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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第二部 彼女と幼馴染と野球と
31/52

#7-5


 夜が明けて数時間後に浩介は意識を取り戻したそうだが、家族以外は面会謝絶ということで会うことは叶わなかった。

 僕と彼女が浩介に会えるようになったのは、事故から一週間後の年明けのことだった。

 その頃には、元気はなかったが、彼女も落ち着きを取り戻していて、僕が浩介のお見舞いに行くと言ったら、彼女も付いてくる言ってきた。

 最初、彼女を連れていくべきか悩んだけれど、結局、僕も一人で行くことが怖くて、二人で一緒に浩介のいる病室を訪れることにした。


 病室の前まで行くと、彼女は不安そうな表情で、とても動き出せないのではないかと思えるほど緊張していた。

 僕はそんな彼女になんと声を掛けたらいいのか分からなかった。

 だから、せめて少しでも不安を和らげたらと思って、自分の右手で彼女の左手を握った。

 その瞬間、彼女は驚いたような顔を見せた。


「大丈夫。僕もいるから」

「……うん、ありがとう」


 彼女の緊張が少しだけ和らいだような気がした。


「行くよ?」

「う、うん」


 まだ若干の緊張が残る彼女の返事を聞いてから、握った手を彼女から放す。

 そして、その代わりに僕は病室のドアノブに手を掛けて、ゆっくりとドアを開けた。

 ドアを開けた先には、真っ白な病室とその中に大きめなベッドが置かれていた。

 そのベッドの傍らには、浩介の母親が椅子に座っている。

 そして、そのベッドの主は上半身だけ起こしていた。


「達也……それに、由香も……」


 初めに声を掛けてきたのは向こうの方からだった。


「や、やあ、浩介」


 努めて冷静に。これまで通り、なんら変わりのないように右手を上げて挨拶をする。

 すると、浩介は平然とした表情で「おう」とだけ短い挨拶を返してきた。

 その返事だけでは、浩介が、僕達が見舞いに来たことをどう思っているかだとか、自分の置かれている現状に対してどのように受け入れているのか分からなかった。

 けれど、表情だけ見れば、多少やつれてはいるけれど、いつもの浩介と変わらないように思える。

 だから、僕もいつも通り、浩介と接することにした。


「もう、起きてても平気なの?」


「ん? ああ、ベッドの上でぐらいならな。つっても、俺自身で起き上がってるわけじゃなくて、ベッドが起こしてくれるだけだけど」


 浩介に言われて気づいた。

 確かに浩介自身はベッドを背中に密着させていた。要するにこのベッドは可動式で、ベッドで寝ている本人は起き上がらなくても、ベッドの方が起き上がらせてくるようになっているのだ。


「なるほどね。随分とVIPなベッドじゃないか」


「だろ? 俺もベッドが勝手に動き出した時は流石にビビったよ」


 良かった。

 普通に話せてる。

 本人がどれだけショックを受けているかそれが心配だったけど、思っていた以上に元気そうだ。


「それにしても、お前が事故に遭ったって、由香から聞いた時は、びっくりしたよ。僕も由香も本気で心配してたんだからな」


「あー……俺がとんだヘマをしちまったせいで色々心配かけて、ホント悪かったな。由香も……ごめんな?」


「……」


 浩介から話し掛けられても、彼女は反応返さなかった。

 そう言えば、この病室に入ってから、彼女はまだ一言も発していない。


「ゆ、由香……?」


 僕は心配なって、彼女の顔色を窺おうした。

 けれど、彼女は俯いていて、その表情は読み取れない。


 彼女は俯いている。

 ……いや、違う。

 そうじゃない。

 彼女はある一点に釘付けにされているだけだ。

 彼女のその視線の先を見て、僕はそれに気づいてしまった。


 浩介の下半身に掛けられた布団。

 その足元に本来あるはずの膨らみがない部分がある。

 丁度、左足の膝からした部分の当たる膨らみがなかったのだ。


 分かっていた事だった。

 ここに来る前から、分かっていた事のはずだった。

 けれど、僕達は現実をまだ見ていなかったんだと思う。

 その現実が目の前に現れた時、やっと僕らはそれを事実として認識したんだ。

 けど、それを事実として受け入れるにしても、もっと気を遣うべきだったとこの後僕は後悔した。


「なんだよ、二人とも。急に黙って……ああ、左足が気になるんだな……」


 僕と彼女に視線に気づいて、浩介は自ら左足の件に触れだした。


「笑っちゃうだろ? 自分の不注意で、左足を失くしちまうなんてさ」


 そう言って、浩介はにへらと笑って見せる。

 その笑みはなんとも弱々しく、浩介らしくないものだった。


「コウ、ちゃん……?」


 彼女が病室に来て、やっと発した第一声は、そんな浩介を見て困惑しているものだった。

 けれど、そんな彼女の様子に浩介は気づいてないのか、それとも気づいていない振りをしているだけなのか、どちらにしても、浩介らしくない笑みをそのままに、言葉を続けた。


「あー、俺もほんとツイてねぇよな。これじゃあ、甲子園を目指すどころか、野球もできやしねぇよ。まあ、でも、野球を辞めるいい潮時かもな」


「え……こ、浩介……?」


「仕方ねぇじゃねぇか。足がこんなになっちまったんだから……。ま、元々、うちみたいな進学校が甲子園になんかに行けるわけもなかったんだし、俺にすげぇ才能があるわけでもなかったんだしよ」


「おい、浩介!」


 浩介の口から出る諦めの言葉の数々に僕はつい声を荒げていた。

 浩介はそれまで饒舌に喋っていたのに、ピタリと話すのを止め、僕の方が見てくる。


「ど、どうしたんだよ? そんな怖い顔して……」


「お前こそ、どうしたんだよ……。なんで、なんでそんな事言うんだよ! お前にとって甲子園優勝は目指すべき夢のはずだろ?」


「ば、ばーか。こんな足なのに無茶言うなよ。そんな出来もなしない夢はさっさと諦めちまう方が将来のためってもんだろ」


「お、おまえ……」


 浩介は終始へらへらと笑っていた。

 自分の左足の事に触れている時も、諦めの言葉を口にしている時も、だらしなく笑っているだけだ。

 それの笑みを見ているのが、そして、浩介から紡がれるなげやりな言葉が、僕にはどうしても許せなかった。


「ふ、ふざけんなよ!」


 病院では静かに。

 それは子供でも知っている常識なのだけれど、この時の僕はそんな事を気にする余裕なんてなくて、怒鳴っていた。


「甲子園は、由香との約束だろ! 甲子園優勝は、お前の夢で、僕との約束のはずだろ! それをお前は……諦めるって言うのかよ! 僕や彼女との約束は、どうするんだ!」


 そうだ。

 僕が聞きたかったのは、彼女が聞きたかったのは、あんななげやりで諦めの言葉じゃない。

 浩介ならどんな状態でもきっと夢を諦めないでいてくれるって思っていた。

 それなのに……。


「じゃあ、お前は俺にどうしろって言うんだよ……!」


 僕以上に大きな浩介の声が病室に木霊した。

 とても重症患者が出した声とは思えないほどの声だった。

 だから、僕も彼女も、おばさんも驚いて、その一瞬だけ誰もが息を飲んでいた。


「俺だって……俺だって、自分の夢を諦めたくねぇよ! 野球を辞めたくねぇよ! だけど、どうしろって言うんだよ! こんな足になって……こんな足でどうやって野球をやれって言うんだよ!」


「そ、それは……」


「俺には分かんねぇよ、達也。なあ、お前なら分かるのか? 分かるなら教えてくれよ!」


「……」


 答えようがなかった。

 どうしたらいいかなんて、僕にも分からない。


「……出ていってくれ」


「浩介……」


「こ、コウちゃん……」


「出ていけって言ってんだよ! 頼むから、出ていってくれよ!」


 出ていけ。

 そう言われて、僕らはどうしようもなかった。


 おばさんは僕らを病室の外に出るように促し、僕らも言われた通り病室から出た。

 そして、病室から出た先でおばさんは僕に向けて諭すように言った。


「ごめんね、達也君。まだ、早かったみたい。落ち着いたら、また連絡するから」


「わかり、ました。こちらこそ、すみませんでした」


「ううん、いいのよ。達也君が浩介の事を大事に思ってくれているのは分かっているから。ただ、あの子には落ち着いてじっくりと考える時間が必要だと思うの。それも分かってあげて」


「……はい」


 時間が必要と言われて、僕も自分の頭を冷やした。

 まだ、浩介は自分の置かれた現状を受け入れられていないだけだ。

 落ち着けば、きっとまたいつものアイツに戻ってくれる。

 そんな風にその時は思った。


 最後に、おばさんは彼女にも優しげに言葉を掛けた。


「高橋さんも、今日はありがとうね。それと、ちゃんとお話できなくて、ごめんなさい」


「い、いえ……私、何も言えなくて……」


「ううん、いいのよ。あなたが来てくれただけであの子も嬉しかったはずよ。落ち着いたら、また来て頂戴ね」


「また、来て……いいんですか……?」


「ええ、もちろんよ」


「……ありがとうございます」


 彼女は目に一杯涙を溜めながら、おばさんにお礼を言った。

 すると、おばさんはそんな彼女を優しく抱きしめる。

 抱きしめられた彼女は、耐えられなくなったのか、大粒の涙を流して泣いていた。


 その後、僕は彼女を家まで送っていった。

 彼女の家につくまで会話はなく、お互い終始無言だった。

 彼女を家まで送っていった僕は、一人家路についた。


 思い返してみれば、あの事故以来、彼女の笑顔を見ていなかった。


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