#5-5
「前も話したけど、私ね、自分に自信がなかったの。中学の頃なんて、人目を気にしていつもビクビクしてたんだよ? だから、人前に出るなんてことも出来なかった」
それは坂田君から聞いた話と同じだった。
坂田君の話を聞いた時は意外過ぎて信じられなかったが、彼女本人がそう言うと説得力がある。
「驚いた?」
「ううん。この間、坂田君から似たような話、聞いてたから」
「あー、トシちゃんめ、余計な事を! 今度とっちめてやんなきゃ」
彼女は頬を膨らませ、怒ったような表情になって、坂田君への恨み節を口にする。
「それはやめてあげてよ。きっと、坂田君は君のために思って話してくれたことだから」
「うーん、そうかなー? トシちゃん、結構適当なところあるからなぁ……でも、高杉君がそう言うなら、今回は勘弁してあげますか」
彼女はそう言って、クスクスと笑った。
それは何日ぶりかに見た、彼女の笑顔だった。
けれど、すぐにその笑顔は消えた。
彼女は悲しげな微笑みを浮かべながら、続きを語りだした。
「そっか……昔の私がどんなだか、もう知ってるんだね。それだったら、話が早いや。私ね、自分が嫌いだったの。地味だし、暗いし、人前には出れないし、そんな自分が大嫌いだったの。だから、変わりたかった。自分で自分を好きになれるように。でも、どうしたらいいか分からなくて……そう思ってた時にね、あの試合を観たの」
「それって前に話してくれた、君が野球好きになったきっかけの試合のこと、だよね?」
「うん。うちの中学に他校の野球部がやってきただけの練習試合。でも、どうしてか人がいっぱい集まってた。私もその騒ぎを聞きつけた友達に誘われて、興味もないのに観に行っただけの観衆の一人だった。あ、そう言えば、練習試合って事は話してなかったよね? ごめんね、この間はプロ野球と勘違いさせちゃって……って、もしかしてこれも知ってた?」
「うん、まあ……マスターから……」
僕は彼女にはわるいと思いつつ、正直に答えた。
誰だって自分の過去をあれこれと他人に詮索されるのは良く思わない。
けれど、彼女は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべるだけで、僕を咎めるような事はしなかった。
「そっかぁ……それじゃあ、ここから先はトシちゃんにもマスターにも話したことない話をするね」
そう前置きされて、僕は姿勢を正した。
たぶん、これから先の話は彼女にとって、自分だけの心に留めておくべきような大切な事なのだと思った。
それに、もしかすると、あの真相も分かるかもしれないと思ったから。
「あの時のピッチャーね、相手チームのピッチャーだったんだけど、そのピッチャーは大勢が見ている中で、堂々としてた。後ろを守るチームメイトからもすっごく信頼されていて、その信頼に応えるように、打者を何人も立て続けに三振に取ってた。そして、イニングが終わる度にチームメイトと笑顔で言葉を交わし合うの。その姿に私は衝撃を受けた。こんな人前で、しかもチームメイトからの期待や信頼を背負って、それでも堂々としてられるなんて、笑ってられるなんて、なんて強い人なんだろうって……。
そんなピッチャーの姿を見て、やっと私は自分がどうなりたいのか分かったの。私は、あのピッチャーのように、どんな時でも堂々としていて、笑っていられるような人間になりたいんだって。ううん、なりたいじゃなく、なろうって思ったの」
『なりたい』ではなく『なろう』、そう思って高校生になった彼女は、事実、そのなろうとした姿になった。
いまや、誰からも信頼され、好かれる校内のアイドルだ。
つまり、彼女の言った逆とは、過去の僕達と現在の僕達の事を言っているのだ。
一度は他人から期待されながらも、その期待を背負うことから逃げた僕に対して、彼女は、他人の期待から逃げる自分を嫌い、その自分を変えようと努力し、期待に沿えるような人間になった。
確かに辿ってきた道筋がまったくの逆だ。
けれど、まったくの逆のはずなのに、この時の僕は、僕と彼女は似ているような気がしていた。
けれど、それは僕の勝手な思い込みだと思ってた。
「なんだか……私達って似てると思わない?」
「え――」
彼女の言葉に僕は思わず驚いた。
僕と同じことを彼女も感じているとは思わなかったからだ。
「やっぱり、変かな? 逆だとか言っておきながら……」
「……ううん、僕もちょうどそう思ってたところだよ」
「ホント!?」
僕が同意すると彼女は嬉しそうに声を上げて微笑んだ。
僕らは似ている。昔も今も、全く逆の立場だけど、それでも、他人の目を気にし過ぎて、自分を見失った事があるという点で同じだった。
「だ、だったら、高杉君もきっとまた戻れる――ううん、変われるよ!」
「そ、そうかな……?」
「うん、きっとそうだよ! だって、私だって変われたんだもん! 君なら絶対に大丈夫だよ!」
何を根拠にと思ったが、それでも彼女の言葉には不思議と説得力があった。
「そっか……うん、そうだね。なんだか、そんな気がしてきたよ」
「うん、その意気だよ!」
彼女は僕を励ますように笑いかける。
その笑顔が僕には眩しく映った。
けれど、彼女はすぐに気まずそうに俯いてしまった。
「ど、どうしたの?」
「あ、あのね、それじゃあね、早速なんだけど、私の期待に応えてもらってもいいかな?」
「え……それって……」
一瞬、ドキリとした。彼女の言葉の意味がどういう意味か色々と考えてしまって、顔が赤くなりそうになった。
けれど、彼女が僕に寄せる期待なんてものは、決まっていたんだ。
「あ、あのね! も、もう一度、野球やってみない? 私達と一緒に」
彼女は必死な様子で問いかけてきた。
その問いかけに僕はどう答えるべきか躊躇った。
けれど、ふと彼女の手を見ると、震えていた。
その手を見て、彼女もまた怖いのだと分かった。
僕に断られてしまうかもしれないと恐れて、震えていたのだ。
その姿を見て、もう逃げてはいけないと思った。
だから、僕は――。
「うん。僕もやりたい。野球を」
だから、僕は覚悟を決めて、答えた。自分の素直な気持ちを。
その気持ちを言葉にすると、彼女は茫然とした表情になった。
「え……ほ、本当に……?」
「な、なんだよそれ? それを期待して訊いてきたんでしょ?」
「そ、そうだけど……ほ、本当の本当に野球をやるんだよね?」
「うん。どうも僕は野球から離れなさそうだしね」
「……ひ、ひっぐ」
僕が答えると、彼女は突然泣くような声を出して俯いてしまった。
「た、高橋さん!? 一体どうしたの? も、もしかして、僕、傷つけるような事言っちゃったかな? だったら、謝るから!」
慌てて彼女を宥めようとすると、彼女は首を大きく振った。
「ち、違うの! 嬉しくって……」
「え……嬉しい?」
「うん。高杉君がまた野球をやるって言ってくれて、嬉しかったの!」
彼女はそう言うと、頬を伝う涙を手で拭う。
そして、まだ涙が止まらないうちに真剣な表情を僕に向けて、あの質問をしてきた。
「高杉君、野球は好き?」
それは前にもされた質問だ。
けれど、あの時と今ではその答えは全くの逆になる。
「うん、大好きだよ!」
僕の答えを聞いて、彼女は涙を流しながらも、満面の笑顔を咲かせた。




