#5-7
キャッチボールを始めて、何度目かボールが行き交った時だった。
浩介が投げる時に、不意に口を開いた。
「お前さ、高橋の事、どう思ってるんだ?」
「え……」
尋ねられた事に驚きつつ、僕はボールをキャッチする。
キャッチしてから、彼女の方を見たら、彼女も驚いた表情をしていた。
「ど、どうって……どういうことだよ?」
僕は尋ね返しながら、浩介に返球する。
投げたボールはちょっと軌道が逸れた。
浩介はそれを難なくキャッチする。
「そんなの決まってるだろ。男子と女子なんだから、そういう意味で、だよ!」
浩介はそう言いながら、ボールをこれまでよりちょっと強めに投げ返してきた。
僕はそれを見誤らないようにキャッチする。
僕はもう一度彼女の方を見る。
すると、彼女は顔を赤らめながら俯いてしまった。
「そ、そんなの……ここで言えるわけないだろ!」
僕は気恥ずかしさから、浩介に今できるだけの力でボールを投げ返した。
けれど、浩介は苦も無くそのボールをキャッチしてしまう。
そして、今度はすぐに投げ返して来ずに、浩介は僕をじっと見据えてくる。
「な、なんだよ……?」
「言えねぇのは、俺がいるからか? それとも、本人が目の前にいて、それを口にする勇気がないからか?」
「な、なに言って……」
浩介の責め立てるような口調に僕は戸惑いを隠せない。
浩介の言う事は的を射ている。
だからこそ、この場で僕が彼女をどう思っているかなんて言葉にすることは出来ない。
けれど、浩介はそれを許そうとはしなかった。
「またそうやって自分に嘘ついて、誤魔化す気か?」
「ご、誤魔化すなんて……そんなつもりはないよ!」
嘘だ。
僕は戸惑っている。
迷っている。
だって、浩介の言う通り、僕は……。
「そうか? じゃあ、俺がこの場で俺の気持ちを高橋に伝えても、お前は文句ないよ、な!」
「お、おまっ……!」
浩介は煮え切らない僕に対して、今度は思いっきりボールを投げてきた。
ボールはこれまでのどのボールよりも速い。
僕は慌てながらも、なんとかボールをグラブに収める。
グラブに収まった瞬間、バチンと鳴って、左手が痺れた。
「高橋!」
「は、はい!」
浩介は突然彼女の名前を大声で呼んだ。
それに彼女は顔を上げ、緊張した面持ちで返事をした。
「俺は高橋を絶対に甲子園に連れていく。絶対にだ! 約束する! だから、甲子園に行くことが出来たら、俺と付き合ってくれ!」
僕がそばにいながらも、浩介は臆面もなく、そして、恥ずかしがることもなく、彼女に大声で告げた。
「な、名倉君……」
彼女は両手で口を塞ぎ、大きく目を見開いている。
そして、しばらくすると、彼女はまた顔を赤らめた。
そんな浩介と彼女の姿を見て、僕は胸を締め付けられるような思いがした。
そうして、僕は自分の気持ちに気が付いた。
だから、居ても立ってもいられなくなって――。
「ぼ、僕だって……浩介なんかに負けない!」
僕は手に持つボールを浩介目掛けて思いっきり投げる。
ギリッと一瞬右肩が痛むの感じたが、そんな事は気にしていられない。
投げたボールは浩介の顔面に向かって今までにないスピードで向かっていった。
「うおっ!」
浩介は驚いた声を上げながらも、顔の真ん前でボールをキャッチした。
「た、高橋さん!」
「は、はい!」
先程の浩介と同じように僕は大声で彼女の名前を叫ぶ。
彼女も先程と変わらない緊張した面持ちで返事を返してくれた。
もう、引き返すことはできない。
なによりも、この気持ちを止めることができない。
僕は大きく息を吸い込む。
そして、その想いを一気に吐き出した。
「僕もいつか君を甲子園に連れて行くよ! まだ、浩介の足元にも及ばないかもしれないけど、だけど、浩介なんかよりも活躍して、必ず甲子園に連れて行ってみせる! 約束するよ! だから、だから……!」
そこから先の言葉を声にすることは出来なかった。
自分の小心者ぶりに嫌気がさす。
こんな時になっても僕は前に踏み出すことにビビっている。
なんて情けないんだ。
けれど、彼女はそんな僕の思いを察してくれているみたいだ。
彼女は僕の言葉を聞いて、赤かった顔をさらに赤らめていた。
そして、恥ずかしそうに俯いてしまった。
僕も浩介もそんな彼女を固唾を飲んで見守る。
どういう返事が貰えるのか、それだけが不安で堪らない。
しばし待っていると、俯いていた彼女が顔を上げた。
その顔は若干落ち着いてはいるが、まだ赤みを帯びている。
「はあ……二人とも、仕方ないなぁ……」
そう呟いた彼女の表情は困り顔ではあったが、口元は少し緩み、微笑んでいるように見えた。
「……いいよ。もし甲子園に行けたら、二人のどっちかと付き合うよ。私で良ければ、だけどね」
その彼女の返事に僕と浩介は顔を見合わせる。
浩介は固まった表情で僕を見た後、嬉しそうな笑顔になった。
きっと僕も同じだったように思える。
けれども、それは一瞬の事で、すぐに互いの事を意識して、表情を引き締めた。
「ま、まあ、これで達也とは正式にライバル関係ってことだな」
「あ、ああ、そういう事になるな」
僕と浩介は睨み合うように視線を交わす。
その様子に彼女は慌てた様子で言ってきた。
「あ、でもでも、だからって喧嘩しちゃダメだよ? もし、喧嘩するなら、今の話はなしだからね!」
彼女は心配そうな表情で、そんな条件を付けてきた。
けれど、そんな心配は僕らに無用なものだ。
「大丈夫だよ、高橋さん」
「おうよ、俺達の夢はなんたって甲子園優勝だからな! そんな足の引っ張り合いなんてするわけがねぇ」
僕達の意見は一致していた。
もう一度野球をやると決めた時から、かつて浩介と約束した甲子園優勝という夢も僕の中でもう一度目指すべき目標になっている。
今度こそ、その夢を二人で実現させてみせる。
だから、それを妨げるような事をするはずがない。
もっとも、青蘭高校は強豪高校でもなんでもないから、甲子園に行くことさえも難しい。
けれど、浩介の言葉を借りるわけではないが、だからこそ、やり甲斐があると言うものだ。
「うん! 二人とも、これから頑張ってね!」
「うん!」
「おう!」
嬉しそうに応援する彼女に僕達は応える。
今度こそ、夢に向かって前に進もう。
この応援してくる彼女の期待に応えるためにも。
そう誓った。
「けどよ、達也はこれからどうするんだ? 野球部に入るんだよな?」
僕が心の中で誓を立てた時、浩介が思い出したように訊いてきた。
「ん……あー、それは、来年の春までやめとくよ」
「はあ!? なんで!?」
浩介が素っ頓狂な声を上げて驚く。
浩介がそうした反応をする理由は分かる。
折角、もう一度野球をやると決めたのに、野球部に入るのは先送りにするなど、理解し難い選択だろう。
「まあ、聞けよ。流石に一年間ブランクあると、僕だってきついさ。今のままじゃ、練習についていけそうにないからね。まずは自主練して、最低限のとこまで戻そうと思うんだ。少なくとも、練習についていける体力がないとダメだろ?」
「そうか? 俺には、その必要はないような気がしてならないけどな。今のお前のままでも十分だと思うが……」
道理に適った説明をしたはずだが、何が納得いかないのか、浩介は否定的な見解を示す。
それに、浩介にしては珍しく根拠のない事を言ってきている。
もしかすると、僕の意図に気づいているのかもしれない。
「いや、野球部的にもその方がいいと思うよ。こんな時期に新入部員が入ると色々と困るだろ?」
僕がそう答えると、浩介は眉を潜めた。
「やっぱりそういうことか……お前、今度の大会の事を心配して言ってやがるな?」
「考えすぎだよ、浩介。今のまま、お前と同じ土俵に立たされたら、勝ち目がないからな。単なる時間稼ぎさ」
「この野郎……」
憎まれ口を叩く僕に対して、浩介は悔しげな顔で睨んでくる。
もう、浩介には僕の意図が完全にバレている。
春の選抜高校野球、その出場校を決める指標となる地方大会がもう迫ってきている。
今、野球部はその大会に向けて一丸となろうとしているところだ。
それには浩介だけじゃなく、彼女も一役買っている。
そんな時に、僕のような経験者が入れば、少なからず部員間では動揺が広がってしまう。
それは野球部としては上手くない。
だから、僕が野球部に入るのは、まだ後の方がいい。
自然な入部ができる4月がベストだろう。
「はあ……わーったよ! 仕方ねぇから、お前に意見に賛同してやる。ついでに、勝負も次の夏の大会までお預けだ」
僕の意図を理解した浩介は、溜息混じりにそんな事を言ってきた。
「いいのか?」
「ああ。じゃなきゃ、フェアじゃねぇだろ。俺は自分も含め、お前も高橋も納得した上で、高橋と付き合いたい」
「この野郎……ハッキリ言いやがって。余裕ぶってられるのも今の内だ。絶対に負けないからな」
「おう。なら、さっさっと這い上がって来いよ」
僕と浩介は互いに歩み寄って、不敵な笑みを浮かべながら睨み合う。
「こ、こらー! 喧嘩はダメって言ってるでしょ!」
バチバチと火花が上がる僕と浩介の間に彼女が声を上げて割って入って来た。
そして、彼女は僕の左手と浩介の右手を掴んで引っ張ると、それを重ね合わせる。
「これからは、私達三人で野球部を盛り上げていくだから、仲良くね!」
「う、うん」
「おう、そうだな」
再度彼女の前で仲良くすると誓わされた僕と浩介は、顔を見合わせながら笑い合った。




