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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第一部 僕と彼女と野球と
17/52

#5-2

 あまり他人に話すことが憚られる内容も、浩介には全て話した。

 それが、僕の相談に乗ってくれた彼への敬意でもあると思ったから。


「なるほど。高橋と話がしたくとも、学校では会えない上、電話しても出てくれない、と。なんだよそれ? 完璧に避けられてんじゃねぇか、お前」


「う、うぐ……」


 はっきりとした物言いをするのは、浩介の長所であるとは思うが、今回ばかりは、それは短所だ。

 お前はもっと人を傷つけない言葉を選べるようになった方がいいと僕は思うよ。


「にしても、まさか高橋と連絡先の交換までした挙句、デートまでしてるとはねー。やるねー」


 浩介はニッコリと作ったような笑顔を見せる。

 だが、その目は決して笑っていない。

 言葉にも感情が籠ってないし、どこか棘がある。


「な、なんだよ……?」


「いんや、お前みたいな朴念仁でもやることはやってるんだなーって、感心してたんだ」


 やっぱり言葉に棘がある。

 浩介の奴、何だって言うんだ……。


「なんだよ……言いたいことがあるなら、ハッキリ言えよ。お前らしくもない」


 僕がそう言うと、浩介はスッと真顔になった。


「じゃあ、訊くが、お前、高橋の事、どう思ってんだ?」


「え……どうって……」


 突然の質問で戸惑った。

 浩介がそれをどういう意味で言っているのか、計りかねていた。


「大体、お前、高橋と話がしたいって言うけど、何を話すつもりだよ?」


「そ、それは……」


 何を話せば、彼女に何を言えばいいのだろう?

 彼女とは野球について教えると約束して繋がった関係だった。

 それなのに、僕は彼女に野球は嫌いだと言い、あまつさえ、その約束すらも無理矢理なものだったと言ってしまった。

 そんな僕が彼女に何を言えばいいのか。

 謝ればいいのだろうか?

 あれは全部嘘で、言葉の綾だと。

 そうすれば、丸く収まるだろうか。

 けれど、そんな事に一体何の意味があるのだろう。

 そんな表面的な言葉だけで、何か変わるのだろうか。


「なあ、達也。お前、もう分かっているんじゃないのか? 彼女と向き合うってことは、もう一度野球と向き合うってことに。それだけじゃない。彼女がお前に何を望んでいるかも、もう分かってるんだろう?」


 そうだ。浩介の言う通りだ。

 彼女との関係は野球を通して出来たものだ。

 だから、彼女との関係を続けようとするなら、それは避けて通れない。

 そして、その行き着く先は、彼女の望むものだ。

 それは、僕が、もう一度……。


「ああ……そっか……」


 だから、僕は、彼女に言いたい事が見つからないんだ。

 野球と向き合う事ができない僕が、彼女に掛ける言葉なんて持ち合わせているはずがない。

 けど、それじゃあ、どうして僕はこんなに悩んでいるだろう。

 彼女との関係は野球なしには続けられない。

 それが分かっていてなお、僕はそれでも彼女と……。


「僕は……一体どうすれば……」


 考えは堂々巡りを繰り返し、知らずの内にそう声を出していた。


「ったく、面倒くせぇ奴だぜ。相変わらず、お前はよ。そんな半端な気持ちのまま、彼女と話がしたい、なんてよく言ったもんだ」


「……」


 返す言葉もない。

 浩介の言う通り、僕の気持ちは半端なままだった。

 そんな自分がどうしようもなく惨めに思えた。


「しゃーねぇなー! 答えが出たら、連絡してこい。高橋との取りなしは俺がセッティングしてやるから」


 浩介は呆れ返った顔をしつつも、そんな事を言い出した。


「ど、どうして……」


 浩介がこれまでの話を聞いて、どうしてそんな判断をしたのか、僕には分からなかった。

 すると、浩介は頬を掻きつつ、面倒くさそうに答えた。


「あー、まあ、なんだ……幼馴染のよしみってのもあるが……正直、こっちも参ってんだわ」


「え……参ってる? なんで?」


「高橋がよ、元気ねーんだわ。俺達の前ではいつも通り笑ってるんだけどな。今日なんて、『皆集めて秋の大会に向けてミーティングしましょう』なんて事を監督やキャプテンに提案までして、野球部を盛り上げようとしている」


「それって……」


 そうか……彼女、一昨日僕がアドバイスした事を実践しているのか。


「正直驚いたよ。俺達の身の回りの世話だけって思ってたのに、本当に野球部の事、考えてくれてるんだなって。けど、俺には分かるんだわ。無理してるなーって。それを見ているのが正直つれぇんだよ、俺としては。だから、早く元の彼女に戻って欲しいって本気で思ってる。けどさ、俺じゃあ、彼女を戻してやれそうにねぇ。すっげぇ、悔しいことにな!」


「こ、浩介……お前、もしかして、彼女の事……」


「はっはっはっ! やっと気づいたか、この鈍感!」


 顔を引き攣らせながら笑う浩介は、少しだけ怖かった。

 たぶん、本気で怒る一歩手前だ。

 当たり前か。

 好意を寄せている女性に関して、他の男から相談されては、誰だっていい気分がしない。

 おまけに、それが自分の恋路にとって何らプラスにならないことならなおさらだ。


「いいか? 答えを出せ。お前が納得いく答えを。話はそれからだ。けど、お前が悩んでるのを永遠と待ってられるほど、俺も暇じゃない。明日中だ。明日中に答えを出せ、いいな?」


「あ、明日中って……」


 それは性急すぎるってものだ。

 今まで答えが出せなかった男に、そんな期限を切るなんて、無理があるだろう。


「馬鹿。こんなのはな、先延ばしにすればするほど、状況が悪化するもんなんだよ! そもそも、これはお前がいままで蒔いてきた種でもあるんだ。そのツケって奴だろ。ここいらでその辺全部、自分で清算しろ!」


 そう言い残して、浩介は自分の家へと入って行ってしまった。


「……自分で清算しろ、か」


 中々、堪える言葉だった。

 と、同時に、思わず感嘆してしまっていた。


「アイツ、あんな大人びた事言う奴だったっけ……?」


 一年前の浩介とは別人のように思えた。

 人間は一年もあれば成長するということか。

 どうやら、成長していなかったのは、僕だけのようだ。


 答えを出せ。

 そう言われてなお、僕はまだ迷路を彷徨っていた。


        *


 浩介と話した翌日の放課後、僕は駅前をブラブラとしていた。

 あの日、彼女とデートした日、彼女は愉しそう野球の話をしていた。

 けれど、その話の中で唯一表情が陰った話題があった。

 彼女が野球部のマネージャーになる前、入学直後の話をした時、彼女は自分に自信がなかったと言っていた。

 坂田君も中学の頃の彼女は地味で根暗だったと評していた。

 そんな彼女が今のようになったのは、やっぱり野球と出会ったからだろう。

 彼女は野球に魅入られて、変わったに違いない。

 だからこそ、彼女は知識がなくとも野球が好きだと豪語するようになった。

 そんな彼女に僕は野球が嫌いだとこの場所で言ってしまった。

 この『喫茶カープ』で。


 ドアを開けると、カランコロンと昔ながらの音が鳴る。

 そのまま中に入ったが、相変わらず接客の基本であるはずの挨拶はない。

 マスターはカウンターの中で新聞を広げて、顔を隠している。

 その様子に溜息をつきつつも、僕はマスターの目の前のカウンターの席についた。


「コーヒー、ブレンドで貰える?」


 注文を告げると、マスターは新聞を顔の前から下げ、ちらりとこちらを見てくる。

 その途端、マスターは眉を顰め、ギロリと睨んできた。


「……テメェに出す珈琲なんぞねぇ」


「……」


 喫茶店のマスターがお客に言う台詞とは到底思えない言葉だ。

 マスターの機嫌が最悪なのは明白だった。


「……なにそれ? 一応、営業してるよね? ここ」


「あたりめぇだ。じゃなきゃ、閉めてる」


「じゃあ、珈琲ぐらい出せるでしょ?」


「……ほらよ」


 そう言って、マスターが投げて寄こしたのは、120円ばかりの小銭だった。


「……なんのつもり?」


「そんなに珈琲が欲しいなら、それで外の自販機で買ってこい」


「……」


 えっと……ここは本当に喫茶店でいいんだよな?

 それとも、知らないうちにこういう塩対応を楽しむような店に変わってしまったのか?


「マスター、一体全体今日はどうしたんだよ? いくらなんでも、酷すぎない?」


「あぁん!? どうもうこうもねぇ! さっきも言っただろ! テメェに出すもんなんかねぇってな!」


 どうやら、マスターは機嫌が悪いのではなく、僕に対して怒っているようだ。


「何をそんなに怒ってるのさ?」


「あ? むしろ、こっちが訊きたいぐらいだ。よくも、まあ、ノコノコとやってこれたもんだな! この間、お前が由香ちゃんに言った言葉、忘れたとは言わせんぞ!」


「う……」


 マスターが怒っている理由が分かった。

 マスターは無類の野球好きだ。

 そんなマスターがいる所で野球が嫌いだなんて事を言ってしまえば、機嫌を損ねないわけがなかった。


「それにだ! 由香ちゃんにも酷いこと言ったみたいだしな。そんなテメェに出す珈琲なんて一ミリもあるもんか!」


「……」


 そう言えば、マスターと彼女は仲が良かったんだった。

 それは誰だって怒るよな……。


「……悪かったよ、マスター。本当はあんな事言うつもりじゃなかったんだ」


 言いながら、僕はマスターに対して素直に頭を下げる。


「ば、馬鹿野郎! オレに頭を下げても仕方ねぇだろ!」


「う、うん……そうだよね……」


「ちゃんと由香ちゃんには、謝ったんだろうな?」


「いや……それがまだなんだ。どうも僕、彼女に避けられてるみたいで……」


「けっ! ざまぁみろってんだ! ま、お前みたいにウジウジした奴が由香ちゃんみたいな良い娘と一緒にいられるわけねぇもんな」


 酷い言われようだが、そう言われるだけの事をした自覚がある分、何も言い返せない。

 だから、僕は肩を落として黙っていることしかできなかった。


「な、なんだよ? 何も言い返してこねぇのかよ?」


「何か言い返して欲しかったの? マスター」


「そ、そうじゃねぇけど、調子狂うだろ?」


「そ。でも、マスターの言う通りだと思うから。やっぱり、僕なんかといたら、彼女にとっても迷惑かなって」


 そう言うと、マスターは舌打ちをした後、溜息をついた。


「……珈琲、ブレンドで良かったんだよな?」


「え……そ、そうだけど……」


「ちょっと待ってろ。今、出してやる」


 どういう風の吹き回しか、そう言ってマスターは立ち上がり、珈琲の準備に取り掛かった。


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