#7-2
翌日の放課後、僕はいつもの公園で待っていた。
今日は、浩介が部活終わりに彼女をこの公園に誘い出す手筈になっている。
二人が来たら、ここで僕と浩介はそれぞれ彼女に誕生日プレゼントを渡す。
それから、『喫茶カープ』に行って、クリスマスパーティーだ。
マスターはパーティーなんて騒がしいのはごめんだと言って嫌がったが、彼女のためだと言ったら、渋々ながら了承してくれた。相変わらず、親切だけど素直じゃない人だ。
今日と言う日を彼女にとって、そして、僕と浩介にとっても最高の一日にする。
それが今日僕が目指すべき目標だ。
彼女は、僕からのプレゼントに喜んでくれるだろうか。
きっと浩介が贈るグローブは、今の彼女にとって最高のものだ。
あれに勝るものはきっとない。なにより、贈るものがグローブという意味合いこそが、その物以上の価値がある。
それは、一緒に野球をしようというメッセージに他ならない。
うちの高校の野球部は、女子部員を認めていない。
だから、彼女もマネージャーという立場で野球部に関わってきた。
けれど、本心では部員たちと混じって野球をやりたいと思っていたに違いない。
それほど、彼女の野球好きは筋金入りなのだ。
だから、浩介はグローブを贈る気になったんだと思う。
そこまで好きならば、せめて僕達三人といる時だけでも一緒に野球をしようという思いを込めて。
何故そんなことが分かるかと言うと、僕も最初グローブを贈るつもりでいた時は、同じ考えでいたからだ。
それに、あの浩介のことだ。
それだけでグローブを選んだわけではないと思う。
あいつは野球部員だから、彼女がその気なら、野球部の練習に彼女が参加できるように監督に進言するつもりでもいるのかもしれない。
そういう意味も込めて、グローブなのかもしれない。
それに比べて、僕はどうだ。
友人から聞きかじった彼女の趣味に合わせて選んだメッセージ性も何もないものでしかない。
おまけに、店員から薦められて買ったものだ。
そう考えるとなんとも情けなくなってくる。
それでも、真剣に悩んで、彼女に似合うと思ったからこそ決めた物だ。
決して半端な気持ちで選んでいないし、気持ちだって浩介には負けていない。
その証拠に、僕には彼女に渡したいものがもう一つある。
三日前、彼女が浩介から見事ホームラン打って消えていってしまったボール。
それを僕から彼女に贈ろう。浩介と同じ思いを込めて。
これらを渡して、中身を見た時、彼女はどんな表情をしてくれるだろうか。
いつものように、あの僕には眩しすぎる笑顔で笑って喜んでくれるだろうか。
それとも、僕らに時たま見せてくれる頬を赤く染めて恥じらいながらも微笑む、あのとても直視できないような表情を見せてくれるだろうか。
どちらにしたって、喜んでくれる彼女の姿しか想像できない。
「早く……来ないかなぁ……」
期待に胸を膨らませて、僕はその時が来るの心待ちにした。
思えば、他人のことをこれほどまで考えながらその人を待つ、なんて経験をしたことがない。
だから、その待つ時間が実際の時間よりも長く感じるなんてことも知らなかった。
気持ちだけがはやっていくのを感じながら、僕は浩介と彼女が来るのを公園のベンチに座って待ち続けた。
けれど、そんな僕の気持ちとは裏腹に、時間だけがただ悪戯に過ぎて行った。
約束の時間から一時間はとっくに過ぎているというのに、二人の姿はない。
公園には僕一人。
僕には独り言を言う趣味はないから、公園はただ静粛に包まれていた。
もっとも、この一時間の間には、せわしなく聞こえてくる近所の犬の鳴き声や、どこか遠くから聞こえ来る救急車のサイレンの音なんかも聞こえてきたけれど、それももう聞えなくなっている。
辺りはもう暗くなっていて、それに伴って、先程まで期待に胸膨らませていたのが嘘のように、僕の心は不安だけに染まっていた。
「どうしたんだよ、二人とも……」
不安だけが募っていく。
浩介が彼女を誘い出すのに失敗したのだろうか?
元々、今日の事はサプライズのつもりでいたから、彼女とは今日は約束していなかった。もしかすると、誕生日ということで先約があったとか……。
いや、だとしたら、浩介から連絡がくるはずだ。
それでは、浩介と彼女に何かあったのだろうか。
僕は心配になって、スマホを取り出し、浩介の携帯に電話を掛けた。
けれど、浩介は出ない。コールはすれど、すぐに留守番電話になってしまう。
やっぱりおかしい。きっと、何かしらあったとしか思えない。もしくは、僕からの電話に出たくない事情があるのか……。
そう考えた時、僕の中に暗くて黒い考えが過った。
「まさか……」
抜け駆け。そんな言葉が一瞬脳裏を過っていった。
「いやいやいや!」
僕はその脳裏に過った黒い考えを振り払うように頭を振った。
あの律儀な浩介に限ってそんなことはないはずだ。アイツが約束を破った事なんて一度もない。
だから、抜け駆けなんてこと、絶対にない。
なら、なぜ二人は現れないのだろうか……。
不安がさらに大きな不安に塗りつぶされようとしていた。
そんな時だった。手に持つスマホが突然鳴った。僕は慌てて画面を確認する。
「……由香?」
画面には浩介ではなく、何故だか彼女の名前が表示されていた。
何故、浩介からではなく彼女から電話が掛かってくるか不思議に思いながらも、僕は恐る恐る電話に出た。
「も、もしもし?」
「……」
電話に出たが、どうしてか返事がない。
一瞬、切れてしまったのかと思ったが、電話口から聞こえてくる微かな人の吐息がそうではないことを教えてくれている。
「ゆ、由香……だよね?」
僕は電話の向こう側にいるのが、本当に彼女なのか不安になって問いかけた。
すると、電話の相手が応えてくれた。
「…………タッ……ちゃん」
それは紛れもなく彼女の声だった。短いながらも、僕を呼ぶ声は彼女そのものだった。
けれど、その声を聞いただけで、胸騒ぎに襲われた。
ただ事ではない。
そう思った。
なぜなら、彼女の声は涙声で掠れていたからだ。
嫌な、予感がしていた。
「ど、どしたんだ!? 由香!」
僕は慌てて彼女に呼び掛ける。
すると、彼女は涙声をさらに酷くしていった。
「タッちゃん……コウちゃんが……コウちゃんが……!」
「浩介が……? 浩介がどうしたんだ!?」
「どうしよう……コウちゃんが……コウちゃん……!」
尋ねても彼女は浩介の名前を連呼するだけで、何が起きているのか説明してくれない。
いや、説明できる精神状態にないように思えた。
だから、まずは落ち着かせることが先決だと僕は考えた。
「落ち着け、由香! 大丈夫だから。とにかく、一旦落ち着こう。ゆっくり息を吸って、一回落ち着くんだ」
「ひっぐ……タッちゃん……」
錯乱する彼女にただ落ち着くように何度も呼び掛けると、彼女はそれ応じるように一度大きく深呼吸をする。
それだけだったが、電話口から感じる彼女の様子が多少なりとも落ち着いたように思えた。
「大丈夫? 落ち着いた?」
「……うん、ごめんね」
彼女は先程よりもハッキリとした受け答えができるようになっていた。
けれど、その声にはまだ不安や恐れがあるのが分かる。
いつ、また泣き出して錯乱状態に陥ってもおかしくない。
「一体、どうしたの? 浩介に何かあったのか?」
僕は彼女を動揺させないように努めて冷静に尋ねた。
「……コウちゃんが……」
「うん」
「……事故、に、……車に……」
「え……」
聞えてくる途切れ途切れの単語に、僕は固まった。
嫌な予感はしていたんだ。
だから、どんなことを聞かされても、彼女のために冷静でいようと思っていた。
けれど……。
「由香! いまどこにいる!」
「びょ、病院に――」
「病院? どこの病院だ! 近くか!?」
「そ、それは……」
「どこなんだ! 早く言え!」
「あ、う……」
どこの病院にいるのか言いよどむ彼女に苛立ちを隠せず、僕は怒鳴っていた。
それに彼女は委縮してしまう。
けれど、浩介が事故に遭ったなんて聞いて、僕も冷静ではいられなかったんだ。
後から冷静に思えば、この時、彼女の方が僕なんかよりもよっぽほど冷静だった。
僕が怒鳴るように病院を聞き出そうとしていたから、彼女は責め立てられているような気分になっていたと思う。
それなのに、彼女は僕の質問に必死に答えようとしてくていた。
もし、この時をやり直せるなら、僕はもっと彼女に寄り添えられるような対応を取りたい。
けれど、本当は、もっと前からやり直したかった。
そう、こんな事になる前から。
とにかく、この時の僕は、彼女から聞き出した病院へ早く駆けつける。
そんな事しか考えられなかったんだ。




