#9-3
真剣勝負と言っても、これは正々堂々という状況とは言い難い。
何故なら、今回の敵はバッターだけでなく、本来は投手の最大の味方であるはずのキャッチャーも敵方に回っている状況だからだ。
僕と松井の間にはサインなんかの取り決めはもちろんないため、変化球なんて投げることはできない。
予告なしに変化球を投げたりして、松井にもしも怪我をさせてしまえば、勝負どころではなくなってしまう。
尤も、今の僕には変化球なんてまだ無理なのだが。
どちらにしろ、僕が投げることのできる球種はストレートのみだ。
ストレートだけで、四番打者であるキャプテンを三振に取らなければならない。
ボールを握る指先に力が籠る。
自分の心臓が高鳴っているのが分かる。
久方ぶりのマウンドで、失敗は許されない勝負だ。
緊張しない方がおかしい。
僕は不安と緊張で圧し潰されそうになっていた。
そんな時、僕はチラリとグラウンド脇に控えている彼女を見た。
彼女は、じっと僕を見つめていた。
その目は、僕を応援し、僕が勝つと信じて疑わない目をしている。
そんな彼女を見て、僕は自分を奮い立たせた。
ここで負けるわけにはいかない。
彼女の為にも、浩介の為にも、こんな所で躓いているわけにはいかないんだ。
僕は大きく深呼吸をした後、松井が構えるミットを真っ直ぐと見据える。
狙うはストライクゾーンど真ん中。
そこに狙いを定め、僕は右足を上げ、前へと踏み出すと同時に左腕を思いの限り振るった。
瞬間、ボールは僕の手を離れ、真っ直ぐキャッチャーミット目掛けて飛んでいく。
けれど、キャプテンは僕の狙いを分かっていた。
だから、彼は初球から思いっ切りバットを振ってきた。
だが、そのバットは空を切り、ボールは松井が構えるミットに収まる。
誰もがその瞬間を見て、唖然としていた。
声も出さず、ただ呆然と起きた事を見つめている。
バットを振るったキャプテンでさえ、バットを振り切った状態で固まっている。
そんな中で唯一、キャッチャーの松井だけが呟いた。
「嘘……だろ?」
松井は自分のミットに収まったボールを見つめ、信じられないという顔をしている。
確かに、僕は右肩を怪我して、一度は野球を辞めてしまった。
けれど、それでも僕は自分の夢を未練がましく捨てきれなかった。
いつかは、医療の進歩とかでこの右肩が完治して、選手として、ピッチャーとして、復帰できるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていた。
だから、『日課』と称して、体だけは鍛えていた。
そんな事、恥ずかしくて誰にも言えなかったし、二度と野球なんてやらないと意地を張った手前、周りに隠していたけれど。
けど、それが変わったのが、あの時だ。
彼女にもう一度野球をやると素直に言った時、僕は自分の可能性に賭けてみたくなった。
そして、『日課』と称したトレーニングに、左腕でボールを投げる事を追加した。
でも、その時はまだ、あくまでも野手として、外野からでも問題なくホームベースまで投げられる程度と考えてのことだった。
それがさらに変わったのは、浩介と約束した日からだ。
僕はサウスポーのピッチャーとなるべく、あの日から一ヶ月、僕は『日課』の中で、ただひたすら左腕での投球練習を重ねてきた。
そして、それが今日、やっと実を結ぼうとしている。
「こ、こんなのまぐれだ! そうに決まってる!」
松井は狼狽えた様子でそう言うと、僕にボールを投げ返す。
「さて、それはどうかな?」
「こ、このぉ……!」
悔しそうな声を上げて、松井は座り直す。キャプテンもバットを構え直した。
二球目は、タイミングは合っていなかったが、四番打者に対して流石に同じコースには投げられないので、バッターの胸辺り、内角いっぱいのストレートを投げた。
キャプテンは最初の球で慎重になったのか、それを見送り、ツーストライク。
三球目、僕は勝負に出ることにした。
この勝負、僕の入部をただ認めてもらうだけのものではない。
この勝負で、三球三振に取って見せなければ、今後エースとしても認めてもらうことはないだろう。
だから、僕は渾身の限りでボールを投げた。
投げたのは、外角へのストレート。キャプテンもそれを読んでいたのか、タイミングを合わせて、バットを振ってくる。
「もらっ――え?」
キャプテンは完全にボールを捉えたと確信し、声を上げようとしたけれど、それは途中で疑問の声に変わった。
何故なら、キャプテンの振るったバットがまたも空を切ったためだ。
僕が投げた球は、バットが届かないギリギリをいくボール球だった。
「やったー! 三振だよ、タッちゃん!」
ミットにボールが収まった瞬間、彼女が誰の目も憚ることなく、喜びの声を上げる。
その声を皮切りに、他の部員からもどよめきが起こり、そして、それは次第に歓声に変わっていく。
僕はそれを放心状態で見ていることしかできなかった。
すると、そこにキャプテンがやって来た。
「おめでとう、高杉。これで、君は正式に野球部員だ」
キャプテンはそう言って、ニッコリと微笑む。
「あ、ありがとう、ございます」
「ん? なんだ? あんまり嬉しそうじゃないね?」
「い、いえ、そんなことないです!」
「そうかい? なら良かったよ!」
キャプテンは僕の返事に嬉しそうに笑う。
「しかし、やられたよ。まさか、あそこでボール球とはね。二球目で内角を攻めて、僕の状態を逸らして、外角のボール球を振らせる。四番打者に対して思い切った戦法だ。恐れ入ったよ!」
「す、すみません! その、あーするしかないと思って……」
「いやいや、謝る必要なんてないよ。真剣勝負だったんだからね」
「そ、そう言ってもらえると助かります」
僕は冷や汗を掻きながら、ほっと胸を撫でおろす。
「それにしても……うん、君は本当に凄いな。あんな球、僕は名倉以外で見たことない。もしかしたら、君なら本当に成し遂げられるかもな」
「キャプテン……」
それは僕がキャプテンに野球部員として、エースとして認められた瞬間だった。
「改めて、自己紹介しようか。僕はキャプテンを務める三年の高木だ。宜しくね」
「はい! 二年の高杉です。宜しくお願いします!」
僕と高木先輩は、勝負前と同様、笑顔で握手を交わす。
その瞬間、どっとグラウンド脇が湧いた。
見れば、監督や部員たち、そして、彼女が僕と高木先輩に拍手を贈ってくれていた。
そして、部員たちから、次々と僕を称賛の声が聞えてくる。
けれど、そんな中で……。
「み、認めねぇ! こんなの、認められるか!」
称賛する声の中、松井だけが声を荒げ、僕を睨んできた。
「松井、恨み言はなしと言ったはずだぞ」
高木先輩が松井を諭すように言う。
「う……く、くそっ!」
流石の松井もキャプテンからの言葉には逆らえず、それ以上は何も言って来なかった。
けれど、その日の練習が終わるまで、松井は僕の事を親の仇を見るような目で睨んでいた。




