第20話 いざ、大海原へ~その4~
乗組員が声を荒げる。見ると、舵とりのためのハンドルに必死にしがみついている姿が見える。
「ダメですっ! コイツ勝手に動いていますっ!
このままじゃどっかの浅瀬にぶつかっちゃいますよっ!」
「なんてこった! 本番はこっからってかっ!」
ヴァスコが急いで駆け付けているあいだに、ロヒインは周囲を見回した。
「そう言えば。この船、さっきから勝手に動いてる……」
「おいっっ! みんな下を見ろっっ!」
別の乗組員が船の下を指差しているのを見て、全員が手すりから下を見下ろした。
そこには先ほどのクラゲたちが、船の着水している部分にとりついてウネウネとうごめいている。
イサーシュがあ然として口を開く。
「なんてこった。奴らこの船を自分たちのものにしちまうつもりだぞ」
「ちょっと待ってっっ! なんか聞こえる……」
ロヒインが両手に耳を当てるのに合わせ、他の仲間も耳をすます。
――音楽だ。しかも竪琴。
ポロンポロンという音が、わずかながら耳に入ってくる。
同時に、船は両側を巨大なごつごつとした岩に挟まれ、通りすぎていく。
どうやら入江の中に入り込もうとしているようだ。
「おい。オレたち、いったいどこに誘い込まれてんだ?」
コシンジュ達は前方に目を向けた。
すると船首からはるか向こうに、ぼんやりと光が浮かんでいる。
船員がそちらに向かう。するとこちらにあ然とした顔を向け、光を指差している。
あろうことか、ある1か所だけが霧が晴れていて、天から光が束となって差し込んでいる。
そして照らされた先には……
何者かがいる。岩場の上に、人の姿をした物体が乗っかっている。
なまめかしい全裸の女性の姿をしているが、頭には巨大なゼリー状の物体が乗っかり、そこからのびる触手が胸や股間の部分を隠している。
そして手に持っているのは、金色の光を放つ竪琴だ。
「出た。セイレーンの女王、『ローレラ』だ。
奴は竪琴を鳴らすだけで、海流自体を思い通りに動かしちまうんだ……」
マドラゴーラが言うと、クラゲ女は竪琴を奏でる手を止めて、おだやかな顔をこちらに向けた。
「来たか勇者ども。
よくもわが同胞を次々と殺めていったな。この怒り、どうしてくれよう」
「よくいうぜ。
手下を捨て駒にして、船をここまで運ぶ時間を稼いでたんだろ?」
コシンジュが顔をしかめると、ローレラはおもむろに立ち上がる。
触手がウネウネとうごめくと、美しいプロポーションの肝心な部分を器用におおい隠す。
「うぅ、今までいろんな女魔物を見てきたけど、どれもブッサイクだったからな。
正直こういうのとはやりずらい」
「コシンジュ、こんな怪しい化け物でも欲情するんだ。
ちょっとサイテー」
ロヒインに言われて口をとがらせるコシンジュ。
イサーシュは鼻で笑った。
「じゃあ奴も俺の獲物だな。
お前は身を守ることを考えてろ」
そう言って剣を取り出すと、それは霧に包まれてボウッと光を放った。
「勇者ども。ここ大海原は我ら深海魔団のテリトリー。
足を踏み込んだ以上、お前たちにもう未来はない。ここで海の藻屑と朽ちはてよ」
ローレラは竪琴を持つ手を高く掲げると、竪琴の上の両端から鋭い刃が飛び出した。
イサーシュがまわりに「来るぞっ!」と叫ぶと、全員がおのおのの武器を構える。
「見よっ!
我、『いざないの竪琴ローレラ』の幻影魔術の真髄をっ!」
すると異変が起こった。
ローレラの持つ竪琴から一斉に白い霧が吹きだし、あっという間にコシンジュ達の眼前をおおった。
顔をあげると、そばにいる仲間以外はなにも見えなくなってしまった。イサーシュが叫ぶ。
「クソッ! 霧がさらに濃くなったぞっ!
みんな固まれっ!」
コシンジュ達は背中合わせに円陣を組むと、必死に周りに目をこらす。
「敵はどこだっ!? これじゃどこにいるかわからない!」
コシンジュの問いにいつの間にか杖の先から紫色の光を発したロヒインが応える。
「あわてないでっ! 敵の中でまともに立ち向かえるのはローレラただ1匹!
奴の動きだけを警戒すればなんてことはない!」
「みんなぁぁっ! ふせろぉぉぉぉぉぉっっ!」
遠くでヴァスコが叫ぶ。
上を見ると霧の中を黒い何かがすばやく通りすぎていく。
「あいつ、飛行能力まであるのかっ!」
「わからない、でも気をつけてっ!」
コシンジュとロヒインがやり取りしているあいだに、イサーシュの目が黒い影を捕えた。
上空からやってくる敵に対し、イサーシュは剣を振り上げ鋭い刃を弾いた。
「どうやら幻覚ではなかったらしい。
敵はこちらのスキをついてくるぞ」
「イサーシュをもう一度狙うとは思えない。
メウノとコシンジュも大丈夫、次に狙うとすればわたしか……」
ロヒインは不安げな表情でななめ下を見ると、コシンジュも同じほうを見ておどろく。
「げっ! トナシェっ!
お前武器持ってねえじゃねえか!」
トナシェは呪文をブツブツと唱えつつも、手首にはめた装飾豊かな腕輪を見せつけた。
どうやらこれが魔術の媒介の役目を果たしているらしい。
「ダメだ! トナシェは実質丸腰だ!
みんな彼女を中に入れてくれっ!」
コシンジュのアドバイスで円陣の中に入りこむと、トナシェは叫び声をあげた。
「サーチングポインターッッ!」
するとコシンジュたちの周りでぼんやりと緑色に光る物体が現れる。
しかしそれは単体ではなかった。
かなりの数のセイレーンがあたりを飛びまわっている。
「ああ、こういうのを見越して手下たちに周りを巡回させてるんですね?
これじゃどれが本物かわからない」
メウノが言っているうちに、光のなかのひとつがこちらに向かってきた。
非常に速いが、ロヒインには通用しなかった。
現れたローレラのシルエットに向かって紫色の光をつきあげた。
すると、現れたのはローレラではなく黒いかたまりにつつまれた物体だった。
中から空中クラゲの身体が飛び散って消える。
「クソッ! 本物じゃなかった!
奴は水分を固めて操る能力まで持ってる!」
「だけど、これでオレたちに手出しできなくなった。
よほど何か考えてないと奴に勝ち目はないぜ!」
コシンジュが言ったとたん、足元を何かが叩きつけた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
叫びに振り返ると、トナシェがクラゲの触手に足をつかまれている。
するとそのスキにコシンジュまで足を引っ掛けられ、そのまま引っ張られると同時に地面にたたきつけられてしまった。
「ぐぉぉっっ!
また腰打ったっ、本日2回目っっ!」
尻をさすりながら立ち上がると、上空にさかさまにされたトナシェの姿が浮かんでいた。
足首を持ち上げる触手の先に身体を巧妙に隠したローレラの姿が浮かんでいる。
「ククククク……。あのような子供だましに引っかかるとは。
まあ良い、おかげでいいものが手に入った」
「こらぁっ! トナシェを離せっ!
そして大事な部分を隠してる触手も下げろっ!」
「コシンジュッ! 後半関係ないよっ!」
ロヒインの罵声に反応するようにイサーシュが首をすくめる。
「やれやれ、思春期っていうのはなんて節操がないんだ」
「「お前もまだ思春期だろうがっっ!」」
コシンジュ、ロヒインに注意されイサーシュは少し困った顔をする。
「クククク、ムダ口をたたいている場合か。
こいつがどうなってもよいのか?」
「勇者さま~っ!
た、助け、あいや助けてもらっては、あっ、どうしようっ!?」
ジタバタもがくトナシェをつるしたまま、ローレラは最初の岩場まで戻った。
そして小さいトナシェを振りまわすと、今度は自分の両手で抱きかかえる。
「ああ、なんてうらやましい……!」
「「うらやましくなんてねえよっ!」」
コシンジュがロヒインとイサーシュにたしなめられているあいだにも、トナシェはクラゲ女の腕の中でジタバタともがく。
「化け物めっ! その子をどうするつもりだっ!」
「おお僧侶よ、そんな口をたたいてもよいのかな?
ワタシがクラゲだということを忘れるな」
するとローレラは片方の触手を持ち上げ、ふるえるトナシェの首筋に突きつける。
すると触手の先からおびただしい数の鋭い針が現れる。
「こいつにはもちろん猛毒が含まれている。しかも速攻性だ。
すぐに治療ができなければ手遅れになるぞ」
メウノはそれを見て「ぐっ!」と歯を食いしばる。
「さあて、それじゃこの子をどうしようかという質問に答えるとするか」
ローレラが触手から付きだす針を引っ込め、トナシェのあごをつかんで強引に自分の顔に向ける。
「さあ、わたしの目を見るがいい」
目を閉じようとしたトナシェだが、アゴを押さえつけられ思わず相手の目を見つめると、ローレラの両目が赤い光を放った。
「手下どもの洗脳は一部の者にしか効かぬが、我の場合はあらゆる者すべてを洗脳することができる」
すると突然トナシェの頭がガクン、と折れた。ローレラは触手からゆっくりと彼女を下ろすと、トナシェはおのずから立ち上がった。
そしてまっすぐこちらに目を向ける。その瞳は真っ赤にかがやいていた。
「ああ、また厄介な相手を敵に回した……」
「クククク、魔導師よ。我の洗脳は手下どもとはわけがちがうぞ。
相手の知識をも支配し、そのものが知っているすべてを操ることができる。
もちろん、あの召喚術というものもな」
そしてトナシェはひざまずき、両手を組んで祈りをささげ始めた。
「ああ~~~~~~~っっ! まずいっ、まずいってっっっ!」
コシンジュの叫びに増長するように、ローレラは甲高い笑い声を立てた。
「オ~~~~ホホホホホホホホッッッ!
さあ勇者どもよっ! あわてふためくがいいっ!
そして味方につけたはずの強大な力によって命を落とすのだっっ!」
「させるかこのバケモンっっ!」
その時ローレラの背中で何かが動いた。
いつの間にやら背後に近づいていたヴァスコが、大きな斧を振り上げ頭の巨大ゼリーに叩きつけたのだ。
「ぽぷらっっっっっっ!」
美しい顔が台無しになるくらいのみっともない表情を見せるローレラ。
ゼリーには深々と斧の刃がめり込んでいる。
「でかしたおっさんっ!」
トナシェを見ると、目の赤い光が消えて正気になったかのような顔つきになっている。
「おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
ここでローレラは振り返ってすでになっていたヴァスコを軽々と突き飛ばした。
コシンジュが「ああっ! おっさんっ!」と叫んでいるあいだに、ローレラは向き直って片方の触手を大きく振り上げる、するどい先端が飛び出した先には、おびえるトナシェの姿が……
「おのれっ!
こうなればこのやっかいなガキを真っ先に片づけてくれるっ!」
その時、ローレラのふくよかな胸のあいだに小さなナイフが深々と突き刺さる。
血走った目をしていたクラゲ女はすぐに苦悶の表情になり胸を押さえた。
「……よそ見をしている場合ですか?」
ナイフを投げたメウノは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「ああっ! いまチラリしたっ!
チラ見えしたっ! よっしゃぁっ!」
「喜び方がちがうっ!」
ロヒインがコシンジュの頭をはたいているあいだに、ローレラはヨロヨロと立ち上がる。
さすがは魔物だけあって生命力が強い。
「ぐぅぅ、もはやこれまでか。
仕方ない、こうなれば我が最大級の魔法を用いて貴様らを道連れにするまでよ……」
そして触手を上に持ち上げ、生身の両手は竪琴を持ってバインバインと激しくならし始める。
コシンジュが不安げな叫びをあげた。
「何の悪あがきをするつもりだっ!」
ローレラは立っているのがやっとの状態で、竪琴を鳴らし続ける。
すると掲げた触手の真上から、辺りを包んでいたはずの濃い霧が急速に集まっていき、巨大な水のかたまりと化した。
「みなさんっ! ここは私に任せてっっ!」
そう言ってメウノが前へとかけだした。
そしてダガーを両手で持って上に向けるが、ローレラは固めた水のボールをはるか上空に大きく放り投げた。
当然メウノの真上を通過する。
後ろを振り向くと、やはりここは入り江だったらしく入口は巨大な岩に挟まれている。
その片方に巨大水球がぶち当たり、岩がはじけて狭いすき間に入り込んでしまった。
「ああっ! あんなことされたら船が出られないっ!」
「ククククク……
勇者どもめ、ここでのたれ死ぬがいい……」
ローレラにふりむくと、相手は力尽きて岩場から落ち、そのまま白い砂浜に倒れ込んだ。
「あ~あ、死んじゃった。いい女だったのにもったいない」
コシンジュはすぐにイサーシュに頭をはたかれる。
「そんなこと言ってる場合かっ!
下手をすると俺たちは泳いで海を引き返さなきゃいけないんだぞっ!」
「お~いっ! 誰でもいいからロープを下ろしてくれ~っ!」
ヴァスコの声だ。
コシンジュ達がすぐに駆けつけると、船の下からトナシェを抱きかかえた彼が手を振っている。
「大丈夫かおっさんっっ!」
「おおコシンジュ、いててて、頭を打っちまったが何とか大丈夫だ。
それより早くロープを降ろせってんだ!」
船員が急いでロープを下ろすと、ヴァスコはトナシェを抱えたまま自分の腹にロープをくくりつける。
船員たちが数人がかりで彼らを引っ張り上げた。
先にトナシェを乗船させたヴァスコはしきりに頭の後ろをさすっている。
「いててて、しかしよかったぜ。
やっかいなバケモンだったが、人質を取ってくれたおかげでかえって油断してくれた。
どうだ、おれの腕前もなかなかのもんだろう?」
そう言って自慢げに親指を自分に向けるヴァスコに、イサーシュは残念そうに首を振った。
「残念ながら敵は最後の最後でとんでもないことをしてくれました。
入江が岩でふさがれ、この船を出せるかどうかわからないところです」
ヴァスコが「なんだって!?」と言って船尾に向かうと、くずれた入り江に向かって大声で吐き捨てた。
「なんてこったっっ!
あのアマ、最期になんてことをしてくれやがるっ!」
コシンジュが「脱出できるか?」と聞くと、大男はうつむいて首を振った。
「ダメだ、あの状態で無理に出向させたら必ずぶつかっちまう」
「大砲があるでしょう。それで海底を撃てば……」
「大砲は海の中に撃ちこむようにできてねえんだよ。
もし撃てたとしても焼け石に水だ」
イサーシュに返答したヴァスコは、振り返ってロヒインのほうを見つめた。
「魔法で何とかならねえか?」
ロヒインはアゴに手を触れて考え込む。
「どうでしょう。
大砲でダメだというのなら大魔法を使ったとしてもそれほどの効果は……」
「1つだけ、方法があると思いますよ」
トナシェだった。
全員が顔を向けるが、どれも難しい表情をしている。
「トナシェ、大丈夫なのか?
次に呼び出す破壊神はガームみたいにおとなしい奴だとは限らねえぞ?」
「勇者さま、それでも呼ばざるを得ません。
このあたりは海流が早いと聞きます。小舟程度で街に戻ろうとするのは不可能だと」
コシンジュ達は互いに顔を見合わせる。
代表してコシンジュ自身がうなずいた。
「わかった、こうなったらダメもとだ。トナシェ、よろしくたのんだ」
幼い少女はこっくりとうなずき、両手を組んでその場にヒザをついた。
「長き眠りにつきし破壊の神よ。
我が声にこたえ、その呪われし力を存分にふるえ……」
すると、入江全体に異変が起こった。
船がゆらゆらと揺さぶられると、外では大量の海水が巻き上げられている。
コシンジュ達の上空で1つのかたまりとなり、うっすらと青い光に照らされる。
「なあ、これ、いやな予感がするんだけど当たってる?」
コシンジュの問いに誰も応えることはできず、水のボールはどんどん巨大化していく。
次の瞬間、ボールは突然はじけてコシンジュ達におおいにかぶさる。
「わぁぁっっ!
……うぇっ、しょっぺっっ!」
海水を吐き出しながらコシンジュが再び見上げると、そこには巨大なサメのような生き物が空中に浮かんでいた。
一般のものとは違い胸ビレが非常に長い。
「『大海の暴君ヨトゥンガルド』。
早くもあなたが現れてしまいましたか……」
コシンジュ達は互いに顔を見合わせていた。
トナシェの住んでいた神殿に封じられた、あの破壊神の中でも一番デンジャラスと言われているアレである。
変化はそれだけではなかった。
あおむけになっているサメの白い胸から、ニュゥッと何かが飛び出した。
それは青白い紳士服をまとった男の身体で、人間のような顔の口のあたりで進出が止まる。
サメの頭からもニョキッと棒状のようなものが飛び出すと、先端から大きな目のようなものが現れ、コシンジュ達をじっと見つめる。
巨大ザメは横向きになると、紳士服の身体がヒジをついて寝転がるような姿勢になった。
「やあ、起こしてくれてありがとう。
ぼくの名はヨトゥンガルド。血と暴力をこよなく愛する海の神様さ」
ぼう然とするコシンジュ達に対し、ヨトゥンガルドはひょい、と人差し指をさす。
「ねえ、キミたち、
いまから全員、殺しちゃっていい?」
「え、なに? あなた、いま何ておっしゃいました?」
「だーかーらー。
今から君たちを全員なぶり殺しにしちゃっていいって聞いてんの? わかる?」
コシンジュはしばらく黙っていると、突然両手で頭を抱えた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ! 出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!
あぶねえっ、こいつ相当あぶねぇぇっ!
まさしくデンジャラスだっ! 本物の破壊神だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
それに合わせてあわてふためく人間たちを見て、ヨトゥンガルドはケラケラと笑う。
「あはははは、面白いね。やっぱり人間は。
そうやって恐れおののき、ぶざまに騒ぎ立てるところを見るのは何度見てもたまらないね」
「そ、そんなっ! お願いしますっ!
お願いしますから今日のところはお引き取り下さいっっ!」
コシンジュがひざまずいて必死に懇願するが人の顔はいやいやと首を振る。
「ダメダメ、ぼくを起こしちゃった以上、キミたちにもう明日はないんだ。
おとなしく苦しんで死んでくれたまえよ」
「やめてくださいっ! オレは神様から大事な使命を借りて魔王を倒さなきゃいけないんです!
ですからここはひと肌脱いで、オレたちをお見逃しくださいっっっ!」
するとこれがまずかったのか、ヨトゥンガルドは不機嫌な表情になる。
「そうか、キミはあのクソどもに頼まれた魔王討伐の使者なんだな?
ますます見逃すことはできないね。
それにあの天界のジジイどもが魔王にやられれば、ぼくの身は自由になれるかもしれない。ここはぜひとも魔王にがんばってもらわなくちゃ」
「そ、そんなぁ~~~~~~~~っ!」
コシンジュが頭を抱えると、サメ男はアゴに手を触れてニッコリ笑った。
「さあ、キミたちが波にもまれ、もがき苦しんで死んでいくさまを見るのは楽しみだ。
いったいどれだけもつというのかな?」
「……ククククク、ハハハハハハハハハハハハ……」
突然の笑い声、下に目を向けると、トナシェが笑いながら立ち上がる。
「あれ? なにがおかしいのかな? ここはおびえるところで笑うところじゃあない。
狂った笑いなら大歓迎だが」
「ハハハハ、ちっちゃいねえ、お前ホント、ちっちゃいねえ」
顔を見せたトナシェは、何やら不敵に輪をかけた笑みを見せている。
まさかの挑発に、ロヒインが「ちょ、ちょっと……」と言いかけた。
対するヨトゥンガルドの心証は当然悪くなる。
「ちっちゃい?
キミ、海の神様に向かってそれはないんじゃないの?」
「だってよぉ。
お前、アタシらを単純におぼれさせることしか考えてないじゃないか」
普段からは考えられない口調でトナシェは海神を挑発する。
その指がおもむろに入り江のほうに向けられた。
「どうせなら、もっと派手に暴れてみろよ。
あの海の向こうから、ありったけの波を持って来い。
思い切りゆさぶって、この島まるごと吹っ飛ばしてみろよ」
いやらしい笑みを浮かべるトナシェに、ヨトゥンガルドから完全に表情が消えた。
「フン、言ってくれるなクソガキ。
ようし、わかった。そこまで言うのならありったけの力を込めてこの島を吹き飛ばしてやる」
するとサメの巨体がまっすぐ上を向いた。
紳士の身体が両手を広げ、ブルブルとふるわせ始める。
とたん、船の水位が下がり始めた。
ぼう然としていたヴァスコがすぐに手すりから下を見下ろす。
「やべぇっ! 波が勢いよく引いてやがるっ!」
そして振り返って乗組員全員に呼び掛ける。
「お前らっ! でっかいヤツに備えるぞっ!
まずは砲台の窓を閉じてカギをかけろっ! マストは全部閉じて、ケガしてる奴らを全員下に運べっ!
それからそこのお嬢ちゃんもだっ!」
船員の1人が、狂ったように笑い続けているトナシェを持ち上げ、甲板の扉から下に運んでいく。
ヴァスコがコシンジュ達を向いて大手を振り上げた。
「お前らも早く下に行けっ!
コイツは大波にさらわれる。あっという間にかっさられるぞっっ!」
「そんなっ、おっさんはどうなるんだよっっ!」
「おれたちゃ舵をとらなきゃいかん、腰をロープに縛りつけてでもここに残るぜっ!」
「だったらオレも残るっ!
ロープをよこしてくれっ!」
「バカ言うんじゃねえっ!
これは素人がどうこうできるようなもんじゃないんだ! さっさと下に降りないと死んじまうぞっ!」
「船長の言うとおりだ! 俺たちも下に降りるぞっ!」
イサーシュに強引に引っ張られ名前を呼びながら階下に消えていくコシンジュ。
仲間たちも振り返りつつ消えていくのを確認したあと、ヴァスコは上空に浮かぶ巨大ザメをにらみつけた。
「やれるもんならやってみやがれ。このオタンコナスめ」




