#6-1
「ほらよ、ブレンド二つと紅茶だ」
マスターは僕と彼女、そして、浩介が座っているテーブルに僕達が注文した飲み物を置いていく。
マスターがテーブル席まで注文した物を持ってくるなんて珍しいこともあるもんだ。
そんな事を思いながら、テーブルに置かれたカップにすぐさま口をつけていると、マスターの溜息が聞えてきた。
「どうしたの? マスター」
尋ねてみると、マスターは呆れたような顔をした。
「いんや。ただ、お前らいつも一緒だなって思ってな」
「……それがどうしたのさ?」
「ん……まあ、余計なお世話だろうが、お前や浩介的にそれでいいのかって思っただけだ。まあ、見ているこっちとしては微笑ましい光景だから、別に構わねぇがよ」
そう言われて、僕達三人は顔を見合わせて、笑った。彼女だけはちょっとだけ恥ずかしそうだった。
あの告白から、月日は流れ、12月。
僕と彼女、そして、浩介は三人で過ごす日々が多くなった。
お馴染みのこの『喫茶カープ』に行くのも、休みの日に出掛けるのも、常に三人だった。
別に約束したわけではなかったけれど、暗黙の了解というやつで、僕も浩介も彼女と二人っきりという状況をなるべく作り出さないようにしていた。
その理由は、お互いに牽制しあっていたというのもあるのだけれど、一番は彼女に迷惑を掛けたくないという思いからだった。
以前、僕が彼女とデートした翌日に彼女のファンである先輩達から因縁をつけられた事件があった。それと同じようなことがまた起きるのではと、彼女は心配していた。
だから、そうならないように、僕と浩介はお互い抜け駆けをしないようにしたのだ。
常に三人でいれば、そんな心配はいらないだろうというのが、僕と浩介の考えだった。
始めの頃は、校内で色々な噂が飛び交っていたが、今ではそれもなくなった。
皆慣れたもので、気づけば、僕達三人の仲は校内では公認されていた。
彼女のファンからすれば、面白くない状況なのだろうが、彼女自身が僕達と一緒にいることを望んでいると分かれば、もはや何も言う人間はいなかった。
この間の三ヶ月、僕にとっては目まぐるしくも、楽しくて、幸福な日々だった。
どんなことがあったかと言えば、三人で休みの日に近場のアミューズメントパークに行って遊んだり、マスターが応援しているプロ野球球団が二十数年ぶりに日本シリーズ出場が決まり、その試合を『喫茶カープ』でマスターと一緒になってテレビ観戦したり、高校の文化祭を三人で見て回ったりとか、そんな事だ。
ちなみにこの間、春の選抜高校野球に向けた地方大会があり、僕も応援に行ったのだが、我ら青蘭高校はベスト8止まりだった。
地方大会に優勝したからと言って、春の選抜に必ずしも選ばれるわけではないが、ベスト8では、おそらく選抜校となるのは絶望的だ。
それでも、進学校の青蘭がベスト8まで行くこと自体、奇跡にも近い所業ではある。
そんなこんなで、結局のところ、彼女との仲が進展するとかそういった特別な事はなかった。
けれど、それでも、以前までの僕からすれば、それは青春を謳歌している気分だった。
そんな僕等も、あの日から習慣化していることがあった。
「さて、そろそろ行くとするか」
三人での楽しいお喋りもそこそこに、飲み物がなくなった頃、浩介がそんな提案をしてきた。
「ああ、行くか」
「うん、そうだね!」
僕も彼女もそれに同意して、立ち上がる。
そして、二人から集めた飲み物代をマスターに手渡す。
「マスター、ご馳走様。また来るよ」
「おう、まあ、頑張れや」
マスターが僕の左肩と浩介の右肩に手を置いて、そんな意味深な言葉を言うもんだから、また三人で顔を見合わせて笑い合った。
「しっかし、最近のマスター、なんか変じゃねぇか?」
浩介はボールをこちらに向けて投げながら、そんな事を言い出した。
「そうか? あの人、いつもあんな感じだろ?」
僕はボールをキャッチして、浩介のそんな疑問に答えつつ、ボールを投げ返す。
「いやいや、ぜってー変だって。妙に優しいつーか、なんか親切すぎるんだよな」
浩介は返ってきたボールをキャッチしつつ、自身がマスターから感じている違和感を口にした。
「馬鹿言え。マスターは元から親切だろうが」
「そうだよ、コウちゃん。マスターはいつも優しいよ? 悪く言っちゃあ、マスターが可哀想だよ」
僕の意見に同意する形で彼女がマスターを擁護した。
正直言うと、浩介の言いたい事も分かる。
確かに最近のマスターは機嫌がいい。
理由は分からないが、昔と比べると機嫌のいい時が増えている。
けれども、僕は知っている。
マスターは元から親切な人だ。
粗野な接客態度とか荒々しい言葉遣いとかのせいで分かりづらいが、あの人はなんだかんで大人として僕らを見守ってくれている良い人だと思う。
「くそう、二対一かよ。さてはお前ら、俺の知らないところでマスターと何かあったな?」
浩介はボールを投げながら、恨めしそうにそんな疑惑を向けてくる。
僕はボールをキャッチして答える。
「あるかよ、そんなの」
「そうだよ、コウちゃん」
またも彼女から援護射撃をもらった。
そのせいか、浩介はつまらげな表情に変わったが、分が悪いと悟ったのか、諦めたように溜息を吐いた。
本当のところを言うと、マスターには彼女の事で悩んでいた時に色々と相談に乗ってもらったりしたので、何かあると言われればあったりするのだが、浩介に言わないでおく。
言うと、後でマスターに「オレのイメージを壊すような事を言うな」って怒られそうだし。
それに、この場は彼女と意見が一致している方が僕としても気分がいい。
僕はそんなちょっとした優越感に浸りながら、キャッチボールを続けた。
そんなキャッチボールを彼女は僕らの脇で楽しそうに眺めている。
あの日から、僕達三人は、休日や部活がない日によく集まって、あの日と同じ公園で野球をするのが習慣化した。
野球と言っても、キャッチボールをしたり、浩介のピッチングを僕が受けたり、バッティングスイングのチェックをし合ったりと、その程度だ。
けれども、昔、この公園で浩介と練習していた頃のようで、僕は楽しかった。
きっと浩介も同じ思いだったと思う。
浩介は面倒くさがるどころか、休みになると、率先して招集を掛けるぐらいだから。
そして、僕や浩介にとって、この公園で野球をすることは、それを楽しむ以外にも意義があった。
それは、いつも僕達がやる野球を楽しげに見ている彼女の笑顔だった。
もしかすると、その笑顔を見たくて、僕も浩介も野球とは言い難い野球をやっているのではないかとさえ思えた。
そんな不純な動機があれど、いまは、この瞬間だけが、僕らが野球を楽しめる時間だった。
「にしても、随分とそっちでも投げれるようになったよな?」
浩介は僕の投げたボールを受けながら、感心したように言い出した。
「そうかな? でも、まだまだだよ。まだ右で投げた方がいいぐらいだ」
「おいおい……ピッチャーにでもなる気かよ?」
「馬鹿言え。野手でも強い肩は必要だろ」
「そりゃあそうだがよ……大会終わったのに入部しねぇのは、それが理由か?」
浩介は腑に落ちないという表情を浮かべながらも、キャッチボールを続ける。
あれから僕は右腕でボールを投げるのをやめた。
元々、怪我で痛めた肩でボールを投げることはあまり出来なくなってしまっていた。
あの日、浩介とキャッチボールをしていてそれが分かった。
だから、僕は右肩ではなく、左肩を使うことにした。
左腕でボールを投げることにしたのだ。
無論、右利きで子供の頃から右腕でしかボールを投げてこなかった僕が、左腕でボールをまともに投げられるようになることは半端なことではない。
多少の練習なんかで出来るようになるわけがない。
ましてや、ピッチャーなんて出来るわけもないのだ。
「ま、春先までには間に合わせるから、そんなに心配しないでよ」
適当な返答を返しつつ、僕は浩介にボールを投げ返すと、その場にしゃがみ込み、グラブを胸の前に構える。
「ほら、いつもみたく投げてこいよ。受けてやるからさ」
「まったく、仕方ねぇなぁ」
浩介は悪態をつきつつも、投球フォームに入った。




