第20話 いざ、大海原へ~その3~
「まいったなぁ。こりゃ一体どうなってやがるんだ」
ヴァスコが困った顔で甲板に出ると、あたりを見回し苦い顔に変わる。
船の外は一面の濃い霧で、まったく先の見通しが立たない。
そばにいたコシンジュとロヒインは思わずかけよった。
「どうしたんだよおっさん。
霧が出てると困ることでもあるのか?」
「海のど真ん中ならまだいいさ。
だけどこのあたりは、付近でも有名な屈指の難所なんだよ」
手すりの前に立った2人は真っ白な闇を見つめる。
それに向かってヴァスコが人差し指を回した。
「このあたりには数々の小島があってな。
あちこちに暗礁もあって気をつけなきゃ船体がぶつかって船が沈んじまうんだよ。
うまくやらなきゃ座礁してここらあたりにある沈没船の仲間に入っちまう」
「対策は取ってあったの?」
「もちろんさ。この船底は普通より頑丈につくってあるし、前もって霧が出ないか占い師まで使って調べさせたんだ。
しかしまんまと引っかかっちまうなんてどういうこったよ」
「その占い師、下手くそだな。
これからはうちのロヒインを頼ったほうがよさそうだ」
「信用できる奴だったんだがな……」
ヴァスコは頭の三角帽を1度取り、もじゃもじゃの髪をポリポリとかきだした。
「わぁすごいっ! こんな濃い霧を見るのは初めてっ!」
後ろを振り向くと、トナシェが下の階から昇ってきて、あたりを見上げた。
「こら! 危ないから見上げたまんまウロウロしない! コケて船から落っこちるよ!」
「そうだロヒイン、せっかくだからこのあたりにある暗礁を調べたほうがよくないか?
こう先が見えないとどこに行ったらいいかさっぱり……」
その時、船がガクン、とゆれた。
全員がバランスをくずすなかトナシェが大きく転んでしまい、ロヒインに支えられる。
コシンジュは急いでヴァスコに振り返る。
「さっそくぶつかっちまったっていうのかっ!?」
「大丈夫だっ!
今のはまだ浅い。船に水が入り込むまでにはいかねえだろうっ!」
「どうしたっ! まさか魔物の襲撃かっ!?」
メウノとともに飛び出したイサーシュが声を張り上げる。
対するヴァスコはあわてて手を振った。
「そっちじゃない、どうやら船が浅瀬にぶつかっちまったようだ。
ロヒインに頼んで海底を調べさせる」
「ちょっと待ってください。そのことで、ちょっと相談があるんですけど」
全員が注目するのを待つと、ロヒインは真剣な表情を向けた。
「この霧、なんかおかしくないですか?」
「そいつは、おれも思った。
こんな危なっかしい場所でここまで霧が出るなんて、タイミングが悪すぎるからな。
しっかり調べさせたのにこんなになっちまうのもおかしい」
「……まさか、魔物のしわざ、なんてことはないでしょうね……」
トナシェの発言で全員が息をのんだ。
メウノが小さい声でつぶやく。
「敵にとってここは最適の襲撃場所です。
このまま座礁するのを待っているはずはないのですが……」
「おい見ろっ! ありゃあなんだっ!」
離れた場所にいる船員が、なぜか空の上を指差した。
見上げると、霧の中からぼうっと光る何かが現れる。
物体は1つだけではない。
白い空のあちこちに、同じように宙をさまよう光が現れている。
「ありゃ、なんだ? なんだか幽霊のようにも見えるけど……」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!
また出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
ロヒインの発言にコシンジュが悲鳴を上げる。
しかし相手は首を振った。
「いや、魔物化する死者はだいたい地属性が中心、水属性でアンデッドなんて、あまり聞いたことがない」
「気をつけてくださいっ!
ありゃ『セイレーン』って奴ですよ!」
「ん? 今の声はどこから聞こえたんだ?
おいコシンジュッ! なんだその腰から出てる物体はっ!?」
ヴァスコはコシンジュの腰にぶら下げている袋から飛び出した動く花にびっくりしていた。
相手は恐縮して花びらをひょい、と下げる。
「ああどうも。非力な魔物、マドラゴーラです。
魔物案内を任されているんで今後ともよろしく」
それを聞いたヴァスコは胸をなでおろした。
「ああびっくりした。なんだそういうことだったのか。
自己紹介はもっと早くしてくれよ」
「そんなことより話を聞いてくださいよ。奴らは……」
「なぁにこれぇぇ~~~~~~~っっ!
すっごくかわい~~~~~~~~~~~~っっ!」
いきなりトナシェがマドラゴーラを袋から引き抜き、ほっぺたにくっつけてすりすりしだした。
動くチューリップは全身全霊で暴れる。
「わぁぁぁぁぁぁっっ! ちょっとやめてくれよお嬢ちゃんっ!
俺は今から空にいる魔物の解説をしとかなきゃ……」
そのやり取りのあいだに、空を舞う魔物たちは船に乗る人間たちに近寄る。
まるでクラゲのような姿をしたそれらは、ゆっくりとした動きで1人1人張り付くように向かってくる。
「来い! コイツでぶっ飛ばしてやる!」
「待ってくださいコシンジュさん! そいつらは……」
マドラゴーラが葉の先を伸ばした頃には、クラゲは頭の中心にある赤い光を向けていた。
コシンジュがそれを見たとたん、中から誰かが姿を現した。
「オヤジ……おふくろ……それに、村のみんな……」
別の方向からはイサーシュが、上空にいる巨大クラゲをぼう然と見つめる。
「ムッツェリ……」
2人とも魔物を相手にしているというのに、なぜかその顔にはうっすらと笑みのようなものさえ浮かんでいる。
不思議なことに、ロヒインやメウノは同じ光を見てもなんともならない。
「え? なに? 奴ら一体、何したの?」
ロヒインとメウノが顔を見合わせていると、マドラゴーラがいきなり飛びはね、ロヒインの肩の上についた。
「ああ、遅かった……」
そして頭を抱えるように花びらに長い葉を押し当てる。
ロヒインはすぐに問いかけた。
「セイレーンはどんな魔法を使ってくるの?」
「ありゃあ『洗脳魔法』です。
あの光を見た人間は、そこにいま一番会いたい人の幻覚を見て、あのクラゲに完全にとりつかれてしまうんです。
自分にとって大切な人がそばにいる場合はいいんですが、そうでない場合は……」
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!
たすけてくれぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
遠くで叫び声が聞こえた。
そちらの方に行くと、あろうことか船の船員が仲間に向かって剣を向けている。
「ああちくしょう!
さっそく仲間を襲いはじめやがった!」
「私に任せてくださいっ!」
メウノはふところから赤いダガーを取り出すと、剣を振りかぶろうとする船員に向かって走った。
ロヒインが手を伸ばす。
「ダメッ!
その人はとりつかれているだけだからむやみなことはしないで!」
メウノは「大丈夫です!」というと、ダガーを振りかぶらずに横に向けて押し当てた。
すると船員の背中からクラゲが飛び出し、ドロドロに溶けて空中に消えていく。
「なるほど、魔法の力で敵を追い出すんですね! わかりました!」
そしてそばでぼう然としていたトナシェに向かって声をかける。
「トナシェ! 睡眠魔法は覚えてるでしょ?
こないだ船員に試したからわかるよね!」
「あ、はい。しかも全体魔法ですよね。
少し時間がかかりますけど頑張ってみます」
言われてロヒイン自身もブツブツと呪文を唱え始めた。
しかしその背後で、黒い影がぬぅっと近寄ってくるのがわかった。
マドラゴーラが後ろを振り向く。
「ああっ! 危ないっ!
ヴァスコ船長までとりつかれやがった!」
目がうつろの船長は、両手を大きく広げてロヒインを捕まえようとする。
その瞬間、ロヒインはクルリと振り向いて木製の杖を振り上げた。
「『エクソルサイズ』ッッッ!」
杖の頭で胴をたたくと、とたんにクラゲが外に飛び出し、先ほどと同じようにして空中に溶けだした。
ヴァスコは一瞬動きを止めると、額を押さえて泣きそうな顔をする。
「なんてこった。
死んだカミさんが出て来やがった。胸くそ悪いぜ……」
「ヴァスコさん、気をつけて!
敵は仲間にとりついて攻撃してきます!!」
「わかった! 一発ブンなぐって目をさまさせりゃいいんだろ!?
おれの腕っ節を見せつけてやら……」
ヴァスコの言葉が止まった。
振り向くと、大男は前方をおもむろに指差している。
「すまねえ、あっちの方はムリだ」
その奥に目を向けると、そこにはいつもとは違い両肩をだらりと下げてこちらをうかがうコシンジュとイサーシュの姿があった。
2人とも両目がぼんやり赤く光っている。
「ああまずい。数々の魔物を打ち倒してきた歴戦の勇士が敵側についちまった。
こりゃやっかいなことになるぞ……」
マドラゴーラが葉を花びらに押し当てると、ロヒインは杖を構えた。
「それはわたしだって同じです。
大丈夫、この杖さえ押し付ければ、彼らについている魔物を追い払える」
コシンジュはおもむろに棍棒を振り上げ、こちらに向かってかけだした。
ロヒインは彼に向かって杖の頭を思いきり押し出すと、見事胴に食らって足を滑らせたようにステンッ、と背中から転んだ。
「ふぅ、やはりとりつかれていると全力は出せませんか。
というよりコシンジュもまだまだですね」
そしてイサーシュのほうに向けた時だった。
というよりその場にいない。どこに行ったかと思うと、横のほうから異様な気配が飛んでくる。
ロヒインは全身に鳥肌が立った。
「わぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ロヒインはあわててその場を転がると、真後ろにいたイサーシュがその場を素早くすり抜けた。
顔をあげて振り返ると、相手はまっすぐこちらに顔を向けてくる。
「なんて素早い。
敵にとりつかれてなおあのポテンシャルですか、恐ろしい……」
メウノがいないか見回したが、彼女はほかのとりつかれた船員を助けるので精いっぱいのようだ。
自分が対処するしかない。
すると、イサーシュの目がいまだ呪文を唱え続けているトナシェに向けられた。
そして剣を小脇にかかえると、切っ先をそちらの方へと向ける。
ロヒインは舌打ちしながら、杖をまっすぐ投げつけた。
まだ魔法効力が残っているそれはイサーシュの頭に当たると、光を発生させて中のクラゲを飛びださせた。
「ふぅ、危ないところだった……」
ロヒインが手をグーパーさせていると、突然床の扉から船員たちが現れた。
「船長、大丈夫ですかいっ!?」
「お前らっ! 出てくるんじゃねえっっ!」
ヴァスコが注意するも、その時には新たなクラゲが彼らの前に現れていた。
3人の船員全員が赤い光を見てうっすらと笑みを浮かべる。その瞬間にクラゲが急激に彼らの身体の中に入りこんだ。
そしてその顔に怒りをみなぎらせると、一斉にこちらに向けられた。
ヴァスコが叫ぶ。
「おいロヒインっ! はやく杖を拾い上げろっ! こっちに向かってくるぞ!」
「ああダメっ!
杖を投げた時に魔法効果が切れた! もう同じ呪文を唱えてる時間はないっ!」
ヴァスコが「なんてこった!」と叫びながらロヒインを押し下げると、船員は腰にぶら下げたサーベルを抜きながらゆっくりとこちらに近寄ってくる。まさに万事休す。
「『スリープタイム』ッッ!」
突然トナシェが叫びをあげた。
すると彼女のいたところから次々とアワのようなものが飛び出し、次々と船員たちの頭に覆いかぶさった。
やがて大きな球体となって彼らの頭をおおうと、中にいる船員のまぶたが急激に閉じられていく。
ヴァスコは眉をひそめる。
「おい、これ水魔法だろ?
なんで同じ属性の奴らに聞くんだ?」
「トナシェにはそれだけ強力な魔法を唱えてもらったんです。昨日質問があったもので。
睡眠魔法は水属性だけしかないのに、海の魔物に襲われたらどうすればいいのかって」
「魔導師さまはこうおっしゃいましたよね。
そしたら敵よりも強力な魔法で上回るしかない。つまりはそういうことです」
トナシェの言葉に船員たちが地面に倒れると同時に、それまで気絶していたコシンジュがゆっくりと身を起こす。
「うぅぅ、なんかなつかしい夢を見た。オレ、どうなったんだ?」
ロヒインが「コシンジュ!」と言ってそばにひざまずくと、小さい声で説明し始めた。
「ええ!? そんな、つまりオレは……」
「気にしないで。コシンジュのせいじゃないから」
「その通りだっ!」
マドラゴーラがロヒインの肩に飛びだして、トナシェの胸元に張り付くと、両側の葉でえりをつかんで強引にゆさぶった。
「このガキンチョッ! 人が説明しなきゃいけないって時に邪魔しやがってっ!
おかげでみんな危ないところだったんだぞっ!」
「うわ~ん、やめてよ~!
ビックリして思わず反応しちゃっただけなんだから~!」
その後ろからイサーシュが現れ、申し訳なさげな表情を見せる。
「すまなかった。とりつかれていたことはわかっていたんだが、どうにも思い通りにならなくてな。
俺の動きはさぞやりづらかっただろう」
ロヒインが「まあね」と言うと、イサーシュはトナシェに顔を向けた。
「あまり責めてくれるなマドラゴーラ。
そのかわり彼女は命がけで船員たちを守ってくれた。よくやったトナシェ」
マドラゴーラとトナシェ両方が「え?」と言って振り向く。
チューリップが空気を呼んで下に降りると、イサーシュは少女の頭に手を置いた。
「先ほどの呪文、敵味方を見事に区別したな。ぼんやりとしかわからなかったが、見事だった。
そう言えば数日前の召喚魔法の件に関しても言ってなかったな。
あの交渉術には脱帽だ。さすがは母上殿が自ら推薦するだけのことはある」
トナシェはイサーシュの手に触れて、「えへへ」と笑った。
それを見たコシンジュがぼう然とつぶやいた。
「すごい、こないだはすごく険悪だったのに、もう打ち解けるとは」
「イサーシュは実力のある人はすぐに認める傾向があるからね。
コシンジュも早く認められるようになるといいけど」
ニヤリと笑うロヒインにコシンジュが「うるせー」と言っていると、うしろからメウノが現れ、倒れている船員にダガーを押し当てていく。
とたんに船員の身体から白いゼリーが溶けだしていった。メウノは仕事を終えると額を手でぬぐった。
「ふぅ、これで全部ですかね?
思ったよりは厄介な相手ではありませんでした」
それを聞いたロヒインが、あらぬ方向を見て目を見開き、おもむろに立ち上がった。
「これ、おかしいですよね」
「ロヒイン、何がおかしいんだよ?」
「だって、うちには魔物ガイドのマドラゴーラがいるんだよ?
運悪く口がふさがれちゃったけど、きちんと説明してたらコシンジュとイサーシュがとりつかれる心配もなかった」
全員がはっとする。ヴァスコはあたりを見回す。
「そう言えば敵には必ず親玉がついてるんだよな?
まさか高みの見物を決め込んでるわけじゃあるまいし」
「船長っ! 大変ですっ!」




