#6-2
浩介の腕が僕に向かって大きく振り下ろされた瞬間、バシンという音と共に僕のグラブにボールが収まる。
キャッチボールの時とは次元を異にする球速だ。相変わらずいい球を投げる。
まあ、間違ってもそんな事、悔しいから本人には言わないのだけれど。
「それじゃあ、いってみてようかー!」
僕が浩介にボールを投げ返すと、快活の良い声を上げて、彼女が僕の斜め左に立つ。
その手にはバットが握られている。
「ねえ、本当にやる気なの?」
「うん、当たり前だよ。バッターがいた方が練習になるでしょ?」
彼女は僕の問いかけに平然と答える。
「でも、危ないんじゃない? せめてヘルメットぐらいはした方が……」
「大丈夫だよ。ピッチャーを誰だと思ってるの? あのコウちゃんだよ?」
「だってさ、浩介。信頼されるてるねー。凄いじゃないか」
「感情が籠ってねぇぞ、達也。心にも思ってねぇこと言うんじゃないっての……。けどよ、由香。ぶつけるなんて事は絶対にないが、本当に大丈夫か?」
「だいじょーぶー! 散々、二人の脇で見てきたんだから。もしかしたら、打てちゃうかもよ?」
「いやいや、流石にそれはねぇわ」
浩介は笑いながら否定したが、僕はといえば、内心では、もしかしたら、なんて事を思っていた。
なんたって、彼女の幼馴染である坂田君曰く、二物持ちらしいから。
彼女は頭だけじゃなく、運動神経もいい。
それは僕も浩介も知っていたけど、僕はそれを実感していたから尚更だ。
まあ、どんなに運動神経が良くても素人が打てるわけがないのだが。
「ふっふっふっ! 私を甘く見ると、痛い目にあうよ、コウちゃん!」
彼女もあくまでも打つ気でいるようだ。
あの不敵で怪しい笑いがその証拠だ。
「ちっ! そこまで言われちゃあ、後にはに退けねぇな……おい、達也! おもっきり行くからな!」
浩介もよせばいいのにムキになっている。
勘弁してほしいが、もはや、止める術はない。
僕は面倒くさいことになったと思いながら、この無意味な対決を容認することにした。
彼女はバットで地面にホームベースとバッターボックスを描くと、バッターボックスに立ち、構える。
「……へぇ」
意外だった。
バッターボックスに立つ彼女の姿は案外と様になっていたのだ。
僕はそれに感嘆していた。
浩介もきっと僕と同じように感じているはずだ。
その証拠に、僕とは違って顔を若干引き攣らせている。
きっと、思っていた以上に相手が強敵かもしれないと思っている違いない。
こうなると、負けず嫌いな浩介はもう後には退かない。
と言うか、たぶん全力でくるだろう。
闘争心に火が付いたというやつだ。
益々、面倒くさいことになったと僕は思ったが、もう何も言わなかった。
「本当に全力で行くからな!」
「うん、いつでもどうぞ!」
浩介の最終通告も気合満々で彼女は受け流す。
なんて男前な。
これぞ、大和撫子というやつか。
浩介は彼女の返事を聞くや、真面目な顔になって、投球モーションに入る。
僕も覚悟を決めて、浩介の投げる球に意識を集中する。
浩介が本気で投げる球なんて、遊び気分では受けられない。
下手して、受け損なえば、僕が怪我してしまう。
引き上げられた左足が、大きく踏み込まれると同時に、浩介の右腕が振るわれる。
その瞬間、目にも止まらなぬ剛速球が迫ってくる。コースはど真ん中のどストレートだ。
どんなにバッターボックスに立つ姿が様になっていていも、野球経験のない素人ならば、その速さに恐れおののき、バッターボックスから逃げ出す。
正直言うと、彼女もそうだろうと考えていた。
だから、何も起こらず、浩介の投げた球は僕のグラブに問題なく収まる。
そう思っていたんだ。
銀色に鈍く光るものがタイミングよく視界に入り込むまでは。
「えい!」
「――え」
彼女の気合いっぱいの声と僕の呆気に取られる声が被る。
グラブにボールが収まる際の独特な音と感触はない。
その代わりに、耳をつんざくような快音が響き渡った。
「う、うそぉ!?」
浩介が背後を振り返って驚愕の声を漏らす。
僕は思わず立ち上がって、それを見送った。
青空に弧を描くようにそれが飛んでいた。
「やったー! 打てたー!」
彼女はその場で飛び跳ねて大喜びしている。
信じられない。
信じられないけれど、彼女は浩介の全力投球を打ってしまった。
そして、さらに信じられないことに、彼女が打った球は、僕らが思っている以上に空を渡っていく。
「あ、あれ……? み、見えなくなっちゃった……」
彼女もその様に些か困惑ぎみだ。
飛んでいったボールは、公園の木の陰で隠れて見えなくなってしまっていた。
見事に、ホームランである。
僕はボールが見えなくなってもなお、それを探し求めるように目を泳がしていた。
浩介もきっと同じで、空を見上げたまま、固まっている。
「あ、はははっ……ぼ、ボール、探してくるね!」
彼女は僕達の様子に気まずさを感じたのか、バットを投げ捨てて、慌ててボールが飛んで行った方に走って行ってしまった。
僕は彼女の姿を目に追いつつ、浩介に近づいていく。
その間、浩介は微動だにしてなかった。
浩介の傍まで寄って、僕は浩介の肩に手を置いた。
「ま、まあ、こういう事もあるさ。偶然って怖いよな」
慰めのつもりではないが、それでも浩介の心情を慮って、声を掛けた。
そのつもりだった。
「……なあ、達也」
「な、なんだ?」
「俺、ピッチャー、やめようかな」
浩介にしては珍しく落ち込んでいた。




