちしてるのかな? この間も知らない男子から声をかけられたし……」


「そりゃあ、声を掛けられるもするでしょ。学校のアイドルなんだし」


「うーん、たまにそう言う人がいるけど、まさか高杉君にまでそう呼ばれるとは思わなかったよ。それってやっぱり私のことなの?」


「君以外に誰がいるのさ――って、ん?」


 あれ? なんか今、彼女から聞き慣れた単語が聞えてきたような……?


「えっと……高橋さん?」


「うん? どうしたの、高杉君? あ、私の事は由香でいいよ?」


 まただ。また彼女は僕の名前を口にした。間違いない。


「えっと、僕が君をどう呼ぶかはこの際置いておいて……」


「えー、そこ、置いておかれちゃうのー?」


 高橋さんは不満そうに口を尖らせる。

 けれど、そんな非難の声も今の僕には耳に入らない。


「高橋さん、どうして僕の名前、知ってるの? 僕、まだ名乗ってないよね?」


「え……あ、あれ? そうだっけ? 気のせいじゃない?」


「とぼけないで。僕は絶対に名乗ってなんかいないよ。なんで僕の名字が高杉だって知ってるの?」


「そ、それは……」


 僕の追及に彼女は焦りを見せる。

 そんな彼女を僕は睨むようにして、じっと見つめた。

 すると、流石の彼女も観念のしたのか、諦めたように溜息をつく。


「あーあ、やっちゃったなぁ……残念……」


 彼女は項垂れて、肩を落としている。

 どうやら、白状する気になってくれたようだ。


「ごめんなさい。君の名前は昨日の内に名倉君から聞いておいたの。あのアドバイスをくれた男子は誰なのって」


「こ、浩介に!?」


「う、うん。それで、名倉君が1年の高杉達也って奴だよって教えてくれた」


「こ、浩介の奴、余計な事を……」


 昨日、彼女にアドバイスしたのが僕だって浩介にバレた後、彼女に教えたのだろう。


「ご、ごめんなさい! 悪気はなかったの」


「どうして、高橋さんが謝るのさ? 悪いのは勝手なことをした浩介だよ」


 そう。悪いのは浩介だ。

 せめて、昨日一言でも言っておいてくれれば違ったかもしれないが、そうしなかったのはアイツの悪戯心という奴だろう。

 後でとっちめてやらないと。


「そんなことないよ! 名倉君は、私のお願いを聞いてくれただけなんだから!」


「ふぅん……随分と浩介の肩を持つんだね?」


「そ、そいうわけじゃないよ? 悪いのは私なの……お願いだから、名倉君を責めないであげて」


「う……」


 そんな風に瞳を潤ませて、哀願してくるなんてずるい。

 そんな事をされたら、責めるもの何も、誰も責めることなんてできない。


「わ、わかったよ。浩介を責めたりしないから、安心して」


「よ、よかったぁ……」


 安心した表情で彼女はほっと胸をなでおろす。

 僕と浩介の間の事なのに、何をそんなに心配する必要があるのか理解できないが、彼女なりに迷惑を掛けたくないという野球部のマネージャーとしてエースへの気遣いなのかもしれない。

 でも、それだったら、最初から僕の名前なんて知ろうとしなければいいのに……。


「それで? 僕の幼馴染に名前を聞き出してまで、どうして僕と話してみたかったわけ?」


「あ、それはね!」


 尋ねてみると、彼女は打って変わって明るい表情になって、喋り始めた。


「君が、野球に詳しそうだからだよ!」


「え……」


 野球。その単語が野球部のマネージャーの彼女の口から飛び出してくる事は何もおかしいことではない。

 けれど、野球と聞いて僕は動揺してしまった。


「詳しいでしょ? 野球。ちょっと投球を見ただけで、癖とか欠点がわかるくらいなんだから」


「そ、そんなことないよ」


「嘘。知ったかぶりであんな事言えるわけないもの。もしかして、昔、野球やってたことがあったんじゃない?」


 彼女は僕の気も知らないで、ニコニコしながら尋ねてくる。その顔には、悪意はない。


 おかしい。

 浩介から僕の事を聞いていたのなら、僕が野球をやっていたことなんて知っているはずだ。

 なのに、こんな質問するなんて、もしかして、本当に僕の名前しか知らないのだろうか……?


「あのさ、浩介から僕のこと聞いてないの?」


「え、名倉君から? うん、聞いたよ。君の名前と、名倉君とは幼馴染ってことをね」


「はあ……やっぱりね」


「あれ? どうかしたの? 溜息なんかついたりして」


「ううん、何でもないよ」


「そーお?」


 何でもない。そう答えたが、彼女は不思議そうに首を傾げている。


 彼女は知らない。

 僕が中学三年の夏まで野球をしていたことを。

 将来を期待されたピッチャーであったことを。

 そして、怪我のせいで、そういった期待に応えることができなくなったことを。

 だから、僕に対して無邪気に野球の話題なんて出せるのだ。


「と、とにかく、僕は野球のことなんて、君が思ってるほど詳しくないよ。昨日はたまたまだったんだよ」


「そうかなぁ? あ、でも、野球は好きでしょ?」


「え……いや、それは……」


 その質問に、僕はすぐに答えることができなかった。

 好きとも、嫌いとも、答えることができなかった。

 この一年、野球をやめた理由や野球をもう一度やらないのかと尋ねられたことは腐るほどあった。

 けれど、野球が好きかと訊かれたのは初めてだった。

 だから、僕はどう答えるべきか躊躇ってしまったのだ。


「あ、学校に着いちゃった」


「え……あ、本当だ」


 彼女に言われて気づいた。

 いつの間にか長い坂を上り終え、学校の正門を僕達はくぐろうとしていた。


「ざんねーん。今日はここまでだね」


 彼女は心底残念そうに肩を落としている。

 何がそんなに残念なのか分からない。

 けれども、今の発言を聞く限り、どうやら開放してくれる気になったようだ。

 助かった……。


「それじゃあ、またね!」


「あ、うん」


 僕がお別れの挨拶に応じると、彼女は校舎の方に走って行ってしまった。

 僕は正門前に一人取り残される。


「はあ……疲れた……」


 なんだか、朝からとんでもない体験をする羽目になってしまった。学校のアイドルと一緒に登校なんて、地味な僕にはきっともう二度とないことだろう。

 いや、もう一度なんて望んでいるわけでもないけれど……。


「うん、もう二度と……ん? あれ? またね?」


 別れ際、彼女の言った一言。

 それがどういう意味を持つのか。

 それを想像して、ちょっとだけの期待と大きな不安が、僕の胸の中に残った。




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