#4-1
彼女とのデートの翌日、いつもと変わらない時間に登校したが、坂の下には彼女はいなかった。
昨日、あのまま別れてからメールも何もなかったから、そういうことなのだろう。
当然の結果だと思った。
人は自分にとって都合の良い存在には、勝手に近づいてきて、過度な期待を寄せる。
そして、それが期待にそえないと分かると手の平を返したように離れていく。
一年前、嫌と言うほど経験したことだ。
彼女もその例に漏れなかった。
それだけの話だ。
だから、彼女との関係もこれで終わり。
そう思い込めば、少しは気が楽になる。
けれど、坂を上る足取りは、酷く重たかった。
憂鬱な気分なまま、坂を上り終えると、僕はそのまま正門を潜ろうとした。
けれど、それはできなかった。
三人組の柄の悪そうな男子生徒達が僕の行く手を阻むように目の前に立っている。
三人が一様に憮然とした表情で僕を睨んでいる。
三人とも見知らぬ顔だった。
少なくとも僕の知り合いではない。
「……何か用ですか?」
嫌な予感はしていたが、それでも無視できる状況でもなさそうだと思い、そう尋ねた。
「高杉達也、だな?」
「そ、そうだけど……」
「面、貸せや」
三人の内一人が、そんな恐ろしい言葉を口にして、他の二人が僕の両脇を固める。
逃げ場などなかった。
彼らに従って、連れていかれるしかなかった。
その様を登校してくる生徒が奇異な目で見てきたが、誰も助けてくれる素振りは見せなかった。
ここでも僕は人間の汚い部分を見せられたような気がした。
結局は皆、自分が一番かわいいのだ。
お門違いと知りながらも、そんな彼らには怒りさえ覚えた。
連れてこられた場所は、定番と言っていい体育館裏だった。
さて、何故、僕がこんな目に合わなければならないのか?
そもそも、彼らはどうしてこんな事をするのか?
そんな疑問だけが湧いてくる。
けれども、分かっていることもあった。
それは、これから僕がどうなるかだ。
体育館裏に連れて来られると、両脇を固めていた二人は僕を自由にした。
「こんな所に連れてきて、どうする気? 僕が君達に何かしたかな? 少なくとも、僕は君達を知らないんだけど」
そんな強気な口調で僕は彼らと対峙した。
もう、何をやっても結果は変わらないのだ。
だったら、下手に出るだけ損ってものだ。
そんなやけくそ気味な考えだった。
「テメェ、調子に乗ってんじゃねぇぞ! こらぁ!」
僕の態度が気に入らなかったのか、彼らの一人が怒声と共に僕の胸ぐらを掴んでくる。
「調子って……一体何のことさ?」
「何のことだと……とぼけんじゃねぇ!」
「と、とぼけてなんか――」
言い返そうとした時には、遅かった。
顔面に強い衝撃が走ったかと思うと、僕の視界は暗転していた。
すぐに視界は戻ったけど、それでも世界はぐるぐると回っていた。
あと、右頬あたりに強い痛みを感じた。
どうやら、僕は殴られてしまったらしい。
「あ……ぐ……、ど、う、し、て……?」
どうして……どうして僕はこんな目に合っているのだろう?
その理由に全く心当たりがない僕は、どうして、としか思えなかった。
けれど、その答えを彼らはすぐに与えてくれた。
「いい気味だ。中学の時にちょっとちやほやされたからって、調子こくからこうなるんだ」
「これに懲りたら、二度と由香ちゃんに近づくじゃねぇぞ! 分かったな、このストーカー野郎が!」
「次、由香ちゃんに何かしたら、これくらいじゃすませねぇからな!」
次々と浴びせられる悪意ある言葉の数々。
それを聞いて、僕が殴られた理由がはっきりした。
つまりは、彼らは、高橋由香の熱狂的なファンだ。
そんな彼らは僕が彼女にちょっかいを出していると勘違いしているのだ。
まったくもって誤解な上、事実は全くの逆なのだが、それを彼らに言ったところで信じてもらえないのだろう。
非常に迷惑な話だ。
「なんだ、その目は? なに睨んでんだ、あぁん!」
僕を殴った男は倒れている僕に怒鳴りながら迫ってくる。
訂正しておくと、決して睨んでいたわけではなく、殴った奴の顔を覚えておこうと、ただ見ていただけだ。
けれども、殴られた影響でどうも視界がおかしくて、目を細めたりとかしていたから、睨んでいるように見えたのかもしれない。
けれども、僕のとった行動はこの場合最悪だったのかもしれない。
どうも、彼の怒りをさらに買ってしまったらしい。
彼は僕の胸ぐらを再度つかんで、無理やり立ち上がらせた。
「もう一発……いや、そんな反抗的な目ができなくなるまで殴られねーと分からねぇみてぇだな?」
彼はそんな物騒なことを言って、拳を振り上げる。
冗談じゃない。
たった一発で目を回しているのに、もう何発ももらったら、意識が飛びかねない。
けれど、既に目を回している僕に、抵抗する力なんてなかった。
もう一発、さっきと同じところ殴られた。
気づいた時には僕は地面に突っ伏していた。
起き上がろうとした時、そこに彼が馬乗りになってきた。
それで僕は抵抗することすらも諦めた。
そうなると、もう彼のなすがままだ。
僕に馬乗りなった彼は、躊躇いなく、拳を振り下ろして――。
「ぎゃ!」
誰かの呻き声が聞えた。
いや、それ以前に、歪んだ視界に何か人の足ようなものが飛び込んできて、それが馬乗りになっている彼に当たって、それから彼は……彼はどうなった?
気づけば、その彼の姿は、視界から消えていた。
彼の姿を探そうと、上半身だけ起こすと、その彼が目の前で鼻血を流して倒れていた。
そんな彼を仲間の二人は茫然と眺めている。
「あーあ、鼻血なんか出しちゃってかわいそーに」
突然、背後からの軽薄そうな声が聞えてきた。
その声に振り向くと、そこには意外な人物が立っていた。
「さ、坂田君!?」
「よお、高杉ぃ!」
クラスメイトの坂田敏雄がいつものように馴れ馴れしく挨拶をしてくる。
「な、なんで……」
どうして坂田君がこんな所にいるのか、それを尋ねようしたけれど、事態はそんな状況ではなかった。
「て、てめぇ、なにしやがんだ!」
先程まで仲間がやられたことに我を失っていた男子生徒の一人が、声を荒げる。
もう一人は、鼻血を流して倒れている彼を抱き起そうとしている。
「なにって……見てなかったんですか、先輩? コイツに馬乗りなってた今は無残にも鼻血を流して倒れている先輩の顔面に蹴りをお見舞いしたんですけど?」
「そんなことを訊いてじゃねぇ! 何のつもりだって言ってんだ!」
「何のつもりって、そりゃあ、先輩、あれですよ。クラスメイトが酷い目にあってたら助けたくなるもんでしょう? 人として」
「て、てめぇ……」
坂田君はへらへらと笑いながら答えていた。
それは明らかに相手を挑発した態度だった。
だから、言われた相手は当然怒っている。
本当ならば、これから起きるであろうことに心配らなければいけなのだが、この時の僕は坂田君が言った言葉を聞いて、間抜けにも、「こいつ等先輩だったのか」なんて事をぼんやり考えていた。
この後起きたことは、あまり語りたくない。
何故って? それは、見るも語るも無残なものだったからだ。
坂田君は先輩二人に囲まれてボコボコに――なんてことにはならず、逆に先輩達が坂田君にボコボコにされていた。
正直言って、坂田君は強すぎた。先輩二人程度ではまるで相手にならない。
二人を相手に坂田君は一方的に殴って、これでもかと痛めつけていた。
最後には先輩達が泣いて謝りだす始末だ。
そんな彼らに、坂田君は満面の笑顔を作って、
「ま、謝ってくれるなら、これ以上はしませんけどね。でも、先輩? もし、また高杉にちょっかい出すような事あったら、こんな怪我程度じゃ済みませんからね?」
そんな恐ろしげで、ごく最近どこかで耳にしたようなセリフを口にした。
それで先輩達の心を完璧に折れた。
坂田君の忠告を耳にした二人の先輩は、悲鳴をあげて、倒れている一人を担いで逃げて行った。
「うーわ! 見たかよ、高杉? あいつ等のあの怯えっぷり。いい気味だぜ!」
逃げていく先輩達を見ながら、坂田君はそう言って子供のように笑っていた。




