#5-6
さてはて、しかしながら、僕と彼女と野球の話はこれで終わりではない。
僕には彼女から聞いておきたいことがどうしてもある。
「と、ところで、君が見たっていうピッチャーってさ、もしかして――」
「よぉーし、そこでストップだ!」
彼女に尋ねようとすると、突然背後から大きな声が聞えてきた。
僕と彼女はその声の方へと振り返った。
「こ、浩介!?」
「な、名倉君!?」
その姿を目にした僕と彼女は、驚きながら同時に彼の名前を口にした。
「よっ! 二人とも!」
浩介は僕らの反応なんて気にする様子も見せず、軽い挨拶をしてくる。
そんな浩介に僕は突っかかっていった。
「お、お前は……今更現れてどういうつもりだよ! ここに呼び出したのはお前だろ! それを……」
「わりぃわりぃ。でも、そのおかげで高橋と二人っきりで話ができただろ?」
「そ、それは……そうだけど……だ、だからって、彼女まで騙すことはなかっただろ?」
「いやー、そうでもないさ。お前が来るって言えば、高橋は絶対に来なかっただろうし。な、そうだよな? 高橋」
「そ、それは……そう、かも……」
彼女は申し訳なさそうに浩介の指摘を肯定した。
今はもう過去の話だけど、自分がそこまで彼女に避けられていたのかと思うと、ちょっと悲しかった。
「ま、いいじゃないか、達也。お前や高橋を騙したことは謝るけど、その甲斐あって、高橋と仲直りできたし、素直に野球がやりたいって言えるようになったわけだから」
浩介は悪びれる様子なく、笑っている。
けれど、浩介の言葉を聞いた僕は笑えない。
「ちょっと待て。お前、いつからここにいたんだ?」
「あ? いつからって……最初からだけど?」
「は……?」
浩介の返事に僕は唖然としてしまった。
それは彼女も同じだった。ギョッとしたような表情をしている。
『最初から』とは、一体どこからの事を言っているのだろう……?
まさかとは思うが……。
そんな不安が過っている最中、浩介は平然と言い放ってくれた。
「達也がこの公園に来る前から、物陰に隠れてたからな」
「な、なん……だって……?」
「そ、それじゃあ、私達の会話は……」
「おう。全部聞いてたぜ」
浩介が親指を立てて、得意げな顔で爆弾発言をする。
僕はあまりの事で、開いた口が塞がらなかった。
彼女は顔を真っ赤にした後、俯いてしまった。
「お、おおお、お前は! デリカシーってものがないのか! 普通、盗み聞きなんてするか!?」
僕は動揺しつつも、浩介に非難の言葉を浴びせる。
だが、浩介はそれに不思議そうな表情を浮かべるだけだ。
「なんでだよ? 俺はただ、俺がいたら二人が話しづらいだろうって思って、親切心で出て来なかっただけなんだぜ?」
「なんでだよ! それならここに来ないのが親切心ってもんだろうが!」
「はあ!? それこそ、なんでだよ? お前や高橋を呼び出したのは俺なんだぜ? だったら、俺が来ることに何の問題があるって言うんだ!」
僕と浩介の言い分は平行線を辿る一方だ。
完全に嚙み合っていない。
「大体だな、達也が俺に相談してきたんじゃねぇか! だったら、その成り行きを知る権利が俺にもあるだろーが!」
「屁理屈言うなよ! そんなのな、後から僕や高橋さんから聞けばいい事だろ!」
「あ? じゃあ、何か? お前は、幼馴染から相談受けて、かいがいしくもそれに応えてやった俺に、後から結果だけを聞けと言うのか? お前がそんな薄情な奴だなんて、俺は知らなかったぜ!」
「は、薄情だって!? お、お前だって盗み聞きなんて悪趣味にも程があるだろう!」
「な、なんだと!? テメェ、言わせておけば……今迄、散々ウジウジして、捻くれてた朴念仁の癖に、人の事とやかく言ってんじゃねえ!」
「だ、誰が朴念仁だ! お前だって、気の利かない唐変木の癖して!」
売り言葉に買い言葉とはこの事だ。
僕らの言い合いは徐々にヒートアップしていった。
しかも途中から相手をただ罵り合うだけのものになっていた。
そんな不毛なやり取りをしている時だった。
「プッ――アハハハハッ!」
彼女が突然噴き出して笑い出した。
僕と浩介は何事かと彼女を見た後、顔を見合わせた。
けれど、浩介も何が起きたのか分からないようで、困惑した表情を浮かべている。
「ど、どうしたの? 高橋さん」
「ご、ごめんなさい! で、でも面白くって……プッ!」
彼女は笑うのを耐えながら謝りつつも、また噴き出して笑い出す。
何がそんなに面白いのか分からず、僕と浩介は再び顔を見合わせて、首を傾げた。
それから彼女はしばしの間腹を抱えて笑った後、目から涙を拭うようにして、話し出した。
「笑っちゃってごめんなさい。でも、この間マスターから聞いた通りだったから、おかしくって」
「マスターからって……それ、日曜のこと?」
「う、うん。マスターは、高杉君と名倉君はいつも競い合ってたって言ってたけど、本当だったんだなって」
競い合ってた。確かに昔の僕らは競い合い、何かにつけて言い合いをしていた。
けれど、それの何が彼女のツボに嵌ったのか、僕には分からない。
「高杉君の話を聞いた時に、もしかして、二人の関係も変わっちゃったのかなって思ってたんだけど、今の二人のやり取りを見てたら、余計な心配だったんだなって分かって安心しちゃったの。そしたら、急におかしくなっちゃって……」
彼女にそう言われて、気が付いた。
こんな風に、浩介と言い争いをしたのは、一年前の夏以来だってことを。
まだ一年前の事のはずなのに、それが随分と懐かしいものに思える。
「だ、だからって、そんなに笑うことないじゃないか?」
「それは、二人のやり取りが本当に面白くって、耐えられなかったの。ホントにごめんね」
そう言う彼女は誤魔化す様にチロッと舌を出して、微笑む。
そこには、僕と二人で話していた時の緊張や不安を抱えた表情はもうなかった。
「でも、良かった。二人もやっと元に戻れたんだね」
そう呟く彼女の口元は嬉しそうに緩んでいる。
元に戻れた……?
僕と浩介もあの頃の関係に戻れたとでも言うのだろうか……。
僕はもう一度浩介の顔を見る。
すると、浩介はおどけるように肩をすくめながら言った。
「ま、確かに、ライバル関係っていう意味では戻ったかもな」
それを聞いた僕は、浩介の意見には賛同しかねる。
「おいおい、何言ってんだよ、お前は……。僕はもうピッチャーは……」
そう無理だ。
痛めた肩は、もうピッチャーとして再起はできない。
浩介のライバルになること自体あり得ないことだ。
けれど、浩介は――、
「あ? お前、まだそんな事を言ってるのかよ?」
そんな意味の分からない事を言い出した。
「ったく、お前はどこまで鈍感なんだか……しゃーねー、ちょっと待ってろ」
そう言うと、浩介は公園の物陰の方に走っていき、そして、すぐに帰って来た。
その手には、何かが持たれている。
「ほらよ!」
浩介は手に持つそれを僕に投げて寄こす。
僕はそれを慌ててキャッチした。
「こ、これって……」
それは、野球のグラブだった。
浩介の方を見ると、既に浩介は左手にグラブをはめ、右手にはボールが握られている。
「お、おい……これはどういうつもりだよ?」
「折角、野球をやるって決めたんなら、ここで久々にキャッチボールしていこうぜ。全力投球は無理でも、キャッチボールならできるだろ?」
「あ、ああ……」
浩介が何を考えて、そんな事を言い出したのかは分からなかった。
ただ、グラブやボールを準備していたあたり、初めからこうするつもりだったようだ。
僕は浩介から距離を取って、左手にグラブをはめる。
右手を拳にして、はめたグラブに何度か打ち付ける。
自分が使っていたグラブとは違うが懐かしい感触だった。
浩介は僕の準備が整うと、ボールを投げる。
ボールはゆっくりと弧を描きながら僕に向かってくる。
それを僕はグラブに収め、キャッチした。
そして、そのボールを右手で掴む。
ボールの感触を確かめるように何度か手の中で回し、右腕を振って、浩介に投げ返す。
弧を描くボールは、中学の頃なんかよりもずっと遅く、ギリギリ浩介のもとに届いた。
投げることを拒み続けてきた右腕は、中学時代の剛腕は見る影もなく衰えていて、それが限界だった。
浩介は僕が投げたそんな不様なボールを見ても、何も言わなかった。
そのまま、僕と浩介はキャッチボールを続けた。
それを彼女は嬉しそうに微笑みながら見ていた。




