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ずっと君を見ていたい  作者: みどー
第一部 僕と彼女と野球と
10/52

#3-3


 僕は顔を引き攣らせて笑顔を作りながら、久方ぶりの再会の挨拶をマスターにする。


「おう、久しいな……じゃねぇよ! お、お前、一年以上も顔も出さねぇで、何してやがった! いやいや、そもそも、なんでお前が由香ちゃんと一緒にいるんだ!? つーか、てめぇ、来たなら挨拶ぐらいしろってんだ! なんだよ、背も髪も伸びてるから全然気づかなかったじゃえねぇか!」


 マスターは興奮した様子で矢継ぎ早に捲し立ててくる。

 その表情は、最初は再会を喜び合う笑顔から、般若の面のような恐ろしい形相になった後、面食らって驚いたような表情に、かと思いきや、やっぱり般若に。

 けれども、最後には何故か笑顔で、がはは、と豪快に笑い飛ばしている。

 表情豊かにも程があるよ、マスター。

 そんなマスターに、やっぱり僕は苦笑いを浮かべるしかない。


「え、ええっと……もしかしてだけど、二人はお知り合い、なの……?」


 そんな僕達のやり取りを目にした彼女は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、僕とマスターを交互に見ながら尋ねてきた。

 それに対して、余計なことにマスターが応じてしまった。


「おう、そうなんだよ。て、なんだ、由香ちゃん、知らなかったのか?」


「え、ええ。高杉君、そんな事は一言も言ってくれなかったから……」


「なんだ、それ? おい、達也! これはどういうこった?」


 マスターが僕をジロリと睨んでくる。

 お願いだから、そのいかつい顔で睨まないで欲しい。


「あー、いや、これは、その……」


「あん? 聞えねぇよ! 相変わらず、ハッキリしねぇ奴だな、お前は! あー、もういいや! そういや、お前は昔から口下手だったもんな。どうせ、言いそびれてたとか、そんな理由だろ」


 どう返すべきか考えあぐねていると、マスターは業を煮やして、勝手な解釈をしてしまった。


「けどよ、由香ちゃん? コイツと君が知り合いってことは、浩介も知ってんだろ? 聞いてなかったのか? オレ達の関係についてとか」


「う、うん。高杉君と名倉君が幼馴染なのは知ってたけど……名倉君からもそれだけしか聞いてなかったから……」


「なんだ、そうだったのか……。ったく、達也も浩介も、昔っからお前らはどうしてお互いの事を話したがらないんだよ!」


 またもマスターがジロリと睨んでくる。

 そんな風に非難されても困る。

 そもそも、家がお隣で幼馴染ではあったけれど、僕と浩介の関係は、友人関係というより、ライバルという関係性の方が強かった。

 だから、お互いの事を他人にべらべらと語って聞かせることはしなかった。

 それは口下手だからというわけではなく、気づいた時には自然とそうなっていたんだ。

 どうも、ライバル関係でなくなった現在でも、その癖は抜け切っていないようだ。

 現に、あの気さくな浩介ですら、僕については他人にあれこれと語っていない。


「ねえ、マスター。高杉君と名倉君って昔からよくここに来てたの?」


 彼女に質問されるとマスターは僕を睨むのをやめて、笑顔を彼女に向ける。


「おう、そうだぜ。初めてうちに来たのが、確かこいつ等が中一の夏の頃だったから……おう、もう三年も前のことだな。確かその時は、うちの前で仲良く口喧嘩なんかしてたもんだから、うざくてよ。それで店の中に連れ込んで説教してやったら、それ以来、こいつ等二人して何かにつけて部活帰りにうちに来て、だべっていくようになっちまったってわけだ」


「ちょ、マスター!」


「あ?」


 話してほしくない事をマスターがべらべらと語りだしたので、慌てて止めに入ったが、逆に黙れと言わんばかりにマスターに睨まれてしまう。

 けれど、僕が何をしようがもう遅かった。

 彼女はマスターが喋った一言を聞き逃さなかった。


「部活帰りって……そ、それじゃあ、高杉君も……野球部……だった?」


 彼女は驚いた様子でそう呟いていた。

 ついに気づかれてしまった。野球部のマネージャーである彼女にはあまり知られたくなかった事実だったのに……。


「野球部も何も、こいつ等はガキの頃から野球少年さ。あれ? 由香ちゃん、もしかして、それも知らなかったのか?」


 僕が彼女の疑問に答えないままでいると、逆にマスターが彼女に尋ね返した。


「う、うん……野球のことに詳しいってだけで……名倉君もそんな事一言も言ってなかったし……」


「おいおい……お前ら、どういう関係になったんだよ……」


 彼女の返答を聞いたマスターは僕を見ながら呆れたように言い放つ。

 ここで言う『お前ら』とは、きっと僕と彼女のことではなく、僕と浩介のことなのだろう。

 その返事としては、こう答えるしかない。


「どうもこうもないよ。僕と浩介は昔から単なる幼馴染。それ以上でも、それ以下でもないよ」


「ったく、お互いの事を意識しまくってた奴がよく言うぜ。そういう心にも思ってないこと言うなっての」


 マスターはあっさりと僕の言い分を切って捨てた。

 別に心に思ってないことではない。事実、今ではそういう関係だ。

 けれど、マスターは僕の反論を待たずして、彼女に向けて話し出した。


「いいか、由香ちゃん。こいつ等はな、ライバルだったんだよ。中学の頃なんて、こいつが野球部のエースピッチャーで、浩介はそれ次ぐピッチャーだった。こいつ等は何かにつけて競い合ってたんだ。野球だけに限らず、日常に転がってるくだらねぇことまでな。だからよ、こいつ等の仲はオレから言わせれば、切っても切れない腐れ縁って感じだ」


 マスターは彼女に語って聞かせるようにまたもべらべらと余計な事を話してしまった。

 浩介とは切っても切れない腐れ縁、そんなの男同士では願い下げだ。

 例えそうだったとしても、それは一年以上前までの話だ。

 今の僕と浩介とでは、それは当てはまらない。

 けれど、マスターの話を聞いた彼女が気にしたのは別の事だった。


「エース……高杉君がエースピッチャーだったんですか!?」


 彼女は意外だと言わんばかりの驚いた表情をしている。

 マスターの話や彼女の反応に、もはや僕は居た堪れない気分になってしまっていた。

 けれど、彼女のその反応に気をよくしたマスターは、僕の気持ちをよそに話を続ける。


「おうよ! エースっつーか、コイツな、県内、いや、全国でも有数の剛腕ピッチャーだったんだぜ? 今じゃあ、その鳴りを潜めているが、昔は半端なかったんだ」


 ああ……ついにその話を彼女にしてしまったか……。


 鳴りを潜めてるとか、半端なかったとか、そんな風に言ってしまえば、野球好きな彼女が興味を持たないわけがない。

 そして、興味を持たれれば持たれるほど、色々な意味で僕の立場は危うくなってしまう。

 なんとかしなければ……。


「む、昔の話だよ、高橋さん。それに、剛腕なんて言っても、それは中学生レベルでの話だから、高校だと大したことないし、通じないよ」


「馬鹿言え。オレから見ても、当時のお前の実力はとっくに高校生レベルだったぞ。間違いなく、甲子園でも一二を争える投手だった。そう断言できる!」


 マスターが胸を張って吾の事のように言い切ってしまった。

 マスター、お願いだから、これ以上、僕を困らせないでくれ……。


「す、すごい」


「……え」


 その呟きを耳にして、彼女の方を見ると、彼女は目を輝かせてこちらを見ていた。


「凄いよ、高杉君! 甲子園で通じるレベルだなんて! 凄いよ!」


 彼女はそう言って立ち上がり、こちらに身を乗り出してくる。

 完全にマスターの話を真に受けてしまったようだ。

 本人が否定しているというのに、どうして髭面でやる気のないマスターの話を信じてしまうというのか。甚だ疑問だ。

 けれど、というか、やっぱり、この話におかしな点があることに、流石の彼女も気づかないわけはなかった。

 彼女の僕を見る羨望の目は一転、不思議そうな目に変わり、先程の興奮が嘘のように椅子に座り直した。そして、当然の如く、その疑問を口にするのだった。


「ねえ、じゃあ、どうして、高杉君は野球部に入らなかったの?」


 その疑問がこの話題の行き着く終着点。

 この話題になった時点で、避けては通れない道だ。

 だからこそ、僕はこの話題には触れて欲しくなかった。


「あー、由香ちゃん、それはだな……」


「ちょっと、マスター! いいかげんにしてよ!」


 その先は言わせない。流石にマスターと言えど、これ以上は勝手が過ぎる。

 本人が語りたくないことを他人が気軽話していいはずなどない。

 デリカシーがなさ過ぎだ。

 けれど、非難とも取れるその僕の発言にマスターは訝しげに眉を顰めるだけだ。


「なんだぁ? いいかげんにしろとはどの口が言いやがるんだ、こら! いつからテメェはオレにそんな口が利けるほど偉くなったんだ、ああん!」


「マ、マスターこそ、お喋りが過ぎるよ! いつからここの店主はそんなに客に媚びるようになったのさ!」


「テ、テメェ……!」


「な、なにさ……!」


 売り言葉に買い言葉。僕とマスターの間に険悪な空気が流れる。

 マスターは僕を睨んできている。僕も負けじと睨み返した。

 けれど、元から厳つい顔な上に目を吊り上げて怒っているものだから、さらに厳つい顔になっていて、とてもじゃないけど、睨み続けられるものじゃない。


「ちょ、ちょっと、二人共、落ち着いてよ!」


 一触即発――もとい、僕の心が折れそうになった時、彼女が僕達の間に割って入ってきた。

 その表情はいつもの優しげなものとは違い、どこかピリッとしている。


「マスター、親切心で教えてくれるのはありがたいんですけど、私、できれば、この話は高杉君から直接聞きたいの。だから、ね。お願い、マスター、少し二人だけにしてくれませんか?」


「ゆ、由香ちゃん……」


 彼女のお願いにマスターの怒りは尻すぼみしていく。

 マスターのその様子を見た彼女は安心したように表情を緩ませたが、すぐに引き締め、こちらを見た。

 その目はこちらを睨んでいるように思えた。


「高杉君も! いくらマスターがお喋りだからって、目上の人にそんな口を利いちゃだめだよ! 嫌なことを嫌ってハッキリ言うことは大切だと思うけど、言い方ってものがあると思うよ?」


「う……」


 彼女の言い分に何も言い返せなかった。

 彼女の言っていることは正しいし、悪いのは僕だ。

 けれど、この時の僕が言い返せなかったのは、もっと別の理由だ。

 それは、純粋に怒った彼女が怖かったからだ。

 これはどう見ても、高校生の女子に同級生の男子と髭面のおっさんが叱られているという何とも奇妙な画だ。


「……わ、悪かったよ、マスター。言い過ぎた」


「ちっ、分かりゃあいいんだ、分かりゃあ。今回は由香ちゃんに免じて許してやるよ」


「…………」


 こっちに非があることを認めて、素直に謝ったっていうのにこの人は……。

 素直じゃないというより、子供っぽくすら思える。

 そんな僕達のやり取りを見ていた彼女はクスクスと笑っていた。


「ま、まあ、なんだ……料理を運んできておいて、長話過ぎたのは悪かったと思ってるよ。もう、余計な事は言わねぇから、冷める前にさっさと食っちまえ。飲み物は食べ終わった頃に適当に運んできてやるからよ」


「うん、ありがとう、マスター」


 照れくさそうに話すマスターに彼女がにこやかにお礼を言うと、マスターは少し顔を赤くして、カウンターへ戻っていった。

 反応がまるで小学生だ。

 そんなマスターの反応を見て、彼女はマスターにバレないようにクスクスと笑っていた。

 僕もそれつられて笑ってしまった。


 けれど、笑っていられるのもそこまでだった。

 その後、僕も彼女もテーブルに上に載っている料理を黙々と食した。


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