#7-4
その医者の説明を聞いた瞬間、時間が止まった。
誰もかれも表情を失って、声も出さず、微動だにしなくなった。
ただ、医者だけは止まらず説明を続けていた。
けど、その医者の説明なんてきっと誰も聞いてなかったと思う。
少なくとも、僕は頭の中が真っ白になって、医者の言葉なんてまるっきり入ってこなかった。
気づいた時には、医者は頭を下げて、僕達の前から立ち去ろうとしていた。
「……うそ、だよね……?」
医者が立ち去った直後、そんな声が足元から聞こえきて、下を見ると、彼女が病院の廊下なのに、その場にお尻をつけてへたり込んでしまっている。
その表情は呆然としていて、とても現実を受け入れているように思えなかった。
「由香……そんなとこに座ってちゃだめだよ……ソファに座ろう」
どう声を掛けてあげればいいのか分からず、ただ彼女を立ち上がらせて、待合室のソファに誘導することしか僕には出来なかった。
彼女をソファに座らせて、僕が隣に座ると、彼女はおもむろに口を開いた。
「ねえ……タッちゃん……」
「……なんだい?」
「うそ……だよね?」
「え……」
「コウちゃんの左足……なくなっちゃったなんて……嘘、でしょ?」
「ゆ、由香……それは……」
「嘘だと言ってよ……!」
彼女の悲痛な叫びが暗い待合室に木霊する。
この病院に来て、彼女は何度となく泣いて、もうその涙も枯れ果てていてもおかしくないのに、その瞳からは涙が溢れていた。
決して泣きわめくわけでもなく、ただ静かにとめどなく涙を流していた。
僕はそんな彼女になんと声を掛ければいいのか分からなかった。
その後、僕の両親が放心状態なった彼女を車で家まで送っていった。
僕は両親が戻ってくるまで、浩介の両親と一緒に病院で待っていることになった。
「達也君。ちょっといいかしら?」
待合室のソファでぼうっとしていると、おばさんから声を掛けられた。
おばさんの顔を見ると、なんとも複雑そうな顔をしていて、何か話しづらい事をこれから話そうとしていることがすぐに理解できた。
「はい、大丈夫です。なんでしょうか?」
怖かったけれど、僕は意を決して応じた
「あのね……さっき警察の人が来て、事故現場に残されてた浩介のカバンを届けてくれたの」
そう言って、おばさんはカバンを僕に見せてくれた。
そのカバンは多少汚れていたけれど、原型はしっかりと残っていた。
どうも、子供を助けようとした時、カバンを放り出して走り出したらしいということがおばさんの口から語られた。
「でね。このカバンの中になんだけど……」
おばさんはカバンを開けて、中からあるものを取り出した。
「それって……」
見た瞬間、僕はドキッとしてしまった。
それは綺麗な花柄模様の包装紙に包まれ、『Happy Birthday』の文字が入ったシールが貼られていた。
おばさんはその包装紙を丁寧に開けて、中身を見せてくれた。
中には、グローブが入っていた。
間違いない。
浩介が彼女の誕生日プレゼントとして用意したグローブだ。
「達也君には、これが何だか分かるみたいね?」
「え、ええ。それは、浩介が用意した由香への……高橋さんへの誕生日プレゼントです。今日――もう昨日になっちゃいましたね。誕生日だったんですよ、彼女」
「そっか。……良かったわ。あの子の前で見せなくて」
「え……?」
僕はおばさんの言いたいことが理解できなくて、首を傾げた。
「これをプレゼントするために、あなた達は待ち合わせをしていたんでょう?」
「そ、そうですけど……」
「だったら、こんなものを彼女の前で見せたら、きっと余計に責任を感じてしまうと思うから」
「あ……」
間抜けにも僕はやっとおばさんの言わんとすることが理解できた。
僕と浩介はサプライズということで、彼女にはプレゼントの事を隠していた。
けれど、彼女は自分が引き留めなかった事に責任を感じ、謝るような人間だ。
あの事故が、自分の為に計画してくれたことの途中で起きた事と知れば、どう思うかなんで簡単に想像がつく。
僕は浩介が彼女にプレゼントするはずだったグローブを見つめる。
そうして思った。彼女の誕生日を祝うはずだったのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう、と。
「これは達也君に渡しておくわね」
僕が思いをはせていると、おばさんがそう言って、グローブを差し出してきた。
「え……どうして、僕に……?」
「達也君なら、これをどうしたらいいか分かると思って。きっと浩介には、これをどうこうするようなことを考える暇ないと思うし、彼女に渡してしまうわけにもいかないでしょう? だけど、勝手に捨ててしまうわけにもいかない。だから、貴方に持っていて欲しいの。もし、浩介が落ち着いて考えられるようになったら、返してあげて。きっと大切なもののはずだから。それは、貴方にも分かるでしょう?」
「……はい」
分かる。
確かに浩介の気持ちも、彼女の気持ちも僕には痛いほど分かる。
だから、おばさんはこれを僕が持っているのが最適だと考えたのだろう。
それはきっと間違いではない。
正しい事だと思う。
けれど、おばさんは勘違いしている。
おばさんは、このグローブが僕と浩介からのプレゼントだと思ってしまったんだと思う。
僕は自分のカバンに視線を向ける。
カバンの中には、彼女にプレゼントするはずだったブックカバーとボールが入っている。
お互い抜け駆けはしない。
そういう暗黙の了解だった。
だからこそ、大切な事は、あの場所で行おうと浩介と話し合って決めた。
彼女に想いを告げた、あの大切な思い出の詰まった公園で。
けれど、もし、プレゼントなんかで競い合うようなことをせず、このグローブを二人からのプレゼントという形にしておけば、集合場所はあの場所ではなく、パーティーをする予定だったマスターの喫茶店になっていたはずだ。
もし、僕が浩介と競い合おうなんてしなければ、ライバルなんてならなければ、浩介が事故なんかに遭うこともなかった。
そんな話をおばさんにしそうになったけど、その直前で僕は口を噤んだ。
そんな事を言ったところで、意味がないと分かっていたから。
それに、そんな話をしても、きっとおばさんは優しく許してくれる。
それはダメだと思った。
彼女が責任を感じたように、僕も僕自身が犯した間違いに責任を感じる必要があるから。
おばさんから渡されたグローブを手に、僕はそう思った。




